第二話 似て非なるモノ / 6
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「枳?」
昼休みの屋上は私達しか居ないので朱水の声は空に響いた。今日の朱水のお昼ご飯は梧さんが昨日の夜から用があって外出しているため、いつもの小さいながら豪華なお弁当ではない。いや、豪華といっても大抵の日においてサンドイッチの形を成しているのだけど。しかし今日のはどうやら梓ちゃんが張り切って作ったサンドイッチらしく、見た目に大きな技術差が表れていた。梓ちゃんは一応料理係という役割だが実際はまだ料理が上手ではないらしい。確かにサンドイッチの中には切るところを間違って三角形でなく五角形になってしまっている物や、具が大きくはみ出してしまい見た目が少し悪い物がある。お店で買える様な梧さんの作るそれとはやはり違っていた。
「うん。前からそのことは使い魔さん達の前では禁句みたいだからね、こういう時に訊くべきかなって思ったから」
朱水は私の顔を、サンドイッチを咥えながら凝視する。なんか朱水が食べるとサンドイッチはサンドウィッチと言うべきなのかと思うよ。
「そうね……有にも言っておくべきなのかしら」
はむはむとサンドイッチを口に流しながら朱水は思慮深く呟く。そう言えば朱水ってば上品に育てられたわりには食事中に喋る事、ましてや物を頬張ったまま喋る事に何ら抵抗が無いよね。辛うじて手は口を隠しているが。
「槐、槿、枳、梧、椒、椚、梓。これがこの世に生まれた順番よ。だから彼女達には姉妹という関係があるの。そして枳は三女ということになっているわ」
「ああ、だからお姉様とか呼んでいたのか」
水筒からまだ湯気がたつお茶を注ぐ。そのお茶をこくりと飲み干すと朱水は意外な言葉を出した。
「枳は椒と特に仲が良かったわね」
「え、そうなの?」
椒ちゃんがあんな態度を取るから前から仲が悪いのかと勘違いしてたよ。怨恨の敵の様に枳という名前に反応していた所だけを見てきたからね。
「今の椒の言動は枳への愛情が反転して憎しみに変わってしまったのでしょう」
「何があったの? 確か『裏切った』って言っていた覚えがあるんだけど」
朱水は食べかけのサンドイッチを小さな重箱(梧さんのお気に入りの物らしい)に仕舞い、フェンスに寄りかかる。
「裏切り、ね。確かに裏切りと言えるかも知れない。でも枳は本来選ぶべき選択肢を選んだの。私の考えと違ったから『裏切り』と言われてしまうのよ」
「朱水の考え?」
しかし朱水はその考えとやらを私には教えてくれなかった。
「……ご免なさい、やっぱりこの話は詳しくは出来ないわ」
フェンスを握る朱水の力が強くなる。
「とにかく枳は私達とは意見が違ってしまったの。枳が無断で屋敷を離れようとした時、それに気づいた椒と槐が止めようとしたのだけれど……」
「槐さんと枳……さんとの間で何かあったんだね?」
確か椒ちゃんがそのようなことを言っていた。枳さんの所為で槐さんがどうにかなったって。
「ええ。槐の体は今では人間程度の力しかないわ。枳が呪詛の念を打ち込んだみたいなの」
それが椒ちゃんの言っていたことか。
「槐はもう鬼神城の中では一番死にやすくなってしまった。それが椒には耐えられないことなの」
「どういう事?」
「あの子、自分の力にコンプレックスを抱いているの。椒は鬼神城の中で特に攻撃的な力を持っているのよ。でも椒はどうやら槐、槿、枳の様な力が羨ましいみたい」
朱水が言うには使い魔さん達の中でも能力は様々で、どちらかというと攻撃的なのが椒ちゃんを筆頭に梧さん、椚ちゃんで、それと対な関係にあるような力を有するのが槐さん、槿さん、枳さん、梓ちゃんらしい。
「有は椚の力だけは見たわよね。あの子の力は『強力』って言えばわかりやすいかしら。純粋な力だけで言ったら椚が一番強いわね」
昨日の事か。私の脳裏に椚ちゃんの神秘的な姿が浮かぶ。体格は私なんかより小さいのに地面を軽々と抉っていた足を思うとどれほど力があるかが想像できる。
「椒ちゃんは『私が本気出せば全てが爛れる』みたいなこと言ってたけど……」
「あら、あの子が自分の力について他人に語るなんて珍しいわね。何時の間にそんな親密になっていたの?」
いや〜、あれは親密とかそう言うのじゃなくて単に脅し文句だった気がするんだけどな〜。
「あの子の力は『糜爛』、万物を爛らせる程の力があるの。本来爛れることのない物質までもがあの子の息を浴びると爛れてしまう、謂わば一種の詛いみたいなものね」
「それって椒ちゃんの匂いと何か関係ある? 凄く良い匂いがするからびっくりしちゃったよ」
朱水は私の言葉にクスクスと笑う。
「そのこと椒に言ったのかしら? あの子、匂いのことを褒められるのが大好きなのよ。だから機嫌が悪いときは頭を撫でて良い匂いね、って言ってあげれば大抵の場合は機嫌が良くなるから覚えておいた方が良いわよ」
そうなんだ。今度試してみようかな。あ、でも私が頭なんか撫でたら絶対怒るよね。いやそもそも私の前だと椒ちゃん、何時でも不機嫌な気がする。
「でも、その強さが逆にあの子を苦しめてしまったのよ」
「何で? 朱水を守るために強い力があった方が良いんじゃないの? ……あ、そうか」
「気づいた? あの子の力は息を媒体にしている、つまり空気中に拡散するの。それはつまりあの子以外の誰でもが呪いにかかってしまうと言うこと。例えそれが守りたい相手でもね」
朱水は「困ったものね」と苦笑いをするけど、朱水自身は椒ちゃんをそういう目で見てないんだと思う。多分、多分だけど、朱水は使い魔さん達に守られる気は毛頭も無いんじゃないかな? むしろ朱水は使い魔さん達を自分の手で守ることを望んでいるんだと思う。今までの朱水と使い魔さん達の絡みを見ているとそういう結論が自然に生まれていた。
多分、家族がいない朱水にとって使い魔さん達と執事さんは最後の砦なんだと思う。
そして思ったんだ。私には誰がいるんだろうって。叔母さん? ううん、好きだけどなんか違うんだ。私はもう……
「そろそろ時間ね」
「あ、ホントだ」
時計を見ると予鈴が鳴る時間の一分前だった。
私がお弁当を鞄に仕舞っていると朱水が重箱を私の目の前に差し出してきた。
「何かな?」
「お腹が一杯なの。梓に悪いから食べてくれないかしら?」
そう言いながらも朱水はサンドイッチを私の唇に押し付けてくる。そのサンドイッチは少し湿っていた。
「太らす気ぃ〜? まあいいや、梓ちゃんの手料理なんて食べる機会無さそうだからありがたく頂かせてもらいます」
「ふふ」
私がサンドイッチを食べているのを朱水は可笑しそうに見ている。何なんだろうか? 別に味が変だなんて事は無いし、むしろ美味しい。まあ、サンドイッチは材料さえまともなら普通は美味しく作れるものか。
「美味しかったよ」
空になった重箱を包んでいる朱水にちゃんと感想を言う。
「そう。梓にも言ってあげて下さいね。あの子、きっと喜んでまた作るって言うに違いないわ」
そうこうしている内に予鈴が鳴り響く。
「さ、もう行きましょう」
朱水の手を借りて立ち上がり、荷物をまとめて二人で階段に戻る。
「期待していたのとは全く違う反応でしたけど、あれはあれで良かったわよ」
朱水は階段を先に下りながらそう言った。
「何の話?」
「違和感が無いということはそれだけ自然だと思っている証拠ね」
朱水はまた意味不明な言葉を続ける。
「だから何の話? 本当に訳がわからないんですけど」
私の言葉に答えることなく、階段下で待っていた朱水は私の唇を爪で優しく摘んだ。
「へ、何?」
「ふふ、貴女が食べたものは一体何だったのかしら?」
何だと言われてもサンドイッチでしかないでしょ。
「もう、いくら何でも鈍感過ぎない?」
朱水はつまらなそうに言い捨てながら先に教室へと戻ってしまった。何だったのかな。唇、唇、……唇っていったらやっぱサンドイッチを押し付けてきたことだよね。あれが関係するのかな。
「美味しかった。他に何かなかったっけ……あ、湿ってた」
………………ああ、そういうことデスカ。
門の前に来ると梓ちゃんが誰かを待っているのか独りぽつんと立っていた。足を地面に押し付けたりして暇を潰していた。
「どうしたの?」
言い終える前に私に気づいた梓ちゃんは私に跳びかかって、もとい抱きついて来た。
「尼土様! 遅いですよ!」
どうやら待っていたのは私らしい。梓ちゃんは嬉しそうに抱きついたまま私を中心にして回り始める。
「どうしたのいきなり」
梓ちゃんは私の頬を軽く抓りながら口を尖らせる。
「ぶ〜、何か私に言うことがあるんじゃないんですか?」
「あれ、もう朱水から聞いたの? サンドイッチ美味しかったよ」
「そうですか、そうですか〜。そんなに美味しかったですか〜。なら今度から尼土様のお弁当を作ってあげましょうか?」
梓ちゃんは目を爛々と輝かせる。褒められたのが余程嬉しいらしい。これくらいで喜んでくれるなら梓ちゃんの事いっぱい褒めちゃおうっかな。
「いや、それは悪いって」
「いいえ、私がやりたいんです」
「そ、そう? なら、頼もうかな」
「はい、お任せ下さい」
梓ちゃんが私の体に巻き付くように体ごと抱きつくと、私達のその行為を端から見ている人物に気付いた。
「椒ちゃん、こんにちは」
しかし椒ちゃんは私の挨拶を無視して梓ちゃんを私から剥がしにかかる。
「梓、自分の担当をほっぽらかしにしていちゃ駄目でしょ」
「あうう、ごめんなさいぃ」
しかし梓ちゃんの反省の態度は一瞬で終わってしまった。瞬時に顔を輝かせ椒ちゃんに向ける。
「そうだ、椒姉様も一緒にやりませんか?」
「やるって何を?」
梓ちゃんは器用に私の首の上に昇り、両手を振り回しながら椒ちゃんに向かって叫ぶ。
ん? なんかおかしくないか?
私は梓ちゃんの行動に違和感を覚えたがその具体的な内容が分からなかったため二人の展開を黙って見届ける。
「尼土様のお弁当作りですよ。やりましょうよ?」
椒ちゃんは案の定嫌そうな顔をした。それはそれは凄い表情で、嫌いなメニューだけで一週間の食事を済ませと言われた様な程に嫌悪の顔だった。
「はあん? 私がどうしてこの人のお弁当を作らなきゃならないのよ」
「またまた〜。折角のチャンスですよ? 尼土様にお近づきになるには有効な手段です!」
いや、何か意味が違うから、その言い方だと。梓ちゃんは名案とばかりに私の頭上で拳を硬く握り締め推す。
「じょぉぉぉぉぉぉぉだんじゃありません。私がどうして………………いえ、それも良いですね」
「はい?」
椒ちゃんは急に笑顔となった。ああ駄目だ、お姉さんはね、その笑顔は恐怖の始まりでしかないってちゃんとわかってるんだ。
「私、尼土様のために精一杯努力して美味しいお弁当を作らせてもらいますわ」
どうしよう。ひたすら椒ちゃんの笑顔が怖い。
「いや、い……」
「断れません」
「え?」
私に反論させないような勢いで椒ちゃんは続ける。
「尼土様は断る権利を持っていられません。当然ですよね、この私が尼土様に愛情が一杯詰まったお弁当をこさえるのですから。ですから尼土様の口から出るのは感謝感激の嵐、雨霰でなければならないのです」
梓ちゃんは椒ちゃんの言葉に「わー」と拍手をする始末である。つまり私は梓ちゃんだけでなく椒ちゃんも携わった、愛情以外に色々詰まるであろうお弁当を毎日食べなければならないことが決まったらしい。愛情だけなら凄く嬉しいのだけれども。
「ほら、御主人様が待っていられるのですから早くしてください」
「行きましょ、行きましょ」
二人は私を放置してさっさと玄関の方に行ってしまった。
何だかどっと疲れたよ。
朱水の部屋に行くと朱水は手持ち無沙汰な様子で待っていた。新聞を読もうと持ち上げるが直ぐに手を離し、再び持ち上げては読まないと言う風な行動を私が声を上げるまで続けていた。
「き、来たわね。まずは確認から始めましょう」
見られていた事で恥ずかしいのか、新聞をコソコソと背中に隠していた。
「確認?」
「削強班の中でのルール等よ。私しか読んでないでしょう?」
「ああ、あれか。うん、よろしくだよ」
朱水から色々注意事項を聞かされているとドアをノックして紅茶を持った槐さんが入室してきた。
「そろそろ一息どうでしょう?」
にっこり微笑みながら紅茶で満ちたカップをテーブルに並べる。
そんな姿を失礼ながらも私は凝視する。他の使い魔さん達とは違って人間により近いという鬼神城長女の姿を。
外見は他の使い魔さん達と大差無い。それに人間により近いと言われても元々使い魔さん達は人間と同様な姿形をしているので、私には違いがわからなかった。
「どうかしましたか?」
私の視線に気付いた槐さんが首を傾げる。やはりその顔は見れば見るほど朱水と似ていた。
「いえ、別に」
朱水は私が今何を考えているのかわかっているのだろう、無言でただ私に視線をぶつけるだけである。
「あら、そうでした。尼土様、椒から聞きましたよ? 椒の料理練習の相手をして下さるとか」
楽しそうにパチンと手を打ち鳴らした。こういう所は朱水とは全然似てないよね。
「ええ、はい〜。何故かそうなってしまったというか」
「驚きましたよ。あの椒が料理をしたいなんて自分から言ってくるなんて」
……ん? ん? んん? 今、槐さんがやや興奮気味に発する音の中に何やら気にしなくてはならない言葉が混じっていたような。
「あの、って何ですか?」
「はい?」
頭が十度ほど傾く。
「あの椒ちゃんが、って」
槐さんは私の言いたいことがわかった様子で、何かをフォローする様に言葉一つ一つに重さを持って「いいですかー」と私に説く。
「椒は昔から料理だけには手を出さなかったのです。自分の匂いが料理に移って駄目にする、自分の所為で朱水様のお食事を汚すわけにはいかないって。それがこの度、自分から料理をするから炊事場を空けて欲しいと言ってきたのですもの、驚きと同時に不安でなりません」
朱水から空になったカップを受け取りながらも槐さんは話を続ける。
「椒、尼土様の前ではあのような態度ですが、実はあの子尼土様のことが大好きなのです。ですからこの機会に誤解を解こうと考えているのでしょう」
「はあ」
でも今の槐さんの言葉を整理すると、朱水には出せる料理ではない、しかし私になら出しても構わない、つまり私はその程度の存在だって言われている気がする。
おっといけない、いけない、そんな考えでは椒ちゃんに嫌われちゃうぞ。私は頭を左右に振り暗い考え方を吹き飛ばした。
「楽しみにしてます。椒ちゃんと梓ちゃんの料理を堪能できるなんて思いもしなかったですし」
しかし私の言葉は槐さんの首を斜めに今度は二十度ほど傾かせることとなった。
「梓……ですか?」
「え?」
「梓からは聞いていませんけど」
……あー、どうやら今回のことは梓ちゃんの計らいだったみたいだ。昨日の私と椒ちゃんの出来事を見て私達の仲を持とうと考えたんだろう。子供なんだと思っていたけどそれは随分違ったみたいだ。今度会ったらお礼を言わなきゃね。
「すみません、私の勘違いだったみたいです」
「そうですか。折角椒が頑張ると張り切っていたので私達は一切手伝わないことにしました」
「……」
それはとてつもなく不安になる言葉ですね、ええ全く。
「大丈夫ですよ。あの子、梓が梧を手伝うのを遠目に眺めていましたからある程度はまともなものが出来るはずです」
槐さんは心配いらないと笑い飛ばすが私には椒ちゃんが悪戦苦闘する姿が見えた。同時に、頑張っている椒ちゃんの姿を想像すると胸が熱くなった。
「随分と椒に気に入られたじゃない」
朱水は驚きを露わにする。
「あの子、部外者にはアイシス以外全員に突慳貪な態度を取るのだけれど、有には特に厳しく当たるものだから敵だと思っているのだと勘違いしていたわ」
槐さんは朱水に「あの子、難しい子ですから」と苦笑を向けながらカップを持って退室していってしまった。流石長女と言ったところか、椒ちゃんの性格を朱水以上に理解している様だ。
「さあ、休息はここまでにして続きに入りましょう」
その後三十分程朱水の説明は続いた。それだけの量を朱水は昨日、あれだけの時間の中で覚えてしまったというのだから驚きだ。流石は成績上位者だね。
「まあ、こんなところかしら。そうそう、『鬼眼の輪』を見せてくれないかしら?」
鬼眼の輪って確かこの腕輪のことだったはず。腕をまくり朱水に見えるように露出すると、朱水は腕輪を調べ始めた。腕輪と言っても手首にする物じゃなく二の腕に着けるのだが、不思議な事に体にピタリと合う。これも霊力とかいう物なのかな?
「変化は無いみたいね。まあ良いわ、今後も身に着けておいて頂戴ね」
朱水は私の腕輪を観察した後呼び鈴を鳴らした。その呼び鈴の聞きつけた執事さんに何やら囁く。
「さ、行きましょうか」
朱水は唐突に私の腕を掴み引っ張り上げた。
「行くって何所に?」
「中庭よ。今日は面白いものを見せてあげる」
朱水は口元を手で覆いながらそう言う。まあ、目を見れば笑っているのが火を見るより明らかだ。また何かされるようだ。
「お待ちしておりました〜」
中庭には使い魔さん達が既に集まっていて、槿さんだけが真ん中に一人で立っている。仁王立ちをしているのにその雰囲気のおかげで威力的ではなかった。
「今日の相手は槿さんですか?」
「はい〜」
槿さんはにこにこと微笑みながら佇んでいる。朱水は槿さんに耳打ちし、槿さんは楽しそうですねと返した。何なのだろう。
「では尼土様、今日の訓練の説明をさせていただきます」
槿さんは人差し指をピンと立てながら朗らかに一言言った。
「椒ちゃんを捜せ、です」
そう言って槿さんが目を閉じた瞬間、私の視界が一瞬ぐにゃりと歪んだと思ったら世界の全てが真っ白になってしまった。訳がわからずただ呆けていると次第に目が何かを捕らえていることに気付いた。自分でも訳がわからないがそう表現するしかない状況なのである。
黄色い何か。その何かが目の前に沢山ある。私が目を何度も擦り、瞬きを執拗にやっていると状況が段々理解できてきた。
(本物を探せって事かな)
私の目の前には椒ちゃんが沢山いた。そりゃ沢山とね。椒ちゃん達の黄色い髪が私には眩しく思える。
「もう大丈夫ですね? お手つきは禁止ですよ〜。ではどうぞ〜」
私の背後にいつの間にかいた槿さんがくすくす笑いながら私の背中を軽く押した。
私はその勢いに乗って椒ちゃん達の間をのろのろと歩く。
椒ちゃん達の間を擦り抜けていると、思っていた以上にこの訓練が難しい事が理解できた。初めは椒ちゃんを見つけるのは簡単だと思っていた。だって、匂いがするのが本物だっていうことが頭の中で直ぐに閃いたから。きっとこれは視覚だけのまやかしなんだって思った。でも実際歩いてみるとどうやら匂いを発する椒ちゃんは複数いるみたいだった。
「どうやって見分けるの〜」
こっちを蔑むように睨んでいるもの、にこにこと笑っているもの、無表情にただ立っているだけのもの、そのどれも私の記憶には存在する椒ちゃんであり、私にはどれもが本物に思えた。
「わかりませんか〜。尼土様なら椒ちゃんは簡単に見つけられると思ったんですけどね〜」
遠くにいる槿さんは私に何かを強調するように叫ぶ。
尼土様なら……私なら椒ちゃんを見つけられる? どういう意味だろう。
だがそうこうしている内に体がふらふらしてきた。目の前の、同じ人が複数いるという奇怪な状況と、椒ちゃんの特殊な匂いに酔ってしまったようだ。
「えっと、えっとぉ」
私は顔を軽く叩きながら椒ちゃんの列の隙間を練り歩き続ける。
「う〜ん、後、五分程で終わりにしましょうか。見つけてくれなかったら椒ちゃん、きっと拗ねちゃいますよ〜」
槿さんは楽しそうだった。折角仲良くなれそうになったのに、今ここで私が見つけることが出来なかったら多分椒ちゃんはお弁当作ってくれないだろうな〜。
私がそんなことを考えて歩いているとある事に気付いた。その事をもっとよく考えようと足を止めると、偶然一人の椒ちゃんに目がいった。あの椒ちゃんは何か変だ。そう思いふらふらと歩み寄るとその考えは確信となった。
「み〜っけ。はい、君が本物の椒ちゃんだ」
私がその肩に触れると同時に他の椒ちゃんは消えてしまった。
「ぱちぱちぱち〜」
いつの間にか隣にいた槿さんが自分で声に出しながら拍手をしてくれた。
「良くできました〜。何が決めてですか? やっぱり愛ですか?」
槿さんはこれまた朗らかに言う。
「えっと、椒ちゃん、私が近づくと表情がちょっとだけ変わったからそれが決め手です」
他の椒ちゃんは一切表情が変わることが無かったのに、彼女だけが私が近づくと顔が微妙に引きつるもんだから何とも嬉しくない判別方法だった。
「ごうか〜く。はい、今日の訓練はここまでです」
「え、もういいんですか?」
私の言葉に槿さんは声を低めた。
「もう尼土様はふらふらですよ? 大体三時間は歩き続けていましたからね」
驚いた。そんなに時間が経っていたんだ。中庭の隅の方を見るといつの間にか準備されているテーブルを囲って朱水達はお茶をしていた。私がそっちを見ている事に気付いた梓ちゃんが椅子から立ち上がり手をぶんぶんと振った。
「そうですか」
そう告げられたからであろうか、急に体に疲れが現れてしまい足ががくがくいってきた。全身が疲労を訴え始める。
「あらあら、休んでいった方が良いですね〜。椒ちゃん、頼めるかしら?」
私にタッチされてからもずっと押し黙っていた椒ちゃんは顔を少し赤らめながら頷いた。私は椒ちゃんに押されるように屋敷内部に戻り、通された部屋のベッドに横たわった。
「………………」
「大丈夫ですか?」
椒ちゃんは珍しく弱々しく問いかけてくる。いや、私に対しては初めての事かも知れない。
「ゴメンね。長い間立たせたままで」
私の言葉を聞くと急に椒ちゃんはいつものつんけんした態度に戻ってしまった。
「全くです。どうしてもっと早く見つけてくれなかったのです。私も足が棒のようですわ」
ベッド横に置いた椅子に座る椒ちゃんは私に見せつけるように足を揉み始める。でも私は分かってるんだ。
「ふふふ」
「何ですか。私の不幸がそんなに楽しいですか? 尼土様はそういう方だったのですか」
椒ちゃんはそっぽを向いて小さな声で「最低ですね」と呟く。
「いや、この状況が可笑しくてね。私が椒ちゃんに看られるなんて考えもしなかったから」
「槿姉様の頼みですから。そうでもなければどうして私が……」
「ごめんね」
私は椒ちゃんの言葉を遮ってそう言った。
「そして、ありがとう」
「はぁ? 何のことですか? どうして私が感謝されなきゃならないのです」
立ち上がろうとする椒ちゃんの手を掴み、私は先程の事に感謝をちゃんと伝えておく。掴んだ手は小さくとても冷たかった。
「椒ちゃん、ヒントをくれていたでしょ。ごめんね、全然気づけなくて」
椒ちゃんは一瞬目を見開くが瞬時に私に顔が分からぬようにそっぽを向いて口を尖らせた。
「はぁん? 私が尼土様に助けを出すわけがないでしょうに。全く、話にならない」
私はその言葉を聞き流して椒ちゃんの手を今度は両手で包んだ。すると椒ちゃんはこっちに顔を向けてくれたがその顔は何の感情も表していなかった。
「私が遠ざかると匂いを強くしてくれたよね? あれで、椒ちゃんの方向が大体把握できたんだ。それからは直ぐだったよね。あれが無かったら私、多分時間内に終わらなかったよ」
椒ちゃんは私の言葉を無表情で聞き流す。しかし私の手を振り払おうともせず、ずっとそうさせてくれた。
暫くすると椒ちゃんは急に立ち上がり私の手を優しく振り解いた。
「尼土様は私の香りにやられたために混乱しているだけです。私がそんなことをするような甘ったれた者だと勘違いしないで下さい。それって侮辱ですから」
そう言い捨てると椒ちゃんは部屋のドアを開け出て行こうとする。
「ま、待って! ごめん、私の勘違いだった。だから……行かないで」
私の言葉は椒ちゃんのプライドを傷つけてしまったのだろうか。私は慌ててそう叫んでしまった。私の訴えは椒ちゃんの足を止めた。
「……お水を持ってくるだけですから大人しくしていて下さい。また戻ってきますから」
椒ちゃんは私に背中だけを見せながら呟き、ドアを静かに閉めた。
私の胸が大きな重圧を受けているかのようにキシキシと痛む。椒ちゃんを怒らしてしまったかも知れない、その考えがどうしても私を苛むのだ。
数分後、何事も無かった様に椒ちゃんは水の入ったグラスを持って現れた。その顔は平常通りであった。それだけで私の心は落ち着きを取り戻せた。
「ほら、上半身を起こして下さい」
私の手を強く引っ張って無理矢理に起こすと私の口にグラスを押し当てて来た。その際前歯とぶつかりカツンと乾いた音と共に鈍痛が私の歯茎に走る。
「椒ちゃん、いだいよ〜」
「ご、ごめんなさい。手慣れてないもので」
「えへへ、良いよ。それよりこの状況は飲ませてくれるって事かな?」
私の言葉に椒ちゃんは自分が何をしようとしているか理解し、慌てだした。
「あ、こ、これは……その……」
私は椒ちゃんの答えを待たずに無理してグラスから水を啜ろうとする。
「もう……」
椒ちゃんは観念したかの様に微笑み、私の動きに合わせてグラスを傾けてくれた。
全ての水を飲み干すと椒ちゃんは無言でグラスを下げ、また部屋から出て行こうとする。
「怒らせちゃったのかな?」
私はどうしても今、訊かなくてはならない気がした。
私の大きな声に驚いたのか、椒ちゃんは目を丸くして振り返る。
「怒る……ですか? 何に対してです?」
本当に不思議そうな色を浮かべる。
「え……いや、その」
「尼土様は何か勘違いしていますね。私は元々こういう性格なのです。そうですね……」
椒ちゃんは空のグラスを胸に抱きながら満面の笑みでそう言い放った。
「私のこと、もっと理解して下さい」
その笑顔は私の思考を止めるほどの威力を持っていた。
椒ちゃんが出て行った後も私は暫く背中を起こし呆けたままでいたが、朱水が入ってくると同時に目が覚めたかのように私は喜びに身を躍らせた。
「どうしたの有? 急に笑い出すなんて貴女おかしいわよ」
「えへへ、嬉しいことがあってね」
朱水は全てを理解している様な顔で椒ちゃんが用意していた椅子に腰かけた。ベッドの上にある私の二つの手をとって自分の頬へと当てる。
それはきっと寂しさからの行動だった。
「椒のことでしょ?」
「あ、わかる?」
「そりゃわかるわよ」
朱水は苦笑しながら私を再びベッドに横倒すと私の緩みきった頬をツンと指した。
「だって、椒も貴女と同じような顔をしていたのだから」