番外576 領主の仕事を
フォレスタニアの居城上層にある、城主の生活用空間で夫婦水入らずの時間を過ごす。
当初は気楽な旅と思っていたが、何だかんだフォルガロの陰謀やらもあって、警戒が必要な時も多かったし、同行者も多かったからな。
みんなも帰ってきて安心しているのだろう。みんなで一緒に風呂であるとか……そんな事になったのも、フォレスタニアに帰ってきたからだろうな。
「今日は私が背中を流す番かしらね」
と、楽しそうに微笑むクラウディアに背中を流してもらったり、マルレーンに髪の毛を洗って貰ったりした。二人とも楽しそうで何とも言えないところがあるが。
髪の毛についた泡を洗い流されたところで、マルレーンは俺の頬を軽く撫でてきたりして。
「くすぐったい……」
と言うと、マルレーンは少し悪戯っぽく笑って肩を震わせていた。
「背中の筋肉の付き方とか、触り心地が結構好きだわ」
クラウディアもクラウディアで、洗うのとは関係無しに背中を撫でたりして、楽しんでいる様子であったし。
「前も何だか、感触が良いってみんなに言われたな」
「ふふ。そうね。みんなと一緒にお風呂に入って、お互い背中を流したりする機会も増えたけれど、テオドールはやっぱり少し感触が違うわね。私達とは筋肉の付き方が違うから、こうして興味深く思えるのかしら」
まあ……そうだな。そういうものかも知れない。俺からみんなに触れた場合でも、肌理の細やかさだとか二の腕の柔らかさだとか、そうした物が全然違うので感触をいつまでも楽しんでいたくなるし。
そうして俺の身体を洗って貰ったら、今度は俺からも髪を洗ったりしていく。
「よろしくお願いしますね、テオドール様」
「うん。気になる事があったら遠慮なく言ってね」
「はい」
と、少しはにかんだように微笑むアシュレイの髪を丁寧に湿らせてから、サボナツリーの洗髪剤を使って泡立てていく。
洗ってもらう側と洗う側が違うのは……俺から洗ってもらうのも順番でということでローテーションを組んでいるからである。
アシュレイの艶やかで柔らかい髪を、根本から毛先まで傷めないように丁寧に洗っていく。アシュレイの髪は……銀色の煌めきが綺麗だ。
景久の記憶にあるように、髪を洗い、頭皮も指先で爪を立てないように気を付けながらマッサージするように洗う。
「テオドール様に洗ってもらうの、好きです」
「それなら良かった」
こうした洗髪の仕方も前世の理髪店での経験や記憶を活かしてるところがあるが。好評なら何よりだ。
そうして洗髪剤を洗い流して、みんなもお互い身体を洗ったところで浴槽へ。全員で入れるぐらいに広々とした作りなのは居城ならではだな。
広々とした浴槽に、みんなも少し恥ずかしがりながら入ってくる。
やや紅潮する白い肌と、丸みを帯びた身体の線……頭がくらくらしそうな光景である。うん……。のぼせないように気を付けよう……。
「ん。良いお湯」
「フォレスタニアのお風呂だと落ち着くものね」
と、隣に寄り添うのはシーラとイルムヒルトだ。イルムヒルトの尻尾がそっと足首のあたりで絡んだり、シーラの尻尾が俺の腕に軽く触れてきたりと……。二人の尻尾で擽られると言うのはちょっと他ではない経験かも知れないな。
「そう言えば……テオドール、前よりまた背が伸びてきているわよね」
「ああ。そうね。私ももう少ししたら抜かされそう」
羽扇がないからか、やや困っていたローズマリーがふとそんな事をいうと、正面からこちらを覗き込んで、ステファニアが言う。
「んー。そうだな。もう少し頼りがいのある背丈ぐらいまで伸びたいって思ってるけど」
「ふふ。テオは今でも頼りがいがありますよ」
グレイスにそんな風に言われて微笑まれてしまうと……俺としては返答に困るところだ。頬が熱くなるのが分かると言うか。そうしてみんなで寄り添い……グロウフォニカ王国からフォレスタニアに帰ってきての最初の夜は、そんな風にして過ぎていった。
明けて一日。のんびりとした時間に起き出して朝食を済ませた。
旅の疲れは残っていない。中々に快調な目覚めといったところだ。デメトリオ王達、西方からやってきた客もタームウィルズを訪問中なので、早めに俺達も応対できるように溜まっている執務を進めていきたいと思う。
執務作業はいつもと同じ。みんなと手分けして書類の内容、計算等に間違いがないか確認し、判を押していくというわけだ。シルン伯爵領の執務もみんなで相談しつつ並行して進める。迅速に対応するべきものの次に、古い順から処理を終えていく。
「遠方でも直接執務が進められるようにしておいた方が良いのかな?」
と、書類に判を押しながら俺が漏らした言葉に、ステファニアが興味をそそられたという様子で首を傾げる。
「何か良い案があるのかしら?」
「操作用魔道具と五感リンクしたゴーレムを執務室に置いて、魔道具側で責任者が執務室の書類を見たり、判子を押したりできるようにする、みたいな」
要するに執務を行う者が遠隔操作できるゴーレムに代行させる形だ。
VRマシンでアバターを動かすようなものだな。座席に座ったまま離れた場所にある執務室の状況をゴーレムの視覚で把握し、腕の動きを手袋型の魔道具でトレース。これならサインも書けるし、判子も押せる。必要なら書状をしたためる事も出来る、と。
後は執務者本人しか魔道具を使えないよう、契約魔法でセキュリティを構築しておけばいい。
『面白そうね。部下への指示は通信機でも出せるのだし』
と、シルン伯爵領の手伝いに行っているローズマリーが水晶板モニターの向こうで笑った。
「まあ、代替えの手段だから、あんまり頼るべきじゃないかも知れないけどね」
『確かに、大事な仕事だものね』
と、モニターの向こうで目を閉じて頷くローズマリーである。
領地の視察や陳情の処理はきちんとしておきたいと思うし、便利だからとこればかりに頼ってしまうというのも些か問題があるだろう。
ともあれ、ゲオルグの部下達は優秀だしきっちりと仕事もこなしてくれている。
決裁上のミスもなく、上に諮るべき案件は保留にして指示を仰いでくれるのでこちらとしても動きやすい。
シルン伯爵領はと言えば、こちらも平和だ。元々穀倉地帯としてきっちりと機能している場所だし、作物は順調に育っている、とのことで。試験的な水田に関しても今のところ順調だとミシェルからの報告が来ているそうで……喜ばしい事だ。
森の魔物達の活動も冒険者達が頑張っていて、落ち着いている。月に魔力を送る塔の影響も特には起こっていないようで。
『送信塔の駐留部隊が街道を行き来するお陰で治安が良く、お店の方からもお金払いが良いので大分潤っていると報告が来ていますね。この後視察に回って諸々確認してきます』
と、アシュレイがにっこりと笑う。地元への経済効果もあるのか。それは何よりだ。
「じゃあ、執務の仕事も一段落したらシルン伯爵領とフォレスタニアと、みんなで視察に回ってこようか」
「ん。楽しそう」
シーラがそう言って頷くとマルレーンもにこにこしていた。領地に戻ってきたばかりだからな。自分の目で色々見ておくと言うのは重要だ。
シオン達、カルセドネとシトリア、それにアルクスやアピラシア。動物組や魔法生物組……みんな連れて見て回ってこよう。視察が終わったら迷宮核での仕事も少しこなしてくるか。機械式時計の魔道具を作れるように、少しばかり迷宮核で設計図を作ってくる必要がある。いや、迷宮核で組み上げる事もできてしまうのだが、それでは腕時計や懐中時計といった品が一点物になってしまう。
ヘルフリート王子に所持してもらう以上は、魔道具ではない機械式時計も世に流布させておく必要があるだろうからな。