224 義理と命
アキラは片腕とはいえ刀に渾身の力を込めていた。しかしツバキは微動だにしない。紙切れを摘まんでいるような様子で、刀身の動きを完全に止めている。
突然現れたツバキへの驚愕。自身の攻撃を恐ろしくあっさりと受け止められた驚き。なぜツバキがここにいるのかという疑問。アルファと何らかの関係がある存在に攻撃してしまった焦り。それらが入り混ざった混乱で思わず動きを止めてしまったアキラに、ツバキが愛想良く微笑みながら告げる。
「ご心配なく。交戦の意思は御座いません。刀を納めてください」
今は戦闘中だ。そんなことは出来ない。そう思ったアキラがアイリ達の存在を思い出し、非常に焦った表情でアイリ達の方へ顔を向けた。そしてその表情を驚きに染める。アイリ達は全員床に倒れていた。
アキラが混乱を深めながら視線をツバキに戻し、思い付いた仮定から困惑を強めて尋ねる。
「……どうして俺を助けた?」
「私ではありません」
「じゃあ、あいつらは何で倒れてるんだ?」
「恐らくローカルネットワークの中枢を突如失ったことによる負荷の所為でしょう。全体の制御を最上位ノードに依存していた所為で、情報量や経路操作が一時的に暴走状態になり、その過負荷に耐えきれなくなったのかもしれません」
意味が全く分からないという顔を浮かべているアキラに、ツバキが穏やかな微笑みで続ける。
「私の仕業ではない。それだけ御理解いただければ十分ですよ」
ツバキが刀から指を離した。アキラは戸惑いながらも大人しく刀を鞘に収める。交戦の意思が無いのなら好都合で、そもそも勝ち目など存在しない。アキラもそれぐらいは分かっていた。
「……それで、俺に何か用か?」
「貴方と少々お話を、と思いまして」
アルファのいない状況でツバキと話すのは不味いのではないか。だがツバキにアルファの不在を教えるのも不味いのではないか。返答に迷ったアキラが少し表情を固くして微妙な答えを返す。
「悪いけど、今凄く忙しいんだ。また後にしてくれないか? ほら、ちょっと、戦ってたりとかしててさ」
「では、私と話している間は、私が貴方の安全を保証いたしましょう。如何です?」
「……えっと、実は今すぐに気絶しても不思議じゃないぐらいなんだ。悠長に話なんて出来る状態じゃ……」
「では、これをどうぞ」
ツバキが掌にカプセル状の物を乗せてアキラに差し出した。
「これは?」
「回復薬のようなものです」
アキラが微妙に怪訝な顔を浮かべる。
「……ようなものって、つまり、違うのか?」
「認識の問題ですね。例えば、腕のもげた完全義体者が何かを服用し、腕が生えてきたとします。同じものを服用した生身の者でも、同じように腕が生えてきたとします。その何かを、貴方方は回復薬と呼ぶのかどうか。その程度の問題です。身体に害の無いものであることは保証いたします。ああ、例として挙げただけであって、それを服用しても腕は生えません。悪しからず」
アキラは僅かに迷ったが、受け取って服用した。死にかけの状態で回復薬も尽きているのだ。不要な疑念で拒否するような真似は出来なかった。
服用するとすぐに頭痛が治まる。全身の痛みも引いていき、疲労感も大幅に消えていく。いつもながら経口投与でどうしてこんなに素早く効き目が表れるのかと少し不思議に思ったが、旧世界製の回復薬ならそれぐらいは普通なのだろうと考えて、その手の疑問は棚上げした。
「ここは話をする場としては少々散らかっています。少し歩きましょう」
ツバキが床の惨状など全く気にせずに歩き始める。アキラは倒れているアイリ達を見て、止めを刺した方が良いかと少し迷った。だがその為にツバキに少し待ってくれとも言い難く、少し複雑な顔をしてからツバキの後に続いた。
アキラ達がその場を去った後、部屋の床に薄い影が現れた。影はそのままカツヤの死体に近付いていく。その影が両断された死体から流れ出た血に触れると、そこに足跡が付いた。そして足跡の上の景色が歪み、全身を包む黒のコートを身に纏ったサイボーグが現れた。光学迷彩を解除したのだ。
サイボーグの男が金属剥き出しの頭の両目でカツヤの死体を見る。そして僅かに溜め息を吐く。
「延命機能は……、期待できないか。手遅れだろうが処置はしておこう。最悪、部品にはなる」
男はブレードを取り出し、既に縦に両断されている死体の首を横に両断した。
ツバキはアキラをビルの屋上まで連れてきた。その端で一緒に周囲の光景を眺めながら、少し感傷の滲んだ声を出す。
「酷い光景だと思いませんか? 管理人格が不在、或いは管理を放棄した区画は大抵こうなります。実に嘆かわしい。私の管理区画の光景を覚えていますか? この荒れ果てた光景とは雲泥の差があるでしょう。私の弛まぬ管理の賜ですよ」
「あ、はい。そうですね」
アキラはハンターだ。つまり遺跡を荒れ果てさせる側だ。ツバキの言葉を遠回しな嫌み、皮肉、当て擦りと捉えてしまい、居心地の悪そうな様子で少し上擦った微妙な声を返していた。
「それで、話ってのは……」
気不味さのごまかしを兼ねて本題を催促したアキラを、ツバキが微笑みながらじっと見詰める。アキラは目を逸らそうとしてしまうのを硬い笑顔でじっと我慢した。
「正直に申しますと、貴方が生き残ったのは意外でした。ああ、誤解しないようにお願いします。私の予想を覆した貴方を非常に高く評価している。そういう意味です。どちらでも良かったと問われれば否定はしませんが、予想通りの結果を導く為に強く介入したということもありませんよ」
「そ、そうですか」
「はい」
ツバキの話には後でよく考えればいろいろ気になる部分もあったのだが、アキラには今それを追及する余裕など無かった。聞かれなかったので、ツバキも詳細の説明までは出来なかった。
「……では、本題に入りましょう。貴方と取引がしたい」
「取引?」
「はい。先ほども少し話しましたが、区画の管理はとても大変です。貴方にその管理作業を手伝ってほしい。勿論、報酬は貴方の要望に出来る限り添うように調整いたします。私の区画から出る廃棄品も、そちらでは非常に高価な品として扱われるはず。必要なら廃棄品以外の品も渡しましょう。物的な報酬以外でも、例えば私の区画の居住権など、様々なものをお渡しできます。この場で取引の詳細を詰めたいと思うのですが、如何でしょう?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「はい。落ち着いて疑問点を纏めて尋ねてください。私に答えられる内容であれば、嘘偽り無く答えると誓います。冷静に、落ち着いて、貴方の利益をゆっくりと考えてください」
アキラはかなりの混乱を見せていた。様々な疑問が頭の中に生まれ続けて思考を圧迫していた。近くに落ち着いた様子のツバキが立っているので、その慌て振りが際立っていた。
まずはとにかく落ち着いて冷静さを取り戻さなければならない。アキラは辛うじてそう判断すると、深呼吸を繰り返した。勝手に浮かんでくる様々な疑問から思わず思考を続けようとするたびに首を横に振り、意識を疑問から逸らして深呼吸を続ける。繰り返された所作がアキラに急速に冷静さを取り戻させていく。
アキラは最後に息を大きく吐いた。それで混乱から立ち直ると、落ち着いた頭で考えた答えを口に出す。
「すみません。その話は断ります」
ツバキが意外そうな様子を見せる。
「理由を伺っても?」
「えっと、前にも話したと思うんですけど、俺は今はアルファの依頼を受けている最中で、そういう話はアルファを通してほしいんです。それで、その、実は今、アルファとの接続が切れていて、ちょっと今話されても困るっていうか……」
「貴方と彼女の接続が切れていることは知っています。ですから、今、話を持ち掛けているのです。彼女に取引の邪魔をされない為にです」
「いや、だから先にアルファに話を通してほしいんですけど……」
「先ほど、私に答えられる内容であれば嘘偽り無く答えると言いましたが、彼女のことについての質問も受け付けますよ。取引を円滑に進める上で大切なことですから。今ならば、彼女に邪魔をされずに、聞いた内容も知られずに、私にいろいろ聞くことが出来ます。貴方にも好都合では? 安心してください。ずっと彼女に言動を把握されていたことで不安に思っているのでしょうが、今ならこの話を彼女に聞かれることはありません。絶対に大丈夫です。安心してください」
ツバキはそう言って優しく微笑んだ。だがアキラがそれで逆に怪訝な顔を浮かべる。
「じゃあ、その大丈夫な根拠を教えてもらえるか?」
「彼女との通信は、この通信障害の環境下では絶対に繋がらないからです」
「話している最中に直るかもしれないだろう?」
「直りません」
「どうして」
「通信障害を発生させているのが、私だからです」
アキラの表情が強張る。ツバキは微笑みを保っていた。
「……そっちにも事情はあるとは思うけど、出来れば今すぐに解除してくれ」
「お断りします」
アキラの表情が更に険しくなる。だがそれだけだ。出来ることなど何も無い。
「貴方も彼女に監視されていない時間は久々でしょう。この時間を満喫し、有効活用することをお勧めします」
「その時間の対価がこのざまなんだ。車を捨てて、バイクは木っ端微塵。銃も全部失って、腕まで吹き飛んだ。散々だよ」
「今は私が貴方の安全を保証しています。ご心配なく」
アキラが溜め息を吐いて頭を抱える。そのまま暫く黙って事態の改善方法を思案していたが、何も思い浮かばなかった。
「……一応確認させてくれ。取引に応じないと殺す。そう脅しているのか?」
「いいえ。この場に貴方を放置して帰るだけです。それは見殺しで殺すのと同じだ、と言われても困りますけれど。取引に応じていただければ、報酬の一部としてクガマヤマ都市までお送りしますよ。申し訳ありませんが、私もいろいろと規則に縛られている身でして、そういう理由がなければ管理区画の外にはそうそう出歩けないのです。そこは御理解をお願いします」
「そうか」
アキラが再び悩み始める。アルファとの接続が回復すれば都市への帰還自体は可能だと考えている。だがその為にはツバキに通信障害を解除してもらわなければならない。取引に応じるまで交渉を延々と引き延ばすつもりなら手の打ちようがない。取引に応じれば簡単だが、それでは意味が無い。
険しい表情で悩み続けるアキラに、ツバキが優しい声で提案する。
「私との取引が彼女との取引の破棄に繋がり、その報復を恐れているのであれば、私との取引の報酬として、彼女との取引を円滑に破棄する協力を要求していただければ、可能な限り協力しますよ?」
アキラが驚きを表情に出した。ツバキがその様子に交渉の強い手応えを感じて笑みを深める。
だがアキラは僅かに間を開けた後、表情を真面目なものに変えた。
「改めて言っておくけど、ツバキさんとの取引は断る。アルファの依頼を破棄するつもりは無い。その上で、アルファに話を通した仕事なら、請け負うかどうか考える。悪いけど、そこを曲げるつもりはない」
ツバキが意外な顔を浮かべた後、少し怪訝な様子を見せる。
「失礼ながら、貴方にとって彼女は得体の知れない存在、アルファと名乗る何かでしかないはず。確かな力を持つ未知の存在を恐れているのであれば、彼女について私にいろいろ聞いてください。出来る限りお答えします。知識を得れば、未知からくる恐れも軽減されるでしょう。何が知りたいですか?」
「……アルファは何なのか。正直、物凄く興味があるけど、知らない振りを出来るほど器用じゃないんだ。だから聞かないでおく」
ツバキが表情に疑問の色を深くする。
「分かりませんね。現状で私との取引を蹴ってまで、貴方に彼女との取引を優先する理由があるとは思えないのですが」
「ちょっとした意地みたいなもんだ。納得してほしいとも思ってないし、気にしないでくれ」
「差し支え無ければ、その内容を伺っても?」
「アルファには借りが山ほどある。だからその借りを返す意味でも、アルファの依頼を出来るだけ優先したい。それだけだ。……まあ、最優先にしてるかって言われたら結構微妙で、アルファから嫌みも言われているけどさ。そこは、うん、適宜ってことで」
アキラは苦笑を零して言葉を濁した。ツバキはそれに愛想を返さずに真面目な顔を浮かべている。
「借り、ですか。それは、そこまで気にすることですか? 彼女にも都合があり、目的があります。その借りは、その為に貴方を利用した結果に過ぎないと思います。逆に彼女の思惑により大変な目に遭ったこともあるのでは?」
「まあな。あるよ。アルファと出会った時に遭遇したウェポンドッグは、多分アルファが連れてきたんだろう。モンスターにはアルファの姿を見えるやつもいるらしいし。あれは、俺がちゃんとアルファの言うことを聞くかどうかの確認だったんだろうな。セランタルビルの時もそうだ。あの時はアルファが急にいなくなって大変だったけど、あれは俺が自力でどこまでやれるかの確認と、アルファのサポートが無いと凄く大変だってことを俺に実感させる為だったんだろう。多分いなくなったのは本当に一瞬で、その後は姿を消して黙っていただけだろうな。帰ってくるタイミングがバッチリだったし、アルファとの接続が切れている感覚も、今と比べれば全然違うしな」
「では、なぜ?」
「その分をデカい貸しとして相殺しても、まだ借りの方が遥かに多いからだ。言っただろう? 借りが山ほどあるって」
ツバキは納得できないという様子を露わにしていた。アキラが苦笑気味に軽く笑って続ける。
「アルファと出会う前の俺は、スラム街の唯のガキだった。ハンター稼業で成り上がろうと遺跡に行って、普通にモンスターに襲われて死ぬ。その程度のガキだ。そんなガキがアルファのサポートを得て、ツバキさんから取引を持ち掛けられるほどに成り上がった。強くなった。力を得た。それほどの借りだ。それとも、これじゃあ足りないか? ツバキさんだって、今の俺の実力とかから判断して取引を持ち掛けたんだろう? アルファと出会う前の俺と取引をしようとは思わないはずだ」
「否定はしません。ですが、それほどの実力を得られた最も大きな理由は、多くの死線を潜り抜けた貴方自身の奮闘であり努力の賜でしょう。勿論彼女の助力もあったのでしょうが、それも彼女の都合です。そこにそこまでの恩を感じる必要は無いと思いますよ?」
「かもな。でも、俺にとってはそれだけ大きいことだった。俺が勝手にそう思っているだけだ。別に理解してほしいとは思わないよ」
「それが貴方の命に関わることでもですか?」
「その程度のことなら、とっくに関わってるよ。あの時にアルファと出会わなかったら、俺はとっくに死んでいるからな。さっきも言ったが、俺はアルファから報酬の前払分を山ほど貰った上で、依頼の達成にはほど遠い状態だ。貰った分の働きを全くしていない。アルファの方から返済なんか要らないと言われれば別だが、少なくとも俺の方から借りを踏み倒すつもりは無い。それだけだ」
アキラは自身の意思を再確認するように笑ってそう告げた。
ツバキはかなり意外そうな表情を浮かべている。しかし、そこに理解できないという疑念は浮かんでいなかった。そして表情を和らげる。
「随分と義理堅いのですね」
「金も力もねえスラム街のガキが出せるものなんか、義理と命ぐらいだ」
「他に出せるものが無いからといって、それを差し出す者ばかりではありませんよ。投げ出す者は幾らでもいますが」
ツバキは急に随分と上機嫌な様子を見せて微笑んでいる。アキラはその様子を見て不思議そうにしていた。
「分かりました。これ以上交渉を引き延ばして、貴方の機嫌を損ねたくはありません。残念ですが、引き下がります」
次の瞬間、アキラの側にアルファが現れた。ツバキが通信妨害を解除したのだ。
『アキラ! 大丈夫!?』
「アルファ?」
アキラが驚きながら思わず視線をツバキに向ける。ツバキはアキラに微笑みを返した。次にアルファが非常に厳しい表情をツバキに向ける。ツバキはたじろぎもせずに笑みを返した。視線を強くぶつけ合うアルファとツバキの様子に、寧ろアキラがたじろいでいた。
「では、私はこれで失礼します。アキラさん。気が変わったらいつでも声を掛けてください。お待ちしていますよ」
ツバキが踵を返して立ち去ろうとする。だが数歩進んだ所で立ち止まり、振り返ってアキラに少し悪戯っぽい笑顔を向ける。
「ああ、そうそう、前の時にも似たようなことを言いましたが、話を受けないのであれば、そちらに協力する義理もありません。交渉を邪魔されないようにこちらで隠していたものの対処は、そちらでお願いします」
アキラは意味が分からずに怪訝そうな顔をしている。ツバキはアキラに笑顔を向けたまま迷彩機能を起動してその姿を完全に消した。
その直後、アキラの周囲の景色が砕けた。窓ガラス越しに見ていた景色が表示装置の映像だったように、景色が割れて落ちていく。そしてその割れ落ちた景色の裏から人型兵器が現れた。ザルモの機体だ。
アキラが驚くが、それはザルモも同じだった。機体のスピーカーから慌てふためく声が響く。
「アキラ!? 馬鹿な!」
機体の高度な索敵機器は、直前までその場に誰もいないことを示していた。アキラも同じで、機体の姿も気配も全く感じていなかった。ツバキが自分の周辺に高度な迷彩機能を展開していたのだ。
アキラが反射的に体感時間の操作を始める。その時の流れの中で、念話による口頭では不可能な高速の会話を行う。
『アルファ! 取り敢えずあれを何とかしてくれ! 出来るか!?』
アルファがアキラの側で余裕の笑顔で答える。
『任せなさい。でも、体とか装備とかいろいろ酷い状態だから、ちょっと無理するわよ?』
『ちょっとにしてくれよ? 今日はもう無理は十分すぎるほどやったんだ』
アキラが苦笑を浮かべながら強化服の動きに身を任せる。更に超人もどきの身体能力で残った力を振り絞る。強化服が残存エネルギーを全て注ぎ込み、出力を着用者の安全性を限界まで切り捨てた暴走手前の状態まで引き上げる。それにより一瞬だけ性能を劇的に向上させた上で、達人の踏み込みで機体との距離を詰めていく。
機体がその場から急激に離脱しながら巨大な銃をアキラに向けようとする。だがアキラの方が速かった。既に刀を抜いたアキラの姿が機体のカメラに映し出されていた。刀の長さより大分遠い位置で、発光する刃を振り上げていた。
次の瞬間、その刀身が出力に耐えきれず砕け散る。どこまでも細かく砕けた破片が光の波となり、巨大な光刃へと姿を変える。アルファのサポートを得たアキラが、異常なまでに研ぎ澄まされた剣技を以て、その光刃を振り下ろした。
光刃がザルモの機体を両断する。機体か光刃のどちらか、或いはその両方が幻だったかのように、光刃は機体の頭の上から胴体部の下まで通り抜け、あっさりと一瞬で切り裂いた。
刀の制御装置は既にアルファによって改造されていた。本来の安全性を取り払われた光刃は、その威力と引き換えに精密な運用を要求する極めて危険な状態だった。僅かでも制御を誤って斬撃の波動の状態を不安定にしてしまえば持ち手を殺しかねない。その危険物を強化服の出力を限界まで上げた状態で、本来微細な動きなど著しく困難な身体能力で、精密に、的確に、高速で振るう。その刀と強化服の極めて困難な制御を、アルファは容易く成し遂げていた。
ザルモの機体が左右に分かれて崩れ落ちる。機体の重量で床が少し揺れた。アキラはその僅かな揺れにも耐えきれないように大きく蹌踉けた後、慌てて体勢を直した。
(あんなに苦労したってのに、アルファがいれば一瞬か。俺も結構強くなったと思ったけど、まだまだってことだな)
アキラは柄だけになった刀を鞘に仕舞うと、疲労の滲んだ怪訝な顔をアルファに向けた。
『アルファ。これで武器が全部無くなったんだけど、大丈夫なのか?』
『多分ね』
『多分!?』
確実性に欠ける返答内容にアキラが思わず顔を歪めると、アルファも少し不満げな顔を見せた。
『アキラとの通信が回復したばかりでまだ状況を掴めていないから、私も何とも言えないのよ。不満ならツバキを恨んでちょうだい。通信障害を引き起こしていたのはツバキよ』
『らしいな』
アルファが少し意外そうな様子を見せる。
『知っていたの?』
『本人がそう言っていたからな』
『そう』
軽く答えたアキラに合わせて、アルファも特に気にしていない様子を見せていた。だが内心では強い懸念を感じていた。
アルファがいつものように微笑みの裏で思案する。アキラは通信障害の所為で自分との接続を失い、恐らく散々な目に遭った。片腕まで失っている。それならばツバキを酷く恨んでいても不思議は無い。だがアキラの態度からツバキへの負の感情は感じられない。その理由が、自分との接続が切れていた間にあった何かであるのならば、把握して対処しなければならない。
『アキラ。私との接続が切れている間に何があったのか教えてほしいのだけれど』
アキラがうんざりした顔で大きな溜め息を吐く。
『……いろいろあった。疲れたし、その話は後にしてくれ』
『分かったわ。後でね』
両断された機体の残骸から音がする。それはザルモが機体の両断面から這い出ようとして、床に落ちた音だった。体を光刃で機体ごと肩口から斬られており、胴体の半分を失っていた。片腕片足では立ち上がることも出来ず、機能不全で碌に動かない体で床を這うようにして進んでいる。そしてアキラに先回りされた。
ザルモが非常に険しい表情を浮かべる。しかしそこに死の恐怖などは欠片も無い。顔に敵意よりも疑問を強く出して、得体の知れないものを見る視線をアキラに向けながら、内心の疑問を吐き出すような声を出す。
「お前は、一体、何なんだ?」
「それは俺の台詞だ。頭を吹っ飛ばして殺したはずだぞ? 何で生きてるんだよ」
「俺は大義と共に在る。俺が死のうと大義は不滅。大義が不滅である以上、共に在る俺もまた不滅だ」
「何なんだよそれは……」
訳の分からない答えにアキラは頭を抱えた。だがすぐに気を切り替えた。
「そうか。それなら、何度でも死んでろ!」
アキラはそう言い放つと、ザルモの頭を踏み潰した。念の為に何度も踏み付けて原形を念入りに失わせ、内容物を四散させ、ハンターの基準でも重傷ではなく死亡の状態にしておく。
それでもアキラは少し険しい顔をしていた。頭を踏み潰される直前でも、ザルモの表情に死の恐怖は全く浮かんでいなかった。それがアキラの不安を煽り、表情を歪ませていた。
『アルファ。前にシェリルの拠点を8人ぐらいで襲ってきたやつらがいて、1人凄く強いやつがいただろう? 殺したはずだけど、こいつはそいつらしい。いや、本人がそう言っていたんだけど、本当だと思うか?』
『確実に同一人物であると断定できるデータが無いから、分からないとしか答えられないわ』
『そうか。あと、前に巨人みたいなやつと戦っただろう? そいつらしいやつもいた』
アルファも流石に怪訝な顔を浮かべる。
『アキラ。私がいない間に、本当に何があったの?』
『いろいろあったんだよ……。まあ、後で話すよ』
『そう。それならこれだけ先に教えて。彼女は味方と考えて良いの?』
アルファがそう言って空中を指差した。アキラがその方向を見ると、空中を走って自分の方に向かってきているネリアの姿があった。流石にアキラも怪訝な顔を浮かべる。
『……あいつは何をやってるんだ?』
『空中に展開した力場装甲を足場にして走っているようね。それで、敵なの? 味方なの?』
『味方、……だと思いたい』
アキラには両手のブレードを握ったまま近付いてくるネリアを見て、助けに来てくれたと言い切る度胸はなかった。だが途中でブレードを仕舞ったのを見て、戦意は無いと判断して待つことにした。
宙を駆けてきたネリアがアキラの側に着地する。そして両断された機体の残骸を見てから、アキラに楽しげに笑いかける。
「助けに来たわよ、と言おうと思ったけど、要らなかった?」
「いや、大歓迎だ。それで、何で空を走ってたんだ?」
「ん? 飛んでいる敵を斬っていた最中にアキラを見付けたから、私だけ先に来ただけよ」
いろいろと要領を得ない返事だったが、狂人なりの理論があるのだろうと判断して、アキラは気にするのを止めた。
少し遅れて輸送機がビルの屋上に着陸する。降りてきたエレナ達がアキラの様子を見ると、表情を心配そうに険しくさせる。
「……アキラ。大丈夫なの?」
「あー、ちょっと大丈夫とは言えないですね。すみません。戦闘要員としては役に立てないと思います。あと、申し訳ないんですが、余ってる回復薬があれば頂けませんか? 手持ちのは使い切ったので。代金は後で払います」
サラが回復薬を箱ごと渡す。
「金なんか良いからすぐに全部使って」
「ありがとう御座います」
アキラが未開封の箱を片手でどうやって開けようかと迷っていると、エレナがその箱を取って開封し、中身をアキラの掌に溢れそうな程に乗せてくれたので、そのまま口に詰め込んだ。エレナもサラもその様子を痛ましそうに見ていた。
エレナ達はこれで取り敢えず命に別状はない状態にはなったと判断すると、アキラを輸送機の中まで連れていき、寝かせて安静にさせた。すると、ひとまず危機を脱したこととエレナ達と再会したことでアキラの気が緩んだ。猛烈な疲労感がアキラを襲い、意識がゆっくりとぼやけていく。
エレナはアキラの様子に気付くと優しく微笑んだ。
「ちゃんと送り届けるから、安心して休んでいなさい」
「すみません……。お願いします……」
アキラはそれだけ答えて眠りに落ちた。