正座
マリウスは正座していた。
それをバーラとロヴィーサが冷ややかに見ている。
キャサリンは板挟みになってオロオロしていた。
「マリウス。あなたが率先して迷惑かけてどうするんですか」
ロヴィーサの一言で、夫はしゅんとうなだれる。
ネルガルはよく分かっていない顔をしつつ、父親の真似をしてしょんぼりをしていた。
ふりをしていると言った方が正確だろうが。
「それにこの子をクビですって?」
一人の侍女が真っ青になっている。
マリウスにクビを言い渡され、卒倒しかけたところに妻達二人がやってきたのだ。
そして事情を聴いて夫を叱っているのである。
「日頃の行いは全て自分の身に返ってくる。だからこそ善行を積みましょう、と教えるのがそんなにいけない事でしょうか?」
バーラの問いにマリウスは返す言葉がなかった。
完全な先走り、暴走だったのである。
「ごめんなさい」
汗顔の至りとはこの事か、と地上最強の男はぼんやりと考えた。
全面的に自分が悪いのだから、黙って怒られるしかない。
「あ、あの。分かっていただけたのなら、お許しをいただけるなら、わたしは……」
クビにされかけた侍女がそう口を挟む。
別にマリウスのお手付きだとかそういう事実はない。
神すら凌駕する最強の男が、しょんぼりとしている事を見かねたのだ。
邪神を倒した功績に対し、密かに憧れていたりもするのだが。
「よくないわ」
ロヴィーサはぴしゃりと言った。
「たまたまエルが知らせてくれたからよかったものの、そうでなかったら危なかったわよ」
バーラも賛成する。
(たまたま?)
マリウスは何か違和感を覚えた。
エルに限ってたまたまという事などありえるのだろうか。
そうまで考えてみたものの、いくらエルでも何でもかんでも計算通りというわけにはいかないだろう、と思い直した。
「それとたかいたかいについてなんですが」
バーラが苦いと言うよりは困惑した表情で言う。
「雲の上に投げるのはさすがにやりすぎでは?」
「ネルは喜んでいたけど」
マリウスは一応の反論を試みる。
「うん、おもしろかったー!」
ネルガルは笑顔で父を擁護した。
彼女にしてみれば超スピードで雲を貫くというのは、とても新鮮で楽しいのである。
ただし、見る者の心情を考慮していないという問題があった。
「ネル以外にやったら死にますよ。分かっていますか?」
ここでキャサリンがようやく会話に参加する。
「さすがに分かっているよ。ネル以外に試した事なんてないし」
マリウスと言えども、体ができていない乳幼児に無茶をさせたら危険だという事は知っていた。
「だってネルはアウラニースと殴り合いができるんだぜ? 心配するだけ無駄じゃないか?」
「それはそうかもしれないけど」
妻達は一気にトーンダウンしてしまう。
マリウスが雲まで投げるより、アウラニースが殴る方が破壊力があるのは確認するまでもない。
大魔王が人間の姿の時とは言え、本気で殴っても「痛い」とべそをかく程度ですむのである。
幼児どころか人間離れしたタフネスっぷりだった。
そして実際のところ、彼はネルガルにしかやっていない。
ジークとフリードという息子には、試そうともしなかった。
「まあ、いずれにせよ」
ロヴィーサが咳払いをして話を戻す。
「侍女のクビは認めません。よろしいですか?」
「はい」
マリウスは素直に返事をした。
この際、最高権力者が彼である事は関係ない。
一方ネルガルは、父親を見習ってかしこまっていたものの、段々と飽きてきた。
このあたり、実に母親譲りだと言えるだろう。
元より父親以外は何とも思っていない節がある少女なのだ。
「おとうしゃま、おはなしおわり?」
話が途切れたタイミングで声をあげる。
期待が露骨にこめられていて、聞いていた者は思わず苦笑した。
二歳の少女だから許されるのであって、マリウスが同じ態度を取ったら反発されるだろう。
そう思いつつ、少女の父親は娘の頭を撫でてやった。
「まあな、ネルはもういいんじゃないか」
「ネルはネルで問題があります」
ロヴィーサとバーラが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「ネル、なにかしたかな?」
本人はきょとんとしている。
「雲の上から落ちてきて着地をしたのはまあいいのですが」
ロヴィーサの言葉の続きをバーラが言った。
「その際、天変地異を起こすのはやりすぎです。あなたならもっと静かに着地できるでしょう」
「えーと、そんなことしたかな?」
ネルガルは首をかしげる。
彼女にしてみればただ単に着地しただけだったのだ。
ため息があちこちから聞こえる。
「してますよ。雲を突き抜けた余波で雷が各地に降り注いだり、着地した時、地面が陥没するどころか大地震が起こったり」
「ほぼマリウスのせいでしょうけどね」
妻達の目が冷たい。
大陸が大混乱に陥るような超常現象の発生源が、ほぼ自分の夫のせいだと知っているのだから当然と言えるだろう。
「……俺が怒られたのって、侍女をクビにしようとしたせい? ネルを雲の上まで放り投げたせい? ネルと遊んでいる時に色々な現象が起こったせい?」
「全部に決まっているでしょう!」
その場にいたネルガルを除く人間全員が叫んでいた。
(あ、やっぱり)
マリウスは思ったがさすがに口には出さない。
より一層怒られる事くらいは想像できたからだ。
「大体、ネルに一番悪影響を与えているのはあなたじゃないですか!」
ロヴィーサの言葉にマリウスは本気で驚いた。
「え? 俺……?」
そんな夫に腹を立てたバーラがまくしたてる。
「普段は遊ばない。たまに構うと甘やかせる。周囲に迷惑をかける。……以上があなたの所業なのですが、何か反論はありますか?」
「ありません」
マリウスは一瞬で降伏した。
心当たりがありすぎる。
内心で冷や汗をかく。
「ここらで一つ、反省をしてほしいのですが」
「そうだな……」
さすがに感じるものがあったのか、ネルガルの父親は表情を改めた。
「子供達の為に反省して改めるよ」
妻達はその言葉にうなずきあう。
しっかり反省してくれるならば、彼女達としてもこれ以上咎める気はなかった。
彼女達の夫はこの世において絶対存在である。
誰も取って代わる事などできるはずがない以上、自発的に意識を改革してくれる事を願うしかなかったのだ。
「おとーしゃま? ネルは? ネルは?」
ネルガルが少し不安そうな顔で質問をする。
彼女は幼いなりに父親が何か悪い事をして、いい事をするようになったと理解したのだろう。
そして自分はどうなのか気になったのだ。
「ネルは今まで通りでいい。でも、手加減はもっと上手にできないとな」
「はーい」
ネルは笑顔で返事をする。
彼女に関しては慎重な対応が必要だ、という事で皆の意見は一致していた。
悪気があるならば何とでもなるのだが、幼い豪傑にそんな気は全くない。
むしろ兄達は弱いから自分が守るべきだと、本気で考えてすらいるのである。
そういう想いは大切にした方がよい。
「さしあたってはネルの鍛錬からだな」
マリウスはそう決断する。
「マリウス、ネルガル! いい加減追いかけてこいや!」
ちょうどその時、アウラニースが怒鳴り込んできた。
彼女にしてみれば一緒に遊ぶつもりで放置されていたのだから、怒るのも当然だ。
「おう、いいぞ」
「……え? あれ?」
マリウスに即答され、怒鳴り込んできたアウラニースはきょとんとする。
のらりくらりとはぐらかされるのがこれまでのパターンだったので、今度ばかりは無理にでも言い聞かせようと意気込んでいたのだ。
それが空振りになって勢いがそがれてしまう。
「とりあえず、ネルと三人でやろう。ネルの訓練もしなきゃいけないからな」
「お、おう?」
アウラニースは話がよく呑み込めていなかったが、マリウスと遊べるなら問題はないと判断し、ひとまず承諾する。
「わーい、おとーしゃまといっしょだ!」
ネルガルは無邪気に喜ぶ。
そこへエルがやってきた。
「何とかなったかしら?」
彼女にしては実に珍しく、マリウスを無視してその妻達に話しかける。
「ええ、あなたが教えてくれたから間に合ったわ」
妻達は素直に感謝した。
腹黒で狡猾で何を考えているのか分からないところがあったエルだが、今回の件でかなり印象が変わっている。
マリウスの事にしか興味がない女から、トゥーバン王国の事を考えられる女へとだ。
「ネルも、おとうしゃまといっしょにいられるの。ありがとー」
ネルガルは無邪気にエルに抱き着いてお礼を言う。
抱き着かれた淫魔はこれまた彼女にしては珍しく、優しい表情で幼女の頭を撫でた。
「それはよかったですね。おめでとうございます」
「おお、何か知らんが世話になったようだなありがとう」
マリウスも便乗するように礼を言うと、エルは破顔し頭を下げる。
尻尾が他人に見えない位置で激しく揺れていて、彼女が実は狂喜している事を示していた。
(狙い通り)
エルは自分が頭の中で描いた通りの結末に満足し、こっそりと微笑む。