番外577 境界公の領地視察
「よし……。今日はこんなところかな」
急ぐ必要のある物、次に古い順という優先順位で執務を進めていき、大体4分の3程の処理を終わらせたところで大きく伸びをする。
『こちらも一段落しました』
「それじゃ、片付けたら合流しようか」
『はい』
と、アシュレイとやり取りを交わす。
執務の内容としては領地内で起こった事の報告書――陳情があればそれも報告書に纏めて――それらへの対処の仕方はどうするべきかの指示を出すといったものだ。
領の資産と食糧庫の内訳。収支報告関係。方針と指示に対する進捗の確認。それら諸々の事柄から予想される懸念材料についての報告。
上がってきた報告に対する指示に関しては、ゲオルグの部下である文官達とやり取りして必要な時に対応しているので、改めて指示書を作る必要はない。しかし俺達が不在であるのは違いないので、どういう報告に対してどういう指示を出してその結果はどうだったかと、間違いや齟齬がないように文官達が書面に起こしてくれている。後から確認しやすいのは良い事だ。
それと……やはり、決済関係の書類が多いな。領地経営に関する内容の他に、劇場や温泉といった施設の収益、人件費や維持費といった必要経費の内訳を纏めた報告書といった内容だ。
計算に間違いがないか確認した上で、試算し、必要な予算の割り振りや承認をしたり……まあ、この辺は普通に事務仕事だな。
他には――領主だと、貴族家の誰それが、面会を希望してきたりというような申し出もあったりするものだ。大体は自身を売り込みにきたり繋がりを作る目的である。
殊更面接のような事はあまりしない。自身の陣営を強化する為。また繋がりを希望する面々の要望に応える為に宴を開催して、その席で優秀そうな人材を見出したり、有力な貴族家との繋がりを作ったりという方が一般的だ。繋がりを希望する側も、そうした宴を通して家長の人格や、家の隆盛の具合を見極めたりしているわけだな。
マルコムの父――前ブロデリック侯爵などは見栄を張り過ぎて見透かされていたようなところがあるが……あれは悪い例だな。
フォレスタニアの場合は――そうした人材発掘と募集の席は設けていない。
フォレストバードやテスディロス、ステファニアの下についていたゲオルグ達を既に雇い入れているというのもあるし、あちこちの王家や大貴族とも既に繋がりがあったりする。実際その繋がりで優秀な人材が集まったりしているので、領主としての仕事は別の形で果たしていると言えよう。
それに……フォレスタニア家で人材発掘目的の宴席を設けてしまうと、人を集めすぎて他の貴族家の不興を買ってしまいかねないという事情もあるからな。
王都タームウィルズの膝元で、迷宮の守りの要という他にはない事情もあるので、相応に信頼のおける人物でないといけない。だからそうした人材募集は暫く保留、という姿勢を明確にしておいて、丁度良いぐらいなのである。
俺自身もあちこちシリウス号で訪問しているし、魔法絡みの仕事をしているからちょくちょく不在で多忙だしな。
そんなわけで……シルン伯爵領側の執務も終えて、俺達はフォレスタニア側で合流した。
視察という事で、まずは城の一角にある、文官達の働いている職場に向かう。フォレスタニアにおける……所謂役所的な場所になるな。街中にも同様の役所的な施設があるが、これは手続きや陳情等をしやすいようにという理由による。
「これは境界公。どうなさいましたか」
と、俺達が顔を見せると文官達が立ち上がり、揃って一礼をしてくる。
「ああ、手を離せないならそのままで構わないよ。楽にして聞いてくれ」
そんな風に言いつつ、留守を預かってくれた事への礼の言葉を口にする。
「皆がしっかりと仕事を進めてくれているから、感謝している事を伝えておきたくてね。魔道具を介してのやり取りになって、不慣れなところや仕事が増えているところもあるだろうに、こっちのやり方に合わせて貰ってきっちりと仕事をしてもらって、嬉しく思っている。遠隔でやり取りしてきた分、帰ってきたからには直接顔を合わせて伝えておかないと不義理かと思ってね」
「それは――勿体ないお言葉です」
と、文官の一人が少し目を見開き、やや感動したような面持ちで言った。
「境界公のお考えになった魔道具や書類の様式も実に使いやすいものでしたから、我らとしても寧ろ仕事をしやすく感じておりますよ」
そうか。収支報告や予算関係はこれでやって欲しいと、地球側の記憶を参考に書式を統一してみた。見やすく考えやすいので仕事をしやすいと文官達には好評な様子で、アシュレイやステファニア、ローズマリー、クラウディアも見やすいと言ってくれているので、これに関してはやって良かったと思う。
因みに書式に関してはゴーレムに頼めばその場で様式を合わせたものを書いてくれるので手間いらずではあるが、その内コピー機的なものも開発したいところだな。
「我らとしてもこれからも仕事をしっかりとこなしていこうと身が引き締まる思いです。フォレスタニアで働ける事は、一同光栄に思っております」
と、文官達は深々とお辞儀をしてくれた。
それから街中の窓口側にいる面々のところも訪れ、同じように感謝の言葉を伝える。そうしてからみんなで街中の視察だ。
手を振る子供達に手を振ったりしながら街中を回る。注目を集めたりもするが、まあ、そこは領地内の視察中であるので挨拶以上の事はない。
視察といっても、昨日俺の帰還に合わせて訪問してくれた面々も一緒だったりして、そこまで堅苦しいものではないのだけれど。
但し、街中を巡回している武官達や詰め所にいる武官達にはきちんと声をかけていく。
「これは境界公、ご無事で何よりです」
「ああ。戻ってきたよ。留守をしっかりと預かってもらって嬉しく思っている。フォレスタニアを訪れる人がこうして笑顔なのも、皆が適切な仕事をしてくれているからだ」
と、伝えておく。彼らの仕事ぶりと街の様子。双方をしっかりと見ている事を伝えておく。治安の維持や警備は大事な事であるが、必要以上に高圧的になってしまうのも考えものだからな。
適切な仕事であるというのが最良、という匙加減が難しいところだが、ゲオルグの指揮もあって武官達もきっちりと仕事をしてくれているのが見て取れる。
そうして劇場や運動公園の人の入りを見たり、街中をいく冒険者の様子はどうか。商人や観光客の様子は等々、フォレスタニアの様子を見て行く。
「うむ……。上官がしっかりと仕事の内容を見ている。その仕事ぶりを認めていると声を掛けるというのは、士気向上に繋がるであろうな」
「武官と文官の性質の違いも考慮に入れているのね。武官からの報告書の具体的な内容に言及しすぎると、覚えを目出度くしようとやり過ぎたり、手柄をでっち上げる不心得者も出てくるかも知れないものね」
「代わりに、武官には理想とすべき指針を示したのは素晴らしいですね」
と、視察の様子を見ていたアウリアが腕組みをしながら頷き、ロゼッタとペネロープもそんな風に首肯する。それを聞いたカルセドネとシトリアが感心するように声をあげて目を輝かせていた。
ああ、うん。武官と文官は仕事の性質が違うから、確かにそこは気を付けていたけれど。
領主としての仕事、振る舞いにはまだまだ自信があるわけではないし、過信してもいけないとは思うのだが、アウリアやロゼッタ、ペネロープといった面々からそう言って貰えるのは中々自信に繋がるかも知れない。何だかんだ、アウリアもギルド長として慕われているし、ロゼッタも学舎の講師、ペネロープも巫女頭として人を指導したり、集団の長となる立場だしな。