第二百八話「パックスの元へ」
移動には、魔導鎧を用いた。
組み立ててしまった魔導鎧を運搬しなおすのも面倒だし、
王都で戦いがあるのであれば、持っていった方がいいだろうとの判断だ。
移動によって魔力を消費するのが気がかりだが、目をつぶる。
俺以外の移動方法に関してだが、肩に乗せて走るという案もあったが、流石に振動がひどそうな上、乗り心地は最悪だ。
1日で踏破できる距離でない事を考えれば、乗る場所を作った方がいいだろう。
というわけで、馬車を使う形にした。
横転しないように土魔術で改造した馬車の荷台を、魔導鎧と連結させ引っ張るのだ。
馬で移動するよりは早かったはずだが、乗り心地は最悪だったらしい。
ザノバはゲーゲーとゲロを吐き、ロキシーも青ざめた顔をしていた。
でも、王都には5日でたどり着いた。
俺の残り魔力の残量はわからない。
少々体にだるさが残っている所を見ると、全回復していないのは確かだ。
戦闘稼働ではなかったので、まだまだ余裕があるとは思いたいが……。
オルステッドと戦うのは無理なレベルだろう。
今回、俺達はパックスを助けにいく。
死神は味方だと思うが、何が起こるかわからない。
気を引き締めていこう。
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王都ラタキアは封鎖されていた。
入り口の門は固く閉ざされ、城壁の上には反乱軍と思わしき兵士たちが立っている。
城壁の外には、閉めだされて途方にくれる人々が大勢いた。
商人や冒険者、傭兵。
それに、国の兵士たちがキャンプを張っていた。
別の町から来たのか、あるいは決起の際に外の警備をしていた者だろう。
「どうやら、事が済むまで、邪魔を入れさせないつもりのようですね」
「てことは、パックスはまだ存命か」
クーデターが起きてから、約10日。
まだ、王城は落ちていないという事か。
どれだけの戦力差があったのかは知らないが、意外に粘るな。
まあ、七大列強がいるんだから、そんなもんか。
あるいは、もうパックスが死んでいて、何か別の理由があって封鎖してる可能性もあるが。
「抜け道の出口は川沿いにあります」
というザノバの言葉に従い、俺たちは川沿いを進んだ。
真正面から反乱軍を撃破するという案も思い浮かんだが、やめておいた。
状況を知らずに物事をぶっ壊すのはよくない。
またあれこれ悩みたくないってのもあるが……。
なぜ籠城しているのか、という問いの答えも知りたいしな。
城の周囲にいる者達も避けた。
ザノバが王子だと知られれば騒ぎになりそうだからだ。
ジェイド将軍には、ザノバはパックスに与する敵だと認識されているはずだ。
なら、見つからない方がいい。
「……」
川沿いは、随分とのどかだった。
緩やかな流れの中で魚が光り、アヒルのような鳥が水面を泳いでいる。
すぐそこで戦いが起きているとは思えない光景だ。
戦争と平和の境界はどこにあるのだろうか。
「恐らく、あれですな」
川沿いを移動していくと、一軒の水車小屋があった。
俺はそこで魔導鎧を停止させた。
馬車の中からザノバとロキシーが降りてくる。
ふたりとも真っ青な顔で、ロキシーはそのまま川の方で吐き始めた。
この移動は、あまりやらない方がいい気がしてきたぞ。
「水車小屋のどこかに、地下への通路があるはずです」
ザノバの声音は元気そうだが、顔は真っ青だ。
船酔いは治癒魔術で一時的に収まるが、落ちた体力までは戻らない。
ザノバはパワーはあるが持久力は無い。
「少し、休んだ方がいいんじゃないか?」
「いいえ、一刻の猶予も許されない状況やもしれません。すぐにでも突入しましょう」
王城の中はどうなっているかわからない。
この水車小屋が最後の休憩ポイントになるかもしれない。
地下通路を通るというのなら、『一式』も使えないだろうし。出来る限り準備が整えておきたい。
魔力が全回復することは無いだろうが、
ザノバやロキシーの体力も回復させた方がいいはずだ。
「ザノバ、落ち着け。ここは一旦休憩して、息を整えた方がいい。俺はともかく、お前もロキシーも顔色が悪い」
「むぅ……」
「急いては事を仕損じるって言葉もある」
「聞いた事はありませぬが……わかりました」
ザノバもしぶしぶながら頷いてくれた。
よかった。
疲労ってのはいざって時に動きを鈍らせるからな。
「その前に、ここに本当に通路があるのか、確かめた方がいいでしょうね」
「ああ、確かに」
ロキシーの言葉で、水車小屋の中を確認する。
水車小屋の中は木箱や樽が所せましと置かれていた。
物置みたいだ。
俺とザノバでそれをどかしつつ、床や壁をドンドンと叩いて回る。
すると、水車小屋の端。
木箱の底に隠されるように、それはあった。
金属製の板だ。
扉と言ってもいいが、ドアノブのようなものは見当たらない。
「これ、ですかな?」
「いや、慌てるな。倉庫か何かかもしれない」
思ってもいないことを口に出しつつ、扉を調べる。
どうやって開けるのだろうか。
いや、脱出用の通路であるなら、外側からは入れないようにしてあってもおかしくはない。
内側から押し開けることを前提とした設計になっているのだろう。
「ふんっ!」
ザノバが力任せに金属板を剥がすと、その下は竪穴となっており、はしごが見えた。
床下収納では無さそうだ。
火魔術を使って中を照らしてみる。
すると、数メートルほど下に底が見えた。
ついでに、首都方向に向かって横穴が開いているのもわかった。
だが、まだ地下貯蔵庫の可能性は捨てきれない。
俺は一旦降りてから、その横穴の奥を照らしてみた。
奥に何かが置かれているという事はなかった。
ただ細い通路が、どこまでも続いていた。
間違いない。
これが、地下通路だ。
「どうでしたか?」
「間違いなさそうだ」
「では、休憩しましょうか」
「ああ」
休憩後、俺は一旦馬車に戻り、二式魔導鎧を着込んだ。
あの穴の大きさでは、一式は使えない。
だが、二式でも七大列強と戦うのでなければ、十分な性能は発揮できるはずだ。
体調を戻したザノバたちと共に、地下通路へと侵入する。
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通路は人がすれ違えるかどうかってぐらい狭い道が、どこまでも続いていた。
明かりになりそうなものは一切ない。
……もともとこちら側からの侵入は考えられていないのだろう。
俺は灯火の精霊のスクロールを使い、周囲を照らした。
相変わらず使い勝手がいい。
通路は暗く、そして何もなかった。
ただ移動するためだけに作られたと思しき道だ。
そんな通路を、ザノバ、俺、ロキシーの順で移動していく。
殿は必要ない。
後ろから敵は来ないだろうからな。
「狭い通路を移動していると、嫌な事を思い出します」
ロキシーが後ろでポツリと言った。
その言葉に、俺はなにかを答えようとしつつも、
しかし言葉は見つからず、ただ「そうですか」と小さく答えたのみでおわった。
その後は、誰もが無言のまま、暗い通路を移動していく。
一時間ほど歩いた頃だろうか。
通路の先に、扉があった。
金属の一枚板のような扉だ。
ドアノブが無い。ハメ殺しのようになった扉。
水車小屋にあったものとよく似ている。
やはり、向こう側からしか開かないのだろう。
「むん!」
ザノバが、指先を扉と壁の隙間に差し入れ、引っこ抜くように扉を開けた。
彼を先頭にしておいてよかった。
「お……これは……」
しかし、扉を開けた先で、ザノバが不可解な声を上げた。
何事かと覗きこんでみると、通路が土砂のようなもので埋もれていた。
行き止まりだ。
しかし、分かれ道のようなものはなかった。
てことは、やはりあの水車小屋は間違いか……?
「地震で崩れたか……あるいはジェイド将軍がこの通路の存在を知っていて、予め閉じておいたのでしょうね」
ロキシーの解説。
まぁ、そんな所だろう。
パックスがクーデターの際に潰したって可能性もあるが。
ともあれ、これでパックスが脱出しない理由の一つが明らかになったか。
「師匠。この土砂、どうにか出来ますかな?」
「……まあ、やってみるよ」
ザノバと位置を入れ替える。
これでも、伊達に事務所の地下に巣穴を掘ったわけではない。
土砂の扱いは慣れたものだ。
幸いにして、この通路には、魔術を阻害するようなものは何もない。
周囲の壁や天井を魔術で固めつつ、土を圧縮して量を減らしていく。
岩石でパイプを作るような感じだ。
今回は即席ではあるが、崩れない程度の強度は保てる。
そのへんのさじ加減も慣れたものだ。
小一時間ほどでボコリと音がして、向こう側に抜けた。
距離にして、5メートルぐらいだっただろうか。
短いような、長いような。
だが、そんな事はどうでもよかった。
抜けた先には、驚くべき光景が待っていた。
「なんだこれ」
横穴があった。
洞窟だろうか。
高さにして2メートル、幅にして3メートル。
そのぐらいの通路が、真横に走っていたのだ。
壁は人口っぽく石材が使われている、地面にはチョロチョロと水が流れているが、下水って感じでもない。
俺たちの通っていた通路は、その横穴に合流した形となる。
それも、ちょっと高い位置だ。横穴の床まで1メートルほどの高低差がある。
「ザノバ、どっちにいけばいいと思う?」
「さて……分かれ道があるとは聞いたこともありませんでしたが……」
ひとまず、洞窟へと降り立ってみる。
灯火の精霊を使わずとも、やや明るい。
見ると、洞窟の壁に生えたキノコが光っているのだ。
明かりにしては、少々心もとないな。
人口の洞窟のような、そうでないような。
ほんのり奇妙な感じのする洞窟だ。
しかし、こんな洞窟、どこかで見たことあるような……。
「恐らく、まっすぐでしょう」
と、そこでロキシーが通路から周囲を見渡しつつ、そう言った。
彼女は帽子とスカートを抑えつつ飛び降りてきた。
「ルディ、今まで通ってきた通路の直線上にある壁を掘ってみてください」
「わかりました」
なぜとは聞かない。
なにせ、ロキシーの言うことだからな。
俺は従うだけだ。
「ロキシー殿、どういう事か説明してもらっても?」
俺の代わりに、ザノバが聞いていた。
まあ、俺も知りたくないわけじゃない。
「この洞窟の感じ……前にこの国で攻略した迷宮によく似ています。
恐らく、成長に伴って通路を侵食してしまったのでしょう」
「なるほど」
「まあ、推察に過ぎません。
もし、ルディが掘ってみてダメだったら、左右のどちらかに行ってみましょう」
なんて会話を聞きながら、俺は掘る。
超掘る。
犬のように掘る。
いや、魔術使ってんだけどな。
そうしてさらに一時間。
掘った先に空洞を発見した。
灯火の精霊を送り込んでみると、今まで通ってきたのと同じような通路が見えた。
やったね。
「道、ありました!」
「では、進みましょう」
俺は彼らのために階段を作った。
帰りのためにもなる。
でも、もしここが迷宮なら、このままにしておくと魔物とか入ってきそうだな……。
ええい、ままよ。
それにしても、さすがはロキシーだ。
今の洞窟を見て、一瞬で迷宮だと看破するとは。
俺の尊敬する人はひと味違う。
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それから、さらに一時間。
合計で四時間ぐらい移動に費やした事になるだろうか。
ザノバに疲労の色が見え始めた頃、ようやく出口へとたどり着いた。
最初に出たのは、地下室と思しき場所だった。
六畳間ぐらいの大きさ。
石材でガッチリと組まれた壁と天井。
壁にはろうそく立てのようなものも置いてある。
そして、部屋の隅には、上へと上がるための階段だ。
そんな部屋の隅に隠し扉があったのだ。
ここがシーローン王国の王城であることは、すぐに分かった。
なにせ、見覚えのある部屋だったからな。
ていうか、ここで暮らしたこともある。
「……ザノバ、ここってもしかして」
「うむ、余と師匠が初めて出会った場所ですな」
思い出の場所。
っていう言い方をすると綺麗だが、
俺がパックスに騙されて結界に閉じ込められた場所だ。
何も無い部屋だなと思ってたら、脱出用だったのかよ。
どうりで、変なギミックとか、魔法陣用のしかけとかあるわけだ。
今はもう、結界は無いみたいだが……。
「懐かしいですなぁ。あの人形の製作者と出会ったのだと思った時、余は今日という日が人生の絶頂なのだと信じて疑いませんでした。その後に、もっと幸せな日々が来るとは夢にも思わなかったのです」
「感傷に浸るのは後にしようぜ」
ドキュメンタリー番組のインタビューみたいな事を言うザノバを促して、先に進む。
階段を上り、廊下を行く。
シンと静まり返った場内。
地下通路を通った際にすでに日が落ちたらしく、窓の外は暗い。
メイドたちもいないのか、廊下には明かりの一つもない。
深夜の病院みたいな静けさだ。
パックスの手勢とやらは、外の方に詰めているのだろうか。
「パックスは、どこかな?」
「恐らく、父上の部屋でしょうな」
父上の部屋……ってことは、王様の寝室とかか。
ザノバはそのまま先頭に立って歩き始めた。
勝手知ったる我が家。
特に懐かしいとも思わないようで、脇目もふらずに歩いて行く。
俺たちは無言でそれに続いた。
---
「……あ」
ふと、ロキシーが立ち止まった。
ある部屋の前で、ぴたりと。
「どうしました?」
「いえ、昔与えられていた部屋が、ここだったなと思いだしまして」
その部屋の扉は開いていた。
中には誰も居ない。
何の変哲もないベッドと机があるだけだ。
部屋の主は慌てて逃げたのだろう、ベッドは乱れ、机も床も散らかっている。
ロキシーがいなくなった後、また誰かが使い始めたからだろう。
妙な生活感があった。
今は他人の部屋。
だが、ロキシーが暮らした事もあると考えると、何やら感慨深いものがあるな。
俺がエリスの所で家庭教師をしていた頃に住んでいた場所、か。
「師匠、ロキシー殿、どうなさった?」
「いや、ちょっとロキシーが昔の自分の部屋を見て感傷的にな……」
「感傷は後だとおっしゃったばかりではないですか……」
ザノバが呆れ顔で戻ってきた。
そして、「ふむ」と部屋を見て、ロキシーを見た。
「ロキシー殿が使っていた部屋は、その隣ですが」
「えっ?」
ロキシーは慌てた様子で、隣の部屋の扉を開けた。
そして、今まで見ていた部屋と見比べ、廊下を見渡し、何かに気づいて顔を赤くした。
「く、暗くて間違えたんです」
おのれザノバめ。
ロキシーに恥を掻かせるとは。
何考えてやがるんだこいつは。
ロキシーが黒といったら、白いモノだってダークマターだろうに。
「師匠、なぜ余の足を踏むのですか?」
「ちょっと足が滑りやすくてね」
「師匠がロキシー殿を敬愛しているのは知っていますが、違う場所を見て感傷に浸っても意味はないでしょうに……」
もっともだな。
足を踏むのは勘弁してやろう。
しかしまぁ、この辺でロキシーが過ごしていたと聞くと、なんか感慨深いな。
もし、転移事件が起こっていなければ、そのままシーローン王国に居着く事もあったのだろうか。
「先を急ぎましょう」
ロキシーの言葉で、俺達はその場を後にした。
---
城の中では、結局誰とも出会わなかった。
誰もいない。
なぜか、誰もいない。
そのせいか、ザノバがやけに饒舌だった。
「この城の正面玄関は二階にありましてな。外からの客は、皆二階から入城するのです、三階には――」
城の事を、淡々と話してくれた。
1階は兵士や使用人の生活区域。
2階は大広間や謁見の間、客室といった外交用の各種施設。
3階は会議室や執務室といった内政用の各種施設、防衛用の城壁・主塔に続く渡り廊下等もある。
4階は王子、王女の居住区。親衛隊の詰め所も。
そして、五階には王の寝室がある、と。
変な城だな。
1階で火事とか起きたら王族が全滅するんじゃなかろうか。
いや、その王族ももう殆どいないんだが……。
一階も、二階も、三階も。
誰もいなかった。
四階に上がった時に窓の外を見てみた。
城の周囲に篝火が炊かれ、反乱軍が包囲しているのは分かった。
だが、パックスの手勢の姿は見当たらない。
戦闘が起きている気配もない。
人影も見えない。
暗くてよく見えないってだけじゃない気がする。
この城は、無人だ。
「……」
その異様さに、ザノバも気づいたらしい。
4階へと上がる頃、ピタリと会話が止まった。
表情もこわばっている。
この城で何かが起こっている。
その予感をひしひしとさせながら、最後の階段を登った。
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そして、五階。
天守閣とも言えるべき建物の最上階。
国王の寝所がある、値段的にも格式的にも、この国で一番高い部屋。
「…………」
その入り口。
階段の踊り場。
扉の前に、そいつはいた。
死神ランドルフ・マリーアンが。
なぜか置いてある椅子に、 休憩でもするかのように、前傾姿勢で座っていた。
膝に肘を乗せ、手を前で組んで、首をややかしげながら。
眼帯に隠された、髑髏のような顔をこちらに向けていた。
「なんで、この国の王様は、こんな高い所に寝所なんて作ったんですかねぇ」
『死神』ランドルフ・マリーアン。
彼は俺たちの姿を見つけると、唐突にそんな事を言った。
「こんな所に寝所なんて作ったって、不便なだけでしょうに。
執務だって、一々下に降りるのも面倒でしょう。
食事を運ばせても、1階の炊事場からここまでじゃあ、若干冷めてしまう。
年を取って足腰が弱くなれば、昇り降りにも一苦労だ。
火事なんかあったら、逃げ遅れてしまうかもしれない」
やつれた顔をかしげさせ、ブツブツと言いながらこちらを見てくる。
普通の疲れたオッサンのような姿勢だが、なぜか背筋にピリピリとしたものが走り抜ける。
「私だったら、一階に作る。
執務だってスムーズだし、ご飯も温かいものが食べられる。
どこかに出かけるのだって簡単だ……。
と、思うのは、私が庶民だからなんでしょうねぇ」
ランドルフはベラベラと喋りつつ、イヒヒと笑った。
シャレコウベのような笑い顔に、ロキシーがごくりと喉を鳴らした。
「まぁ、確かに利点はありますよ。
こうやって城の中に立てこもるんだったら、ここが一番安全だ。
なにせ、この城は、耐魔レンガをふんだんに使ってる。
遠方からの魔術にもめっぽう強い。
各階には防衛地点もあり、一番上まで攻め上るのは難しい。
戦時中の城なんですなぁ、ここは」
ランドルフは、何が言いたいのだろうか。
ただ座っているだけだ。
脇を通り抜けてもいいのだろうか。
正直、こいつに一歩も近づきたくないのだけれども。
「ランドルフ殿」
迷っていると、ザノバがずいっと前に出た。
ランドルフは不敬にも姿勢を変えず、ザノバに微笑みかけた。
夜中に笑うガイコツ。
不気味だ。
「ご機嫌麗しゅう、ザノバ殿下。こんな所まで、いかがなさいました?」
「この城の様子について、何かご存知か?」
「ええ、もちろん、もちろんご存知ですとも」
ランドルフはそう言いつつ、眼帯をズラした。
そこには、怪しげに赤く光る瞳があった。
瞳の部分には、六芒星のような文様が浮かんでいる。
魔眼だ。
「陛下の命にて、この『空絶眼』の力を使い、王城周辺に壁を作りました。
その力により、現在もなお、敵軍勢を引き止めております」
俺の知らない魔眼だ。
オルステッドはそんな魔眼の存在について話してはくれなかった。
あの人は、いつも俺に大切なことを教えてくれない。
でも、眼帯をしているということは、制御できていないという事か。
言うほど警戒しなくてもいいのか?
「なるほど。他の者は?」
「皆、討ち取られるか、逃げました」
「……それで、その陛下はいずこに?」
「この奥に」
「そうか、うむ、陛下の守護、大義であった」
ザノバはそう言いつつ、ランドルフの脇を通ろうとした。
だが、ランドルフは組んでいた手を広げ、それを制する。
「なぜ止める?」
「陛下には、誰も通すなと命じられております」
「しかし火急の用なのだ」
「たとえ火急の用であっても、今、陛下は大変お忙しいのです」
忙しいって、何やってんだろう。
こんな所で配下も無く、できる事とはなんだ。
「どいてもらおう。余は、陛下をお救いに参ったのだ」
「陛下は、この城を離れる気はないようです」
「……」
のらりくらりと。
まるで何かを隠すかのようにな問答を続けるランドルフに、ザノバもイライラしてきたようだ。
「陛下と直に話をする!」
ザノバが強引に前に出ようとした時、ランドルフが立ち上がった。
ゆらりと。
顔だけが中空に浮かび上がるかのように、存在感のない立ち上がり方だった。
「まあ、お待ちください。陛下は今、非常に心を痛めておいでです」
「心を?」
「ここからは城下の様子がよぉーぅく見える。
城壁の内側で敵意を向けて睨んでくる兵士も、
城壁の外側に集まりつつある兵士が、なんでか王を助けようともせず、じっと見守っている様子も……」
ランドルフはそう言いながら、俺達の後ろに視線を移した。
思わず振り返ると、確かに、踊り場にある大きな窓の向こう側に、今の首都の様子がありありと映しだされていた。
王城を囲む反乱軍。
城壁の外、閉めだされた兵士たちが駐屯しているのも。
確かに、ここから見ると、集結しているにも関わらず、反乱軍に対して攻撃を仕掛けようとしていないようにも見えるかもしれない。
でも、あの集団の大半は、商人や冒険者、あるいはただの旅人だ。
助けられるはずもない。
「その心がお鎮まりになるまで、私はここを動きません」
「いつお鎮まりになるのか」
「さて……いつになりますことやら、そう時間は掛からないと思いますがねぇ」
「ええい、お前と話していても埒があかん!」
ザノバはのらりくらりと問答をランドルフの肩に手を掛けて強引に押しのけ――。
「ぬおぉぁ!?」
そのままふっとばされた。
階段をゴロゴロと転げ落ち、壁に後頭部をガツンとぶつけた。
壁がボロリと崩れた。
「月並みなセリフで申し訳ありませんが……ここを通るというのなら、この私を倒してお通りください」
ランドルフはそう言いながら、腰の剣の鯉口を切った。
暗闇の中、緑色に光る刃が見える。
きっとあれも魔剣なのだろうな。
あ、やばい。
いかんいかん。
一式も持ってきてないのに、戦うのはよくない。
「ザノバ、落ち着け、ここで戦うのはヤバイ」
「しかし師匠……」
今の話を聞くに、ランドルフはパックスを守っているだけだ。
ザノバも、パックスを保護しにきている。
敵ではないはずだ。
ランドルフがヒトガミの使徒だってんなら話は別だが……。
その可能性は低いだろう。
俺を殺すための罠にしては回りくどいし、
例えばパックスを殺して共和国を作らないってんなら、死神ならもっと早い段階で出来たはずだ。
それこそ、王竜王国にいた頃にでも。
でも、一応、聞いておくか。
「ランドルフさん、あなたが待てというなら待ちますが……。
その前に一つ聞いておきたい事があるのですが、いいですか?」
「なんでしょうか」
「ヒトガミという存在を、知っていますか?」
ランドルフは、ニタリと笑った。
この城の雰囲気によく似た、不気味な笑いを。
「ええ、知っていますとも、それが、何か?」
ランドルフはカタカタと笑いながら、そう言った。
言ってしまった。
俺の中に戦う理由が出来てしまった。
こいつはヒトガミの使徒で、ヒトガミの思惑があってここにいる。
その思惑はなにかわからないが、この状況を作ったのはコイツで、その状況の先には、ヒトガミに有利となる何かが待っている。
なら、コイツは敵だ。
敵は倒さなければならない。
そう思ってしまった。
殺気が出てしまった。
「ああ、結局、やるんですか」
ランドルフは剣を抜いた。
緑色に発光する刃が光り、薄暗い廊下を照らす。
呼応するようにザノバは棍棒を構え、ロキシーも杖を向けた。
そして、始まった。
なし崩しとも言える流れで、始まってしまった。
七大列強との、『魔導鎧・一式』無しでの戦いが。