18.剣のヤマトタケル-6
大和建の一行は尾張を旅経って東方へと向かっていた。
「今いる場所はどこだ?」
「恐らく、遠江というところだと思われます。」
「遠江?」
「はい、御真木入彦大王の時代に東征した将校が近江の琵琶湖に並ぶ湖を見つけたのがこのあたりかと。大和の近くにある近江に対して、遠くにあるから遠江と名付けられました。」
「ほぉ、それにしてもここまでくると言葉も通じなくなるよう気がするが。」
「はい、大和がこのあたりを支配してからまだ二百年程度ですしね。」
二百年は倍数年暦なので実際には百年である。崇神天皇(御真木入彦)が「東方十二道」を平定してからさほど時代は過ぎ去っていなかった。
「御真木入彦、つまり俺の曾爺さんの時代に平定されたのは一体どこまでなんだ?」
「ここからさらに東の駿河というところまでです。」
「ここまで来るだけでかなりの道のりだったが、まだまだ遠くまで行かないといけないわけか。」
「そうですね。」
「しかし、ここ最近、ほとんど飲まず食わずだ。食料は尾張で補給して運んできてはいるが、まさか水を瓶に入れて運ぶわけにはいかんと思っていたが、失敗だったようだな。」
「ですが将軍、ここで水を運んでいると補給部隊の兵士がとっくに疲弊していたと思いますが。」
「それはそうなのだが・・・・。あまりにものどが渇いて仕方がない。琵琶湖というのは俺は見たことがないが、確か海と同じぐらい大きい湖だったよな?」
「はい、そうです。」
「それと同じぐらいの大きな湖があるというならば早く行きたいものだが、我慢できん!どうして湧き水の一つぐらいないのかね?」
「そうは言われましても・・・。文句は神様にでも言ってください、という他はありません。」
部下の兵士が呆れたような顔を見せる。もっとも、彼ものどが渇いて死にそうな表情だ。
「神様に?うん?そうか!」
「どうされたのですか?」
「実はな、叔母様からとっておきのプレゼントを貰っているのだ。」
「プレゼント?」
「ああ、天照大御神様の魂の入った神剣だ。」
「神剣!そんなものをお持ちなのですか!」
「そうだ、神様ならばなんとかしてくださるかも知れぬ。」
そういうと大和建は背負っていた袋の中から一本の剣を出すと、それを地面に突き刺して手を合わせて祈った。
「掛けまくも畏き天照大御神様!大和の国を守護し導き給いし大神にして、すべての生物を生かす働きの根源たる天照大御神様、我はこの度東国の民を言向け和す使命を与えられたり。神様、御心ならば我らを活かすために必要なるものを与えたまえ!」
すると、その剣を突き刺した先から水が湧いてきた。
「おお!さすが将軍、湧き水が出てきたぞ!」
兵士たちが歓喜していると、地元の住民も寄ってきた。
「この地に湧き水を起こしただと?」
訛りの強い方言で地元民たちが驚きを露わにする。
「将軍、地元の人たちとやっと意思疎通が出来ました。」
兵士の一人がやってきた。
「ここは吉美という場所だそうで、湧き水を与えてくださった大和建様を神の使いと信じて道案内と駿河までの通訳をしてくれるそうです。」
そういうと兵士は一人の壮年の男性を連れてきた。
「私は若い頃に大和から駿河まで色々と旅に出ていました、なので言葉も大体わかります。」
「おおそうか、それは有り難い。」
「ここからすぐ東に浜名湖という湖があります。」
「遠江の語源になった湖だな。」
「遠江?ああ、大和の方は私たちの国をそう呼んでいるんでしたね。はい、そうです。そのさらに東に駿河があります、私が案内できるのはそこまでです。」
「そこまで案内してくれれば充分だ。ありがとう。」
大和建が剣の力で開拓した湧き水で生き返った一行はそのまま浜名湖の方へ向かった。
「このあたりではみんな木花咲耶姫という女神様を祀っています。木花咲耶姫様は富士山に鎮座する神様です。」
「木花咲耶姫と言えば花の神様だよな?私達のご先祖様だが、ここら辺にもいたのか?富士山とは?」
「富士山は駿河にある神様の山です。あ、浜名湖につきました。」
一行が浜名湖につくと、その東方はるか遠くに大きな山が見えた。
「あれが富士山です。」
「そうか・・・。あちらに木花咲耶姫がいる訳だな?」
「そうですね、しかし富士山まではまだまだ遠いです。」
「わかった、まだまだ道のりはある訳だな。」
大和建たちは富士山と浜名湖の風景に圧倒されながら、さらに東へと歩んで行った。
「なんやかんやで、ようやく駿河に着いたぞ!」
大和建が叫ぶと兵士の一人が言った。
「なんやかんやで、ここまで闘いもなく進みましたね。曲がりなりにも大和政権の統治が上手く言っているのでしょうか?」
「しかし、親父は毛人等と言ってバカにしていたが、どこにもそんな野蛮人も悪いやつもいなかったよな。」
「そうですね、悪い神も鬼もいませんし・・・。」
そう言っていると、案内人が声をかけた。
「神様の話をされていますか?」
「ああ、父上に悪い神様がいるから退治して来いといわれたのだが。」
「それならあちらに市杵島姫命を祀っている神社ありますので、その神様に祈ってから闘いをされたらよろしいでしょう。」
「そうか、それでどういう神様と戦えばいいんだ?」
「それは地元の国造に聞けばよろしいのではないでしょうか?」
「おお、確かにそうだな。」
「国造の屋敷も市杵島姫命を祀っている神社もすぐ近くですが、どちらを先に行きますか?」
「市杵島姫命に先に挨拶をしたい。なんせ、何事も祭祀が一番だからな。」
「承知しました。では、こちらです。」
一行は案内人についていって市杵島姫命が鎮座する社を参拝した。厳粛な空気の神社に随行の兵士も静まり返る。
大和建は拝礼をした後、瞑目合掌していると目の前に一人の女性が顕われた。
『大和建ね、待っていたわ。私がいるからには何があっても大丈夫よ。』
その女性がそういうなり、大和建はなんとも言えない温かい感じに包まれた。
『ありがとう、また――』
『ええ、安心して行きなさい。私は常に貴方の側にいるから。』
その言葉に大和建は何かを思い出し、ハッとした。しかし、次の瞬間目の前の後継は消えてしまい、何を思い出したのかも忘れてしまった。
(ここは気持ちよいなぁ。)
そう思いつつ大和建は合掌を解くと柏手を打ち、再び拝礼した。随行の兵士と案内人もそれにならう。
「素晴らしい雰囲気の神社でしたね。」
兵士の一人がつぶやくと、大和建は無言のままそれに頷いた。
「では、駿河国造の屋敷に案内しましょう。」
案内人がそういうと大和建たちは彼についていった。
「大和建様、ようこそいらっしゃいました。」
駿河国造が大和建たちを出迎える。
「国造殿、出迎え有難く思うぞ。さて、父上によるとこの辺りには悪い神が住んでいて人を苦しめていると聞いたが、本当かね?」
「ああ、はい、この辺りの野原に大きな沼があります。その沼の神様はひどく荒れすさんでいるいる神です。」
「おお、そうか、その神を征伐すればよいのだな?」
「そうですね、そうしてくださると有難いです。」
「では、どういう風に征伐すればよいのだ?」
「危険な神ですので私達はそこにあまり近づきたくないのですが、いざという時には加勢しますので屈強な兵士と大和建様とで神のいる場所に行ってくださらないでしょうか?私達は近くから遠巻きに見守ります。」
「そんなに怖ろしいのか?」
「はい、とても怖ろしい神ですので、別に不安ならば行かれなくとも良いのですが・・・。」
「いや、私が行こう。一人で行かせてもらう。」
「え、一人ですか!?」
「国造よ、私を舐めるではない。私は大王二人の首級を挙げた人間だ、一人の方が足手まといがいなくてよい。」
「・・・承知しました。では、私達は遠巻きに見守らせていただきます。」
翌日、大和建は一つの野原に案内された。
「この野原をまっすぐ進んだ先の沼です。」
「わかった、では行かせていただこう。ここからは一人で行く。」
「・・・・わかりました。お気を付けて。」
国造たちに見守られながら大和建は神剣・天叢雲剣を持って野の中を進んでいった。
(この神剣があれば如何なる悪霊がいようとも大丈夫なはずだ。)
そう思いながら大和建は進んでいく。
(いざという時のために、と五百野王から授かった袋もあるしな。)
乾いた草ばかりの野原は歩きやすい道であった。
(うん?なんかおかしいぞ?)
ふと、大和建は違和感を感じる。
「一体、どこに沼があるんだ!?」
周囲の地面は完全に乾ききっている。沼が存在するとは、気配すらも感じえない状態だ。
「まさか・・・・。」
謀られたのか、と思う。
もしかしたら何か罠があるのかもしれない。大和建は天叢雲剣を強く握りしめて心の中で祈った。
(天照大御神様!どうか私に適当な知恵をお与えください!)
一体、何が起こるのかわからない状況である。さすがの大和建も混乱しかかったが、すぐに思い直した。
(私は神より選ばれた使命を果たすためにここにいるのである。その私がここで命を落とすことはないのである。)
本当に自分が神なのかどうか、大和建は知らない。だが、幼い頃に伊声耆掖邪狗に言われた言葉を、東征に出発する前に大帯彦に言われた言葉を、彼は思い出してとりあえずは信じることにしたのだ。
そう思うと、大和建は少しは落ち着いてきた。冷静になって周囲を見渡してみる。
パチパチパチパチ・・・・
四方、いや、八方から音がする。
(もしや・・・。)
注意深く周囲を観察した。
「火攻めだ!」
四方八方から煙が立ち込め始めている。この乾いた草原で火を放たれると、文字通り命どりだ。
「こういうときこそ、大和姫様から頂いた袋を・・・。」
そう思って大和建が五百野王から渡された袋を開くと、そこには火打石が入っていた。
「・・・・・。」
火攻めにあっている時に火打石が手元にあったところで、一体、何の意味があるのか。
(こっちから火攻めにしようという時ならともかく、こっちが火攻めにあっている時なんだからなぁ。)
と、そこまで考えて大和建はあることに気付いた。
(うん?ちょっと待てよ、こっちから火攻めを仕掛けても良いのか!)
そう考えるなり、大和建は鞘の中から天叢雲剣を抜き出した。
(神剣よ、頼む!)
そう言いながら大和建は剣で周囲の草を薙ぎ払い、自分の周りに積み上げていって逆にその草に火つけた。
大和建の周囲にはもうすでに乾いた草はないので、火は大和建とは正反対の方向に進んでいく。
(上手くいってくれよ!)
そう言いながら大和建は周囲を観察する。
火はいよいよ勢いを増して四方八方に拡散していた。
(これは助かるかもしれない!)
炎の推移に一抹の望みをかけた。
それからしばらくの時が過ぎると、やがて炎も収まり辺り一帯は焼け野原となっていた。
大和建は駿河国造のいた方に向かって焼け跡の野原を進む。
「ま、まさか、生きていたとは・・・!」
生還した大和建の姿を見て駿河国造は絶句していた。
「よくぞ私を殺そうとしたな。その度胸を称えて、お前の相手をしてやろう。」
「すみません!命だけは・・・。」
そういう国造に向かって大和建は手に握っていた剣を捨て去り、
「お前のような奴は素手だけで充分だ。」
というなり国造の腕をつかんで宙に放り投げた。
次の瞬間、国造は頭から地面に激突して頭部は砕けた無残な死骸が転がっていた。
「国造様!」
国造に従っていた駿河の兵士たちが変わり果てた国造の遺骸に近づく。
「お前らも俺を焼き殺そうとしたんだったよな?」
そういうなり、大和建は国造の遺骸を取り囲んだ彼の部下らの周囲を回りながら、火打石で火をつけまくった。
「あ!」
国造の部下らがようやく気付いたころは遅かった。大和建はその巨体に見合わないほどの素早い動きで火をつけていたのである。
大和建は部下もろとも国造の遺体を火葬にすると、自分が率いていた兵士たちを呼んだ。
「見ての通りだ、私を殺そうとした国造どもはこの通り焼き殺した。」
「・・・・ああ、さすが・・・・。」
兵士たちも反応に困っている。
「そうだなぁ、この地は私が焼き払ったから焼津と名付けよう。市杵島姫命を祀っている神社はこれを祈念して焼津神社だ。そして、この天叢雲剣は――」
そう言って大和建は自分の神剣を取り出した。
「この剣のお蔭で私は助かったのだ。今日からこの剣は草薙剣と呼ぼう。」
「え、ええと、それではこの後はどうなさいますか?」
「うん?そうだな、住民に駿河国造の非道とあそこの神社の名前が焼津神社となったことを教えるように。」
「いや、あの、そういうことではなくて・・・・。今後の東征の経路はどうしましょうか?」
「う~む、ここまで来た以上はもうこれ以上東に進むこともないだろう。かと言って行きと同じ道を進むのもあれだし、海岸線ではなくすこし北の方を進むこととしよう。」
「北の道を通って帰るとなりますと・・・信濃の方を通るということになりますが、それでよろしいでしょうか?」
「ああ、それで良い。」