1.橋の下の一つの岩に刻んだ家族の誓い
――私の名前はモン。私が8才の時、私の生まれ育った国、ヴェルサで戦争が始まりました。戦争は長く続き家族や仲間が死にました。父、母、兄、大切な友達…。
――私たち魔法使いの寿命は50才程度です。今年、私は48才になります。もうすぐ私の人生も終わるでしょう。
木製の家具のある部屋。ランプは薄らついています。
ドライハーブが香って、モンは落ち着いた気分で羽ペンを動かし、手記を書いているのです。
48才のモンは魔法使いたちの世界ではおじいちゃんの年齢です。
モンは花を咲かすことしかできない魔法使いでした。花を咲かすことしかできなかったモンは、戦争で戦うためには役に立ちませんでした。…ですがモンは、ただ『花を咲かす』という活動を戦争の最中に
続けて来たのです。…それも20年余りの間。
モンは、花を咲かすことで戦争に向き合い戦争を終わらせたいと思いました。
誰もがそんなことは無理だと言いました。
40年も続くことになった大きな戦争をモンたちはどのようにして終わらせたのでしょうか。
これは、モンが子どもだった頃から戦争が終わるまでを簡単にまとめたお話です。
手記を書くモン。その部屋の隅に立っている女性はモンの活動を見守り支えたモンの妻です。彼女とモンは戦争中に結婚し子も授かります。妻の名前はまだ伏せておきます。モンの妻となった女性は一体誰なのでしょう。
――彼女と仲間達がいたからこそ、私は成し得ることができました。一緒に活動した家族、友達、仲間を心から愛しています。
時間は遡り、モンが子供の頃の話から始めましょう。
――モンは、ヴェルサという国に生まれました。
魔法使いの子供は7才くらいになると自然と魔法を使えるようになります。大人になるまでには2つか3つの魔法を使うようになります。中には…1つの魔法しか使えない人もいます。珍しくはありませんが希です。
モンの母のマイサは自分の力を分け与えることができる魔法を使います。疲れた人に体力を分け与えたり、力ある人をもっと力強くします。他の魔法を強化することもできます。
モンの父のシュパイルはいくつかの魔法を使うことができましたが、とても小さな魔法の力でした。力の弱い魔法使いはスモールウィザードと言われます。
モンの両親は人に自慢するような魔法は使えませんでしたので農耕の仕事を主としていました。
モンの兄のキアヌは至極まともで、ホウキに乗って炎を操る技を身につけました。炎を操ることができる魔法使いは大勢います。キアヌの炎の威力は平凡なもので「普通」というところでした。
幼なじみの女の子マキは、マキが4才の頃、雨が降る中モンの家の前に一人立っていました。マキは両親を亡くして孤児でしたので、モンの両親がマキを引き取り以来モンと一緒に暮らしています。
マキは何かの執念を感じさせる、とても強い女の子でした。4才の頃から強い炎の魔法を使うことができました。平和な日々が続いているときにマキのような女の子が現れて不吉なことの前触れではないかと言う人がいました。マキは魔法を使わないように気をつけましたが、魔法の強さは隠しきれないほどのものでした。
モンの両親はマキを受け入れて家族同然で暮らしました。男兄弟のモンとキアヌに女の子が加わり楽しく賑やかです。裕福とは言えませんが、ひもじい時代ではありません。春がやってくるのに心躍らせる余裕もある、穏やかな日々を過ごしていました。
モンは7才になっても、なんの魔法も使えませんでした。魔法の力が弱くなっているのだろうと父親は言いました。
「魔法を使えるようになれるのかなぁ」
モンは少し…不安でした。
私たちのヴェルサの国の北の国境の先に『豊饒の地』と呼ばれる実りの多い場所がありました。そこで取れた果物や野菜、肉のおかげで国の人たちは生活ができています。豊穣の地は広大で近隣の3つの国がその恩恵にあずかっていました。魔法の世界では、大地からも魔法の力が溢れています。『豊饒の地』は大地から湧き出る魔法の力がとくに強いのでしょう。モンの両親も豊穣の地の実りを取りに行くことを仕事をしています。
――モンが8才の時の頃です。
『豊饒の地』はみんなで利用する場所のはずでしたが、ベアリーツという国は豊饒の地を独占しようとしました。初めはもめごとのような状態でしたが次第に戦争になります。ヴェルサのモンが住む街にベアリーツが攻め入ってきました。炎の魔法や、雷の魔法を使う魔法使い、馬にのった騎兵やホウキに乗った魔法使いがモンの住む街を滅茶苦茶にしました。ベアリーツの軍隊は十分な準備をしており、街は炎に包まれます。魔法は戦争に利用されたのです。
ベアリーツ軍が住む街へやって来たのは突然でした。8才のモンは、両親と兄のキアヌ、幼なじみの女の子マキの5人でその中を逃げました。モンの母マイサは敵国の兵士に殺され、父シュパイルは片目と片足を失いました。
8才のモンは、まだ何も魔法を使えず抵抗できません。
――モンがふと地面を見ると、戦火の中に花が美しく咲いていました。
父は、私と兄、幼なじみのマキを連れて逃げて、川にかかる橋の下に隠れます。
そこに一つの岩がありました。息をつく間もなく、父はその岩に家の形をした図と言葉をガリガリと刻みます。
「モン、キアヌ、マキ、いいかい。私たちは家族だよ。この図を見てごらん。家の形の中にみんながいる。マキちゃんも一緒だ。いつだって、みんなで一緒に助け合うんだ。私がいないときはお兄さんのキアヌのことをよく聞いて、モン、マキと三人で助け合うんだ。お父さんはお母さんを探してくるから。いいかい、ここでずっと待っているんだよ。約束できるね?」
モンの父は、母が生きていると信じて助けに戻ろうというのです。キアヌとモンは父の言葉を理解しようと眼差しを父へ向けたまま動じません。マキだけが言っていることを理解しているようで歯を食いしばり眉をしかめています。ウンという返事はありませんが、父は三人をまとめて抱きしめると、出て行こうとします。ベアリーツの魔法使いの姿が見えるので父は出ていく隙を探しています。
敵国のホウキに乗った魔法使い達は、空の端から端まで一列に並んで、街へ火を放ちます。その後から建物より大きい巨人の魔女が家や牛車を蹴散らしてゆきます。ホウキの魔法使いの爆撃隊が5列も6列にもなってやってきます。大地を埋めるほどの煙が遠くに見えます。馬の足音が遠くから聞こえてきて、黒い馬に乗った魔法使いの騎兵隊の姿もあります。
家族や友達と離ればなれになった女の子が嘆いています。
「えうえう…えうえうえう…家も街も壊れちゃった…このままじゃ、世界が終わっちゃうよ。えうえう…えうえう…」
父は自分の片目と片足を自分の魔法で応急処置をすると『ここでじっとしているんだよ』とモンたちに合図して外へ出て行きました。父は片足を引き摺っていましたが助けを求めて嘆いている女の子に声をかけて、手を引いて一緒に街の中心のほうへ行きました。
モンと兄のキアヌ、マキはどんな騒ぎの音が聞こえても橋の下にいました。とても長い時間です。父はスモールウィザードですが、信頼できる父です。母を探しに行き、戻ってくるとモンたちは信じています。モンたちはじっと待ち続けます。マキは時々橋から顔を出して街の方を見ました。兄のキアヌは鼻をすすって泣いています。父の言った意味を兄なりに解釈していたのです。
マキが出していた顔をさっと引っ込めました。黒い馬に乗ったベアリーツの魔法使いの騎兵隊が橋へさしかかったのです。木製の橋桁がガタガタと響きます。マキは橋板に顔を押しつけて隙間から外を見ています。
マキはつぶやきました。
「黒い頭巾…お母さんを傷つけたやつだ、橋の上にいる」
「マキ、どういうこと?」
「お母さんがやられるところを見たの。あの黒い頭巾の魔法使いだった」
「ぼくたちのお母さんのこと?」
マキは鬼のような怒りの目をして強く頷きました。
マキの言うお母さんとは、モンやキアヌの母のことです。マキは生まれたときから孤児で、モンの両親に実の子のように育てられました。モンの母親はマキにとっても母親です。
馬の兵士たちの会話が聞こえてきます。
「スピクゥー様、私たちはこの橋で敵国の者をやっつけましょう」
「あたりまえだ。脅威を示して一人も逃すな」
黒頭巾の魔法使いはスピクゥーという名前です。マキは何かをたくらんでいる顔をしています。モンは小声でマキを制します。
「マキ、だめだよ。じっとしているって父さんと約束したろ」
「ムリよ。お母さんを傷つけたやつだ!モンは魔法を使えないけれど、私は魔法を使えるの。炎の魔法であいつらをやっつける」
マキの瞳は熱く燃え滾っています。
マキはモンと同じ8才でしたが、魔法を使うことができました。マキは今にも片膝をついて出て行く体勢です。モンはマキの服をひっぱって押さえ、目を見て気持ちを伝えます。父に言われた約束を守ろうというのです。しかしマキは体をゆさぶって出てゆこうとします。
黒頭巾の魔法使いスピクゥーは、数人を率いて駆けてゆきました。半分は橋を守るためにそこにいます。
マキは目を鋭くしてモンをにらみつけます。
「マキは魔法が上手だけれど、まだ大人に勝てっこないよ」
「勝てるよ。勝てる!そんなこと…言わせない!」
マキはとうとう、モンの制止を振り切って橋の上に出ました。
橋の上には8人の魔法使いがいました。ベアリーツという国の紋章がついている服を着ています。
「!!」
敵の魔法使いはマキを見つけると容赦せずに魔法を使おうとします。しかし…、マキは雷撃の混じった炎の魔法で8人の魔法使いを一度にやっつけてしまいます。
「ああ…」
モンはマキの力を目の当たりにすると、いつか悲しいことが起きる気がしました。
マキの魔法は強力で、兵士たちはたちまち息絶えました。
キアヌはマキを連れ戻そうとすぐ橋から出ましたが、その一瞬の出来事は済んだ後でした。
モンは、マキの両手から出た鋭い8つの炎と雷の筋が敵をやっつけるのを、目の当たりにしました。
「マキ…こんなこと、しちゃいけないよ」
「……」
マキはふてくされて橋の下に戻り両膝を抱えています。
魔法を人に向けて放ち倒してしまうなんてことをモンは初めて見たました。そしてマキが将来並外れた魔法使いになると感じました。
『彼女が恐ろしい魔法使いにならないように僕が守らなくちゃならないのかもしれない...』
モンはまだ8才です。気持ちはぼんやりにしか考えることはできません。胸のドキドキが止まりません。
倒れた兵士の中の1人は子供を背負っていました。黒い頭巾で隠れて姿はよく見えませんが白い髪をした男の子です。マキやモンはそれに気づいていません。湯気が立ち上がり兵士たちは誰一人動きません。その男の子は背中に背負われていたのでマキの魔法の衝撃を受けずに無事だったのです。白髪の男の子は頻りに鼻をくんくんさせて空気の匂いを嗅いでいます。
「マクーン…マクーン…」
なにか意味のないことを言っています。白髪の男の子はすやすやと、眠ってしまいました。
キアヌはその男の子に気づきました。
『こんなところに…赤ちゃんが…不吉だなあ…』
キアヌはその子を放って置けばよくない事が起きる気がしました。その子をどこかに隠してしまうほうがいいのではないか。キアヌはそう思いましたが、なにもできません。そっとして気がつかなかったように、橋の下に戻ります。
「ここではいつか見つかっちゃうよ。兄さん、森のほうへ行こうよ!」
モンが提案しても、キアヌは難しい顔をしています。
「父さんはここだって言ったろう」
「父さんが戻って来たのが見えたら、戻れば良いでしょう」
「いや、ここで待つんだ」
「だめだよぉ」
モンは、悔し泣きをしてキアヌの服を引っ張りました。くしゃくしゃの顔をして訴えました。それでもキアヌはそこでじっとしていましたが…すこしすると呆然とするモンを抱え上げ、マキの手を引いて橋の下を出ました。周りを見て森のほうへ走ります。息が切れて胸が張り裂けそうになっても走ります。
炎に包まれた街から舞い上がる無数の火の粉は蛍の様です。抱えられたモンはその街の様子がよく見えました。涙が溢れ出し、揺れる街の様子がぼやけて行きます。
『もしかしたら、父さんはもう、帰ってこないかもしれない』
モンはそんな予感がしました。
マキはキアヌに手を連れられて走りながら泣き叫んでいます。
「うがー!うがー!お母さんとお父さんを探そうよ!」
キアヌは一度、駆けるのを止め、抱きかかえていたモンを下ろして、モンとマキをぎゅっと抱きしめます。息を切らして…
「マキ。しっかり…しっかり…」
モンとマキより3つ年上のキアヌでも、まだ11才の子供です。我慢ができなくなり泣き崩れることはあります。キアヌはがむしゃらにがんばりましたが、とうとう泣き崩れました。モンの頬にも涙は伝いましたが、モンは靴を片方無くしていることに気づくことができました。片方だけ緑色の靴を履いています。裸足で踏む草は、水気を帯びて冷たいです。
『泣き続けているわけにはいかない』
モンはキアヌの二の腕をつかみました。
「マキ、兄さん!しっかりしようよ。ボクたちは子供だから大人には勝てないよ!」
「そうだね。行こう…」
「私は行かないよ!私、やっつける」
マキは悔し泣きをして、負けん気でしかありません。一騎のベアリーツの兵が通りに来ていました。馬を翻し、こちらに気づき、じいっと見ています。
ここだけはマキに言い勝って難を逃れなくてはなりません。モンは強く言います。
「なにいってんだ!勝たせてやればいいよ。勝たせてやれば戦わずにすむじゃないか」
「私逃げないよ!逃げないもん!」
敵兵のいるほうへ行こうとするマキの腕をモンは掴んで引っ張りました。
「来るんだ。来るんだよ!父さんと約束したじゃないか」
とにかく連れてゆければそれでよかった。モンの顔はくしゃくしゃになっていました。
三人が手を取り合って歩きます。しっかりとした足取りで二人を引き連れるモン。キアヌは泣いて悲しみ、マキは悔しくわめいています。
「ふわーんふわーん!」
8才のモンの顔は真剣でした。
森の中に入り、潜み、寝そべりました。キアヌはさっきの騎兵をずっと警戒していましたがいつの間にか三人とも眠ってしまいました。
戦場に花が咲いています。兵士たちが通り過ぎても花は踏まれずに咲いていました。敵であろうと味方であろうと、花に気づいていれば踏みつけようという人はいません。