10.決戦前
決闘までの日、俺は近くの図書館でこの世界のことについて調査して時をすごした。
そして決闘の前日。いろいろと決闘の準備を行った。
雑貨屋さんでいろいろと小道具をそろえる。
あくまで俺は『不戦勝』で勝つ男だ。そう、何があっても俺は戦わない。自衛はしても戦わないんだ。
小道具を皮の袋に包んで背負い、行きつけの宿屋へと戻る。
部屋に戻った俺は夕食を食べ、その後風呂に入った後、明日はいよいよ決闘ということで軽い筋トレを行う。あくまで軽く。俺には攻撃を避けるための体力さえあればいいのだから。
その後、暗くなったあとはロウソクの火を明かりにして俺の愛読書、『武士道』を読む。幼いころの自分が感銘を受けた本で、この本と孫子の『兵法』だけはいつもお守り代わりにポケットに忍ばせていた。
唯一ポケットに入っていた携帯端末のスマホは、なぜか電池が切れていて使えなくなっている。スマホ内の電子媒体の本も読んでおきたかったが、それはスマホのバッテリーを補充する術を考えてからにしておこう。
「ふぅむ」
何か人の気配がする。コツコツコツと渇いた足音。足音はこちらに向かって次第に大きくなっていく。
こんこんとノックの音が。
「どうぞ」
「失礼します……」
と静かな声で答えつつ、ゆっくりと部屋に入ってきたのはファナさんだった。
「こんな夜分遅くにどうしたんです、ファナさん」
「あ、明日の決闘……ほんとうに、トマルさんは出場するんですか」
「ええ。もちろん」と即答する。
するとファナさんは暗い部屋の中で顔をうつむかせた。
「トマルさん、義父の弟子たちは全員強者ぞろいで……戦えば、あなたは負けてしまうかもしれないんです。いえ、負けるだけならいいんです、でも、義父は、弟子たちにあなたを殺すように命じているんです!」
「殺す――ねぇ」
決闘裁判のルールは、相手を降参させるか殺すかした者が勝ちという単純明快なルールだ。
「まぁルール上殺されるのは仕方ないな」
「仕方ないって!」
「ファナさん、心配してくれる気持ちは嬉しいですけど。俺はなんとしてもあいつを、ユーカを連れ戻さなきゃいけないんです」
「トマルさんは……そんなにもあの武闘家さんを大切に思っているんですね」
「いや俺は別にあいつのことは……。あいつはただの借金踏み倒し野郎だし」
「いいですね……そう言うふうに、大切に思ったり、思われたりする人がいるのって」
「ファナさん」
「トマルさん……」
そういうと突然ファナさんが俺の方へと倒れ込んできた。いったいどうしたというんだ。ファナさんの顔を伺うと、一滴の涙が目についていた。眠気から出たものなのか、それとも――
「なにか、のっぴきならないことでもあったんですか」
「いえ、ただ……義父が、今回のこともそうですけど、いつも、傍若無人なことばかりして、私は、それをただ見ていることしかできなくて……」
ファナさんはどうも責任感の強い、いい人だ。そんなファナさんがあの大臣の養女になっているのはどういうことなんだろうか。
「ファナさん、あなたの本当のご両親というのは――」
いや、これは聞くべきでない話だろう。おそらく。
「すいません、話したくないなら別にかまいません」
ファナさんは顔をうつむかせている。
「ファナさん、俺は何としても勝って生き延びなきゃならないんですよ。俺は父さんと母さんの思いを遂げるため、俺を生かしてくれた両親のため、俺は不戦勝してやるんですよ」
「トマルさん……」
俺は伝聞で知った、幼き頃の自分のことを思いだす。
「俺は子供のころ、病弱で、体が弱かったんですよ。生まれたときは未熟児で、生まれた後も幾度も熱を出して……仕舞には自然には治らないくらいの大きな病気にかかってっていう……生まれながらの親不孝野郎だったんですよ。そんな俺のために父さんと母さんは……」
そこで言葉が詰まる。なぜだろう、母さんとの思い出は、ろくに記憶に焼きつく間もなく、過去のモノとなってしまっているのに。
「母さんと父さんは……俺の看病のため、俺の病気を治療するためのお金を稼ぐため、死にもの狂いで働いていたそうです。その甲斐あって、俺は病気が治って、元気な体になったんですけど……。その代償として、母さんが過労で倒れてしまったんです」
「まぁ……」
「そのまま母さんは帰らぬ人となってしまったんです。母さんは俺のために身を粉にして、身を犠牲にしていたんです。そして父さんも――」
父さんのことについては、俺のいた現代社会を知らないファナさんに説明するには少々厄介なので割愛することに。
「父さんも俺のために死んでしまった……。俺の命は、父さんと母さんの死によってあるようなもんなんです。そんな俺がやすやすと死んではいけないし、やすやすと負ける訳には行きません。俺は、何としても成功者となって――両親の墓前に立ってそのことを報告してやりたいんです」
「トマルさん、あなたはそんな素晴らしい思いをお持ちだったんですね……」
そう言うとファナさんはこちらへわずかな角度で倒れてくる。
こんなシュチュエーションはまったくの青天の霹靂だ。さすがの俺もどうしようか手をこまねく。あらゆる解法を模索し、このシュチュエーションでは、抱きしめるのが解答かな――とプログラム的に思い、ファナさんを抱きしめる。
抱きしめる過程でするり、とファナさんの身体をわずかに撫でた。そう、ほんのわずかだけ撫でたつもりだった。のに、どういうわけか。
「きやぁああああああああああ!」
一瞬ユーカ並みの化け物の声が聞こえた。それがファナさんが発した声だということはすぐには認識できなかった。それほどの絶叫。
絶叫ののち、俺はファナさんに突き飛ばされる。というよりぶっとばされた。
飛ばされた俺は壁へと激突し、その壁をぶち破って通り抜ける。隣の部屋へと体が落ちる。あたりには突き破った木の壁の板が散乱している。
突然のマンガ的展開に、俺は柄にもなくきょとんとする。目の前のファナさんを見据えると。
「うぅ……。ぐぐぐっ……」
そんなにも俺に抱きしめられたのが嫌だったのか、うずくまるファナさん。まぁ、ファナさん、どっかの野蛮人後輩とは違ってガードは堅そうな人だから致し方ない。
「すいません、紳士たるもの、無礼なことをして」
「い、いえいえいえいえ! すいません私……。たまに、なんでしょうか……こんなふうに無意識に人をぶっとばしてしまう癖がありまして……。本当にすいません!」
無意識に人を吹っ飛ばしてしまう癖って……。難儀なクセなもんだ。
俺はやれやれと心でつぶやきつつ、頭と体に付いた木くずを払う。幸いにも俺の隣の部屋は倉庫となっていて誰もいない。俺以外の誰にも危害は及んでいないようだ。問題となるのは崩れた木の壁ぐらいだ。あとで弁償しておかないといけないなぁ。
そのあと、俺はファナさんを大臣の屋敷近くまで送り、そして宿屋に戻る。
明日に備えて素早く眠りにつく。
そして夢の中へと入りこむ。
***
「やい! トマルくんをいじめるなぁ! かかって来るなら、あたしがぁ相手だぁ!」
それは幼いころの記憶。
俺がある事件により、『戦うこと』ができなくなったときのこと。
俺は近所の悪ガキの格好の的となり、いじめられていた。いくら暴力を振るわれようとも俺は反撃しなかった。反撃できなかった。
反撃すれば、俺は負ける。
だからどうしようもできない。
ずたぼろの、ぼろぞうきんの俺はすべてを諦めていた。幼くして、前を向くことも、生きることも。
そんな俺を守るため現れたのはあのユーカだ。
当時のユーカは泣き虫っ子の、弱虫っ子であった。3歩歩くだけで転んで、ちょっと転んだだけで泣きわめいて、俺の後ろを、金魚のフンのように付いてきていて、いじめっ子たちにぶるぶる震えていたというのに。
あんなにも果敢に、いじめっ子たちに立ち向かっていた。
「トマルくん、もう大丈夫ですよ! トマルくんが戦えないなら、私が戦ってやりますよ!」
「やめろ、無茶をするな、やめるんだユーカ……」
手を伸ばそうとしても、ぼろきれの俺にはどうしようもなく、なすすべもなく。
そんなユーカにいじめっ子たちは、相手が女の子であることも構わず、暴力的に向かってくる。
「やめろォ――!」
***
そこで目が覚めた。昨日の夢はどうにもこれから起こることの暗示か伏線のように思えた。
「ユーカ……」
あの泣き虫であったユーカは、今では剣道で全国大会に出てしまうほどの強いやつになっていた。
そして、あのとき、父の起こした、父が被った事件により『戦うこと』ができなくなった俺。絶望の淵にいた俺も――このように前を向いて生きている。
人生七転び八起き。何があろうが突き進んでいかなきゃならない。
「こっちもあいつに対して借金があるからな……。やれやれだ」
その借金はお金で返せるものじゃないものだ。だから厄介だ。俺はとんでもないやつに借金をしてしまったものだ。
「借りは返してやるぜユーカ。だから待ってるんだぞ」
俺はベッドから起き上がり、窓から差し込む光を体中に浴びる。絶好の決闘日和だ。