第121話 鄙びた温泉街も風情が有って好きです
朝目が覚めた瞬間、胸に圧迫感を感じた。薄く目を開けると、ぼんやりした視界がはっきりし、巻き付いた腕が見える。
リズが寝ぼけて抱き着いているようだ。寝相が良いので、あまりこうした事は無いのだが、珍しい。横を見ると、あどけない寝顔が間近に有る。
軽くキスをしながら、腕を解こうとするが、思った以上の力でホールドされている。
「リズ、起きて。朝だよ」
「むー……うにゃー……くー……」
意味不明な音を口から発しながらも起きない。巻き付いた腕を手で叩き、何とか起きてもらおうと努力する。
「リーズー。あーさー。起きてー」
数分程の格闘の後、目が覚めたのかパチッと目を見開き、そのまま微笑み、キスをされた。巻き付いた手は離れない。寝ぼけているな、これ。
取り敢えず腕を叩き続け、何とか覚醒させる。
「おはよう、リズ」
「おはよう、ヒロ。朝から近いね」
「リズが寝ぼけて抱き着いてきていたんだけど?」
そう言いながら、解放してもらい、服を着替える。サーコートを羽織る際に、髪に触れる。まだ短髪の範疇だが、大分伸びてきた。
理容店は無いかと聞いてみると、町には有るらしい。外科医と一緒になっているのかと聞くと怪訝な顔をされた。この世界では医療行為全般は薬師ギルドの範疇のようだ。
ノーウェとの話が終わって余裕が有るなら、ロットに案内してもらおう。
そんな事を考えながら、朝食を終える。
聞いてみると、皆は揃って買い物の下調べとチャットの会話の矯正に1日を使うようだ。早めに矯正して欲しい。未だにあの色々混在した関西弁に慣れない。
私は約束通り、そのまま領主館へ向かう。門衛に挨拶し、執事に執務室まで誘導される。ノックへの応答が返り、扉が開かれる。
私は親愛の笑みを浮かべて挨拶をした。
「おはようございます、ノーウェ様。お久しぶりです。お体の調子は如何ですか?」
「おはよう、久しいね。健康そのものだよ。しかし、その挨拶も変わらないね」
苦笑を浮かべながら、ノーウェが答える。この辺りは性分だ。変え様がない。
そのまま握手を交わし、ソファーに案内されたので、座る。同時に用意されていたのか、お茶が出て来る。
「さて、まずは恐縮ですが、謝らなければならない事が有ります」
「謝らなければならない?カビアが持って帰った開発案件の事かい?」
「いえ、手紙に記されていた通り、ロスティー様やノーウェ様を疑っていた事です」
「あぁ、そんな事か。それは気にしないでも良いよ。一回、二回会ったばかりの相手を信用する人間の方がどうかしている。あれは、それを含めて君を受け入れると言う意味だよ」
鷹揚に肩を竦めると穏やかな表情で続ける。
「手紙に書いた、予算の件と君を家族として扱う件に関しては誓って真実だ。これまでも、そしてこれからも君は私達の家族だ」
「ありがとうございます。多分なご厚意、感謝致します」
「固い、固いよ。父上も言っていたと思うけど、もう家族だよ。君は固いね。やっぱり商人を相手にしている気になるよ」
再度苦笑を浮かべる。その後、執事に合図を送ると、私が手紙で送った設計図を拡大転写した物が机に広げられる。
「取り敢えず、大きい仕事から片づけよう。君が送ってくれた設計図だよ。正直、驚いた。技術的には既存の応用だが、君の説明を見て将来を思い震えたよ」
ノーウェが大げさに肩を抱きながら震えるポーズをして、続ける。
「カビアからも説明は聞いている。うちの技術部でも検証は必要だが、記載された機能は発揮するだろうとの報告を受けた。君の才能が恐ろしいよ。良くこんな物を思いつく」
正直、過去の人が偉いので有って、褒められても居心地が悪くなる。
「いえ。偶々思いついた物です。そして本題なのですが」
「本題?これにまだ、何か有るのかい?」
「この発明の特許取得はお願いしておりますが、その特許を担保に融資をお願いしたく考えます」
「融資?何か大きな物でも買うのかい?」
「この機器を使って、ある資材を掘り出します。それを使って保養施設を建築したく考えます」
「保養施設?すまないが病院でも新しく作るつもりかい?薬師ギルドの干渉は入るよ?」
そこで、この上総堀りの仕組みを使って、温泉を掘る事を説明する。統治を司る神の助言の件も明かした。
町の概要を書いた紙を取り出し、説明を始める。町の外部の少し離れた拠点に歓楽街を設けて、宿泊及び風紀上の問題個所を集約する案を提示する。
もちろん、町と歓楽街とは整備された道を通し、少額の馬車で往復させる案も合わせて提示する。
説明はしていないが、要は町の治安は下げずに、歓楽街に押し込める。その分警邏を徹底させて治安維持をする。
また歓楽街に関しては、昔の温泉施設の応用だ。非日常の空間を演出すれば金も落としやすい。
娯楽に慣れていない人々だ。その辺りは勝算が高い。昔の日本人だって同じだったのだから。
「あの方は、神出鬼没だから分からなくも無いけど。湯に浸かる設備かぁ。どの程度の規模を想定しているのかな?」
「上顧客用のグレードの高い部屋から、護衛の方、個人客を含めた小さな部屋まで含めて300名収容の設備が中心となります」
「うぅむ……。かなり規模が大きいね。王都でもその規模は数件だ。それだけ客を呼び込めるかい?」
「公爵閣下肝煎の領地となれば縁故の方が訪問する機会も有ります。その方々を核に王国中に広めて頂ければとは考えます」
カップを上げてお茶を含む。
「また、私の領地へのアクセスは子爵領を通る事が前提となります。ノーウェ様が呼び込みに積極的に応じて頂ければ、お互いに潤います」
「貴族の移動は金が落ちるからね。いや、そこまで見ているか……。君、男爵とか言ってないで王国の官僚団に入るかい?惜しいけど、それだけの才覚は有るよ?」
「まだ、実現していない物を褒められても恐縮です。それにまずは新男爵領を盛り上げる為にも大きな手を打つ必要が有ります」
「それで融資か……。いや、それは受けられないかな」
ノーウェの言葉に落胆を隠せない。流石にここで断られると思わなかった。カードが弱かったか?後悔が胃の上側を刺激する。
「あぁ、いやいや。心配させてすまない。金の件に関しては今回の予算で補填可能だ。正直、来年度予算を前倒しする事も現在なら可能だ。そもそもの新規開墾費用は予算上で固まったままだから流動させたいと言うのが王国全体の思惑だからだ」
にこやかに続ける。
「それにポンプの件も有る。親が子の利権を奪い続けていては、流石に私の外聞が悪すぎる。今回の件は父上と私で根回しをする。具体的な歓楽街の設計と主要設備の設計をお願い出来るかな?」
「分かりました。その辺りはもう、粗い物は作っております」
執事に合図を送り、預けていた設計図と概要図を持って来てもらう。
「仮称、温泉宿に関しては、こちらが設計図となります」
3階建ての温泉宿の設計図を提示する。コの字型の設備で中心には中庭を設ける。
1階はロビーや大浴場、宴会場、娯楽、購買スペース等が置かれる。大浴場は中庭を望みながら入れる露天風呂も併設する。
2階は一般客用の小規模な客室、3階は貴族用の広めで調度も高価な客室となっている。各階へのアクセスは広く取った緩やかな階段で上り下りをしてもらう。そこも風情だ。
下水設備に関しては、王都等の大規模宿の情報を集めて洗練させているので問題は無い。温泉の排水に関しても、沈殿槽を設けて、町を大回りして温度を下げた後に、川に排水する流れだ。
「歓楽街に関してはこちらが概要となります」
歓楽街に関しても、古き良き昭和の温泉街のイメージだ。居酒屋や射的等の娯楽、娼館やマッサージ屋。小規模な病院設備も薬師ギルドから誘致する。
温泉宿の飲食は高級路線で設定し、貴族の取り巻きや護衛は歓楽街に繰り出し、居酒屋で飲んで、マッサージや娼館で癒される流れだ。
娼館に関しても、管理を徹底させる。病気を蔓延させる温床にさせるつもりは無い。自領の民だ。苦しい仕事ではあるが、幸せになって欲しい思いは本心だ。
この辺りはプロで評判の良い店を丸ごと買い取って移籍させても良いと考える。顧客業かつ専門職なので、ノウハウの蓄積が重要な職種だ。
「これは面白そうだね……。宿泊料だけでは無く食事や、色々と娯楽でも巻き上げる算段か。君の頭の中を一度覗いてみたいよ。これは成功する。確信できた」
今の日本では、他のレジャー施設が充実して廃れては来ているが、この世界では画期的、斬新な設備と思想だ。領地の初期ブースト分は十分稼いでくれる。
「夢の国と言うのは大げさですが、王国の東端など来る機会は少ないはずです。でも、来てみれば夢の様な楽しみが待っている。そそりませんか?」
「私の領地を田舎と言われているようでちょっと嫌だが、その言い分は理解出来る。これだけの設備だ、宿泊目的だけでも集客が期待できるし、入浴に療養効果が有るのなら長い滞在も見込めるだろう」
ノーウェがその姿を思い浮かべているのか、少し微笑みながら楽しそうに語る。
「さて、色々話し込んだが、そろそろ昼でも食べないかな?私も頭を整理するのに、少し時間が欲しい。今日は君の為に空けている。思う存分語り合おう」
そう言うと、2人共執事に誘導される。調度のレベルも高い、夜会を開ける大きさの部屋だ。
「さぁ、ゆっくりと楽しんで欲しい。前回は中々気軽と言う訳にはいかなかっただろうから。今回は寛いで欲しいな」
食卓に食事が並べられる。さて、後半に向けて英気を養い、気合を入れますか。