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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第五話 貴女と私 / (終)「半身」(2)

 夜、本来は暗いはずの世界は人工的な灯りによって、行動するのに何ら差支えない程に明るかった。特に駅の周りは人々が常に集うため例え終電時間になっていようともその電灯が消える事は無い。そんな中、宇津井一(うついはじめ)はため息をつきながらとぼとぼと歩いていた。ため息の理由は二つ、ゲーセンでの散財行為と連絡をしていないのに今の今まで遊んでいた事である。一人で行っていたなら恐らく帰るタイミングはいくらでもあったが、友達達と集団で遊んでいると、時と自制心を忘れてしまいついついこの時間まで遊んでしまったのだった。また連絡をしていなかったのは携帯電話を家に忘れてきてしまったためである。このご時世でも数は少なくとも一応公衆電話がちらほらと各所に配置されているが、彼は公衆電話を利用する事に抵抗を感じてしまい十円玉を財布の中へ戻してしまった。無論友達の中にはしっかり携帯電話をその名の通り携帯している者もいたが、借りるまでして連絡する必要は無いと考えてしまっていた。こうも遅くなるとは毛頭思っていなかったのだ。
「まっずいなー」
 人の流れから外れ壁際へと足を落ち着けた一は腕時計をチラリと見て再び大きなため息をつく。アナログ時計の短針は10と11の間をゆっくりと歩いていた。

 それは突然の誘いだった。妹の我儘に付きあってシューティングゲームの共同プレイをずっとしていて、いい加減げんなりしてきた日曜の昼時、輪島から救いの電話が来たのだった。
『おう、今から暇か? いつものゲーセンが今日だけ50円で何でもプレイできるらしいぜ。お前も行かないか?』
 電話の途中で一はもう動き出しており、妹の怨み顔を背に一は急いで家から脱出したのだった。ドアを閉める際に聞こえたケーキという叫びは恐らく帰りに買って来いとの妹様からの命令であろう。当然この時間では彼女が求めている様なケーキ屋にあるケーキは入手できない。親だけでなくその後に妹からもちくちく責められるのかと思うと、もうちょっとだけ夜の世界に浸っていても罰は当たらないだろうという考えすら浮かぶ。

 彼は再び大きくため息をついた。

 ミント味がきついガムでも噛んで頭を落ち着かせようと、寄り掛かっている駅の壁と反対に位置するコンビニへとふらふらと足を進め始める。


 そして一は見つけてしまった。コンビニの駐車場に停めてある原付から鍵を抜き取ろうとしている、クラスの皆が探していた人物を。
「豊島……」
 ある日突然家ごと消えた少女、豊島瑞穂(とよしまみずほ)が平然とそこにいたのだった。
 彼女は他の通行人に溶け込んでいた。つまりおかしな所が一点も無いと言う事だ。当り障りのない服を着て、当り障りのない髪型をして、そして外見的に目につく部位も無いのだから当たり前なのかもしれない。しかし一にはそれがとてもおかしく思えた。

 彼女の消失は異常まみれで、その癖当の本人は異常ではない事が、『異常』だった。

 彼は驚きのあまり立ち止りその光景を目に納め続けた。通行の邪魔だと嫌な顔をする他人の事など気にかけずただただくっついてしまった両足の裏を剥がせずにいた。豊島瑞穂がコンビニの店内に入るまで彼は石となっていた。
 しかし彼女が商品を手にとってレジに並ぶ頃には彼にかかっていた魔法は解け始め、一歩一歩ゆっくりだがコンビニへと近づく。そして彼女がドアを開ける際に丁度目の前に立ちふさがる形で向かい合った。

 通行の邪魔をされた豊島瑞穂はいつも教室で楽しく会話していた眼前の宇津井一を、まるで他人を見る様な目で見つめる。その無感情な目に曝されながら彼は震える唇と舌で声を作った。
「よお……どうしてたんだ?」
 ぐしゃぐしゃに絡まり、玉になってしまった思考の糸から辛うじて引っ張り出せた先端はそんな言葉を彼に吐かせた。訊きたい事は幾らでもある、だけど妙に緊張した彼にはこれが精いっぱいだった。

 豊島瑞穂は何も言わずに佇んでいた。言葉だけでは無い、何の仕草も見せず手に持ったレジ袋の重みに対する力と時々下りる瞼だけが彼女が生きている証だった。それがどうにも一の心を傷つけた。前に立ちふさがる男を邪魔だと手で押しどけてくれたっていい、何か反応してくれ、一は心の中でそう呟く。けれども相手は微動だにせず、店内と店外の境を挟んで立ちすくんでいた。
「どう……いや、その、すまん」
 無言の圧力に耐えきれず怯える様に引き下がっていく足を止める事は出来なかった。言葉尻には二人の間は車一台分は空いていた。その障害の無いアスファルトを彼女は滑る様に踏みしめる。一はそれを首から上だけで追う。
 けれども原付のスタンドを上げ、方向転換をし、エンジンをかけた豊島瑞穂は最後に唯一反応を見せた。
「……けて」
 最後の二文字だけがエンジンの音に紛れてでも確かに一の耳に届いた。その言葉を聞いた途端一は跳びかかる様に手を伸ばした。何も考えず、本能だけで体が動いていた。そうしなければならない、そんな何かを一はその二文字に感じ取ったからであった。しかし一歩間に合わず彼女は走り去ってしまう。それを勢いの余り転んでしまった一は四つん這いのまま目で追っていた。
「ったく、消える時には綺麗さっぱり消えたくせに今度は濁しやがって……」
 その目は先程までのそれと違い、熱意に溢れる物だった。
「まあ人助けならゲーセンよりかは深夜帰りの理由として心強いわな」
 すりむいた両腕の血を一度拭うと元気よく飛び立つ。生気みなぎる一は地面を何度か強く蹴るとその勢いのまま前へと走り出した。
「へへ、帰宅部の足をなめんなよ!」



 今が夜だったから良かった。当たり前の話だが原動機付自転車に生身の人間が追い付ける訳なく、赤信号頼みだったのは言うまでも無い。しかし原付のテールライトは沢山いる車の中からも見分ける事が出来た。小さいライトである事と、そのライト同士の間隔の狭さ、何より左側通行の原則のおかげで進行方向に対して左側の道にいれば目だけは追い付く事が出来たためであった。
「どうせなら法定速度も守ってほしいがな」
 自分の走る速度なんて普通の人間なら知る由も無く、豊島がどれくらいで走っているかなんてはかり知ることすら不可能だが、それでも何とか追う事が出来ていた。本当に赤信号様様であった。



 そして辿りついたのは町の一角にある閉鎖され長い間放置されているスーパーの建物であった。駐車場の隅、人目につきにくい場所に豊島瑞穂の原付は置かれていた。その白い壁にはスプレーでたんまりと落書きされており、つまりそれはここらにはそういう人物がうろついている事を警告していた。その数の多さから間違いなくこの四階建ての大きな箱状の建物は不良のたまり場となっているはずであった。しかし実際には落書き以外の痕跡は外見では見当たらないため周りの住人も知らんぷりを決め込んでいる状態である。事件でも起こって初めて動きだすのだろう。

「あいつは何所だ?」
 切れ切れな息を整えようとゆっくりと歩きながら周りを一周したが、人っ子一人見当たらなかった。まあ廃スーパーである故それは当然なのかもしれないが。彼は顎に手を当てチェーンが巡っている入口を観察する。誰かが出入りしている形跡は皆無であった。ならば従業員用の通用口か、トラックがバックで着ける運搬口かともう一周してみるがやはり何処もチェーンで縛られていた。
お手上げ状態かと夜空を仰いで暫らく星空を眺めていると、彼は視界の下半分を占めている建物の姿を見てある事に気付いた。
「そうか、屋上か」
 らせん状のスロープで車が屋上の駐車場へと登れるようになっている。という事は必ずそこに屋上から入れる入口があると言う事だ。屋上の入口まで調べる物好きな住民はいないだろう。一はその傾斜の強さに嘆きたくなるが景気付けに顔をぴしゃりと叩くとループを上っていった。

「やっぱりか。深夜の俺は冴えてるな、これからテスト勉強は深夜にやっておこう」
 まあ本番は日中なんだがな、と一人でツッコミを入れつつチェーンが外されている扉を押して中の音に耳をそばだてる。古い建物なので両開き戸であったことが幸いだった。これが自動扉であったなら恐らく無法者達に割って侵入されていた事だろう。
「静かだな」
 多人数がいれば恐らく少しは物音がするだろうと考えていた一は静けさに安堵の息を零す。ふと床隅を見ると幾つか懐中電灯が転がっていた。恐らくこの中に出入りしている連中が用意している物なのだろう。
「へへ、拝借拝借」
 その内で一番小さい物を手に取りスイッチを付けるとしっかりと灯りがついた。先客がいる可能性が十分以上にあるためちょっとずつしか使う気は無かったが、そのちっぽけな存在が何とも頼もしく力強くあった。
「藪をつついて蛇を出すか……はたまた人間様が出るかー」
 彼は意を決して薄暗い建物へと進んでいった。



 表から見える綺麗な階段を下りると缶やゴミクズが転がっている踊り場に辿り着いた。既にそこは死角、見えないからと入口数メートルの場所に数々の物が捨て置いてあった。恐らくこの調子で行くとフロアはそれこそゴミだらけであろうと一は覚悟の唾を飲む。

 始めに辿り着いた四階はがらんどうとしていた。廃屋にする際に中の物を全て持っていったのだろう、あるのは後から持ち込まれたゴミだけであった。
 足元のゴミを蹴飛ばした時、男の声が遠くから響いた。直線で結べばさほど距離は開いていないであろうが、階が違うためそれだけ声も小さくなっていた。
「……やべぇな。だけど帰ろうにも帰れないしな」

 脳裏に豊島の声が蘇る。助けて、彼女は間違いなくそう言っていた。最初が聞き取れなくとも唇の動きで大体察する事は出来る。

「ついてないな俺ってホント。何でこういう時に限ってケータイを家に忘れてきちまってんだ」
 流石に公衆電話に頼っても良いと思いもするが、ここにそんな物あるはずも無い。そもそもあっても通じる訳が無いのだ。
 彼は暫らく悩むが足音を立てない様にと滑らす様に足を動かし階下を目指し始めた。



 三階も誰もおらずゴミがあるだけであった。外から見える一階を溜まり場にするはずが無く、必然的に男の声は二階からという事になる。一は覚悟を決めて二階へと下りる。三階から二階へと続く階段を覗く時点で微かな明かりが階下から踊り場に漏れていた。間違いない、誰かがそこにいる。
「…………」
 拳を硬く握りしめ、生まれて初めて殴り合いの喧嘩をするかもしれないという未来に震え、踊り場で呼吸を整える。しかし一方で、まだ大丈夫だ、まだどうかなっているという状況を見てしまった訳ではない、そう自分を説得していた。それはこの時点で全てを忘れて再び階段を上ると言う大変利口な行為に繋がる意思であった。それに反して耳の奥からは豊島瑞穂の声が何度も響き渡っていた。助けてという言葉、そしてこの様な場所に深夜いる事、階下から聞こえた男の声、その三つは平和な状況に身を置いている一高校生である宇津井一には大いに心を擦り削る要因であった。
「クソッ、どうにでもなれ」
 絶対にあり得ない、考えられない、万が一億が一にもあり得ない事だがこういう場所にふさわしい人物達と豊島は友達なのかもしれない。そんな希望としては弱過ぎる光を心に抱いて一歩ずつ、一段に両足を置くという面倒な行為を繰り返して下りて行った。



 嬉しい事に階段横直ぐに現場が位置すると言う事は無かった。壁に身を委ね、コソコソと奥を角から盗み覗く。すると豊島ではない女が、これまた分かりやすい恰好をした男達に囲まれているのが見受けられた。彼等の足元にある設置型の電気スタンドが彼等を照らしているおかげで遠目でも何が起きているかくらいは把握できた。状況及び立ち位置から察するに間違いなく女はその不良グループとは仲好し小好しではなさそうだ。一は息をひそめ事の成り行きを見守ろうとだけする。現段階では豊島瑞穂の姿が見当たらないので単身で踊り出るまでする必要性は無さそうだからである。何かあった時は手元の懐中電灯でもそこらに転がっている空き缶でもあちらに投げ注意を引きつけて走り逃げるだけでいい。一度他人に見つかったと知れば余程神経図太い人間でないなら暫らくの間ここでの悪さはしないであろう。警察にでも駆け込めばいいんだ、そう一は手を決めていた。

 だから予想外過ぎる次の展開には頭が付いていけなかった。

 男達に何かを怒鳴られている間はその女は静かにしていた。基本口調が怒鳴りというステレオタイプな不良だったのでその言葉自体は怒りを表わしている訳ではなさそうであった。それ故に女が落ち着き払っているのだろうと一は信じていた。しかし一人がいやらしい顔を作ってあからさまに胸を掴もうとすると、女は動いた。

「おい……おいおい……おい……おい」

 一は絶句にならない絶句をする。上手く口が動かないのだ。何故なら女がやってしまった事が現実的でないからであった。

 胸を掴もうとした男の頬を引っ叩くのかと、遠目でいる一を含め誰もが思った。掴もうとした男本人ですら日ごろ喧嘩で鍛えた肉体に小さな女が繰り出す平手打ちなんぞが効く訳が無いと、平然とそれを迎え受けようとした。何よりそれを口実に無理やり襲おうという下衆な考えがあった。

 しかし次の瞬間には彼は考える事を許されなくなった。

 女の平手打ちで顔がひしゃげ、振り切った腕と一緒に頭も彼の体から離れて行ってしまった。

 その場にいた不良たち全員がどよめき、目を見開いて口々に化け物だと叫ぶ。しかし人間は瞬時の判断はあらかじめ脳内に用意された選択肢が無いとなかなか出来ないものである。また、集団心理というものがあり、それは厚く、同時に鈍くあるがため『逃げる』という当たり前の行為が誰一人出来ないでいた。誰かが一人でも逃げればそれに付いて行くのであろう。だが度胸がある彼等は脳内に逃げるという行為に対する嫌悪感を構えており、それが靄となって緊急時であるにもかかわらず隠してしまっていたのだった。

 だから彼等の人生は終わってしまったのだ。

 それはまるでつむじ風であった。女は自分が立っていた点を中心に円を描く様に走った。その速さ凄まじく、中心からより外側に位置する男達から走りながらに彼等の命を次々と奪っていった。逃げる事を許さない様に囲う様にである。

 女は走りながらくるりと腕を回す。すると男の首が持って行かれる。それの繰り返しであった。一分もかからない行為である。その数秒間で幾つもの命が消えて行った。



 喋る者など存在していなかった。静けさが再び場を支配する。そして何を思ったかその女は息絶えた男達の体を観察し始めた。

(狂ってる……いや、違う……あれで正常なんだ……)

 女にとってその殺人行為は正常な行為だったのだと、一は崩れかかる体を壁に預ける事で何とか保っている状態の中そう感じた。あれはそういうイキモノなのだと。

 女は全ての死体の観察を終えると更に不可思議な行為を始めた。その体の一つを踏み潰し始めたのだった。
 医学的知識の無い一でもその異常性は理解出来た。女が踏むと死体はまるでそうできているかの様に柔く潰れたのだった。骨の砕ける音がするという事は確かにその体は生物として硬いはずであるのに、それでも内臓が弾け出る程に潰れ爆ぜるという事は、それだけ女の足から受ける圧力が異常であるという事になる。

 飛び出てきた臓物さえも楽しそうに執拗に潰していた女は、その行為に飽きてきたのか次の死体に跳び移ると今度はその腹部に爪を立てる。

(高々爪で人間の腹が割れる訳無い……のに)

 それなのにメスと同じ鋭さなのか、あっさりとその皮膚は爪の侵入を許し内部を露呈させた。そして無邪気にその中身を掘り始めた。犬の穴掘りの飛び散る砂よろしく臓物が出し入れされる手に引き抜かれて辺りに散らばり落ちる。

(やべえよ……なんつーもんに関わっちまったんだよ俺は)

 一は青ざめる唇を噛みしめる痛みで辛うじて意識を保っている。そうでもしないと口から魂が抜け落ちてしまいそうだった。生まれて初めて見る怪奇現象に逃げることすら出来なかった。

だがいけない、それではいずれ戻って来た怪物と顔を合わしてしまう事になる。即ち死を意味する。

 動かない足を、大きな音を立てない様に細心の注意を払いながらも何度も叩いた。それこそ必死とまで言える程に。彼の頭がもう少し落ち着いていたらその力では逃げる足を失うという最悪の結末を招くであろうと気付いただろうが、今の彼には出来ない相談だった。

 体の穴掘りを終えた女は、それでも沢山残っている死体の残りに喉を鳴らす。三つ目の死体の千切れた首根っこを掴み、立派な体格の男性の体を軽々と持ち上げてみせた。それを見て口をにんまりと曲げ、勢いよく振りかぶり壁に投げつける。そこからが更に狂気であった。続け様に転がっている死体を全て同じ壁に投げつけ、その山となった死体に駆け寄り欲望のままに壁に叩きつけて破壊し続けた。

 血の雨が降る。女が腕を振るう度に肉の潰れる音が広いフロアに響き渡った。赤く染まった壁には血が糊となったのか髪の毛や肉片が一面にこびりついていた。

 一はその音を聞く度に体を跳ねらせ、足へ振り下す拳の威力を高めていった。

 しかし急にその音は聞こえなくなった。自分の存在がばれたのかと恐る恐る下ろしていた顔を再びもたげた。

(…………いや……ばれては……無さそうだ)

 女は拳を壁に押しつけたまま固まっていた。恐らくその拳と壁との間には肉片が挟まっているのであろう。

(何だ……どうしたんだよ……)

 その姿勢のままずっと女は固まっていた。動から静への急激な変化は彼の壊れかけの心を更に引っ掻き続ける。

 そして気付いた。

 いる。

 誰かいる。

(俺の後ろに……誰かいる)

 顎を伝う唾液に気付かない程に精神がめためたになっている一は、そこで初めて突然訪れた静けさに紛れる他者の呼吸を後ろから感じ取った。いつからいたのだろうか……もしかしたらずっとそこにいたのかもしれない。

 ずっと後ろで一を見下ろしていたのかもしれない。

(振り向け、振り向け、振り向け、振り向くな)

 もう壊れる。

 でも動いてしまった。

 一の首は後ろを確認してしまった。

「豊……島……」

 それはここまで追ってきたクラスメイトであった。その顔に浮かぶ表情とは言えない相はコンビニで見た物と全く同じだった。他人を見る冷ややかな目だった。

「逃げろ、逃げろよ、逃げてくれよ」

 一は豊島瑞穂に擦れ声で小さく叫ぶ。お前から見えないあっちにとんでもない化け物がいるんだ、そう伝えたかった。

 だが絶望の声が響く。

「遅かったじゃない」

 その声の持ち主は間違いなく先程まで肉を砕き、血の雨を浴びて恍惚としていた化け物だった。

「とよ……しま……?」

 一は驚き以上に恐怖で顔をひきつらせる。

 二人が繋がっている事実よりも、立っている場所からは絶対に見えているはずのない豊島の存在を察知してしまった事に何より恐怖を覚えた。

(なら、俺がいる事だって気付いていたに決まっているじゃないか)

 全身が震える。歯がカタカタと音を立て始める。もう駄目だ、そう思うしかなかった。覚悟と言えたらどんなに綺麗な表現だっただろう、それは絶望の受容でしかなかった。

「ついでにそいつを連れてきて」

 一の眼から涙があふれ出した。男だとか、女の目の前だとか、そんな体裁どうでもよかった。

 這いつくばったまま動けないでいる一の襟首を掴んで豊島瑞穂は引きずり運ぶ。彼女が一歩動く度に一は怪物の下へと少しずつ近づいていく。

(…………)

 涙は流れているが最早一は感情と呼べる人間反応を失いかけていた。

 引きずっている手に液体が絡まる。しかしもう考えることすらやめてしまった一にはそれが何かなど、どうでも良かった。

 殺される、それだけが彼の頭を埋め尽くしていた。


 電気スタンドの灯りに照らされた女の顔を間近で見ると、停止していた一の脳は再動した。
(外人……)

 その女は上下共に黒っぽい地味な服であったが、その金髪は光あれど薄暗いこの場でとても目立っていた。顔は間違いなく日本人のそれではなく、白い肌と碧眼はその者が日本人以外の血をひいている事を知らせている。
 怪奇現象と既に結論付けていたため、その生地の薄い袖に包まれている腕が細くとも一は驚く事は無かった。

「見てたんだ?」

 無意識に逸らしていたのか、そこでようやく一は自分の周りに散らばっている物に視点を合わせた。

 初めて現物を見る一はその生理的恐怖を覚える物体に戦く。
赤い物体が敷き詰められた床に立っている女は、その様子を見て嗜虐的な笑みを浮かべた。

 肉塊の全てに目を向けて現実に起きている事を再確認させられた一は呆然としていたが、急に顔を上げ目の前の女を睨んだ。

 女はその視線に刺激されたのか、一に歩み寄ると彼の首に一本指を突き付けた。

「見物料ちょーだい? お前の命で良いからさ」

 その言葉に一は気を失いかけた。もう駄目だ、声にはならないが口だけでそう呟いた。

 しかし女が口を開いて何かを言いかけた時、三人の後ろの方から新しい声が響いた。

「ちょっと待ってくれないかい」

 その声はこの状況に似合わぬ落ち着いた物であった。豊島瑞穂を除く二人はその声に振り向く。

 そこには赤い髪をした女が立っていた。癖の強い波打った髪はその赤と相俟(あいま)って炎の印象を与える。恐怖など微塵も感じていないであろうかその顔には笑みすら浮かんでいた。

「探したゾ~。ようやく追いついたって訳だ」

 その赤い女を見ると怪物は舌打ちをした。

「面倒な人間ね。そんなにあの双子が大事か?」

 だが赤い女は怪物のその言葉に一笑する。

「どうだかな。契約内容には書かれていなかったが一応命令は受けてたからねぇ。仕事としては大事かもな」

「そう。また襲うかもしれない私を潰しておきたいのね」

「いや、それだけだったらここまで追う気は無かったさ。お前さんに興味があったのさ」

 怪物はその言葉に怪訝な顔を浮かべる。

「興味?」

「そうそう。ウチの目が間違ってないならさ、お前さんをウチはよく知ってるんだわ。だけれどもお前さんはウチを知らなそうだからね」

 赤い女の言葉に怪物は小さく何らかの反応を見せたが、女の次の言葉を静かに待った。

「……アイシス・クラスエンさんじゃないのかい?」

 怪物は目を丸めると次には高らかに笑った。

「はははは。そうか、そうか。さすが狭い国だ。こんなに早くあいつの関係者と出会えるなんてね」

「……そうかい。ならお前さんとあの人は別人って事でいいんだな?」

「そうよ。でもどうして私とあいつを間違えたのかしら?」

 赤い女は一瞬躊躇った様に見えたが、ゆっくりとその黒い手袋に包まれた左手の指を彼女の左目に当てた。

「心臓が見えるんだ。んで、アイシスさんの心臓とお前さんの心臓がそっくりなもんでね」

「そう……」

 怪物はどうにもそれが面白い事らしく、暫らく震える様に笑っていた。



「いいわ、教えてあげる」
 やっと笑い終えたと思うと怪物は一歩前に出、胸に手を当て高らかに言った。

「私の名前はミレイミル・クラスエン」

 指を赤い女に向けて付き出す。
「お前が知っているそいつは私の偽物なのよ」



「…………偽物?」

「そうよ。私が本物のミレイミル・クラスエン。あいつは私の偽物なのよ」

 赤い女はその言葉に絶句を余儀なくされる。

「教えて欲しんだけど、あいつは今どこにいるの? 折角飛び出してきたのに会えないなんて寂しいわ」

 ミレイミルは頬に手を当てアンニュイなため息をついてみせた。だが赤い女はしっかりとその裏の意味を察知していた。

「冗談、誰が教えるか」

 赤い女はぐらつく内心を隠しておどけた様に言った。

「……そう。私ね、いささか短気なの。だからさ、怪我する前に言った方が得よ?」

 付着していた血が黒くなった手を今更ながら拭う。

(まずい……あの人も殺される)

 怪物、ミレイミルの狂気を一部始終覗き見ていた一は赤い女の未来を容易に想像できてしまった。あの馬鹿力に人間が対抗できる訳が無いのだ。
一はそれを何とか伝えようと小さく首を振ってみる。今すぐ逃げろ、目の前にいるこいつは化け物なんだ、敵う訳が無いと。赤い女はその一の小さなサインに気付いたが、小さく二本指を振って応えただけであった。

(くそっ、格闘技でもやってんのか知らんが、そんなもんじゃこの化け物に殺されるだけだっつーの)

 今度は手を前後に振る事で逃げろとサインを送る。しかしそこまで大きい動作は流石に後ろにいる怪物に察知されてしまう事となる。
「何、してるのかな?」
 ミレイミルはカツンとわざと大きな靴音を立てる。その音で一は再び体を固まらせる。肉食獣を手前に手を打ち鳴らしたものだった。
「大人しくしてないと先に殺しちゃうよ?」
 先に、ミレイミルはそう言った。焼け付く恐怖に一は流す涙など疾っくの疾うに枯れた目をゆらゆらと揺らす。
 そして行きつく先は今さっき怪物には敵わないと確信していた赤い女の目であった。藁にも縋る思いという言葉そのままであった。助けてくれ、そう目で訴えた。
 赤い女は静かにその視線に応えていたが、一をじっと見ると何かに気付いた様に目を見開いた。その予想外の反応に一は疑問に思うが後ろの狂気がそれを続ける事を許さなかった。
「面白い殺し方を考えつくまでのストックにお前もしてやろうと思ったんだけどね、邪魔が入ったからもう良いかも」
 足を這いつくばっている一の背に載せそう言い放った。

(お前も? どういう意味だ……豊島の事か?)
 一はずっと押し黙って立ち続けている豊島に顔を向ける。

「でもそうね、まずは目の前の邪魔者を消さないとね」
 そして一の横を怪物が通過する。それでも一瞬たりとも恐怖が緩和される事など無かった。どうせ殺される、もはや諦めの域であった。助けを求めたのも気の迷い、始めから無駄だと分かっていた。
「前回は殺し損ねたけど今回は仕留めさせてもらうわよ」
 そして狂気の怪物は一瞬で赤い女の懐へ潜り込んだ。


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