134 ヤナギサワの用事
セランタルビルの1階はクガマヤマ都市が派遣した部隊、正確にはその依頼を請け負ったハンター連合の部隊が占拠した。その上で、地下や上階に続く全ての通路を封鎖していた。
ビル内の通信障害は継続中だ。その対処として大出力の中継機を1階出入口付近の広間に設置し、有線で外の中継機と接続して外部との通信を可能にしていた。
セランタルビルの1階は仮設基地のような厳重な警備体制が敷かれていた。
そこにヤナギサワが部下達と一緒に現れる。お偉いさんが来たという空気が場に流れる。ヤナギサワは気にせずに広間を通ってビルの受付、厳密には受付があった場所に行く。戦闘の余波で受付カウンターなどが完全に破壊されており、外観的としての受付の機能は失われている。
ヤナギサワが誰もいない場所に向かって話す。
「入館手続きを頼みたい」
何も起こらない。部下達がヤナギサワを不思議そうに見ている。ヤナギサワが同じように話す。
「入館手続きを頼みたい。休館中でも来訪申請を受け付けた場合は入館できる規則のはずだ。そちらが手続きを放棄するのであれば、こちらも手続きを放棄せざるを得ない。こちらは手続きに則り確認を取った。構わないな?」
するとヤナギサワの前にセランタルが現れる。セランタルが深々と礼をして答える。
「お客様。当ビルは現在休館中でして、関係者以外立入禁止となっております。お引き取りください」
ヤナギサワが笑って答える。
「私はヤナギサワだ。諸事情で非接続状態だが、60階への来訪申請を出した者だ。確認してくれ」
「申し訳御座いません。当ビルはお客様の来訪申請を認識していません」
ヤナギサワの笑顔が曇る。
「……本当に? こちらは申請の受理を確認したのだが」
「当ビルへの休館時来訪申請の履歴に該当の申請が存在していません。誠に申し訳御座いませんが、再手続きを御願い致します」
ヤナギサワが頭を抱える。
(……手続きを間違えたか? それとも非接続状態で手続きを強行するのは無理があったか? ……仕方ない。試してみるか)
ヤナギサワが懐から黒いカードを取り出して、セランタルだけに見えるように提示する。
「諸事情で60階に用がある。通してくれ」
セランタルはそのカードを見ると、微笑んで恭しく頭を下げた。
「畏まりました。御案内いたします。こちらへ」
セランタルがビルのエレベーターまでヤナギサワを案内するために歩き出す。ヤナギサワ達がセランタルの後に続く。
エレベーターに続いている通路は、強固な簡易防壁で完全に封鎖されていた。立体映像で実体のないセランタルがその簡易防壁を通り抜けていく。
ヤナギサワが近くにいた警備の男に笑って話す。
「悪いんだけどさ、開けてくんない?」
警備の男が緊張気味の様子で答える。
「申し訳御座いません。開閉が可能な種類のものではなく、設置式で移動できませんので、無理です」
「あ、そうなの? じゃあ、しょうがないな。ネリア。斬ってくれ」
ヤナギサワの部下達の中から義体の女性が出てくる。いろいろと露出の多いボディースーツを着ている。整った顔立ちと魅力的な体型の持ち主だが、首から下の皮膚らしきものが金属やゴムの光沢を放っていて、明らかに生身ではない。女性はクズスハラ街遺跡でアキラと戦った遺物強奪犯のネリアだった。
ネリアは不機嫌そうな表情で簡易防壁の前に立つと、身に着けていたブレードを素早く振るった。戦車砲すら防ぐ簡易防壁が一瞬でばらばらに切り刻まれ、破片が崩れ落ちて床に散らばった。
ヤナギサワが機嫌良く話す。
「お見事。大したもんだ。今度一緒に食事でもどう?」
「嫌よ」
「つれないな。良い店を用意するって。非常に評判の良い、凄い美味い料理を出す店だよ?」
ネリアが非常に冷たい視線をヤナギサワに向ける。ネリアの義体に食事の機能は搭載されていない。
ヤナギサワが笑って部下達に指示を出す。
「ネリアは一緒に来てくれ。他は戻ってくるまで待機だ」
ネリアが怪訝な表情で尋ねる。
「どうして全員で行かないの?」
「えっ? 知りたい?」
ヤナギサワの笑顔を見たネリアが発言を覆す。
「遠慮しておくわ」
「俺がボタンをポチッと押すと、頭が吹っ飛ぶかどうかの差だ」
ネリアの頭の中には爆弾が埋め込まれている。刑期と言い換えてもよい負債を払い終えるまで、或いは何らかの手段で出し抜くまで、ずっとそのままだ。
ヤナギサワが楽しそうに簡易防壁の土台を越えて奥に進む。ネリアが溜め息を吐いて後に続く。
「あ、駄目にした簡易防壁の代わりの手配も宜しく!」
ヤナギサワは部下達にそう言い残してセランタルの後を追った。
エレナとサラが家で寛いでいる。2人とも完全に気を抜いている格好だ。ミハゾノ街遺跡で大変だったことも有り、今日はサラもエレナの格好に文句を付けなかった。
エレナはアキラと別れた後、非常に面倒な交渉を済ませた。いろいろと難航したがキャロルの助けもあって満足できる報酬額を認めさせることに成功した。
エレナはキャロルを高く評価している。ハンターとしての戦闘技量も申し分なく、交渉人としての実力も十分だ。そこまでなら、今回の件を縁にしてそれなりの付き合いをしても良いと判断するところだ。
しかし懸念もある。エレナはシカラベの言っていたことを思い出す。
「ねえサラ。シカラベが言っていたことって何だと思う? ほら、キャロルを非常に質の悪い女って言っていたやつよ」
サラが少し考えて答える。
「うーん。まあ、好き好んであんな格好をする人だからいろいろあるとは思うけど。気になるならシカラベに聞いてみたら? 話の続きが聞きたかったら依頼が終わった後にしろとも言っていたしね。今なら大丈夫でしょう」
エレナは少し考える。人の悪評を好んで探そうとは思わない。問題のある人物なら付き合いを控えれば済むだけだ。だが、キャロルはアキラの関係者だ。アキラの周りに非常に質の悪い女と呼ばれる者がいる。それがどうしても気になってしまった。
「そうね。聞いてみましょうか」
エレナが情報端末を操作してシカラベに連絡する。サラも通話内容を聞けるように設定してある。
シカラベに通話要求が繋がる。
「シカラベだ。エレナか。依頼の件で何かあったのか?」
「違うわ。別件よ。ちょっと聞きたいことを思い出しただけよ。前に言っていたキャロルの話。詳しい話は後にしろって言っていたでしょう? 今回の交渉ではキャロルに随分助けられたから、縁を繋いでおくのも良いと思ったけど、シカラベが気になることを言っていたから、それがちょっとね」
「ああ。そういうことか」
シカラベが何からの思案をしているであろう間を置いてから続ける。
「まあ、何だ。あんな格好をしているやつだ。いろいろと察せるだろう。同類扱いされたくなかったら、距離を取っておけって話だ。金にもならねえ話ならこんなもんだ。値の付く話が聞きたいのなら、そうだな、50万オーラムぐらい払ってもらおうか」
エレナが表情を変えずに思案して、情報端末を操作する。
「振り込んだわ。確認して」
シカラベが軽い驚きと困惑を口調に乗せて答える。
「……払うのかよ」
シカラベとしては、キャロルについて詳しい話をするのは気が進まないという意味と、その程度の情報料が絡む程度の質の悪さと厄介事を抱えた女であることを伝えるための返事だった。まさか払うとは思っていなかった。
エレナもキャロルを連れてきたのがアキラではなかったら支払わなかっただろう。
冗談半分であれ自分から言い出したことであり、先に対価を受け取った以上、シカラベにも応える矜持があった。エレナの情報端末からシカラベの溜め息が聞こえてきた後で、真面目な声が続く。
「口頭で済ませるが、今、この回線で話して良いのか?」
「こっちは構わないわ」
「キャロルの本業はハンターだが、副業でハンター相手に体も売っている。客層はいろいろで、基本的にキャロルの趣味だ。料金も固定ではない。100オーラムぐらいの端金で相手をすることもある。ただ、大抵そういう時は一度味を覚えさせるのが目的で、次から料金を上げていく。麻薬の手口と一緒だ。抱かれるたびに料金を倍にして、最終的に億を超えたこともあるとかないとか。しかも単純に金が目的というよりは、命懸けで稼いだ対価としての金を求める傾向があるらしい。副業の客をハンターに限定しているのもそれが理由らしい。ハンター稼業は基本的に命懸けだ。ちょうど良いんだろうな」
エレナが訝しむように尋ねる。
「いろいろ問題のある人物だってことは分かったけど、その程度の話で50万オーラムも支払わせたの?」
「程度にも依る。あいつはその程度に多々問題があるんだよ。具体的には、その絡みで最低でも12人死んでいる」
エレナの表情が少し険しいものになる。シカラベが続ける。
「眉を顰めて済ますには少々死体の数が多い。理由はいろいろだ。キャロルへの支払いのために仲間の金に手を付けて揉め事から殺し合いに発展したとか、客同士でキャロルを奪いあって殺し合ったとか、金もねえのに手を出そうとして返り討ちにあったとかな。そして死体の数以上に問題なのが、その死体にドランカムの古参が混じっていることだ」
問題の深刻さに応じて、エレナの表情がまた少し険しくなる。
「以前ドランカムが都市絡みの依頼を引き受けたことがあった。その時に仕事の都合で旧世界の遺跡に関する秘匿情報を提供してもらったんだが、その情報が外部に漏れたんだ。その調査でキャロルにその情報を漏らした人間がいたことが発覚した」
「その情報を漏らしたのが、ドランカム所属の古参だった」
「正確にはその可能性があるってことだ。キャロルへの支払いに金ではなくて情報を渡したらしい。そいつも都市の情報を漏らしたらどうなるかぐらい分かっていたはずだが、その判断を狂わせるぐらい入れ込んでいたらしいな。キャロルがその情報を別の誰かに売ったのかは不明だ。口を滑らせた場所が安宿で、盗聴器でも仕込んであったのかもしれない」
「そのハンター、どうなったの?」
「逆恨みしてキャロルを殺しに行って、返り討ちにあって死んだよ。因みに、そいつを殺したのは俺だ。事前に襲撃を知っていたキャロルに護衛として雇われていた。キャロルが襲撃の情報をどこから得たのかは不明だ。少なくともドランカム経由ではない。対外的には、ドランカムがけじめを付けたってことになったがな」
エレナもサラもかなり険しい表情でシカラベの話を聞いている。話を聞く限りは、キャロルは予想以上に問題のある人物だ。
「12って死体の数も、調査の過程で判明した数ってだけだ。多分もっと死んでる。まあ、あいつに関わって破滅した野郎は多いってことだ。そういった諸々の事情も含めて、俺としてはキャロルを非常に質の悪い女だと評価せざるを得ない。それはそれとして、キャロルのハンター稼業の実力は確かだ。客から金の代わりに得た情報を活用して儲けているって話も聞く。交渉次第で旧世界の遺跡に関する情報を手に入れることもできる。適切に関わる分には利益のある女でもある。扱い方を間違えると、大変だけどな」
シカラベが口調を真面目な話から雑談用のものに戻す。
「こんなところか。代金の分の話はしたぞ? 文句があっても受け付けねえけどな」
エレナが真面目な口調のままで答える。
「……いえ、十分よ」
「そうか。また金になりそうな依頼でもあったら誘ってくれ。じゃあな」
シカラベとの通話が切れた。エレナとサラが顔を見合わせる。誰かを心配しているような、少し険しい表情をお互いに浮かべていた。
シカラベがクロサワと一緒に酒場で飲んでいる。酒が置かれているテーブル席は接客用の女性を侍らせる為に少々大きめに造られている。だが座っているのはシカラベとクロサワだけだ。ある意味で贅沢な使い方だ。
最近話題のハンター稼業について、特にミハゾノ街遺跡での出来事を話題にしながら、高い酒と摘まみを楽しんでいた。
クロサワが軽い調子で尋ねる。
「そういえば、シカラベが助けた連中の件って、結局どうなったんだ?」
シカラベが興味のない様子で答える。
「さあな。今は幹部連中がああだこうだと交渉でもしてるんだろう」
「聞いたぞ? お前が連れていたメイドの一人がドランカムを脅したんだってな」
シカラベが少し意外そうな嫌そうな表情で話す。
「お前にまで漏れてんのかよ……」
「まあな」
シカラベがセランタルビルで入手したドランカム幹部宛ての暗号文は、シオリがドランカムに送った脅迫状に近い救援要請だった。
そこにはレイナ達が生存していることを前提にした即時の救援を依頼するものであり、ドランカムが依頼を無視した場合、あるいは救援に失敗した場合の報復処置が事細かに記載されていた。更にシオリがその報復処置を既に関係者へ指示しており、レイナが生還しなければそれを取り消せない旨まで記載されていた。
シカラベはドランカムの幹部であるアラベ達との付き合いで得た知識から、それがレイナを助けさせる為の嘘ではないと判断した。同時に知らなかったことにして握り潰すのも難しいと判断した。
シカラベは仕方なくエレナにそれらしいことを提案して、レイナ達の救援にエレナ達を巻き込んだのだ。
シカラベが面倒そうに話す。
「そうだよ。その所為でそいつらをわざわざ助けに行く羽目になったんだ。元々そいつらをセランタルビルに送り込んだのもドランカムだ。それが一番の皮肉だ」
しかもどちらかと言えばレイナ達は若手側で、その尻拭いをしたのは古参側のシカラベだ。確実に紛糾する会議という名の責任の擦り付け合いから、シカラベは先に逃げてきた。アラベが不満そうにしていたが、シカラベもそこまでは付き合えない。
シカラベが少し表情を険しくして話す。
「あのレイナとシオリってやつ、訳ありでドランカムに所属しているとは聞いていたが、あそこまで面倒臭い連中だったとはな。ハンター志望の金持ちのガキと、そのガキのお守り役程度に考えていたんだが……」
クロサワが軽く笑って尋ねる。
「護衛付きでハンター稼業なんてやってるやつらだ。その辺の面倒臭さは予想できたんじゃないか?」
「訳ありとは思っていたが、ドランカムを脅せるほどのやつらとは思ってなかったんだよ。普通、そんなヤバいやつを荒野に出すと思うか?」
「思わない」
「だろ?」
クロサワがビルから出てきたシカラベ達の光景を思い出して話す。
「美人のメイドってだけなら、目の保養になるんだがな」
シカラベが揶揄うように笑って話す。
「そういう趣味があるのなら3階のやつに服を贈って着てもらえよ」
少し酔いが回ってきているのか、クロサワが妙なことを言い始める。
「お前、分かってないな。本職の人間から漂う雰囲気とか、そういうのが重要なんだろうが。着てりゃ良いってものじゃねえんだよ」
「機械系モンスターをぶった切ったりぶっ飛ばしたりするやつらに、お前はどんな雰囲気を求めてるんだ?」
「何だそりゃ?」
「ビルの中でだな……」
シカラベとクロサワは酒を脳に少しずつ加えながら楽しげに雑談を続けていた。
比較的素面に近いクロサワが酔いの回ってきたシカラベの様子を確認する。そして頃合いと見て話し出す。
「そうそう、お前が前に話していた例のガキ、あのカツヤってやつだが……」
シカラベが顔を顰める。
「よせよ。酒が不味くなるだろ」
「そう言うなって。あいつが戦うのを見たが、確かに強かった。あれだけ強ければ増長するのも当然だ。お前が才能だけは凄えと言ったのも納得だ。だが指揮能力は正直微妙というか、才能がないとは言わないが、お前が絶賛するほどとは思えなかったな」
シカラベが少し馬鹿にするように答える。
「俺はあいつのハンターとしての才能を認めはしたが、指揮能力とかの才能を認めた覚えはねえよ。勿論ハンターも部隊行動をする。その手の才能も必要だろう。だが基本的に少数での行動だ。俺は100名を超える大部隊を指揮する能力がハンターに必要な能力とは思わない」
「まあ、俺が言うのも何だが、確かにそうだな」
「そうだろ? 確かにカツヤには才能がある。それは俺も認める。だがそれは個人技能での話だ。あいつは一騎当千には成れても、同数の兵の指揮官には成れねえよ」
クロサワが不思議そうに尋ねる。
「じゃあ、何であいつが部隊の指揮とかやってるんだ?」
シカラベが心情を表すように大きな溜め息を吐く。そして複雑な感情を乗せて答える。
「組織の都合ってやつだ」
酒を飲みながら、シカラベが自身の推測を含めて話し始める。
元々ドランカムは所属するハンター達の雑務を請け負う程度のものでしかなかった。しかし組織が成長するに従って営利企業としての性質が徐々に強くなり、今では組織の活動指針の一部にまで成っていた。
組織がハンターを雇用して、ハンター稼業で利益を出して給料を支払う。それは悪いことではない。だが組織の変化を好ましく思う者ばかりではない。
組織の成長と効率化のためという名目で自由なハンター稼業が制限され始める。管理側の権限が強くなり、お願いが、上司からの命令として強制力を持つようになる。そうすると反感を覚える者も増えてくる。様々な名目で報酬から引かれる金も増えていく。その金は組織の為、全体の効率化の為に使われて、見合う恩恵が自分に返ってくるとは思えなくなっている。
ドランカムが進めている装備品の貸し出しも、少ない費用で強力な装備が使用できるという意味では大きな利点だが、同時に所属しているハンターの組織への依存を強める為でもある。上の指示に逆らってドランカムを追い出されれば、下手をすると明日から素手でモンスターと戦う羽目になるのだ。気の進まない指示にも従いやすくなるだろう。
ドランカム内の若手とそれ以外の大きな軋轢は、昔の組織を知っている者と知らない者の対立でもあるのだ。
カツヤが部隊長として隊の指揮を執っているのも、若手に人気のあるカツヤを組織の管理側にする為だ。ミズハのような事務系の幹部としては、自分達の改革の成功例でもあるカツヤを旗印にして、一層の改革を進めたいのだろう。
そして今のドランカムは改革側と呼ぶべき側が優勢になりつつある。ミズハがカツヤを広告塔として進めている計画は防壁内の人間に受けが良いらしく、都市からの支援も大きくなっていた。
シカラベはそれらの事情を、いろいろな対象への愚痴を零しながら説明していた。
クロサワが苦笑しながら話す。
「ドランカムも過渡期ってわけか」
シカラベが不機嫌そうに答える。
「過渡期で済まされたら溜まらねえよ」
苦笑しているクロサワの横でシカラベが大きく溜め息を吐く。そして少し真面目な表情で尋ねる。
「それで、本題は?」
「本題?」
「ドランカムの内情でも探りに来たと思ったから、俺の愚痴を聞いてもらう代金の代わりに少し口を滑らしてみたが、お前の様子を見る限り違ったみたいだからな。何を聞きたい?」
クロサワは自分の意図を読まれていたことに苦笑した後、少し真面目な表情で話し始める。
「少し気になることがあってな。お前の意見を聞きたいと思ったんだ」
「何だ?」
「お前達がビルの広間で戦っている時だ。経過は省くが、カツヤは一人で飛び出して機械系モンスターの群れと戦っていた。俺はその光景を見ていたんだが、その時に違和感というか、ずれのようなものを感じた。上手く説明しにくいんだが、ある光景の説明を聞いた時に、淡々と説明された場合と、激しく感情を乗せて説明された場合での、印象の差とでも言うべきか。他の連中の様子も結構高揚気味だった気がする。その手の感情の高まりが原因で突飛な行動を取る者が出ないか心配になったぐらいだ。杞憂で済んだがな。それがどうしても気になっている。何か、思い当たることはないか?」
「いや、心当たりはないな。何で俺に聞くんだ?」
「お前はカツヤの世話係だったんだろう? 似たような経験とか、ないか?」
シカラベが記憶を探る。しかしそれらしい経験はなかった。軽く首を横に振って答える。
「悪いが、ないな」
「……そうか」
結構落胆しているクロサワを見て、シカラベが不思議そうに尋ねる。
「そんなに気になることだったのか?」
「ああ。感情的になっている自分を客観視する。俺は部隊の指揮の為にそういう冷静な判断の訓練をしている。お前が自分の勘を大事にしているのと一緒だ。結構自信が有る方だったんだが、それが今回の件で少し揺らいでな。勘の良いシカラベなら何か原因に心当たりがないかと思っだんだよ」
今度はシカラベが少し気落ちするように話す。
「勘……か」
「どうかしたのか?」
「俺も最近、自分の勘への自信が揺らぐことがあってな……」
シカラベとクロサワはその後も酒を交えて話を続けた。
セランタルビルの60階は単一のフロアで構成されていた。床も壁も天井も真っ白だ。そのフロアの中央にヤナギサワが立っていた。
ネリアはフロアの端、エレベーターの扉の前に立ってヤナギサワを見ている。そこで待つように指示された上に、首から下が動かない状態でだ。ネリアの義体の最上位権限はヤナギサワが握っている。許可がなければ指一本動かせないのだ。
ネリアは周囲を見渡したりヤナギサワの様子を見たりしながら、この場の考察をして暇を潰していた。
(この場所は恐らく拡張現実用のフロア。旧世界のネットワークに接続できる人ならいろいろなものが見えるんでしょうね。私を連れてきたのは近接戦闘が必要になる場所での護衛のため。つまり、彼はこの部屋の状態を知らなかった。ここは旧世界の何らかの施設で、彼はここに何らかの用がある。セランタルビルに部隊を派遣したのも、彼がここに来るため……。分からないわ。ああ、調べたい)
ネリアは儘ならない現状を嘆きながら考察を続けていた。
ヤナギサワは旧世界のネットワークに接続できる機器を身に着けていた。そのヤナギサワの視界には、非現実的な美女の姿が映っていた。当然ながらこの場には実在しない人物だ。そしてその女性の服は、アキラがアルファと初めて会った日にアルファが着ていた服によく似ていた。
ヤナギサワが険しい表情で尋ねている。
『どうしても駄目ですか?』
女性が申し訳なさそうな表情で答える。
『ネットワークへの接続を確認できません。ネットワークへの接続は個人識別のために必須となっております。接続設定を御確認後に再手続きを御願い致します』
ヤナギサワが黒いカードを提示してもう一度頼む。
『諸事情でネットワークへの接続が難しい状態なんです。今使用している接続機器で代用できませんか? このカードの権限でも無理ですか?』
ヤナギサワはいろいろと頼み方を変えて頼んでみたが、全て同じ文言で断られてしまった。
「……くそっ」
ヤナギサワは諦めて身に着けていた接続機器を外した。ヤナギサワの視界から拡張現実の女性の姿が消えた。
(……どうする? 俺の治療を優先させるか? それとも他の旧領域接続者を連れてきて認証させるか? 俺が旧領域接続者に戻ったら、俺の存在があいつらに露見する可能性がある。だが他の人間を認証して、そいつが俺を裏切ったらどうする?)
ヤナギサワが険しい表情でネリアのところへ戻っていく。
(来訪申請が消されたのはセランタルビル側だけだった。出張所側の申請はしっかり通っていた。なぜだ? ミハゾノ街の状況が変化した際にセランタルビル側の機能がリセットされて、それで消えただけか? あいつらの仕業だとしたら、なぜ両方消さない? 権限が違うからか?)
ヤナギサワが険しい表情でエレベーターに入る。動けるようになったネリアも一緒に入る。扉が閉まり、エレベーターが1階に戻っていく。
(ミハゾノ街の防衛準備状態が変化したのはなぜだ? 俺の警護のために多数の人型兵器や戦車を配備したからか? それにミハゾノ街の防衛機構が反応したのか? その程度ならもっと早く移行してもいいんじゃないか? それとも、あいつらが俺の存在に気付いて、停止状態だった防衛機構を外部から強制的に起動させたのか?)
ネリアが不敵に楽しげに笑ってヤナギサワに話す。
「笑顔が消えているわね」
ヤナギサワはネリアに無表情を向けた後、いつもの笑顔を返した。
ミハゾノ街遺跡の状態を変えた原因は複合的なものだ。その要素の一つはアキラ達だ。
アキラがミハゾノ街遺跡に来た初日にセランタルビルの外と中で行った戦闘の情報は、セランタルビルにしっかり記録されていた。アルファのサポートにより機械系モンスター達に対して余りにも効果的効率的に戦った戦闘記録だ。セランタルが応援要請を出した時、その情報も一緒に送信された。
遺跡の防衛機構はその情報を解析して、遺跡にいるハンター達の脅威度を変更した。少々武装した素人に近い強盗から、明確な戦闘訓練を受けた兵士の脅威度に。その脅威度が設定された状態で、多数のハンターがセランタルビルに向かって組織的に行動した。
後は流れだ。その組織的な行動を街への本格的な侵攻と判断した防衛機構が防衛兵器を投入し、それに対応するために人型兵器や戦車が遺跡に投入され、それに対応するためにより強力な防衛兵器が投入され、それに対応するために新たな部隊が投入され、その繰り返しで、気が付けばミハゾノ街遺跡は大きな異変を迎えたのだ。
ありふれた事象が組み合わさり予想外の結果を引き起こした。それだけの話だった。