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織田家の長男に生まれました 作者:いせひこ
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ある老将の死


肩の矢傷が癒えた頃、安祥城に訃報が飛び込んで来た。
天文12年7月。水野忠政死去。

マジかー!?
こないだ姫城攻略祝いに宴会したばっかだぞ!
享年51歳?
人間五十年って言っても、戦に飢餓に凍死に乳幼児の死亡、と平均寿命下げる要素てんこもりの戦国時代だから、これが寿命とは考えにくい。
病気か? そんな風には見えなかったけどなー。

これは薬の研究とかもするべき?
でも俺に知識無いしなー。とりあえず傷の治療に馬糞使うのはやめさせたけどさ。
あれ、何? マゴットセラピー的な奴?

中国の漢方に動物の糞を材料にした薬があるって?
そういうちゃんと加工して薬効が認められてるならいいけど、とりあえず煮詰めた馬糞汁にはそんな効果は無いと思う。

そもそも矢を撃ち返した事に関しても叱られたしなー。
いや、撃たれたのは仕方ないって事でそれは大丈夫だった。
問題は撃ち返した事。
まぁ、矢を受けてそんな動きしたら、怪我が悪化する可能性があるからな。
でも絶賛撤退中の城から射られたんだぜ?
二本目、三本目があるかもしれないじゃん。

これ以上撃つなら殲滅するぞ、って脅しを込めて撃ち返しただけだからな。
武将に当たったのは間違いなく偶然だ。

さておき忠政さん。
相当な策略家だったようだけど、安祥城に割と気軽に遊びに来る気の良いお爺さん。
あ、いかん、泣けてくる。
戦で知り合いを失ったのとはまた違う哀しみだな。
討死に関しては怒りや、助けられなかった悔しさなんかが混じっているけど、こっちはなんていうんだろう?
喪失感?

とりあえず、呆然自失状態の於大を慰めてこよう。

葬儀は尾張知多郡にある乾坤院で行われる事になった。
ここは忠政さんのおじいさんが水野家の菩提寺として建立したものらしい。
ちなみに曹洞宗で、これは弾正忠家と同じだ。
法名は長江院殿大渓堅雄大居士。

於大と連れたって俺も葬儀に参加する。
ちなみにこの時代、喪服のようなものは無いみたい。
正装での参加は義務というか、厳粛な場なので暗黙の了解で。
当然、派手な染付なんかはNGのよう。

元々俺にはそうした派手だったり、華美な装飾を好む感覚が無いから、普通に正装になる服を着ていけば何の問題も無かった。
鎧兜も地味だからな。へたすりゃ、四椋よんりょうとか公円こうえんの方が派手だ。
新田しんでんなんかは戦場で俺の代わりに狙われやすいように、って派手な前立てつけてるからな。

俺の兜は前立て無しだ。
戦国武将たる者、何かしらはつけたいと思っているけど、まだ思いつかないからそのまま。

「お椀みたいですね」

とは四椋の談。
すまん、官兵衛。お前の兜俺と被る事になったぞ。
兜だけにな。

その四椋は兜に鹿の角をつけている。
昔に俺と一緒に狩った本物の鹿の角で、本人はいたってご満悦なんだが、その兜のデザイン、滅茶滅茶かぶってる奴多いからな。
お前よっぽど頑張らないとその他大勢で終わるぞ。

葬儀には水野家の家臣や一門。俺のような血縁の関係者。
そして意外な事に信孝も参加していた。

今では敵対関係になってしまったから、流石に広忠は来れないけど、一応松平家とは昔に交流があった。
それこそ、一時は血縁関係だったんだから、せめてもの礼儀って奴なんだろう。
弾正忠家(というより安祥織田家)に寝返ったとは言え、松平家の一門だし当主広忠の後見だ。

「この度はご愁傷様でした」

葬儀はつつがなく終わり、喪主として忙しそうにしていた信元も、時間が空いたようなので挨拶に向かう。

「五郎三郎殿こそ、よく来て下さった。生前仲良くして貰っていましたからな、父も喜んでいるでしょう」

信元は俺の十個上だ。流石にしっかりしてる。
ちなみに信元には三つ上の兄がいる。
けど家督は信元が継いでいるし、水野家宗家の本城である緒川城の城主も信元だ。
お兄さんは刈谷城に居るけど、城主はこないだまで忠政さんだったし、領地の経営は信元が行っていた。

今回の葬儀も遺族側に座っていたけど、喪主は信元が勤めていたし、座り順も信元より下だった。
しかも刈谷城城主は三男の信近が継ぐらしい。信近は俺の同い年なんだけど、あんまり交流ないんだよな。
これからはお隣さんだし、仲良くできるかね。

「近守兄上は気性が穏やかで病弱ですので……」

若干言葉尻を濁しながら於大が説明してくれた。
どうやら後継者に相応しくないと判断されたらしい。
殺されたり押し込められたりしてないだけマシなのかもしれないな。

近守さん本人は、連歌を好み、有名な連歌師宗長とかいう人とも交流があったらしい。
俺はその人を知らないし、逸話や肩書を聞いてもちんぷんかんぷんだったけど、「急がば回れ」を生み出した人なんだそうだ。
ニーチェやマキャベリと一緒、と言えば凄さが伝わるだろうか。言い過ぎかな?

「こちらこそ、長江院殿にはよくしていただいて……」

「ははは。生前と同じく『忠政』で構いませんよ。五郎三郎殿の話をする時の父は本当に楽しそうでしたから」

「そう言って頂けると、大変嬉しく思います」

爽やかな人だなー。逆に腹黒く思えてしまうのは、戦国時代に毒され過ぎだろうか。

「今後も弾正忠家は勿論、安祥織田家とも仲良くさせていただきたい」

「それはこちらとしても願ってもない事です」

「知多の安定はお任せください」

あ、やっぱりこの人腹黒い系のさわやかさんだ。
俺の配下から、水野家が知多半島の領主達に色々と働きかけてる情報は受け取っている。
調略は勿論だけど、離反工作なんかも。

佐治水軍を有し、伊勢湾の海上交通を掌握していた佐治氏の領地を特に欲しているようだ。

まぁ、津島と熱田を有する弾正忠家の裕福さを見れば、海上交易を抑えるのがどのくらい重要かはわかるよな。

うちや親爺に協力を仰がないだけの分別はあるから、逆に腹黒い。
親爺なんか、知多郡大野を獲るんなら一枚噛ませろ、とか絶対思ってそうだよな。
美濃や尾張国内がごたついててそれどころじゃないだろうと思うけど、親爺ならなんとかしそうだ。

北は弾正忠家、東は安祥織田家が居て関係は良好となれば、西や南に意識が向いても当然か。
そのための弾正忠家への協力、俺との婚姻同盟だったんだろうな。

知多の水野家、西三河の俺と連合を組めば、信長の相続前に弾正忠家が尾張を統一する事って可能かな?
でも尾張が安定してると、乱世の英雄である信長より、優秀な仁君である信行を家臣が支持しそうだよな。

……親爺が尾張統一に注力せずに、あちこちで戦起こしてるのってこれが理由じゃないよな?
上役から色々命令されてるってのもあるとは思うけど。

深く考えないでおこう。


翌月、信元が結婚する事になった。
相手は松平清定の妹だそうだ。
ひょっとして信孝が葬儀に参加したのって、この話を纏める意味もあったんじゃ……。
あと初婚じゃなくて再婚。しかも、以前に婚姻関係にあった女性と同じ相手なんだって。
清定の父親が広忠を岡崎から追い出した後死去。広忠が戻って来て清定が広忠に帰順した際に一度離縁したんだけど、その清定が広忠に反旗を翻したから元鞘に戻したって事らしい。

事情が複雑すぎる……。

「お義姉様は優しい方でしたので、私も嬉しいです」

笑顔の於大が可愛かったのでまぁ、良しとする。
そして信元は早速、知多郡の宮津城を攻めた。
喪が明けたばっかりだってのに、ようやるわ。

「荒川城主荒川義弘様より内通の書状が届いております」

俺も他人の事言えないけどな。
という訳で忠政さんがお亡くなりになられました。
於大が史実と違い信広に嫁いだ事で、史実以上に弾正忠家と懇意になった水野家ですが、近守、信元兄弟は生誕年が不詳です。弟の信近は生誕年判明してるのに……。
娘が嫁いでる年数からしてそれなりに年をいっているだろうと考え、信広の十歳年上(1543年時点で数えで29歳)と設定させていただきました。
信元が奥さんと離縁、復縁した記録はありません。水野家が松平家とこの時期どのような付き合いをしていたかを示した資料があまりないせいでもあります。信秀が安祥城を最初に攻めた際、忠政さんも一緒に居たのは確実なので、その頃に離縁していてもおかしくないですが、その後、於大が広忠へ嫁いでいるので、タイミングが合っていれば、離縁されずに済んでいた可能性もあります。
拙作では、ストーリーの整合性のために、結婚→離縁→復縁、とさせていただきました。
腹黒さわやか中年の信元に、「妻には一途」設定が加わった瞬間です。

明日は用事で出るので15:00に予約投稿します。
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