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第二話 似て非なるモノ / 0〜1



「…………」

 何かがいる

「…………」

 それは何をするでもなく

「…………」

 ただそこに存在していた

「……………」

「…………………」

「…………」

「……」



「ッッッッッッッッッッッ」

 それは雄叫びのようなモノを発する


 それは闇に堕ちた影であった









 あの日から殆ど日は経っていない。しかし私達の関係だけは少しだけ変化したと思う……否、思いたい。

 (まあ、あの時の有の言葉は勢いの所為かもしれないですけどね)

窓の外には蒼穹が広がり、その下には守りたい人が住んでいる町がある。遠くに太陽の光で眩しく輝く海が見える。

 午前中はその景色をずっと見て過ごした。何をするで無くロッキングチェアの揺れを楽しみながら風と景色を味わっていた。思えばあの子達が生まれてからは大分生活にゆとりが生じている。平和だと錯覚してしまう様な時間を過ごす余裕などあの頃では思いつきもしなかったであろう。



 うとうとと日光の温もりの中で眠りの波に呑まれようとしていたらドアノックの音が響いた。

「お嬢様、尼土様が来られました」

 ドアの外から智爺が告げる。

「あら、突然ね。勿論お通して構いません」

 日曜日のお昼過ぎから有が来るのは珍しい。来るときは午前からが多いのだ。一体どうしたのだろうか。


「こんにちはだね、朱水」

 部屋に入ってきた有はいつも通りの髪型であったが、珍しくスカートであった。スカートをくしゃくしゃに握っているのは恥ずかしさの表れか。

「ええ、こんにちは。珍しいわね、制服以外のスカートだなんて。制服もズボンを選べるようにして欲しいと言っているくらいなのに」

「な、何となく……朱水がいつもスカートだから真似してみようかな〜って思っただけ」

 有は頬を桃色に染めながら苦笑いをする。恥ずかしいからそこにはあまり触れないで欲しいのだろう。

「そうなの? 似合っているわよ、有。これからも、たまにはスカートにしたらどう?」

 普段から私服はパンツばかりの有のスカート姿は制服で見慣れているはずなのに新鮮だった。

「そ、そう? 朱水が似合うって言ってくれるなら大丈夫かな」

 有は本当に可愛い。更に顔が真っ赤になった。

「保証するわ。で、今日はどうしたのかしら?」

 恥ずかしさから視線を合わせないでいるまま有は今日来た理由を言う。

「水曜からテストでしょ? だから一緒に勉強なんてどうかな?」

「勉強ですか? もう終わってしまったのですが」

「終わったって?」

 何かおかしいのだろうか、有は妙なことを聞いたかのような顔をした。

「だからテスト勉強を、です。後はその知識をテストまで維持するだけよ」

「それでどれくらい点数取れるの?」

「学年二位よ。本当なら一位を取れるのですが、一位は人間に譲るようにしているの」

 二番の方が目立たなくて良い、それが私の考えである。私は立場上あまり人間世界で目立つわけにはいかないのだ。ついでに言うと二番であるのは面目の問題である。流石に頭首である人物の成績が凡の凡であったらいささか以上に問題である。もっとも、頭首の中で学校と言う機関に通った者など前例は無いのだが。

「スゴイ、ね……」

「貴女の勉強を見るくらいなら十分でしょうから、見てあげましょうか?」

 しばし間が空いて、

「頼むよ」と、有は笑顔で言った。



 有は完全に理系脳の様で、数学と化学は大の得意であるが一方で国語と歴史がてんで駄目である。古文漢文など既に読むだけで悪寒がすると言う。逆に数学になると教える事が無くすらすらと数字を並べていき、間違いなど見つからなかった。化学も申し分無かったが、少々細かい性格な様で「どうしてそうなるか」を全て考えるため非常に時間を食っていた。どちらにせよ私は数学と化学の間はする事が無く有の真剣な顔を堪能していた。



「これくらいかしら。有、今日はこのくらいでやめにしません?」

 有が来てから三時間弱、有が考える事に疲れてきた頃を見計らってそう切り出す。有は化学だけは一人でやった方がいい。他人がいるとおそらく彼女の邪魔になるだけであろう。

「う〜ん、そうだね。ありがとね、朱水」

 有が椅子の背もたれに寄りかかって大きく伸びをするのを見るだけで、私はこの逆家庭教師とも言うべき行為に対する十分な報酬を得た気分になる。

「これからも見てあげますから遠慮無く言ってね」

「うん、ありがとう」

 さて、勉強だけで有との時間をつぶすのは勿体ない。

「ねえ、有。貴女これから暇かしら?」

「日曜だからね、何にもないよ」

 伸びたままの姿勢で返事をする。その姿を見ていると私の何所かに熱がこもった気がした。

「でしたら散歩にでも行きません?」

「散歩? 何所に行くの?」

「そうですね……公園はどうですか?」

 私の記憶では隣の駅の近くに大きな自然公園がある。あそこなら近いので明るい内に辿り着けるだろう。

「公園って近くの大きなやつのこと?」

「はい。着替えてきますから待っていてください」


▽▽▽▽▽


「う〜〜〜ん」

 大きく伸びをする。此所の公園に来るのはかなり久しぶりだ。

「有、今の顔は猫みたいでとても良かったわよ。写真に撮っておきたいくらい」

 そう言い、朱水はクスクスと笑う。それなら朱水の方が猫っぽいと思うんだけどねぇ、吊目だからね。

「え〜〜、やめてよ。それに写真って苦手だし」

「あら、どうして?」

「何で写真にしてまで思い出を残さなければならないのかな、ってよく思う」

 忘れたなら忘れたでいいじゃないかな。忘れる程度の事だってことなんだから。

「難しいわね。『何故写真を撮るのか』と言う問いなら、薄まる記憶を確かにするための一種の鍵にすると答えるのですが。思い出を残す理由を聞かれるとなると……」

 そうして沈黙すること数分、朱水の唇がゆっくりと開かれる。

「有にはどうしても残しておきたい思い出はないのかしら?」

「う~ん思いつかないなぁ。ほら、私は変わってるから」

 普通は家族などとの思い出があるはずなのだろうけど、私はそんな物持っていない。

「そう、私にはあるわ、残しておきたかった思い出が。その価値に失ってから気づいたのよ」

「やっぱり家族?」

 家族という言葉を聞いて朱水は時が止まったように固まった。

「………………ええ。そうね、有、貴女になら話しても良いでしょう。いえ…………有、貴女だからこそ知ってもらいたいわ、私が犯した事を」

 朱水の目は地面を凝視したまま動かない。でもその目は絶対に地面を見ていなかった。そのただならぬ様子に私は一瞬朱水が朱水で無いとすら感じてしまった。それはあまりに『少女』と呼ぶには相応しくない雰囲気を醸し出していたから。まるであらゆる経験を積んできた御老人の様な、そんな大人びた雰囲気だった。

「うん。聞かせて欲しいよ、朱水」

 朱水は何かを吹っ切ったのか、やっと私と目を合わしてくれた。

「…………私の両親はとても優れた魔だったわ。お父様はとても立派で、お母様はとても優しかった。親として愛したし、同じ魔として尊敬していたわ」

 ただお父様は霊力の方には恵まれなかったのですけどね、と朱水は苦笑いで続けた。

「好きだったんだね」

 朱水の顔はとても曖昧な表情を作っていたけど、優しさを含んでいた。どれだけ両親が好きか分かる。

「ええ。お父様の背中はただただ広いと感じていたわ。私にとって良き親で、同時に超えるべき目標だった。お母様はとても聡明だったわ。瞳には何時も優しさが表れていて、女として尊敬していたわ」

「そうなんだ」

 朱水は近くにいる親子らしい人達をじっと見詰めている。あの家族に朱水達家族を投影しているのだろうか。

「でもそれは消えてしまったの。いえ、半分は私の所為で消してしまったのよ」

「……何があったの?」

「私には弟がいたのよ。一つ下の、とても優しい、自慢の弟だったわ。決して乱暴なことをしない、魔としては情けない、でも家族としては愛くるしい弟だったわ」

「今は……いないの?」

 朱水の家に行ってもそれと思われる人物には一度も出会わなかった。

「ええ。確か私が十二歳だった頃に、離別があったの。家族全員がすれ違う、ね」


▽▽▽▽▽


 机で本を読んでいるうちに寝てしまったみたいだ、廊下のドタバタという騒音で目が覚めた。

 大きな足音は私の部屋に近づいてきた。足音が私の部屋の前で止まると同時にノックもせずに智爺が入ってきた。

「お嬢様、大変です! 屋敷から一時的に避難しますよ」

「智爺、何をそんなにあわてているの?」

泉治(せんじ)様が覚醒なさいました」

「あら。めでたいことなのでしょう? 何故そんなにあわてるのです?」

 智爺の様子は普段とは違っていた。私は覚醒と言うものをよく分かっていなかったが強い魔は必ず通るものだと聞いていたので泉治がそれを迎えたと言う事はつまり強い魔の仲間入りをしたと言う事なのだろう。素晴らしい、そう思った。

「お嬢様はまだ覚醒をなされていらっしゃらないのでしたね。覚醒とは、魔としての力を確立すると必ず起きる、避けることが出来ない試練なのです。泉治様は覚醒の際に自我を失われてしまいました。このままでは屋敷は危険です」

「お父様とお母様は?」

 私にはよくわからない。でも智爺の顔を見れば本当に危険なことが我が家で起こっているという事だけは容易に理解できた。

「泉治様を……剪滅しようとお二人で戦っています」

 え? 今智爺は何て……?

 泉治を…………殺す……?

 そんな……嫌だ……嫌だ嫌だ

「やだ……そんなの嫌だよォ! 泉治は、泉治は家族なんだよォ?」

「…………それでもです。放っておけば大きな厄災に成りかねません。だからこそ家族である御両親様が泉治様を殺すのです。それは魔の掟、ましてや頭首様であります。守らなくてはならないのです。私はお嬢様の護衛を任されました。屋敷の者は私以外皆、避難しました。さあ、お嬢様も」

 そう言って、智爺は手をさしのべた。

「嫌だ……泉治は……私の弟なんだから」

 泉治は私の大切な家族の一人だ、それなのにお父様とお母様が泉治を殺すなんて。そう思うと自然に涙があふれてきた。

「お嬢様!」

「ヒッ」

 智爺が今まで見たことがない顔で怒鳴る。

「泣いているだけでは何も出来ませぬ。辛いのはお嬢様だけではないのですよ!」

「…………」

「お嬢様までお亡くなりになったらお二方は何を愛して生きられるのです? お二方のためにも生き延びてくださいまし」

「……」

「さあ」

 しかし私はその手をすり抜けて開いている扉へと走った。

「なりませぬ! お一人では危険です。お戻り下さい!」

 廊下に出た私に追いつこうと、智爺は老人とは思えない速さで走ってきた。しかしその手は私に届くことはなかった。

「クッ」

 智爺の目の前の壁が吹き飛んだからだ。それを智爺は老体が許すだけの反射神経で避けようとしたが、足に塊が当たってしまった。

「智爺、ゴメンなさい。私、泉治とお話しなくちゃ」

 痛みで立てなくなった智爺にそう叫ぶ。

「なりませぬ! 危険です、お戻り下さい!」

 しかしその言葉が幼い私を止めることはなかった。大きな音が聞こえた方へと進んでいってしまった。



「…………」

 廊下には誰もいない。壁の所々に大きな穴が開いていた。こんな力をお父様達は持っていない。ならば……

「泉治のバカァ」

 どうして、どうしてよ。何でお父様やお母様や泉治が殺し合わなきゃいけないのよ。

「バカ バカ 馬鹿 バカァ!」

 自分がさっきから口に出している言葉は、頭が考えていることとは全く関係のない言葉だった。まだ十二歳の子供の頭では受け止められなかった。


 廊下の先から炎が(ほとばし)るのが見えた。 アレはお父様の炎だ。

「お父様ぁ! 泉治は何所に……」

 角を曲がって見えたモノは変わり果てたお母様の死体と、疲れ果てた顔をしたお父様と、それと、それと……

「泉治……なの?」

 そこには異形がいた。変わり果てたその姿は、見た者に恐怖と死のイメージしか思いつかせない、そんな姿をした、鬼だった。

「やだよ……こんなの泉治じゃないよぉ……こんなの……夢だよぉ」

 鬼はこちらに気づいたのか、その紅い(まなこ)

「               」

 まともな声量ではない叫びと共に向けてきた。

「ヒィ」

 私はそれだけで頭が真っ白になり、床にへたり込んでしまった。

「朱水!」

 鬼との間にお父様が割り込む。

「貴様は何者だ?」

 お父様の炎が鬼に叩き付けられる。

確かにそれは泉治のとは明らかに違う存在を帯びている。しかし……

「              !」

 鬼は強烈なその熱に身悶えたがすぐにもちなおした。

しかし姿は違えど存在の極一部に泉治を微かに感じ取れた。

「          」

 鬼が壁に触れる。壁に光る亀裂が走った。

「いかん!」

 お父様は私を抱え、後ろへ跳び退く。

 私達がさっきまでいた場所には壁の残骸が転がっていた。鬼が触れると壁が内側に吹き飛んだのだった。

「朱水、お前は逃げなさい」

「泉治は……どうしたの?」

「わからない。だがアレはお前や私が知っている泉治ではないと言うことは確かだ」

「じゃあ私達の泉治は悪いことなどしてないのね?」

 その問いがあまりに予想外だったのだろう、お父様は状況に合わない笑顔を浮かべて、

「ああ、泉治が悪い子なわけ、ないだろ?」と、私の頭を優しくなでながら言った。

「うん」

 嬉しい。私達の泉治は、泉治のままだ。ただそれだけのことが何よりも嬉しかった。

「さ、逃げなさい。アレは私が対処する。出来るなら泉治を取り戻す」

 そう言いながら私を鬼とは反対側の方へと押した。

 私は走った。お父様なら泉治を戻せるかもしれない、その思いが私を走らせた。



 母親を失った事を忘れていたのか、わざと記憶しようとしなかったのか、それは過去の一色朱水しか知らない。






「私が屋敷から飛び出して智爺達の所へたどり着いた瞬間、大きな爆発が起きたの。何時間かして若い使用人が様子を見に行ったときには全てが終わっていたわ」

 朱水は淡々と述べる。その顔は俯いているためよく見えない。

「終わっていた、って?」

「お父様だけ生きていたわ。そしてその脇には元の容姿の泉治の死体があった。お父様はすぐに我が家縁(ゆ かり)の病院に入院したわ」

 確か朱水の父親さんはもういないはずだから……

「いえ、簡単な入院よ。意識がもうろうとしていたけど命に別状はなかったの。でもこの話には続きがあるの。屋敷は完全に元通りになって、情報操作も完璧に終わった。そこで屋敷のみんなでお父様を喜ばそうと、ちょっとした退院パーティーを開こうって事になって、私はお父様の帰りを今か今かと待ちわびていたわ。でも結局パーティーは開かれなかった。帰ってきたお父様はまるで別人で、今までの優しい頭首ではなかった。別に冷たくなったと言うことでもないの。ただ、パー ティーを開くことを拒否しただけ。それでも皆が口々に何かが変わったと言っていたわ。そうして帰って早々自室にこもって何かをし始めたの」

「何を?」

「……ねえ、有。今から話すことは貴女が私を憎む理由になるわ。でも私は貴女に話さなければ気が済まないの。いえ、違うわ。貴女に罰せられなければならないのよ」






「智爺、どうだった?」

「どうもこうも、お顔を見せられることもありませんでした」

「私もあれから一度もお父様としゃべってないわ。一体何をやっているのかしら」

 お父様は帰ってからまともに顔を出すことはなかった。食事は智爺に持ってこさせ、トイレとお風呂は自室にある物だけを使うようになった。

「いつもだったらお父様が解決してくれますのに」

 あの日から数ヶ月が経った今、一族は大きな問題を抱えていた。この地域の魔族が襲われ、皆殺しにされる事件が数回起きたのだ。ここらを治めているのは我が一族であって、これ以上犠牲が増えることの無いように対処しなければならない。

「私が代わりを務められれば良いのに」

 私にはまだ魔としての力は確立していない。だから代わりたくても代われない。

 でもそれ以上に気になることがある。事件が起こった日には必ずお父様を見たという証言が出るのだ。それ故にお父様こそが一連の事件の犯人だという噂が立ってしまっている。

 信じたくないが、毎回言われるとそうは言っていられない。

「仕方ないわね。今日の所はまた、保留にしておいて」

 私にはどうしたら良いのかわからなかった。




 その夜、急に目が覚めた。周囲に物音はなく、私の睡眠を邪魔だてするような物は存在しなかったはずなのに。

 私は無性に夜空が見たくなった。窓を開け、首を外に突き出すと、そこにはとても綺麗な星空があった。ふと、視界の隅に何か動くものが見えたので視線を下に向けると人影があった。

(お父……様?)

 門と屋敷との間に照明があるが、顔が見えるほど明るく照らしているわけでは無い。お父様の、としか思えない炎が見えたのだ。

「こんな時間に……」

 そのとき私は例の噂を思い出した。もしかしたらお父様の後をつければ真実が見えるかもしれない。

 私はそう考え、護身用の水晶のナイフを身に隠し、追おうと急いだ。



「お嬢様、何処へ?」

 なるべく足音立てずにいたが、運悪く玄関で智爺と出会ってしまった。智爺が私にそんな危険な事を許すはずが無い。しかしこの時間だ、外出する嘘の理由など拵える事は出来ないと悟り、真実を告げた。

「お父様が外へと向かうのが見えたの。何をしているのか、少なくともそれだけはハッキリさせなくては」

 すると意外にも智爺は手にしていた懐中電灯とは別の、予備の懐中電灯を私に渡してくれた。

「私ではお嬢様を止めることは出来ませぬ。どうか、何が起ころうともご無事で」

「え、ええ。もしあの噂が真実なら、お父様を止めなければ」

 そうして私は闇へと走りだした。智爺は心配そうに私を見ていた。



「この近くかしら」

 やはり夜に人捜しをするのは難しい。初めの方は辿れた魔の残り香も、既にかなり微弱になってしまっていた。

「どうしましょう」

 このままではだめだ。お父様がやっていることをこの目で確認しなければ帰れない。

 その時、近くで強烈な霊力を感じた。

「こっちね」

 すぐに走り出す。既に私はその先に危険が待ち受けているのを察知していた。


「お父様なの?」

 たどり着いたのは周りに民家が無い、やや大きな家だった。

「お父様がこんな事を?」

 家は燃えていた。だがまだ消せる規模だ。

 表札を見ると『尼土』と書かれていた。確か一族の支配下にそのような名前があったはず。

 私は中へと躊躇せず入った。それどころではない、

「止めなければ」


「お父様! 何所ですか!」

 私の家ほどではないが広い家の中を走る。

「その声は、朱水様ですか?」

 お母様と同じくらいの年に見える女性が隅から現れた。

「この家の人ね。何が起きているの?」

「一色様が……貴方様のお父様が夫と……」

二の句は無かった。言いたかったのは恐らく私に告げるには(はばか)れる言葉、『殺し合い』等であろう。

「何故?」

「わかりません。急に窓の外が明るくなり、次の瞬間炎を纏った一色様が窓を割って飛び込んで来たのです。夫は娘の安全を確保するのが何よりだと私を逃し、一人で一色様と対峙している最中です」

 どうやらあの噂通りだったのね、本当にお父様が犯人だという事だ。そのような事実があるなら否定は絶対にできない。

「…………わかりました。一族の掟通り父を剪滅します」

 しかし奥へと向かう私の手を女性は掴んで私を止めようとする。

「お待ち下さい。朱水様はまだ覚醒を迎えていらっしゃらなかったはずです。危険です、ここは私達夫婦にお任せ下さい」

「そうはいかないわ。たとえ力が無くとも私は父を止めなければならない。掟ではそうなっていたはずよ?」

 その言葉を聞くと暫しの考慮の後、女性は私を解放してくれた。

「……わかりました。なら私の後ろから付いてきてください」

「お願いします」

 女性は私が前に出ないようにか、手を後ろにいる私の方に差し向けながらゆっくりと進んでいった。私もナイフを構えてそれに従った。



 向かった先では死闘が繰り広げられていた。

「お父様……」

 久しぶりに見るお父様の目は狂気に満ちて、その体には炎を纏っていた。対峙する男性は魔としての存在が希薄だ。でも……

(戦えている)

 叩き付けられる炎を纏った拳を、手にした日本刀でいなす。拳は金剛の様に硬くなっているために刀刃では切れないのだ。

「夫と私は殆ど人間と変わりません。娘もそう。でも夫は刀を使った霊力行使だけは優れているのです」

 覚醒した魔が武器を主として戦うことは少ない。本来、魔は獣と同じような存在なのだから。

「私もそう。我が一家は希有な能力の血筋を伝える家系なのです。そのため体は人間に近くとも魔の自覚を伝えている数少ない家系であります」

 そう言いながら女性は男性に向かって手を向ける。

「治癒……他者への干渉……」

「はい。私はそれだけに特化した魔です」

 見る見るうちに男性の、所々にあった火傷が消えていく。他者への干渉、それは魔の史上特に希有な力の一つだ。霊力と言うのは大体が地球、つまり自然に対する作用であるので、対象が個人というのは珍しいのだ。

「朱水様。私達にもしもの事があったら、蔵にいる私達の娘をよろしく頼みます。あの子は朱水様と同い年、同じく覚醒を迎えていないのですが自慢の娘なのです」

 さっき会った時に履物を履いていたのは、娘さんを蔵に連れて行ったからなのだろう。

「わかりました。でも私も戦うわ。この水晶のナイフは特別な物で、あらゆる力を無力化する紋が刻まれている、世界に数個しか無い代物よ。これなら私でもお父様を止めることが出来るわ」

 しかし女性はその言葉を聞いても、ただ悲しい顔をするだけだった。

「朱水様、一色様はもう元に戻ることはないでしょう」

 そう、目の前で演じられている死闘を眺めながら言う。

「どうして?」

「アレは私が知っている一色様とは比べものにならないくらい鋭いのです。失礼な言い方ですが一色様の力はそこらの魔と同じくらいだったはずなのですが、今のアレはここらの魔では追いつけない強さを持っています。恐らくこの前の事件で何かあったのでしょう」

 その言葉は私の中にストンと綺麗に入った。うすうす感じ取っていたが日に日にお父様の存在が濃くなっていく感覚があったからだ。

「このようなことをしたのです。現頭首である父の気が触れたなら頭首の地位には私が昇るのでしょう? なら私が父を……殺します」

 私はナイフを盾にしてお父様へと突き進む。

「いけない!」

 男性が私の前に飛び込む。瞬間、大きな炎が床から舞い上がった。

「っく」

 私は男性に抱えられたまま壁へと吹き飛ばされた。質量を持った魔炎が簡単に男性を吹き飛ばしたのだ。

「危険です、朱水様。ここは私達に」

 男性にも女性と同じことを言われた。

 男性はまたお父様へと斬りかかる。


「嫌……嫌だ……どうして、どうしてよぉ」


 何で……何で……何で……


「思い通りにいかないのよぉ」


 私は家族で幸せに暮らしたかっただけだ。


 この前は家族同士で……


「やめて、やめてよぉ」


 今度は他の家族と……


 嫌だ……嫌だ……こんな世界…………いらない

 そう、こんな世界要らないんだ

 だから……



「壊してやる」

 そうして私は『覚醒』を受け入れた



 何もかも

 この目の前から

 消してしまえ



 父だったもの、目障り

 だから消す


 でも避けられた

 下半身しか消せなかった



 体が熱い。自分の体が紫色の霧に覆われているのが視認できる。目の前から何かが消えていく。あらゆるもの、自分が消したいもの、消したくないもの、そして私の『   』すら……

 屋根が消え、窓が融け、壁が粉となり、家具が霧に変わり……

「いけ  ん、朱  !」

 うるさい

「そんな    い  い!お  くだ   」

 煩い

「駄目 、  様も      られ 」

 五月蝿い

「 げま ょ 」

 うるさいのが逃げる

 私は逃したくない

 この『世界』を知った者は消さなければ

 私以外の者がこの世界を知っているのは許せない

 この世界は私の中だけに閉じ込める

 誰も逃しはしない

 自分で消さなきゃ気がすまない

 だからその足を消した

 今度は這いながら逃げようとする

 だからその手を消した

 だからその腹を消した

 まだうるさいからその喉を消した

 目障りだからその脊髄を消した


 だから目を消した

 だから髪を消した

 だから歯を消した

 だから

 だから


 消えろ 消えろ 消えろ 消えろ消えろきえろきえろきえろ


     キエテシマエ





 気付いた時には炎に囲まれた、何かがあったはずの窪地の中に一人の死に損ないと私だけがいた。

「お父様……」

 目の前にある父だったモノは口から血を流しながら宙を見つめていた。彼には下半身が無かった。

 帰ろう。どうせこの魔は助からない。この炎が全て消してくれる。

 後ろへと振り返ったその時、魔が話しかけてきた。

「朱水……なのか?」

 また振り返る。驚いたことにその魔は泣いていた。

「強くなったな朱水。これなら一族を任せられる。でもね、朱水。君はいけない事をした。私がしてきた事と同じように、いけない事だ」

「…………」

 その瞳には以前のお父様の優しさが表れていた。

「わかっています。自分が殺したのだと」

「そうか。朱水、私の様になるなよ」

 瀕死の魔は目を閉じる。

「お父様は何故このようなことを?」

 その魔に対して問いかける。

「泉治をあんなふうにさせた奴を突き止めたかった。そのためには私の力だけでは到底足りない。だから……」

 なんて安直な発想であろうか。これが力無くとも広い領地を治めていた名頭首なのであろうか……私にはそれがどうしても許せなかった。



 まだこの頃は魔の本性を一色朱水は知らなかったのである。



「他の魔から奪ったのですね。魔が他の魔を食らえばその存在の一部を奪い取れると伝えられているから」

「ああ。だが現実はそう簡単にはいかない。私は魔を食らえば食らうほど霊力ではなく欲望が強くなっていった」

 真っ赤な血を吐きながら魔は語る。それは恐らく相手が純血で無かったためだ。

「結局はただの道化へと成り下がったかな」

 その言葉は別れの音を含んでいた。

「それでは」

 また後ろへと向くと、足下に水晶のナイフが落ちていることに気づき、拾う。

「その小刀は……私が唯一お前に手渡しできた物になるのだな。皮肉な物だ、ソレによって殺されるなど……」

 私の手にあるナイフをやや虚ろな目で眺める。

「いいえ。これはお父様の血を吸っていません。そうですね、これは私の宝物にします。それではお父様、永き眠りを」

「ああ。達者でな」

 別れは呆気なかった。涙も不思議と流れなかった。

 外に出ると辺り一面が真っ赤になっていた。周りの林も燃えているようだ。その幻想的な紅さに私の意識は削がれる。体がフラフラと揺れ始めた。だが帰らなくては。私はお父様から頭首の地位を引き継いだのだから。

「お嬢様!」

 目の前で一台の車が止まる。智爺が運転席から飛び出てきた。

「すぐに消防車が来てしまいます。お話は屋敷に帰ってから聞かせていただきますので今はまず帰りましょう」



 車の中に入ると意識がもうろうとしてきた。

 ふと、窓に映る私の顔を見ていると、蔵にいたらしい同い年の女の子を助けるのを忘れていることを思い出した。

「でも、あの火では助からないわ」

 窓に映る顔に独り言で言い訳をした途端、私の意識はフツリと切れた。


▽▽▽▽▽


「それが私と……親なんだね?」

 朱水の話は終わった。

「ええ。私が貴女の御両親を殺したのよ。そして貴女……を助けられたのに、貴女を見捨てたのよ」

「………………」

 何も言えない、何も言えないよ、朱水。

「貴女を初めて見たのは屋上で待っていた日の二日前なの。商店街で貴女を見たとき私は一目で貴女に魅了されたわ。気になったので次の日に貴女のことを調べさせてもらったら驚き、その女生徒は私が見殺しにしたはずの女の子と同じ名字じゃない? その女生徒に惹かれるのも当然ね、私が殺した夫婦と同じ匂いがしたのだから」

「朱水……」

 朱水の目から涙がこぼれ落ちた。

「ですから有、貴女は私を憎んでも良いのよ。いえ、それが当然なのですから」

 どうして……

「どうして私に言ったの? 言わなければ…………そのままでいられたのに」

 自分が言ってる事がおかしい事だなんて分かっている。それでも言いたかったんだ。

「辛かったのよ! 後悔さえしていなかった自分に! 忘れていた事に! 何より、何も知らない貴女を見るのが……」

一番辛かったの、聞き取れない声で告げられた朱水のその言葉は今までの全ての言葉の中で耳に残った。


「初めて、初めて友達になってくれた人が、初めて好きになった人が有なのよ……尼土有以外じゃないのよ……貴女じゃなければこんなに苦しまなくて済むのに…………なのに……」


 朱水が泣いている。私の前でグスグス泣くなんて初めてだ。


 私はそんな朱水を見て…………愛しいと思った。私は壊れてるのかもしれない、もしかしたら朱水に壊されたのかもしれない、だからそう思ってしまったんだ。

「朱水、泣かないで。私は気にしないから……。今更恨めないよ……考えられないよ、朱水を嫌うなんて」

 それを聞いて朱水は一層泣き始めてしまった。流れる涙は服に大きな染みを作る。

「ごめんなさい、ごめんなさい……有。奪ったのは私なの……貴女から普通の幸せを奪ったのはぁ」

 それから朱水はずっとごめんなさいを繰り返していた。


「落ち着いた、朱水?」

「………………」

 朱水は俯いていてこっちを向いてくれない。

「ねえ、朱水。前に私に聞いたよね? 朱水のこと好きか、って。私の気持ちは変わらないよ? ううん、むしろあの時以上に好きになっちゃってるんだよ。 私はもう朱水とは離れたくない…………それじゃだめかな?」

「有……」

 こっちを向いた朱水の目は涙の所為で真っ赤だったけど、綺麗だと思えた。

「約束したよね? ずっと友達でいるって。朱水から破るのかな? それはずるいと思わない?」

「有…………」

「ねえ、朱水。好きだよ? うん、愛してる。だからそんなに自分を責めないで?」

「でも……私」

「一緒にいよ? どんな時でも。朱水は私にちゃんと話してくれたんだもん、それだけで十分だよ」

「それでも……」

 まだ朱水はグスグスしている。

「ああ、もう!」

 朱水のそんな姿をずっと見るのは嫌だ。だから私はそうした。

「んっ」

「…………どう?」

 されている最中は驚きのあまり固まってしまったが、私が感想を求めると途端に朱水は真っ赤になった。

「ど、ど、ど、どうって貴女! ど、どうして……」

「私は朱水の暗い顔なんて見たくない。だからした。朱水はやっぱり朱水らしい方が良い、そう思ったから」

「ど、どうしてそれがキスに繋がるのです? そ、それも……口にだなんて」

 良かった、朱水の顔にやっと明るさが戻ってきた。朱水はその顔が一番似合っているんだよ。

「嫌だった?」

 いつかのような言葉を返す。

「嫌、だなんてことは」

 あの時とは立場が逆だけど。

「さ、朱水。帰ろうよ? まだ敵は消えてないんだから」

 私は立ち上がり、朱水へと手を差し伸べる。

「もう。ええ、帰りましょう。やることがありますものね」

 朱水はその手を取って立ち上がる。

そして私はもう一つだけ言わなくちゃいけない事があるんだ。

「朱水、朱水を許す理由はもう一つあるんだ」

「……」

 朱水は私の言葉を聞きもらすまいと口に注視する。

「前にも言ったけど、私って両親の記憶が何にも残って無いんだ。『いたのかな? いたんだろうね』って、その程度の認識で今まで生きてきたの。だから……こういうのは不謹慎かもしれないけど、今更真相を知ったところで『朱水を怨めない』って言うのが本当の話なの」

「ごめ……」

「待って、話を聞いて」

 私が朱水の口を押さえると朱水は力なく頷いた。

「怨まないじゃなくて怨めないの。憎まないんじゃなくて憎めないの。朱水はこういうだろうね、『貴女が私を怨めないのは私がそうさせたからなの』ってさ。でもね、朱水は私の記憶をいじったわけじゃないんでしょ? だから私はこの記憶に甘んじて朱水と一緒にいる事を選ぶよ」

「有……」

「好きだから、憎む事ができないから、貴女の近くにいたいの。それだけの理由、だけど絶対の理由、だから朱水の近くにいたいの」

「私も……私も有を失いたくない。自分への罰等ではなく本心から貴女を一生守りたい。だから、横に並ばせてくれてありがとう」

 乾いた涙の跡はもう消えてしまっているけど、私の朱水に対する心は消えない。

「気にしないで、朱水。全て本心だから」

 周りの人間達は私達を遠目に見てコソコソと噂話をしていて楽しそうだ。だけど私には恥ずかしさなど無かった。肩にかかる朱水の頭の重さがそんな些細なことを吹き飛ばしてくれていた。


 好きだよ、そう呟きながら私は朱水を包むように抱いた。


 朱水の髪は椿の香りがした。


 そうして私達はお互いの手を強く優しく握りながら、また魔としての日常に戻った。


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