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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第二章:安城発展記【天文九年(1540年)~天文十三年(1544年)】
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悲運の武将、松平広忠 伍

三人称視点です。


天文12年9月、三河国岡崎城。


「上和田城を攻める」


評定の場において、城主広忠はそう宣言した。

最早止める者は誰も居ない。


ただ、家臣が誰も反対しないのは、これまでの無謀な出陣とは違う事がわかっているからだ。


矢作川東岸に築かれた上和田城。

この城が寝返った事で、織田家の影響力が矢作川東岸にまで及び始めた。

流石にこれを放置しておく訳にはいかない。


「ならば、先駆けは是非拙者にお任せを!」


そう懇願したのは大久保忠俊。

清康の頃から仕える宿老であり、広忠の岡崎帰参を助けた重臣である。


上和田城は元々忠俊を始めとした大久保氏の居城であったが、忠倫に奪われてしまったのだ。

忠倫は、その城を土産に信広に寝返ったのだった。


大久保氏が年始の挨拶で岡崎城に居る間に起こった城獲りに、忠俊は腸が煮えくり返る思いだった。

自分の手で奪い返さなければ気が済まない。

何より、甥の新十郎、弥八郎が上和田城で人質になっている。

忠俊と弟の忠員の妻や娘は、姫城から逃げて来た内藤清長に連れられて岡崎城に連れて来られていたが。


「拙者も陣容に加えていただきたい」


青筋を浮かべてそう請願するのは件の清長だ。甥の正成も拳を握りしめて頷いている。


「拙者が上和田城に辿り着いた時のあの三左衛門の顔……!! 今思い出しても腹が立つ!!」


『よう参られた弥次右衛門殿。今は疲れを癒しなされ』


『実はこの城は大久保氏から譲り受けましてな』


『岡崎城へ向かわれるなら、五郎右衛門殿らの奥方を一緒に連れて行ってはくださらんか?』


『いやなに、敵の妻を置いておけるほど、我らも余裕はなくてな』


『当然、敵の武将である弥次右衛門殿にも早々に出て行っていただきたいが』


『しかし負け戦で疲れているであろうからな。今夜一晩はゆっくりなされよ』


『なぁに、寝首を掻くような真似はいたしませぬ。安心して泊まっていかれよ』


思い出すだけで腹が立つ。忠俊の妻らが居なければ、その場で憤慨して飛び出していたところだ。


「一門であるからと遠慮は不要。裏切り者忠倫の首を織田の子倅に投げつけてやるのだ!」


最早大名として存続する事すら難しい程に削られた領地。寝返った、あるいは出奔した武将、家臣。

その中にあって尚、松平家に臣従する者達にとって、その広忠の勇ましい態度は、彼らにとっての希望たり得た。


しかし信孝が居たならばこの出陣に強固に反対しただろう。


上和田城攻め自体は無謀とは言えない。

衰退したとは言え、名門松平家。掻き集めればまともな数が揃うだろう。


対する上和田城は、その奪取手段もあってあまり領民との仲が良くない。

無理矢理に徴兵するような事でもしない限り、五百も集まれば良い方だ。


だが、それは上和田城単独の話。

矢作川西岸の城は幾つも寝返っている。援軍は当然予想される。


そしてあの(・・)織田信広が、ぽつんと矢作川の東岸に取り残された上和田城の防衛に、何の対策もしていないとは考えにくい。

それならばまだ、矢作川を越える必要があるとは言え、安城北方に離れた上野城の方が落としやすいかもしれない。


だが、どちらにしても信孝なら反対しただろう。

松平家独力の城攻めは最早困難なのだ。

せめて今川との共同作戦でなければ、と。


しかしその信孝は最早広忠の敵だ。

誰も彼もが三河松平家復興のためには、旺盛なる敢闘精神が必要だと信じている。

いきり立つ大久保忠俊、忠員兄弟や、内藤清長を抑えられる者は居らず、また、それが必要だと感じている者もこの場には居なかった。


しかし広忠は知らない。

自分の居城である安祥城を除けば、唯一城とその周囲の防衛に、信広が口を出しているのが上和田城だ。

矢作川東岸に一つだけ突き出ているから。それも勿論ある。

だが、それだけではない。


それを、広忠は知らない。


その城こそ、信広が対三河、そして、対今川用に考えた、戦力摩耗を目的とした防御陣地である事を。


広忠は知らないまま、千名を率いて出陣する事となる。

先鋒は大久保忠俊、内藤清長。

本多忠豊、植村氏明、長坂信政らの重臣に加え、本多忠高、酒井忠次ら若武者も、これに帯同した。

この時期、上和田城に松平忠倫が入って寝返っているなら、それを内藤清長が知らないのはおかしい、というご指摘をいただきました。

松平忠倫について調べていくと、上和田城ではなく、上和田の砦に入っていたとか、天文12年の信孝寝返りの時点で上和田城に入っていたとか色々出てきました。

上和田城が大久保忠俊で、忠倫は領内の砦、とすると一番矛盾が少ない気がしますが、そんな所にある砦が寝返って大丈夫なのか(すぐ鎮圧されそう、的な意味で)? という疑問と、後に広忠は忠倫の砦でさえ落とせない程減衰しますが、じゃあその時大久保氏は何しているの? という疑問とか、色々出て来てしまいました。

そのため、今話のように、忠倫によって上和田城が奪われ、大久保一族は怒り心頭、という設定にさせていただきます。

納得できない方もいらっしゃるかと思いますが、どうかご了承ください。

「内藤清長」の方は後日修正させていただきます。

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― 新着の感想 ―
[一言] いろんな意見を参考にするのはいいんだが、作者さんの思うがままに書けば良いかと思います。
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