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神影の彷徨 作者:ゆちゃあ
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第五話 貴女と私 / 4




 やや赤錆びた階段を上る度にローファーの靴音がカンカンと静かな朝の空気の中を泳いで行く。このアパートは見たところ築十年は経っているであろうか、壁は完全に汚れきっていた。雨水がもたらす緑色の苔も隠しきれない程生えそろってしまっていた。そのアパートの一室、二階の一番奥の部屋に備えられているドアホンをゆっくりと押す。
「由音ちゃーん? 起きてるかなー?」
 暫く待つが何の返事もない。なので今度は控えめにドアをノックしつつドアホンを連打する。
「由音ちゃーん? 遅刻しちゃうよー」


 今朝は最近の朝とは違っていた。由音ちゃんがいなかったのである。珍しく私達が家を出る時間にも間に合っていなかった。そこで私は椒ちゃんに別れを告げた後に由音ちゃんのアパートへと来たわけだ。場所は毎日見ているくらいなので勿論覚えているが、こんなに近くまで寄って見たことはなかったので改めて興味に乗っかりその外観を観察する。


「由音ちゃーん?」
 そろそろ隣の部屋の住人から苦情が出そうな気がしたのでドアホンのみに再び戻し、何度も押す。お寝坊さんなりに寝坊してるならどうにかして起こさなきゃ可哀相だもんね。十二回程押した位に部屋の奥で何かが盛大に倒れる音が響き渡り、暫くしてドアがゆっくりと開かれ何だか顔色が悪そうな由音ちゃんが現れた。この青さでは起きたばかりだからという理由ではなさそうだ。
「ちょっと、由音ちゃん大丈夫?」
 その表情を見れば体調が優れないのは明らかであり、何故由音ちゃんが来られなかったと言う理由も瞬時に悟った。
「へへ、ちょっとばかしまずいっすね」
 由音ちゃんは無理に作った笑顔を見せるがその口は震えているため余計に辛そうに映るだけであった。
「ちょっと部屋入るよ?」
 由音ちゃんの体を抱いてくるりと方向転換させて部屋の奥へと押していく。ふらふらと今にも倒れそうな彼女の体は少しの力だけで従っていた。
「今日は勿論お休みだよね? もう病欠の連絡はした?」
 由音ちゃんはゆっくりと布団の上に座った後、暫し私の顔を虚ろな目で見て首を左右に振った。
「そっか、じゃあ私が電話するよ」
 取り敢えず由音ちゃんの担任には欠席の連絡をしておこう。これで由音ちゃんは何の気兼ねなくゆっくりと眠れるはずだ。携帯電話で学校の事務に連絡して由音ちゃんの担任に彼女が今日病欠することを伝えて貰う。由音ちゃんが持つ携帯電話は一般の相手に対しての使用は禁止らしいので私の物で連絡を取った。ついでに言うと同じ理由で由音ちゃんの電話番号を教えてもらえなかったりする。
 由音ちゃんを抱きかかえてゆっくりと寝かせ、布団を被らせた。熱のこもった深い息を耳に感じながら彼女の小さな体をガラス細工のように丁寧に扱う。由音ちゃんは見た目通りとても軽かった。
「ありがとうっす。有君が来なければ自分は恐らく無理にでも学校行ってたっすね」
「無理は禁物! 今日はゆっくり眠りな〜」
 寝かせた由音ちゃんのおでこを軽く撫でて落ち着かせる。由音ちゃんはとろんとした目を閉じて小さく頷いてくれた。その弱弱しい様にあれこれ構わずにいられなかった。
「う〜ん、私に何かして欲しいことある?」
 取り敢えず朝ご飯を軽く食べた方が良いかな? 薬を飲むにも空腹はいけないもんね。
「由音ちゃんの朝食は冷蔵庫にある奴で作って良いかな?」
「あー冷蔵庫じゃなくて冷凍庫の方っす」
「冷凍庫?」
 由音ちゃんに言われたとおり冷凍庫を開くと……
「ああ、食パンか」
 袋に開けられた痕跡がない食パンが一斤丸々入っていた。
「はい。冷凍すればかなり日待ちしますから大分前から仕込んであるっす」
 由音ちゃんは目を閉じながら得意げに言う。主婦の知恵とかそう言う生活知識を自慢したいのだろう。
「何枚焼くのかな?」
 凍った食パンの氷の架橋を剥がし、取り敢えず一枚だけトースターに放り込む。
「一枚で良いっす。そんなに食べられそうにないっすから」
「了解」
 言われたとおりに一枚だけのままレバーを下げる。ジーっと小さな音が流れ出し次第に芳ばしい匂いがトースターから躍り出てきた。家にあるトースターはずっと使っていないため埃を被りに被っているが、使い方が分からないというわけではないので良い具合になったパンが飛び出てくるまでに食器棚からお皿などを取り出すくらいは準備できる。
 ガシャンと小気味良い音が鳴ってトーストが飛び出てくる。
「ありゃ?」
 見事に真っ黒、どういう事なのだろうか。
「ああ、熱感知式なんで一枚で焼くときは一枚焼きボタンを押さないと加熱時間が増えるんっすよ」
 由音ちゃんは私が黒いパンをお皿に移している姿をくすくす笑いながらそう教えてくれた。そうだったのか……やはり経験が浅いと分からないものだね。
「それくらいなら食べられますから平気っすよ。あ、冷蔵庫にあるマーガリンも一緒に下さいな」
「ごめんね〜。よく分かって無くて黒こげにしちゃって」
 言われたとおりにマーガリンも持って由音ちゃんの枕元に置いた。
「あ、飲み物もいるね。牛乳?」
「そうっすね。お願いします」
 冷蔵庫の蓋側のケースに収められている牛乳をグラスに注ぎ、上半身を起こした由音ちゃんの横に置いて私もそばに座った。
「ありがとうございます」


 マーガリンを黒こげになったパンに塗るシャッシャッという音だけが部屋に響く。普段は叔母さんや椒ちゃんがいるため賑やかだが、二人きりにとなると流石に無言の時が生まれてしまう。おまけに相手は患っている様で、あまり余計な動作をさせたくないという気持ちも何処かある。

「テレビつけましょうか」
 由音ちゃんも気まずく思ったのだろう、ゆっくりと()んでいたパンを一旦皿に置き、リモコンへと手を伸ばす。しかし弱り切った彼女の力では上手く体を支えられず床に崩れてしまった。
「大丈夫? 無理しなくて良いからね」
「情けないっす」
 由音ちゃんは体を捻り仰向けとなって照れ笑いを見せる。
「ふふ、由音ちゃんは何もしなくて良いよ。全部私がするから何でも言ってね」
 体を引きずって布団の上に戻している由音ちゃんの代わりに私が立ち上がって机の上にあるリモコンを取って彼女に渡した。彼女はテレビをつけチャンネルをニュースにあわせた。
「時に有君」
 由音ちゃんは再び口に運んだパンを咀嚼しながら訊いた。
「ニュースは好きっすか?」
「え……っと、さあ? あまり見ないからわかんないや」
「そうっすか」
 どういう意図で由音ちゃんは私にそう問いかけたのだろうか。彼女の半開きでテレビを眺める目には感情という色が全く感じられなかった。
「事実と……」
「ん?」
 パンを全て平らげて残った牛乳を一気飲みし、大きな溜息をついた由音ちゃんはそっとそう喋り始めた。
「事実と真実の違い……いえ、『そうであったであろうこと』と『あったこと』の違いは人に偽りの世界を見せるっすね」
「……どういう意味?」
 テレビ画面の光りが映り込んだその瞳には何処か悲哀に満ちた影が混ざり込んでいた。
「例えばこのニュース」
 由音ちゃんは今映っている画面を指さす。それは五十代の男が知り合いの店主を殺したという報道であった。
「仮にっすよ? この犯人として逮捕された男性が無実だったとします。そうであった場合、『真実』は彼は何の事件も起こしていないって事ですよね?」
「まあそうなるね」
「ですが今後裁判での判決で有罪が下されると『事実』として彼は殺人を起こしたことになるっす」
「……うん、だね」
 くるりと振り返り由音ちゃんは私の顔を覗き込む。その顔は恐いくらいに無表情だった。
「事実なんて書類でいくらでも生み出せるんっすよ。大きな権力を貪っている輩共なんかそりゃいとも容易くやってのけるでしょう」
 お皿とグラスを横に置いて由音ちゃんは続ける。
「逆に言うと事実さえ作れば真実は永遠に隠せられるんす。例えば自分のような存在、例えば有君のような存在。もしかしたらこの世界の大部分はズレた事実ばかりだったりするかもですね。自分はそのずれによって隠された世界に生きる側の人間、だからこんな報道番組などを見ていると自分が世界から拒絶されているような感覚に襲われるんです。自分が絶対に関われない世界、交わることが出来ない世界、そんな世界があるんすよ」
 由音ちゃんは淡々と言葉を吐く。既に横になり目も閉じていて口だけが動いているような姿で、彼女は心の中にある何かを吐き続ける。
「あちらの世界の住人はこちらを知らないから羨ましいです。あっちもこっちも知っている自分達のような存在は二つの世界を比べてしまい、その差に絶望してしまうんすよ。何でこんな世界にいなきゃいけないんだろうって。でも考えるだけ無駄、あちらの世界には絶対に渡ることが出来ないんです。溝が深すぎて絶対に触れられないんっすよ。だからせめて雰囲気だけでも味わえれば……あわよくば一時だけでも世界の違いを忘れられれば、そんな夢物語を常に頭のどっかに描き続けて生きているんっす」
「…………」
 私はただ相槌を打つことしか出来ず、彼女の口から出てくる言葉を一つ一つ丁寧に拾って頭の中で理解することに全力を出していた。きっと彼女は私に何かを伝えようとしているんだ。私はそれを理解しなくちゃいけないんだ。恐らくそれ故に今ここで私に由音ちゃんは語っているのだから。
 体が不調だからなのか、由音ちゃんが今まで隠し抱え持ってきた気持ちが溢れ出してきたようだった。その流れに押し流されるでなくしっかりと受け止めてあげたかった。

 あの日、私の肩に由音ちゃんの重みが加わった時から私は由音ちゃんを受け止めてあげたくなったんだ。私を守ると言ってくれた彼女の体はこんなにも小さいのだと、抱きしめて肌で感じたから……。

「こちらの世界でもそりゃ幸せなことはあります。先輩方とか有君達とかと知り合えた事、これは自分にとって凄く大きな事っす。皆がいるから自分は生きていられるんっす。明日また皆に会える、その事がただ嬉しくて。生きる理由がいつの間にか自分でなく他者へ移り変わっているっすけどそれでも生きる理由があるだけ幸せもんっすね」
 それくらいしかないって言う方が本当の状態ですが、と由音ちゃんは続けた。いつの間にか由音ちゃんの目尻から筋が生まれていた。
「人間は所詮欲だけで生きていますから。欲を満たす手段が少ないこちらの世界だとこうやって生きていくしかないんすよ」
 由音ちゃんの言う欲がどういう物なのかは分からない。彼女は他人との繋がりを持つ事でそれを代替的に満たしていると言う。
「欲、か」
 欲……そうだね、欲って言葉は何処か卑しい響きを持つかも知れないけど絶対に必要な物だね。例えば今私が抱いているこの感情、由音ちゃんを笑顔に戻したいって感情もただの私の欲でしかない。
「そう言えば前に誰かが言ってたよ。葬式とかで泣くのは詰まるところ自分の欲の表れだって。自分に都合の良いその人を亡くしたことが惜しいから泣くだけなんだって。こういう言い方だと何だか酷く冷酷に聞こえるけど事実なんだよね。誰かを好きになるって言うのも結局は欲だもんね。自分に都合のいい相手だからこそ手元に置いていたくなる、自分が求めている理想の相手だからこそ近づきたくなる。全部欲望だ」
 人間から欲望を除いたら何が残るのだろうか。
「そうっすね。欲があるからこそ人間は生きていけるみたいな物ですから」
「だね。だからさ……」
「はい?」
 私が言葉を溜めたので由音ちゃんはまぶたを開け私の顔を凝視する。
「由音ちゃんもたまには欲を出しても良いんじゃないかな? 例えば……またこの前みたいに甘えてみるとかさ」
 その目は更に見開かれ驚きの色を示した。
「…………そうっすか。自分は甘えたかったんっすね……。はは、人に言われて気付くなんて情けなさ過ぎっす」
 由音ちゃんは力なく言う。
「そう言えば何で自分はこんな話をしているんでしょうかね? 鏡先輩にも話したこと無いのに」
「それはね、由音ちゃんの心が参っちゃっているからだよ。病気の時って自分が弱くなるものだよ?」
「……それもあるかも知れないっすが、きっと有君だからって言うのもあると思うっす。鏡先輩でも朱水さんでも椒さんでも多分自分はこんな事言わなかったっす。有君にだと何故か自分は弱みを見せちゃう様っすね」
 由音ちゃんは自分の言葉に恥ずかしくなったのか、布団を顔が完全に覆われる程頭へと持ってきて隠れてしまった。しかし今度は足がはみ出してしまっていた。病気の時に足を冷やすのはお勧めできないなぁ。しかし無理やり布団を剥がすのも気が引けるのでそのまま由音ちゃんに語りかける。
「前にも言ったけどさ、私で良かったら甘えて良いよ? 由音ちゃんを見ていると何だか不安なんだ。頑張りすぎてないかなってね」
 あのお風呂の時の様子を一回でも見たら誰でもわかる。由音ちゃんはきっと誰かに寄りかかりたくてしょうがないんだけれど状況がそうさせてくれないだけ。だから、私が……。
「ねえ、どうして欲しい? お姉さんにさ、思いっきり甘えてよ」
 そうしてくれた方が私にとっても気持ちが良いんだ。独りで何かを抱えている姿を遠目に見るよりも、その抱えた荷物を一緒に持つ方が私は好きなんだ。お節介と一言で片づけられてしまうかもしれないけど、それでも何もせずに黙って見ている訳にはいかないんだ。
 由音ちゃんは迷っている様でなかなか答えを返してくれなかった。だが5分ほど隠れた布団の中で唸っていた後に、急にぴょこんと首を出し火照った顔を私の目の前にまで突き出して小さく呟いた。
「何でも良いですか? 後、誰にも言わないで欲しいっす」
「私に出来ることなら何でもいいよ。それに勿論誰にも言わないよ。二人だけの秘密だね」
 そうっすか、と赤すぎる顔を両手で隠しながら頭をブンブンと振る。何故そうするか分からないが少しだけ元気になったみたいで見てる側としては嬉しい限りだ。
「じゃあ……えっと……」
 そう言い淀み目を逸らしつつも布団を片手で開く。その表情はあからさまに羞恥で満ちていて耳まで真っ赤っかだった。それにその表情と汗のおかげでとても艶やかに見え、女の私でもドキリとせざるを得なかった。
「ふふ、いいよ〜」
 その無言の甘い誘いに私は乗り、由音ちゃんの横へと体を滑り込ませた。スカートだから布団の中ではくしゃくしゃになるかと思ったけど、由音ちゃんと添い寝できるならそんな事ためらう理由としては小さ過ぎた。
 いざ隣に私の顔が来ると要求してきた由音ちゃんは明後日の方向へと顔を逸らしてしまった。折角だから近くで味わいたいのに残念なり。だからと言っては何だけど、私からも要求してみた。
「お姫様、添い寝だけじゃなくて抱きしめてもよろしいでしょうか?」
「え、あ、お、お願いします……」
 了承の言葉が下ると即座に由音ちゃんの背中を自分の胸元へと抱き寄せた。自分でも分からないくらいに無性に由音ちゃんに触れていたかった。
「由音ちゃん暖かい」
「それは布団にずっとくるまっていたからっすよ」
「それにいい匂い」
「それはリンスの匂いっす」
「それに気持ちいい」
「それは……」
 由音ちゃんは再び羞恥で口が動かなくなったようだ。こんな由音ちゃんならずっと見ていたいと思う。

「ねえ由音ちゃん?」
「……ぁい?」
 もう眠いのか、やっと顔を向けてくれたトロンとした目をした由音ちゃんは本当に可愛かった。由音ちゃんの少し芯が硬い髪の毛を優しく手櫛で梳くと彼女は猫の様に首をくねくねと捻り手に頭をなすりつけてくる。
「いつでも甘えてね」
「……そんなこと言ったら毎日添い寝要求しちゃいますよ」
 由音ちゃんは私の胸におでこをギュッと押し付け小さく呟いた。そのか細い声は私の心臓を激しく焦らせることになる。
「はは、それじゃ私が朱水に殺されちゃうかも」
「有君がいなくなるのは嫌です……」
 そう言って由音ちゃんは再び目を閉じた。その手はしっかりと私の制服の裾を掴んでいて、まるで赤子だと私は思ってしまった。


 由音ちゃんが寝静まるまで私はずっと彼女の背中を優しくさすりながらその熱さを感じていた。由音ちゃんがゆっくり落ち着いた呼吸をする頃にはその眠りを妨げないようにテレビを消し、部屋の明かりを弱くした。



 何時間経っただろうか、突然鞄の中で携帯電話が震えた。子供の様なあどけない寝顔を見せてくれている由音ちゃんを起こさない様にと裾を掴む指を丁寧に解いて慎重に体をずらして布団から脱出し、急いで鞄の中から携帯電話をとりだした。
 そのディスプレイには朱水からの着信と分かる文字が羅列していた。瞬時に自分のしくじりに気付いたがまずはこの電話に出ることが先決だ。

『ちょっと有、今貴女何所にいるのよ。無断欠席になっているわよ』
 開口一番朱水の怒った、しかし冷静な声が結構な音量でスピーカー部分から漏れ出てきた。由音ちゃんが起きやしないかその寝顔をちらりと確認したが未だ安らかに眠っている様だ。
「あやー、自分の方を連絡して貰うのを忘れてたよ」
 取り敢えず由音ちゃんの所にいる事とその理由を一通り説明してみる。
『あら、そう言うことだったの』
 意外にも朱水はあっさりと納得し、あっちで便宜を図ってくれると言ってくれた。
『ですが有』
「うん?」
 朱水は少々声のトーンを下げて次に連ねる言葉の重要性を暗示する。
『言ってみれば今の由音ちゃんは無力な女子でしかないわよね? そんな状態の彼女に貴女の護衛が務まるはずが無いじゃない。貴女はすぐに私に連絡すべきだったのよ』
 朱水の声はどんどん低くなりその怒りがフツフツと煮えたぎっている様が十二分に伝わってくる。電話越しでその姿は見えないが容易に想像できた。間違いなく指でトントンと体の何所かでリズムを取っているはずだ。朱水が苛立ちの際に行う癖なのだ。

 これは まずいぞ

「あーホント御免ね」
『御免? そう言えば、許しを請うと言う行為は生きていられるから出来ることよね』
「あーうー」
『これに懲りたらこまめに私に連絡すること。いいわね?』
「はーい」
 逆らえるわけ無い。勿論逆らう気は更々無いが。こまめに連絡しろって言い方だと何だか束縛されているようだけどまあ私達の場合仕方ないことだと割り切るしかないかな。
『取り敢えず椒をそちらに送るから。一歩もそこから出ないこと、いいわね』
 そう言って朱水は電話を切った。
 その口調にはわずかな焦りも滲み出ていて、私がやってしまった事が如何に危険なことだったのかを理解させるに十分な重みを持っていた。
「大人しく椒ちゃんを待っておくか」
 自分がどういう存在なのか今一実感できていないが朱水の言葉に従う方が正しい道と思われるので素直に待つ。


 ただ座っているだけでは手持ち無沙汰であり、何とも無しに初めて由音ちゃんの部屋を観察し始めた。テレビをつけるのは由音ちゃんの睡眠の邪魔になるため絶対禁忌だからね。
部屋の全体を見てまず思ったのが整理整頓されたジャングルという言葉だった。物が沢山ある割にその全てがきっちりと整理されている事から連想できたのだろう。何時ぞやに見た由音ちゃんの二つの大型ファイルと一緒、沢山抱え持つが整理はしっかり行き届いている感じだ。
 何より一番目に付くのは壁一面を埋め尽くしている本棚だろう。そこには漫画という漫画がぎっしり詰まっていた。
「これって床抜けないのかな」
 普通に考えてこれ程の本があると一人住まい用のアパート、ましてや築十数年は経っていよう建物の床にはとてもじゃないがかけたくはない重圧をかけている事になる。それも一部分に集中してだ。由音ちゃん達は魔法が使えるようだからもしかして何か特殊な事してるのかな?
「あ、この匂いだったんだ」
 由音ちゃんがいつも振りまいている甘い匂いの正体を本棚の一角に見つけた。
「うわ、これって結構高い奴じゃん。お金使ってるなぁ」
 それは女子高校生が毎日使えるような物じゃなく、結構お高いフレグランスだった。名前だけは知っていたが勿論使ったことはなく匂いと商品が一致しなかったんだねぇ。由音ちゃんがこんな良い物を使っていたとは知らなんだ。それを間近に覗くとふわりと箱に付いた移り香が薫り、パブロフの犬よろしく脳裏に由音ちゃんの笑顔が浮かんだ。
「匂いってやっぱ重要なんだなぁ」
 誤って落としてビンを割るようなことが起きかねないのでその芳しい匂いを嗅ぐだけにしておくか。再び私は顔をフレグランスから離して漫画の方へと向ける。電灯を豆電灯だけにしているため部屋は薄暗くどんなタイトルがあるまでは判別しにくかったが、近くで見てみると色んな出版社、ジャンルの物が混在しているようだ。
「結構男子向けも多いんだ。由音ちゃんのイメージ的に少女漫画ばかりかと思ってたよ」
 矢岩君が言っていた通り漫画好きな様で、私が知らないようなコアな作品も持っている。いつか今度漫画のお話してみたいな。由音ちゃん凄く楽しそうに話してくれそうだもん。

「……ん」
 本棚を観察していると由音ちゃんが寝返り小さな呻きを上げた。苦しいのかと思って急いでその顔を覗き込んだが寝顔は安らかなままであったため胸をなで下ろす。寝返った拍子に布団がめくれてしまったのでゆっくりとそれを直してあげた。

 ふと思うことがありぐっすりと寝ている由音ちゃんの寝顔を見る。その幼い顔には不釣り合いな生き方を背負っている少女は私のことを守ってくれるという。

 だけどそれで良いのだろうか?

 本当に守られるべきは彼女の方なのではないだろうか? 私より幼い容姿なのに、私より過酷な人生を送っているのに、それなのに彼女の傍には誰もいない。確かに矢岩君や鏡さんは由音ちゃんの味方のようだが今はいない。
 今、由音ちゃんに一番近いのは私ではないだろうか? 今由音ちゃんを支えられるのは私だけではないだろうか?

 でも、私は結局由音ちゃんのことを何もわかっていないんだ。この子がどんな過去を持っているのか私は一切知らない。そんな私に彼女を支える資格などあるのだろうか……。



 ドアホンが鳴り響く。
「結構早いなぁ」
 朱水がこちらに椒ちゃんを向かわせてくれると言ってからさほど時間は経っていなかった。
「今開けるよ〜」
 私は急いでドアへと駆け寄った。しかしドアの磨りガラスに映る人物は明らかに椒ちゃんではないと分かった。身長が大分違うのだ。顔や服装までは磨りガラスのため分からないが背丈だけでも優に判別できる。


 そして気付いた。今さっき私は声を発してしまったのだ。


 どうするべきか……。寝ている由音ちゃんを起こすべきなのかと思ったが、もし全く私達に関係の無い安全な人物であった場合の事を想像すると由音ちゃんの安眠を邪魔するのは気が引ける。
 再度ベルが鳴り響く。間違いなくさっきの私の声は相手側に届いていたようだ。相手は中に人がいるのを分かってドアホンのボタンを押している。
 由音ちゃんを起こそうと一歩戻ったが踏みとどまり、頬を軽く叩いて決心をつけた。ドアチェーンをしっかりしていれば何とかなるかも知れない。鼓動が激しくなった体を何とかドアへと運ぶ。

 私はドアチェーンをしっかりと穴にかけてから恐る恐るだがドアを開いた。
「……………………おや、由音ちゃんは不在かい?」
 そこにはもみあげ部分だけ伸ばし、後はショートヘアという特徴的な髪型をした女性が立っていた。その第一声で私の心臓は落ち着きを取り戻すことが出来た。
「菅江さんのお知り合いの方ですね?」
「まあそうなるね」
 その女性は私の顔を数秒凝視するとにっこりと笑って一歩後に下がる。由音ちゃんの知り合いなら取り敢えずは安心だね。勿論このチェーンを外す気はないけど。だって削強班だったら私は敵対する存在なのだから。
「そういう君は誰かな? いや、言いたくなかったら別に良いよ」
「あ、菅江さんと仲良くさせて貰っている者です。今菅江さんは体調が悪くて眠っているのですが……」
「あら、そうか。ならウチは引き取るさ。由音ちゃんにお大事にと伝えておいておくれ」
 その人は気さくな笑顔を浮かべそう言った。そのさわやかな雰囲気に私は完全にその人に気を許してしまっている。

 だから彼女の予期せぬ次の行動には反応しきれず、微動だにできなかったのだ。

「所でお嬢ちゃん」
 突然その人は瞬く間に私に近づき、
「ちょっとお姉さんとデートしてみない?」
 私の顎を指で摘んで持ち上げる等というキザなことをしたのである。

「え……え……?」
「お姉さんね君のこと気に入っちゃったの。どう、デートをさ?」
「いえ、そんなこと言われても……」
 目の前の人は確かに凛とした風貌で朱水に近いかっこよさを持った女性ではあるが正直「何言ってんの?」と言いたい気分である。流石に口悪く言うのは控えて丁重にお断りしとこう。
「あの、申し訳ありませんがそう言うのはちょっと……」
「はは、そうかい。そりゃ残念」
 その人は私の顎から手を外し再び後に下がった。私があまりに顔が近かったために(気にくわないが)ドキドキしていた心臓を何とか静めようと深呼吸している様を彼女は相変わらずさわやかな笑みを浮かべながら見つめてくる。
 だが急に彼女は道の方へと振り返ると舌打ちをした。さわやかな印象を持っていたその人が舌打ちをした事は多少なりともショックだった。
「おっと、お姉さんはもうお(いとま)するね。じゃあね〜」
 そう吐き捨てると滑らかな動きで階段を下り私の視界から消えていってしまった。畳みかける様な目まぐるしい展開であった。
「何だったんだろ……」
 台風一過、あっという間の出来事だったがどっと疲れてしまった。取り敢えずそのままドアを開けておいて外の空気を肺に送り込んでおく。そうしていると遠くから車が走る音が聞こえてき、見知った高級車が場違いと言わざるを得ないアパートの駐車場に止まった。
「今度こそ椒ちゃんか」
 運転席の執事さんは私と目が合うと深く会釈してくれた。こちらも忘れずに会釈を返す。
 階段を上がってくる椒ちゃんは何かを思慮しているような表情であった。
「有様、先程ここに訪問者が来られませんでしたか?」
「あ、うん……」
「…………」
 私のあからさまに弱気な言葉に椒ちゃんの目がキッと厳しい光りを帯びる。
「で、出てしまったと」
「ごめん……なさい……」
 何も言っていないのに私が出てしまったことをズバリと言い当てられる。
「謝るという行為が出来るのは有様の首が真っ二つに分かれていないからですよね」
 何だか似たようなセリフを少し前に聞いたような気もするがここは平謝りするしかない。
「本当にごめんなさい」
「御生存なさっている有様にお会いできて感謝感激のあまり涙が出そうですわ!」
「……ごめんなさぁい」
 この後も5分程ひたすら椒ちゃんの皮肉たっぷりな説教を脳味噌に詰め込まされることとなった。その間私の頭はひたすら上下運動を繰り返すしかなかった。


「菅江様、こちらをどうぞ」
 椒ちゃんは彼女の説教声によって起きてしまった由音ちゃんの上半身を抱き起こし、黒い液体が入った小瓶を差し出す。
「これは一色家に伝わる滋養強壮の妙薬です。良薬は口に苦しと言いますので非常に不味でありますがどうぞお飲み下さい」
「おお、ありがとうございます」
 椒ちゃんの言葉通りとても不味い様で由音ちゃんはペロリと一度舌だけ漬けて目を見開く。
「うぉわ! 凄い味っすね……」
「それはそうですよ。とびっきり苦いのをお持ちしたので」
「…………」
 由音ちゃんは笑顔な悪魔となった椒ちゃんから私に目線を移して救いを求めようとする。しかし当然の如く私にその術は無く、ただ優しく見返すことしかできなかった。
「まあ効力の程は太鼓判を捺しますよ。後はぐっすりと眠れば明日にはまた騒がしい貴女を見られそうですね」
 そう嫌味っぽいことを言うが、由音ちゃんが薬を飲んでいる間中ずっと心配そうにその背中をさすり続けていた。
「ぷはー、不味かったっす!」
 やっと小瓶丸々飲みきった由音ちゃんはその鼻が潰れてしまう程酷い臭い故に摘んでいた鼻から指を放して一言叫んだ。
「元気そうですね。後はゆっくりと寝なさいな」
 椒ちゃんはハンカチを取り出し由音ちゃんの額に付いた汗を丁寧に拭う。そして彼女以外の二人がびっくりするような事をした。
「う……え? な、何すか?」
「こうすると梓はぐっすりと眠れるんですよ」
 何の前兆もなく椒ちゃんが由音ちゃんを包み込むように抱きしめたのである。由音ちゃんも私も椒ちゃんのそのあまりに予想外の行動に絶句するしかなかった。
「ゆっくりお休みなさい。貴女は有様を護衛する役目があるのですから」
「……はい。ありがとうっす」
 まるで仲の良い姉妹のように二人は抱き合っていた。椒ちゃんは心音を聞かせるかの様に由音ちゃんの頭を胸で抱く。最初由音ちゃんは驚きのあまり目をぱちくりとさせていたが次第にその温もりに酔い、まぶたをゆっくりと落としていった。
「梓と同じですね。この子もこの方法が効いたようです」
 そう言って完全におねむな由音ちゃんの体を寝かせ、丁寧に布団を正した。まるで梓ちゃんのおでこを撫でる様に由音ちゃんにもそうする。気のせいか、由音ちゃんは先程よりも更に安らかな寝顔をしているように思えた。


「所で有様」
 由音ちゃんの寝顔をじっと見ていた椒ちゃんは何かを思い出したように体を跳ねさせ、こちらに振り返った。
「先程こちらに来た訪問者はどの様な出で立ちでしたか?」
 ああ、そうか。何故だか車から降りてきた時点で椒ちゃんは誰かがここに来ていた事を察していたのだった。
「どうって……変な人だったとしか。あ、髪型が特徴的だったよ。もみあげだけを伸ばしたショートって感じ」
 手振りでその特徴である髪型を形作り、何とか伝えようと試みる。その表現で椒ちゃんは何かをつかめたようで右手を顎に当て考え込んだ。
「先程こちらへ向かう間に車外に通る不審人物を見かけたのですが恐らくあの者ですね」
「不審? 確かにキザで変な人ではあったけど、外見的におかしな所はなかったし、むしろ凛々としたかっこいい人だったよ」
「いえ、外見が不審なのではなく気配が不審だったのです。菅江様が起きてこなかったのもあれなら仕方ありません」
 そう言えば由音ちゃんも他人の気配は察知できるって言っていた様な。その由音ちゃんはさっきの人が来た時に起きるようなことはなく、椒ちゃんが到着して初めてそのまぶたを持ち上げたのだ。
「あれは気配が無いわけではないのですが……何と表現すればよいのでしょう、異質と言いますか……」
 珍しく椒ちゃんが言葉を濁す。それ程珍しい人だったのだろうか。
「まあとにかく何も起きなかったのならばそれで良いのです。今度からはこういう事が無いようにお気を付け下さいまし」
「はーい」
 本日何度目かの言葉にしっかりと応える。流石に耳に胼胝(たこ)だが自分が悪いのでひたすらその音を耳に突っ込むしか選択肢がないのである。
「もうこのような時間ですか。折角ですから菅江様に御夕飯を作っておきましょうか」
 そう言って部屋から出て行ってしまった。出て行くときに離れるなという朱水の言葉を思い出して椒ちゃんを呼び止めようと思ったが、椒ちゃんに限ってまさか忘れていることはあるまいと思い止まる。
 案の定、椒ちゃんはすぐに戻ってきてくれた。
「何してたの?」
「長にお使いを頼ませていただきました」
 どうやら執事さんに夕飯のお買い物を頼んだようだ。でもよくよく考えると執事さんのような服装の紳士がスーパーにて買い物をしている状況はあまりに不釣り合いで、想像するだけでフツフツと笑いがこみ上げてくる。
「では長が戻るまで私は大分汚いキッチン周りを綺麗にしていますね」
 あーやっぱり気になっていたんだね。椒ちゃんは由音ちゃんの部屋に入るや否やキッチンを見て眉をつり上げていた。確かに水垢とかがこびり付いていて決して清潔とは言えない状態であったしね。
「有様は菅江様を看てあげてくださいまし」
「りょーかい」



 その後椒ちゃんはスーパーの買い物袋を片手に帰ってきた執事さんから材料を受け取ると、梧さんから見て学んだという塩高菜粥を手際よく(こしら)え再び目を覚ました由音ちゃんに食べさせた。由音ちゃんは椒ちゃんがレンゲで運んでくれるお粥をはふはふと熱そうに食べていて、その微笑ましい様子を執事さんと私はじっくりと堪能したのだった。


▽▽▽▽▽


 やれやれ、参ったね〜。
 ちょっかいついでに情報を頂こうかと思って尋ねた先によもやターゲットがいるとは思わなんだ。
「二つもミスを作っちまったな」

 一つ、最初にかけた言葉が本人に対しての問いでなく菅江由音の事であったこと
 一つ、尼土有に顔が割れたこと

 前者は大したミスにはならないであろうか? 確かに消極的に考えれば尼土有が菅江由音の関係者であることをウチが知っているという事実が露見するという、最悪の事態を想像してしまう。だがまあ人間そう鋭い生き物ではないので安心して良いはずだ。恐らくこっちは安全であろう。
 だが後者は不味い。非常に不味い。大した準備も無しにいきなり対象と顔を合わしてしまったのだ。
「準備できていればもう少しまともな誘い方が出来ただろうに」
 軟派なふりをして誘ってみたが当然の如く断られる。初見の人間に誘われてついてくるような軽い奴などそうそういないもんだ。
「こりゃ回りくどい方法にせざるを得ないな」
 依頼主に何て報告しようかと悩み続けるウチは重りを巻いた様に重い足を前に運び続けた。どうにも依頼主は嫌味皮肉が好きなようで、またウチはねちねちと脳味噌を削られるような言葉を聞かされ続けねばならないのだろうかと肩を落としたのだった。





「と、まあそんな感じで……」
 私の依頼主、長髪の少女は溜息混じりにウチに厳しい一言突きつけた。
「使えないわね」
「はは、ごもっともで」
 確かに今回はウチの落ち度でしかないため、その言葉を黙って受けいれるしかなかった。
「最大のチャンスに出来る接触をこうも簡単にドブに捨てるとはね。流石の私も予想できませんでしたわ。こんな無能を雇うとは私も愚かだわ。あら、それとも足元を見られてこんなのが送られてきただけなのかしら?」
 庇護の傘を持たぬウチは一言一言に針が仕込んであるような毒言の雨を諸手広げて浴びる。流石にこれは心にクるね。
「良いこと? 星井加々美、貴方は私と契約した以上私の期待を裏切るような結果を出してはいけないのよ。それが分かったら下がりなさい」
 依頼主は先程閉じた書を再び開いた。それは間違いなく魔導書であり、その事実はウチにとっては違和感を覚える物であった。そう、間違いなく目の前の少女は人間ではないのだ。よって霊力で奇跡を起こせるはずであり、魔法を覚える必要はないのである。ましてやこのウチの培った勘がこの少女はとても危険な存在であることを常に訴えている。それ程まで強力な魔が何故に。
「はい、御嬢様」
 しかし契約とは全く関係の無いことなのでその事について尋ねるのは(はばか)られ、深々と自分らしくないお辞儀をしてその場から去ろうとした。

 だが何故か呼び止められた。

「ちょっと良いかしら」
「あ、はい」
「前から言おうと思っていたのだけど、貴方私のことを何と呼んでいる?」
 何と呼ぶって……どういう意味だ?
「……ああ、そう言うことですか。御存知の通り『御嬢様』ですが?」
「そう、そうよね……」
 少女は何かが喉の奥に引っかかったような顔を作る。何か不味いのだろうか。
「出来ればで良いのだけれど私のことは他の言葉で呼んで頂戴」
「はぁ。勿論それは構いませんが何とお呼びすれば?」
 彼女は特に候補は考えていなかったようで、ただウチを見つめ返しているだけとなる。
「では『御主人様』でど……」
「それも却下」
 代替候補を言った途端ぴしゃりと下げさせられる。一体何なのだろう。
「……もう名前で良いわ。ただし様付けじゃなかったらその頭が地べたに転がるようになるから気を付けて下さいね」
「りょ、了解しました」
 少女の実力を推測するにその言葉は決して誇張ではなく、ウチ程度など簡単に捻り潰してしまうのであろう。
「あ、そうそう、これも忘れていたわ」
 そう言って彼女は机に山積みとなっている本の隙間に挟んであった封筒を取り出し私に投げ渡してきた。
「これは?」
「後で読んでおいて頂戴。どうやら近日中に別館に隔離されているあの御二方と面会することになるわ。正式に政府に許可されたため私と貴方だけで別館に渡ることになるから準備しておいて」
「これまた突然ですね」
 少女は冷めているはずの紅茶で喉を潤し一息つく。
「外の世界を知りたいんですって。私自身はあまり世間を知らないのですが貴方なら十分御二方を楽しますことが出来るでしょう?」
「まあウチはそれなりに世界を歩いていますから」
「そう、頼りにしているわ。とても釣り合いが取れないですけど今回の過失はこの件で目を瞑ってあげますわ。もう下がって良いわよ」
 そう言いつつも空になったティーカップをウチに持って行けというジェスチャーをする。ウチは再び彼女に近づき未だ掴まれている器を受け取らんと手を伸ばした。しかし彼女は直ぐには離さず小さく口を開いた。
「私のことは何と呼ぶのでしたっけ?」
(からたち)様、です」
「よろしい」
 その少女、枳という一風変わった名前で驚愕に値する程長い髪を持つ魔は、ウチなどでは到底理解できない難解な魔法書へと再び目を落とし黙りこくった。これは無言での「早く出て行け」というアピールであり、それを最近理解したウチはまた嫌味な言葉を浴びる前にドアへと走り逃げたのだった。


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