挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
47/64

第五話 貴女と私 / 8



 見てしまっただけでこんな状況になるなんて

 出会ってしまっただけで全てが壊れるだなんて

 分かる事は一つ

 俺は何とも救い難い不運な人間だってことだった

「少年、君は強運の持ち主だな。まあそれが良い運なのか悪い運なのかはまだ分からないけどね」

 その人は一つしかない腕を俺に差し伸べた。

「捨てる神あれば拾う神あり、だな。ウチとの出会いが君にとってどちらなのかは後で自分で考えておくれ」

 差し伸べられた手は冷たく、その炎の様に赤い髪から想像していた熱さを感じられなかった。

 狐火、熱を持たない炎

 その冷たい炎は体を震わせていた恐怖心を溶かしつくす。

「さあ、連れて行ってあげよう。君はもう今まで過ごしてきた世界にはいられないんだよ」

 言葉は あっさりと 受け入れられた


▽▽▽▽▽


 三人だけの屋上、誰の目も届かない昼休み、だからなのか朱水ははじけていた。
「久しぶりの感覚だわぁ」
 由音ちゃんの小さな肩に顎を載せ肺の奥底から全力で空気を絞り出した。最初の頃の反応とは大違いで今は由音ちゃん無しの昼食では落ちつかないらしい。
「久しぶりといっても金曜休んで土日挟みの四日ぶりっすよ」
「んー」
 由音ちゃんのこそばゆく恥ずかしそうな態度など眼中に無い朱水はただ自分の快楽のために小さな体を抱きしめる。
「最近は椒が私の膝の上に乗ってくれていなくて寂しかったのよね。これくらいの子が膝に乗ってくれる幸せと言ったら筆舌に尽くしがたい、いえ、言葉にすることすら無粋よね」
「ごめんね私は大きくて」
 あまりに由音ちゃんにばかり朱水が構うものだからつい憎まれ口をたたいてしまう。しかし朱水は気にした様子も無く何度目かの深呼吸のついでに言葉を漏らす。
「良いのよ有は。立った時に一番抱きやすいのは有くらいの身長だもの。それに座った時にお互いの顔が真横に来るのって素敵でしょ?」
 そう言って隣にいる私の顔をその綺麗な目で覗く。確かに同じ高さに目があると言うのは色々と好都合なのかもしれない。その下にあるぷっくりと誇張された唇の方に視線が行ってしまうのはこの距離だから仕方ない事だと思うんだ。淡い期待って大事だと思う、うん。
 久々に顔をまじまじと見られた所為で真っ赤に火照った事を隠すように椒ちゃんお手製のお弁当に顔を落とす。いけない、この前の黙考の所為で朱水への感情を再認したというか再燃させたというか、再びドギマギしてしまう様になった私は朱水の顔を間近では真っ直ぐに見られなくなってしまっていた。朱水の目にはどう映っているのだろうか。


 相も変わらずこの空間だけは人がいなかった。迷い込む事も何かしらの用事で来る事さえも無い。完全に鉄扉一枚で空間という概念以上にきり離されている屋上に私達はいた。私と朱水、それと最近になって加わった由音ちゃんはお互いにお弁当を持ち寄って広いコンクリートの床の隅でフェンスに体を預けながら気楽にお昼を過ごしていた。通る風は気持ちよく、その風の速さと相反して時はゆっくりと流れているように錯覚できた。
 ふと大きな風が吹く。潮の香りが微かに混ざったその風に顔を向けて風上を望むと遠くの海が目に入った。そう言えば私は今までにこんなに近い所に住んでいながらも海という物を目の前にした事が無かったんだ。
「海、行ってみたいな」
 私は二人に聞かせる為に言った積りはなく無意識のうちに言葉にしていたのだが他の二人はしっかりと耳に収めてしまっていた。
「海っすか?」
「まだ泳ぐには早いわよ。きっと冷たいわ」
「ううん。泳ぎに行きたいんじゃないんだよね。何と言うか海ってものを一度でいいから見てみたいと言うか」
 遠望にて見る海と近くで見る海とはきっと違う物なんだと思う。私が今ここで思い浮かべている物は私の中での海だ。きっと現実の海は違った姿なのだろう。それに本物を見た事の無い私には砂浜と塩水というキーワードくらいしか思い浮かべられないんだよね。
「まあこの時期なら人混みもさして無いでしょうし行きたいなら私も一緒についていくわ」
 朱水は卵焼きが口の中に入っている由音ちゃんの頬を何度もぷにぷにと突きながらそう言った。食事の邪魔をされている形である由音ちゃんは嫌な顔一つ見せず私の目を見ながら美味しそうに頬張っていた。
「もし行くとしたら由音ちゃんも来てくれるのかな?」
 ごくりと口の中の物を呑みこむための小さな頷きとその後に肯定のための大きな頷きが現れた。
「そっかそっか。じゃあ椒ちゃんも誘って四人で散歩にでも行こうか」
 皆が付いてきてくれるという事が嬉しくついにやけが顔に出てしまうが、隠す必要のある相手では無いのでそのまま表に出す。
「アイシスも誘おうか?」
 しかし朱水の顔は少し困った感じになる。
「アイシスに話が及ぶと間違いなく梓に伝わって、その後あの子達全員に伝わるのよね」
 使い魔さん全員、か。以前ピクニックに行った時なら大人数で行っても全然おかしくない所だったから良いけど、今回行くのは時期でない冷たい海、しかも行って何かする訳でも無くただ見てみたいという好奇心だけの散歩である。
「とりあえず椒には話を通しておいて。あの子を外す訳にはいかないでしょうから」
 そりゃそうだねぇ。一応名目は私のボディーガードって事で朱水から暇をもらっているのだから椒ちゃんから徒に長時間離れる事はよろしくない事だ。
「まあ私がいるのだから別に護衛云々は気にしなくていいのだけれども、仲間外れにする訳にもいかないじゃない?」
 朱水はそう言って目線だけで膝上顎下の由音ちゃんを示す。確かに……由音ちゃんが来る以上椒ちゃんも呼ばないと後で面倒な事になるかもしれない。同じ家に住んでいるんだから絶対に話題を避けられないよね。
「所で、朱水さんはお昼ご飯食べないんっすか?」
 由音ちゃんは自分の小さいお弁当を空にすると頭上にある朱水の顔を覗きこみ当然の疑問を口にした。未だに朱水はお尻の横にちょこんと置かれた梧さん特性お弁当に手をつけていないのだった。まあお昼休みはまだまだ時間があるが、こんな時間になっても袋から出しもしないとは何か理由があるのか。
「いえね、食べにくいと言うかなんと言うか」
 朱水は由音ちゃんのお腹に回している両手を離して彼女の目の前に持ち上げる。そりゃ膝の上に誰かが乗っていたら食べにくい事この上ないだろうに。
 朱水はお昼にサンドイッチを好むため梧さんはその要望に応えてよくお弁当に色鮮やかな三角形を敷き詰めている。しかし今日は偶のお箸が必要なお弁当だった。サンドイッチは片手でも食べられるが今日のはそうもいかない。
「だったら普通にすればいいのに」
 また嫉妬心からこの様な事を言ってしまう。良くない良くない。
「いえ、由音ちゃんみたいな子が膝の上で食事してくれる事の幸福感に比べたら食欲を満たす事で得る物なんて比べ物にならないくらい些細なのよ」
 そ、それは確かに分かる。実はさっきから私もその二人の姿を見ていたら膝が寂しくなってしまったよ。由音ちゃんはきっとこれからも朱水に取られちゃうだろうから他の人を探そうと思って幾つか顔を思い浮かべる。由音ちゃんと同じくらいの背丈と言ったら私の中では椒ちゃんかアイシス、梓ちゃんくらいしか思いつかない。でも学校には三人は来てくれないし、そもそも椒ちゃんは絶対に私の膝上には乗ってくれないよね。これは確信できる。梓ちゃんなら結構あっさり乗ってくれそうだ。でもそんなことしたら後で椒ちゃんに何を言われるか……。ならアイシスは…………。
「…………うん、ないな」
「どうしたの?」
 私の漏れ出してしまった自問自答を見てしまった朱水は怪訝な顔をする。
「いや、その、何でもないよ」
 少しお馬鹿な姿を見せてしまった事に軽い自己嫌悪を感じ、そそくさとご飯を口に運ぶ作業に戻る。うん美味しい。椒ちゃんが作る料理はどんどんレパートリーが増え味も良くなりさらに彩さえも考えてお弁当が作られるようになった。毎日こんな物が食べられるなんて私幸せだよぉ。家に帰っても食べられるし、ほんと素晴らしい生活だ。椒ちゃんをお嫁にもらいたいよ。
「……有、ぜーんぶ聞こえているわよ?」
 なんてことだい、口に出していたとは知らず内心を朱水の耳にお届けしてしまった様だ。
「私が料理できなくてごめんなさいね?」
 口調は穏やか、されど怒りは隠し切れていない朱水さん。由音ちゃんの姿を見れば一目瞭然、回された朱水の手に力が籠っているみたいで苦しそうだった。被害を受けるのが私でなく由音ちゃんなのは勿論彼女がすぐ近くにいたからである。朱水は憤りを感じると即座に力が籠りこまねいた手を硬くしたり、余った力を発散するべく指をトントンと自身の体に叩きつける癖がある。終いには物に当たり散らす事さえも。その力は削強班の由音ちゃんでも逃げる事叶わず、ギジギジとお腹を圧迫され続けていた。食べた物がこみ上げてこない事だけを今は願っています。
「いや、そのね。うん、人って料理とかだけじゃないと思うんだ」
 苦しい、自分で言っていて苦しいよ。勿論そんな言葉だけじゃ朱水の苛立ちは治まらず、由音ちゃんは助けを求めて私に手を伸ばす。助けを出さない訳にはいかず、私は辛うじて思いついた苦肉の策に出た。
「はい、あ~ん」
 そう、両手がふさがっていて物が食べられない朱水に今食べ物を与えれば空腹から来る苛立ちだけでも静まってくれるだろうと考えたのだ。素早く梧さんが結んだであろう綺麗に結ばれた包みを解いて弁当箱を開け、中に入っていた唐揚げを朱水の唇に運んだのだった。
「あ……はい」
 そのあまりに唐突な行為に朱水は鳩に豆鉄砲、あらゆる力が抜けてぱくりと口を開ける。そこに唐揚げを押し込んでみた。
「美味しい? いや私が作った訳ではないんだけれどね」
「はい、美味しいです……」
 まだ驚いているのか朱水は昔の様な口調で答えるともぐもぐと黙って口を動かす。とりあえず一難去った様だ。
「有君、自分も自分も~」
 私達の行為を見て由音ちゃんもして欲しいと大きく口を開ける。だけど私のお弁当じゃないんだよねこれ。
「じゃあ由音ちゃんは椒ちゃんが作ったお弁当からあげるね」
 残しておいた卵焼きを由音ちゃんの大口に放り込んであげた。その間もずっと朱水は黙ったままだった。
「な、なんすかこれ。ワサビの味がするんすけど」
 その奇妙な味わいに顔をしかめる。何って椒ちゃん開発のワサビ風味卵焼きだけど。事前にワサビ味だと知って食べると美味しいと思えるんだけど、いきなりだと由音ちゃんの様な反応になってしまうのかな。ちなみに私はさっき食べたけどこれはこれでイケる気がした。後で椒ちゃんに報告だい。あ、残しておいたってさっき言ったけど別に食べないって意味でなくて偶然残っていただけなんだからね。勘違いイクナイ。
「不味くは無いっすけど……どうせなら砂糖は入れない方がいいのでは?」
「おお、それナイスアイディアだよ。言っておくね」
 その様なやり取りをしつつ朱水の咀嚼を終えた口に再び唐揚げを運ぶと朱水は静かなまま口を小さく開けそれを受け入れた。どうしたんだろうか、とっても大人しい。
「朱水? どうしたの?」
「……ん」
 小さく返事をするがそれがどういう意味なのかは伝わってこない。

 午後の授業に向けた予鈴が鳴る。

「戻ろっか」
 急いで残りのご飯を口に入れ、また朱水の口の中にも入るだけ詰め込んで仕度をする。朱水は苦しそうだったが何とか飲みこんで大人しいままお弁当を片付けた。ラストスパートで詰め込んでも大分残ってしまったお弁当の残りは放課後にでも一緒に食べようと朱水に言うと、これまた小さく頷くだけであった。頬が紅いのが気になる、風邪でもひいているのだろうか。もしそうだったら無理やり食べるのは良くなかったのかもしれない。だけど歯磨きの時間も考えるとああするしかなかったのも事実なんだよね。空腹はどちらにせよ良い事ではないんだし。
「んじゃ忘れ物が無いなら行こうか」
「無いっす~」
「ん」
 二人はそれぞれの返事をして荷物を手にする。

 また風が吹く。暫らく止まっていた事に気付かなかったのか。その風に黒髪を翻す朱水から向けられる視線は、いつもの私に向けられるそれとは違った物だった。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ