214 交渉の前提条件
仮設基地の食堂で大勢のハンターが暇を潰している。不測の事態に備えた待機要員達で、大まかに2種類の者達に分かれている。大規模遺跡探索への参加を希望したが定員等の都合で許可が下りず、遺跡探索側で追加の人手が急遽必要になった場合に呼ばれるのを待っている者達。そして万一の事態に備えて念の為に待機してもらっている者達だ。前者は金を支払って、後者は金を受け取って、あるかどうかも分からない事態に備えていた。
その後者達の中に、エレナ達の姿があった。エレナ達もイナベの代理人から大規模遺跡探索の誘いを受けたのだが、交渉中にアキラも参加することを知って合流を希望すると、紆余曲折を経て待機要員に回された。
アキラには多数の旧世界製情報端末が眠る場所での遺物収集を期待している。だがエレナ達と一緒に行動させると、それを控える可能性がある。それは不味い。そう考えたイナベが手を回したのだ。
雑談の途中でサラが何となく尋ねる。
「ねえエレナ。本当に待機組で良かったの?」
エレナが少し不思議そうな顔をする。
「ん? サラは参加したかったの? どうしてもって言うのなら、今からでも掛け合ってみるけど」
「うーん。起こるかどうかも分からないことを、黙って待っているよりはね。でもどうしてもって程じゃないわ。ただ、座っているだけで収入になるとはいえ、特に何もせずに待機しているってのは、エレナはあんまり好きじゃなかったはず、と思っただけよ」
親友の疑問にエレナが少し複雑な笑顔を浮かべる。
「……ちょっと自惚れたことを言うとね、私達が未調査区域の探索に参加している時に何かが起きた場合、アキラは私達を探して撤退を遅らせると思うの。逆に私達が参加していなければさっさと撤退すると思うのよ」
サラも少し複雑な笑顔を浮かべる。
「確かに、ちょっと自惚れているわね。でもまあ、ここは自惚れておきますか」
エレナ達は今もアキラに好かれているとは思っている。だがアキラとの関係が一度絶縁手前にまで至ったのも事実だ。かつての好感を、危険なミハゾノ街遺跡に損得度外視で来てくれたほどの好印象を取り戻せているかと問われれば、余り自信がなかった。
それでも一緒に食事に行った時の様子なら、関係を十分に改善できたと思いたかった。そう期待するように、その慢心を窘めるように、エレナは自惚れと口に出し、サラも同じように応えていた。
その時、エレナ達の貸出端末に通知が届いた。エレナが通知内容を確認して表情を少し険しくする。
「……その何かが起きた訳ね」
「アキラはその手の何かに巻き込まれる変な運でも持っているのかしら。こんなことを言うのも悪いけど、あんまり意外じゃなかったわ」
「アキラはそれでも生き残ってきた。強くなる訳だわ」
エレナ達はそう言って苦笑を浮かべた後、すぐに気を切り替えて真面目な顔で動き始めた。通知内容は遺跡奥部の部隊からの通信が途絶したことと、その状況確認用の新たな部隊の派遣指示だった。
クズスハラ街遺跡の外周部と奥部の境目辺りでは、警備のハンター達がイナベの担当区画に勝手に入ろうとする者を食い止める任に就いていた。
警備といっても侵入者を武力で食い止めるのではなく、高性能な広域索敵機器で警備区域を監視するのが主な仕事だ。不審者と思われる者を見付けた場合は、汎用通信で注意し、警告し、仮設基地に連絡する。可能なら追い払う。その程度の仕事だった。遺跡奥部の未到達地域への侵入を試みる者は当然相応に武装している。依頼元もそのような者達と戦えるような実力者を警備に配置できるほど金も人も余ってはいないのだ。
トガミとレイナもその警備の仕事を受けていた。それぞれの警備区域はかなり広く設定されているので、周辺にいるのはレイナ達だけだ。
警備とはいえ久々のハンター稼業。レイナはそう思って意気込んでいたのだが、何も起こらないので暇を持て余し始めていた。
「折角ハンター稼業に戻ったのに、本当に暇ね」
「警備なんだ。暇なのは良いことだ」
「そうだけど……。ねえ、ちょっとその辺で遺物収集でもしない? ちょっとぐらい離れても索敵機器との通信範囲だから、離れていても監視は出来るでしょう?」
「程々にしておけよ」
レイナが行くのは構わないが自分は行かない。暗にそう答えたトガミの返事を聞いて、レイナは少し不服そうな表情を浮かべた。だが文句は言わず、遺物収集にも行かなかった。
トガミはそのレイナの様子に少し不思議そうにしていた。だがそれだけで、それ以上の反応もなかった。しかしカナエは笑いを堪えるように口に手を当てると、表情を態と意味深なものに変えていた。レイナがそれに気付いて少し顔を顰める。
「何よ」
「いや、何でもないっすよ? 自分から言い出してトガミ少年の許可も下りたのに、何で行かないのかなって、ちょっと疑問に思っただけっす。他意はないっすよ」
「そう」
レイナは笑顔を少し強張らせて話を打ち切った。下手に言い返すのは悪手だと漸く覚え始めたのだ。
トガミはそのレイナの様子にいろいろ思いはしたものの、自惚れや勘違いを考慮して、取りあえず、今回の仕事を取ってきた自分の顔を立てたのだろうと結論付けて、深く考えるのは止めておいた。
シオリがレイナ達の思考を推察して口を挟む。
「お嬢様。トガミ様が許可を出したとはいえ、私達はトガミ様の依頼に割り込んでいる立場で御座います。本来の仕事を疎かにするような提案をするのはどうかと思います」
「わ、分かってるわ。だから止めたでしょう?」
「思い付きを口に出す前に、少し考えることをお勧めいたします」
「分かったって。気を付けるわ」
トガミはやはりそうかと思い、レイナは少し焦ってごまかし、カナエはいろいろ気付いて苦笑し、シオリはそ知らぬ顔を通した。
レイナが場の空気を押し流して有耶無耶にする為に少々露骨に別の話題を振る。
「そういえばクズスハラ街遺跡にも怪談ってあるわよね。ほら、誘う亡霊ってやつ。あれっていろいろ噂があるけど、イイダ商業区画遺跡にもあった拡張現実情報とか、そういうものが原因なのかしらね。道案内機能に遺物の保管場所とかを尋ねたら、ちゃんと案内してくれるんだけど、今はそこがモンスターの巣になっていて食い殺されるとかよ。トガミはどう思う?」
「まあ、そんなところだろうな。或いは不審者を警備詰所に案内しようとした結果とか。拡張現実情報から音声情報が欠落している所為で上手く意思疎通が出来なくて、ハンターがどこかに案内しようとする案内人に取りあえず付いていこうとしたのかもな。それで、旧世界の警備機械が待ち構えている場所に辿り着いてしまったってことも考えられる。……レイナ。レイナの装備ならそこらのハンターより拡張現実側でいろいろ見えるんだろうけど、変なものを見付けても勝手に付いていくなよ?」
「大丈夫よ。その辺の危険性はよく分かってるわ。でもその手の旧世界の幽霊って言われている存在と会えたら、遺物収集抜きにいろいろ聞いてみたいとは思うけどね」
「まあ、それは分かる。旧世界時代の話とか聞けたら面白そうだしな」
「でしょう? そういうのもハンターの醍醐味よね」
機嫌良く談笑しているレイナに、シオリが少し真面目な表情で口を挟む。
「お嬢様」
「分かってるって。探しに行ったりしないわ」
「そうではなく……」
シオリはそこで表情に迷いを見せて口を噤んだ。その様子に少し不思議そうにしていたレイナが、どこか楽しげな様子のカナエに気付いて訝しむ。
「カナエ。今度は何?」
「何でもないっす、……と答えても良いっすけど、そうっすね、最近はお嬢も頑張っているし、ハンターとして独り立ちする可能性に期待を込めて、偶には助言するっすか」
「どういう意味?」
「お嬢。姐さんが言い淀んだことを聞くべきかどうか、よく考えてみて下さいっす。お嬢が聞かなければ、姐さんは適当にごまかして終わりにするっすよ」
レイナが戸惑いながらシオリに視線を向ける。
「……シオリ。何か隠してるの?」
「お嬢。世の中には取り扱いの難しい情報なんて山ほどあるっす。問題は、お嬢にその情報を取り扱える能力があるかどうか、それだけっすよ。情報管理もハンターの資質っす。下手に知ると命に拘わる情報。それを知る覚悟がお嬢にあるっすか? そして覚悟があれば良いってものでもないっす。覚悟があれば無意味に地雷原に飛び込んで良いってわけじゃないっすからね。知るべきではない情報を意図的に知らないようにする。それも同じぐらい重要なことっすよ。好奇心に殺される人間は多いっす。無意味に大企業の秘密を知った所為で命を狙われる。そんな人間もいるっすよ」
カナエは楽しげに笑いながら、警告を兼ねた脅しを混ぜていた。レイナがたじろいで困惑を強める。
「さあ、お嬢! その情報を聞くのが正解か、聞かないのが正解か、お嬢のハンターとしての才覚が問われているっすよ! ……たっぷり悩んで暇を潰して下さいっす」
レイナはシオリとカナエに視線を彷徨わせている。シオリは少し大袈裟に溜め息を吐いてから顔を少し顰めた。
「カナエ。何の真似?」
「過保護な姐さんに代わって、お嬢に情報の取り扱いについて助言しただけっすよ」
「それは私の仕事よ」
「お嬢に情報の取り扱い方を教える。若しくはお嬢に代わって管理する。どっちのことを言っているのかは知らないっすけど、どっちにしても姐さんが死んだら出来なくなるっすよ」
「勝手に人を殺さないでちょうだい」
「じゃあ、姐さんから貰った姐さん死亡時の行動指示書は破棄して良いっすね?」
少し真面目な表情で聞き返すカナエの態度に、シオリが軽い驚きを見せる。だがレイナは軽く驚いた程度では済まなかった。
「シ、シオリ、死亡時の指示書って……」
「あ、いえ、お嬢様、それはですね?」
少し慌ててごまかそうとするシオリに割り込むように、カナエが真面目な声で釘を刺すように続ける。
「お嬢。私も姐さんも、いつ死んでも問題ないように死亡時の引き継ぎ資料ぐらいは作成してるっす。行動指示書もその一部っすよ。その程度のことにいちいち驚くようでは認識が甘いっす。今までのハンター稼業で何度死にかけたと思ってるっすか?」
レイナはかなりたじろいでいた。カナエの態度からいつものような揶揄い半分の雰囲気を感じられない所為で戸惑いも大きい。するとカナエが急に雰囲気を普段のものに戻した。
「お嬢もまだまだ半人前っすね。姐さんが過保護を止められない訳っす。トガミ少年だって、いつまでもお嬢の世話を焼いてくれるわけじゃないっす。まあ、トガミ少年に自分の面倒を見させたり構わせたりするのも恋の駆け引きかもしれないっすけど、限度を超えると嫌われるだけっすよ?」
レイナよりも先にトガミが吹き出した。それでレイナが更に慌て出す。
「な、何を言い出すのよ!?」
「自覚無しっすか。下手に勘違いさせるのも残酷だと思うっすけどねー」
カナエがいつものようにレイナ達を揶揄い始めたことで、場の雰囲気はいろいろと有耶無耶になった。だがシオリはカナエを窘めなかった。カナエの意図に気付いているからだ。
カナエは珍しくレイナを気遣っている。盲信の従者を連れた無能なお嬢様という当初の印象は、レイナの頑張りを見て既に大分薄れていた。口を出しているのは少々情も湧いたからだ。どうでもいいと思っているのなら、破滅しようが知ったことではないと思い、最低限の仕事だけして余計な口出しはしない。ただ気遣いの方向性がシオリとは異なっているだけだ。
自分達も死ぬ時は死ぬ。その後の状況に自力で対処できる能力を身に付けなければ、レイナの将来は暗いものになる。シオリの忠誠を否定する気はないが、その忠義が自身の死を許容させているのならば、レイナにシオリの死後の状況への対応能力を身に付けさせるのもその忠義の内だ。カナエはそう考えていた。
シオリもそれは分かっている。だが今は自分が対処すれば済む話であり、その所為でいろいろと踏ん切りがつかないでいた。そして最後の最後までレイナと生きて一緒にいるからそれで良いのだと覚悟を決めているのなら、カナエは自分の過保護に口を出さないとも分かっていた。自分が死んでそれで良しとするのなら、死後の対処もやっておけ。今は中途半端だ。暗にそう非難されていることも分かっていた。だがそれが分かることと、それが出来るかどうかは別だ。自身の命を容易く蹴飛ばせるほどにレイナを大切に思っている分だけ、その躊躇は強かった。
カナエの冷やかしが終わった後、レイナは指摘された情報の取り扱いについて暫く真面目に考えていた。悩み、検討し、そして結論を出すと、真剣な態度でシオリと向き合う。
「シオリ。さっき言い掛けたこと、出来れば教えて。でも無理にとは言わないわ。私にそれを知る実力がないと思って話すのを止めたのなら、我が儘を言って聞き出すつもりはないわ」
シオリは少し驚いた様子を見せた後、優しく微笑む。
「……分かりました。覚悟は宜しいですね?」
「うん」
レイナ達の主従の繋がりを感じさせる光景の横で、トガミが妙な疎外感を覚えながら一応口を挟む。
「何を話すつもりなのかは知らないけど、部外者がここに1人いることを忘れないでくれよ? 俺が聞いちゃ不味い話なら席を外すけど……」
「一緒に聞く分には構いませんが、私がお嬢様に教えるのを躊躇う程度の危険性を含む内容です。それを理解した上での判断であれば、お好きなように」
「そうか。じゃあ、知って損は無さそうだし、聞かせてもらう」
シオリが軽く頷いた後、表情を少し真面目なものに変える。
「では、お話しします。先ほどお嬢様方が話題にしていたクズスハラ街遺跡の怪談、誘う亡霊ですが、恐らくクガマヤマ都市によって意図的に書き換えられています」
レイナが少々拍子抜けに思いながら怪訝そうな顔を浮かべる。
「シオリ。ごめん。その程度の話を勿体振った意味が全く分からないんだけど」
「書き換え前の内容に問題があります。そもそも誘う亡霊とは、元々は誘う亡霊シリーズと呼ばれた複数の噂であり、複数の亡霊がハンター達に様々な誘いをするという話でした。そしてその亡霊とは、クズスハラ街遺跡の各区域を担当する管理人格達だったと言われています」
元々クガマヤマ都市は坂下重工が主導したクズスハラ街遺跡攻略の前哨地だった。5大企業の一社が推進したこともあり、東部の東端地域、最前線の遺跡攻略部隊に比類する大部隊が編制され、多数のハンターが遺物を求めて遺跡奥部を目指した。そして多大な成果と、多大な犠牲を生み出した。誘う亡霊シリーズはその当時のハンター達の間で広がっていた噂だった。
そしてある日、坂下重工はクズスハラ街遺跡の攻略から急遽手を引いた。既に都市と呼べるほどにまで発展していた前哨地は、大規模な支援を突如打ち切られた所為で大規模な遺跡攻略が不可能となった。そして以降はありふれた中堅統治企業として、以前の活動規模と比べれば非常に細々とした活動を強いられることになった。
坂下重工が手を引いた理由は不明で、様々な推察や関連する噂が流れている。他所の遺跡を攻略した方が高い利益を期待できるという単純な経営判断。坂下重工内部の権力抗争による予算削減。そのようなありふれた推察に混ざって少々極端な噂も流れていた。
坂下重工が遺跡の管理人格と取引して撤退と引き換えに旧世界の技術を取得した。管理人格に脅されて渋々撤退した。密約を結んで遺跡外周部の低規模な遺跡探索に抑えている。それらの噂は誘う亡霊シリーズの噂と関連付けられて当時のハンター達の間にも広まっていた。
レイナはそれらの話を興味深いとは思ったが、然程危険な話とは思えずに怪訝そうにしていた。
「何となくだけど、所詮は噂にすぎないし、そんなに危険な話とは思えないわ。私の認識が甘いだけ?」
「お嬢様。重要な部分は都市がその元々の噂を意図的に風化、誘導、改竄した痕跡が見られる点にあります。つまり恐らく都市の上層部に元々の噂を知られたくない者が存在するのです。下手に知ったことでその誰かに目を付けられた場合、何をどの程度知られたくないのかにもよりますが、その誰かの権力に応じた不利益を得ることになります。場合によっては殺されます。本人の口封じと、周囲への警告ですね」
レイナが思わず顔を引き攣らせる。シオリの態度には少し脅かしただけという冗談めいたものはない。そこにはありふれた事実を告げる十分な真実味が存在していた。
「そこまでするほどに知られたくないことって、例えば何?」
「そうですね。誘う亡霊シリーズの中に、裏切りを誘う亡霊というものがあります。ハンター達に取引を持ち掛けて、自分の側に裏切らせて他のハンター達を襲わせるそうです。実際に被害も出たそうです」
「ああ、それで、その誘いに乗ったら結局は死んでしまうって怪談に話を掏り替えたってこと? うーん。理由としてはちょっと弱い気がするけど」
「遺跡の管理人格と密約を結んだ坂下重工が、表向きの撤退理由を作成する為に、裏切りを誘う亡霊の噂を根拠にして、ハンター達に意図的に同士撃ちさせて大規模な被害を生み出した、としたらどうでしょうか?」
「そ、そこまでする?」
「大規模な投資を済ませた事業を中止するには相応の理由が必要です。まあ、これは私の推察ですので、鵜呑みにしないよう御注意願います。真実は分かりませんし、知る必要もありません。重要なのはそれらの情報の一部を、或いは真実を推察可能な情報を、それだけ後ろ暗い何かの真実をお嬢様が知っていると、それらを隠している者に誤解される可能性があることです。そう誤解されないように、情報の取り扱いには注意しなければなりません。お嬢様はもう知ってしまったのです。くれぐれも、御注意を」
レイナは少し焦りながら真面目な顔で何度も頷いた。
トガミが少し迷ってから興味に負けてシオリに尋ねる。
「シオリさんが何で元の噂とかを知っているのか、聞いたら不味い?」
「私達には独自の情報網が存在しており、お嬢様がハンター稼業でクズスハラ街遺跡に立ち寄ることを考慮して、念の為に遺跡の情報を少々詳しく調べた結果、と御理解ください。不要な詮索は御遠慮願います」
察したトガミが真面目な態度で答える。
「分かった。もう聞かない」
「ありがとう御座います」
情報の取り扱いを少し間違えたが、口封じの実例になるのは避けられた。トガミはそう判断して安堵した。
そこで仮設基地から連絡が入る。トガミが少し不思議に思いながら応答する。
「こちら65番。異常なし。定時連絡にしては早くないか?」
本部からの話を聞いたトガミが表情を少し険しくする。
「了解。何かあれば連絡する」
「トガミ。何かあったの?」
「俺達に通信が繋がるかどうかの確認を兼ねた注意喚起だった。大規模遺跡探索の実働部隊との連絡が全部突然途絶えたそうだ。……亡霊の仕業か?」
トガミは軽い冗談のつもりで最後にそう付け加えた。だがレイナは全く笑えなかった。
ヤナギサワの部隊が遺跡の廃ビルとなった高層ビルの屋上から地上の様子を眺めている。
「酷い混戦だな。放っておいていいのかね」
多数のハンター達。更に奥部側から出現したモンスターの群れ。人型兵器の部隊。無数の機械系モンスター。地上ではそれらが入り交じって激戦を繰り広げている。空中戦が可能な人型兵器や機械系モンスター達が空中で大量の弾丸を散蒔き続けている。その所為で流れ弾が至る所に降り注いでおり、戦況の混迷を一層深めていた。
「俺や本部から何らかの指示が出るまで状況に手を出すな。それが主任の指示だ。今は高みの見物を続けるのが俺達の仕事だよ」
各自の統率も滅茶苦茶で、敵味方の識別も曖昧だ。ハンター同士でも、人型兵器同士でも、モンスター同士でも殺し合っている。大規模な火力を伴った混乱が存在していた。
「それで、主任は?」
ヤナギサワの部隊が一斉に空中に銃を向けて乱射する。空中で着弾音が響き、まるで空間に穴を開けたように被弾の穴だけが空中に現れる。少し遅れて着弾の衝撃で迷彩を剥がされた機械系モンスターが姿を現し、飛行機能の損傷で落下していく。
「音信不通のままだ。12時間以上連絡がない場合、俺は死んだと見做して後は勝手にしろ。そう指示を出した時を最後に、誰も主任を見ていない。何らかの独自行動中なんだろう。何をやってるんだか」
巨大な流れ弾が部隊の周囲に連続して着弾していく。屋上の床が吹き飛ばされていく。
「また何か企んでるんだろうな。そういえば、この通信障害って主任の仕業だと思うか?」
部隊は再び一斉に銃を構えると、遠距離にいた流れ弾の発生元を軽々と粉砕した。
「さあな。主任の仕業なら流石に俺達には事前に教えてくれても良さそうだがな。俺達の通信機器にまで障害が出ている。しかも色無しの霧の影響によるものではない。主任の仕業にしろ、違うにしろ、何が起きているんだか」
ヤナギサワの部隊と地上のハンター達の戦力差は歴然だ。だが事態を把握できていないという点において、彼らもこの混戦の構成要素にすぎなかった。
ツバキと人型兵器部隊の戦闘が続いている。戦況は一方的だ。数十体の機体でたった1体の自動人形を取り囲んでいるのにも拘わらず、周辺には大破された機体が積み上がる一方だ。ツバキには欠片の損傷もない。
自身の管理区域に繋がる壁の隙間を守るように立っているツバキは、平然と、悠然と、その数と体格の差を嘲笑うように立ち続けている。
黒い機体達が巨大な銃を構えて銃撃する。人の腕よりも太い大型の弾丸がツバキに殺到する。だがその無数の弾丸はツバキの手前で透明な分厚い壁に減り込んだように急停止した。後続の弾丸が宙に止まった弾丸に激突してその形状を大きく歪めていく。だが着弾の衝撃で静止した弾丸を前に押し出すことは出来なかった。空中で結合した大量の弾丸が金属の壁を形成しても、後続の弾丸がその壁を破壊しても、ツバキまで到達した弾丸は1発も存在しなかった。
銃撃が止むと空中に停止していた弾丸が地面に落ちていく。上方から撃ち出された弾丸も停止位置から真下に落ちていく。それは迷彩機能を有効にした機械系モンスターが盾となってツバキを守っていた訳ではないことを示していた。
機体の中でその光景を見た部隊員達が険しい表情を浮かべる。焦りの混ざった通信が飛び交う。
「またか! 畜生! どういう防御手段だ!? 力場装甲なら衝撃変換光が出るはずだろう!?」
「知るか! 何らかのバリア系ならその維持にエネルギーを消費しているはずだ! 今は無駄じゃねえと信じて撃つしかねえぞ! 増援はどうなってるんだ!」
「長距離通信が死んでる! 短距離通信が繋がる距離まで近付いて直に応援を呼ばないと駄目なんだ! その分だけ時間が掛かってるんだよ!」
「仮設基地まで戻った機体が都市の防衛隊に連絡を入れる! 都市防衛の本隊が来るはずだ! それまで持ち堪えろ!」
巨大な砲を装備した機体がツバキを狙う。直径がツバキの身長よりも長い巨大な砲弾が撃ち出され、空気を押し退けながら正確にツバキへ襲いかかる。
ツバキは欠片も表情を変えずに、その砲弾を真上に蹴飛ばした。蹴りの衝撃で変形した砲弾がその大きさに見合った爆発を引き起こす。だがその爆発はツバキにより指向性を操作され、その衝撃は上方向に極度に歪んだ形式で飛び散った、ツバキにまで伝わった衝撃はごく僅かで、身に纏っているドレスを細やかに揺らす程度でしかなかった。
次の瞬間、別方向から巨大なチェーンソー型の近接装備を大きく振りかぶりながら距離を詰めていた機体が、発光しながら高速で動く刃をツバキに勢い良く高速で振り下ろす。銃という遠距離攻撃の利点を捨ててまで近接戦闘での威力を向上させた装備の一撃が、機体の出力を限界まで振り絞って繰り出される。
ツバキはその一撃を平然と片手で受け止めた。その衝撃はツバキの足下を凹ませ無数の亀裂を生み出すほどだったが、ツバキの姿勢を崩すには足りていなかった。高速で動いていた刃を掴み、力尽くで停止させた所為で、機体の近接装備から異音が発生し続けている。
ツバキがそのまま腕を振るうと、近接装備を握っていた機体はその勢いで腕を千切られ、放り投げられた人形のように大きく吹き飛ばされた。更にツバキに投げ付けられた近接装備を空中で食らい、機体を乗員ごと上下に両断されながら遠くまで飛ばされて消えていった。
突っ立っていただけのツバキに行動を促した一撃は、人型兵器部隊の者達に更なる衝撃を与えた。
「何なんだあれは!? 旧世界製自動人形とはいえ限度があるだろう!? いや、あれこそが本来の旧世界製なのか!?」
「……軍事用、なのだろうな。あんな外見だが、そこらの遺跡で見付かる警備用や愛玩用とは基本性能が根本的に違うのだろう。……離脱する! 散開し、十分な距離を取れ!」
現場の戦力では勝ち目はない。隊長機のその判断で部隊が下がっていく。ツバキの足止めを兼ねて周辺のビル群を銃撃して倒壊させながら離れていった。
倒壊するビルの一棟がツバキの方向へ倒れていく。ツバキはそちらに視線を向けると、回し蹴りを放った。当然だが脚そのものは宙を薙いだだけだ。だが蹴りの衝撃は大気中の色無しの霧を介してビルまで伝播し、倒れかけのビルをその衝撃で押し返して逆方向へ倒壊させた。
ツバキが呟く。
「取りあえず、ここに群がる雑兵は追い返した。後は行動可能範囲のゴミを潰していくか」
可能であればクガマヤマ都市まで歩いて行きたいのだが、ツバキにそこまでの権限はない。今ここにいることでさえ、通常の権限からかなり逸脱している。非常時を根拠とした規約の拡大解釈を駆使して漸く可能にしているのだ。
歩き出そうとしたツバキが足を止める。そしてビルの倒壊で出来た瓦礫の山に視線を向ける。その視線の先、瓦礫の山を越え、倒壊したビルを複数挟んだ向こう側では、1人の男が大型の銃を構えていた。
男が引き金を引く。発射された弾丸は弾道上の物体を消滅させるように貫通し、その質量を弾頭に吸収しながらツバキへ直進する。そして瓦礫の山に明らかに弾道の直径より大きい穴を、円柱状に綺麗に刳り貫いたような長い穴を残して、一瞬でツバキまで到達する。
次の瞬間、弾丸は弾道上の物体を削り取った分も含めてその質量を非常に効率良くエネルギーに変化させ、大爆発した。
一帯の全てを消滅させるかのような大爆発の衝撃波が周囲の大気を極限まで圧縮する。一時的に超高密度の色無しの霧が生成される。すると超高密度の色無しの霧に特有の事象が発生し、本来なら周囲に広範囲に四散する衝撃波をエネルギーとして吸収し、距離による威力の減衰を指数関数的に増加させた。
その結果、爆発地点から一定距離の空間を球形に刳り貫いて世界から消滅させたかのような特異な跡が生まれた。その周囲には、中心部の爆発の規模から考えれば余りにも細やかな破壊の跡が、暴風が一帯を吹き飛ばしたような痕跡が広がっていた。
ツバキは体の7割程を失った状態でその場の近くに立っていた。そして残りの3割も糸が切れたように崩れ落ちた。
ツバキを攻撃した男はヤナギサワだった。ヤナギサワは旧世界製の特殊強化服を着用し、対滅弾頭対応の特殊銃を構え、高度な迷彩機能で身を隠して、ずっと機会を窺っていた。そしてヤナギサワの伝でも手に入れるのが難しい対滅弾頭を使用して、ツバキが操作していた旧世界製自動人形を撃破した。
爆心地に来たヤナギサワが自動人形の残骸を見て顔を険しくする。
「不味い。やり過ぎたか? 下手に威力を弱めるよりは過剰な方が良いと思ったんだが……」
ヤナギサワが反射的に身を屈める。同時に、倒したはずのツバキが繰り出した蹴りがヤナギサワの頭上を通過し、伝播した衝撃が後方の瓦礫の山を盛大に吹き飛ばした。操作端末を迷彩状態の予備機に切り替えたツバキが奇襲を仕掛けてきたのだ。
更にツバキが貫手を繰り出す。ヤナギサワはそれを躱しつつ、相手の手首を掴んで動きを止めた。ツバキの貫手から飛んだ指向性衝撃波が後方の瓦礫の山に大きな穴を生み出した。
ヤナギサワが相手の腕を掴んだ状態でツバキと対峙しながら笑う。
「初めまして。私はヤナギサワという者だ。この区域の管理人格だな? そちらと交渉したい」
ツバキは冷たい表情をヤナギサワに向けている。
「交渉相手をまずは銃撃するのがそちらの文化か? 交渉が成立するとはとても思えないな」
「まずはこちらの力を示した。それだけだ。そちらも踏み潰せる蟻と真面な交渉をするつもりはないだろう? 頑張れば殺せるが、面倒臭い。最低でもその程度の認識を持ってもらわないと、こちらの話を聞きすらしない。その前提条件が必要だ。違うかな?」
ヤナギサワが軽く飛び退いて距離を取った。そして冷や汗を流しながら黒いカードを提示する。
「加えて、これだ。どうかな?」
ツバキが表情を不機嫌なものに変える。
「それを見せればこちらが大人しく言うことを聞くと欠片でも思っているのなら大間違いだ」
ヤナギサワが浮かべる笑顔に若干虚勢が混ざる。だがまだ余裕を保っている。
「思っていない。だが、礼儀に欠ける者を交渉のテーブルに着かせる程度の効力はある。そうだろう?」
ツバキの顔から不機嫌さが消える。だがその表情は冷たいままだ。
「では、武器を捨ててもらおう。真面な交渉の席に着くつもりがあるのならな」
ヤナギサワの笑顔が強張る。だが躊躇はしたものの、覚悟を決めて銃を地面に捨てた。そして不敵な笑みを浮かべた。
ヤナギサワとツバキの間に数秒の沈黙が流れる。同じ時間だが、両者の体感時間には著しい隔たりが存在していた。そしてヤナギサワの顔に流れる汗が少し増した頃、ツバキが愛想良く微笑んだ。
「良いでしょう。では、こちらへ。交渉の場まで御案内します」
「ここじゃ駄目なのか?」
「交渉に適した場所とはとても思えませんので」
「確かに」
ツバキは微笑み、ヤナギサワは苦笑を返した。
更に2体、全く同じ自動人形が迷彩を解いて姿を現す。計3体となったツバキの内、1体はヤナギサワを自身の管理区域内に案内する為に踵を返して歩き始め、1体はその場に残って警備を続け、残る1体は前へ歩き始めた。
ヤナギサワがツバキの後に続いて歩きながら思う。
(これで同程度の性能の機体が4機か。予備機はあと何体残っている? 10か? 100か? 1000か? 坂下重工が割に合わないとクズスハラ街遺跡から手を引く訳だ)
そして笑みを不敵なものに変える。
(だがそれもあれを知らないからだ。知っていれば探索を強行していただろう。俺は知っている。手に入れるのは、俺だ。この交渉が成功すれば後方連絡線の延長に問題はほぼ無くなる。危険な真似をしたが、まずは賭けに勝った。賭けもせずに手に入れられるとは初めから思っていない)
ヤナギサワが表情から笑みを消す。
(あと少しだ)
その表情には、途方もない覚悟と決意が込められていた。