第二百話「ザノバの決意」
前回までのあらすじ:ザノバに対して本国より帰還命令
ラノア魔法大学、研究棟。
ザノバの研究室。
そこでは、6人の男女がテーブルを囲んでいる。
俺とクリフ、ザノバの三人が着席し、俺たちをさらに囲むように、エリナリーゼ、ジンジャー、ジュリの三人が立っている。
エリナリーゼが子供を抱いているから、七人か。
ザノバは終始難しい顔をしているし、クリフはイライラしている。
ジンジャーはつらそうで、ジュリは今にも泣きそうな顔だ。
エリナリーゼですら、何をどう言っていいのかわからないって顔をしている。
重くて嫌な雰囲気だ。
「ザノバ、まずはおちついて、もう一度、最初から説明してくれないか?」
「………………いいでしょう」
ザノバは、無表情だ。
俺を見かけるといつも笑顔を浮かべていた奴だけに、こう無表情を浮かべられると違和感がある。
まるで別人のようだ。
「今朝の事ですが、シーローン王国の兵士が、余に一通の手紙を届けてきました」
その手紙は先ほど渡された。
現在は俺の手元にある。
それを、もう一度広げて見る。
パックスの署名とシーローン王国の印が打たれている封筒。
中には三枚の紙が入っている。
1枚目は、半年ほど前に起きたシーローン王国のクーデターの詳細だ。
王竜王国に留学という形になっていた第七王子パックスが、王竜王国をバックに付けて、シーローン王国に帰還。
そのままクーデターを起こして、前国王を殺害。
その他の王族も皆殺し。
シーローン王国の国王となった。
って内容を、パックスを称えるような感じで長々と書いてあった。
2枚目は、クーデター後の事。
クーデターで国の大臣や将軍の大半を解雇した所、国を脱出する者が続出した。
人口の減少に伴い、シーローン王国全体の兵力が低下。
それを察した北の国が攻めてきそうな気配がある。
国防のための兵力が足りない。
そこで神子であるザノバを呼び戻し、国防に当たらせる案が出た。
って内容だ。
これは国が変わるのに必要な事だから、パックスは悪くないって感じの言い訳がましい書き方で書いてある。
3枚目は、ザノバを呼び戻すための書状だ。
前王の命令の解除と、本国への召集命令。
シーローン国王の印もうってある、正式なものだ。
ようするにこの三枚は、
「パックスの英雄譚」と、
「言い訳」と、
「赤紙」だ。
クーデターを起こしたら戦力が低下した。
敵が来るので、戦力を増強する。
言い訳臭が強いが、筋は通っている。
ザノバが戦力として有効かどうかって部分には疑問が残るが、
国内でザノバは有名だろうし、呼び戻すだけでも、兵たちの士気も向上するだろう。
王竜王国がバックについているなら、国防も王竜王国にやらせればいいとは思うが、そうはいかない事情もあるのかもしれない。
どの国も一枚岩とは思えないしな。
出来ないというのなら、出来ないのだろう。
とはいえ、過去の事がある。
8年前、ザノバは俺を助け、パックスの企みを打ち砕いた。
結果、パックスは王竜王国に、ザノバはラノア王国に、それぞれ留学という形で国外追放となった。
もしパックスがその時の事を根に持っていれば、ザノバはタダではすまない。
この呼び出しはザノバに復讐するための罠であると推測できる。
まあ、それはいい。
問題はここからだ。
問題は、ザノバの選択だ。
「で、お前はこれを見て、どうするんだって?」
「余は命令通りにシーローン王国へと戻り、戦線に参加します」
これだ。
クリフにしろジンジャーにしろ、これに反対している。
仮にザノバが、前王の仇を打とうってんなら、まぁわかる。
逆に、命令に従わず逐電しようってんでも、まぁわかる。
でも、ザノバはそうしない。
罠であると知っていても、ただ従おうというのだ。
パックスに。
簒奪者に。
「行く必要はない」
そこでクリフがそう言った。
クリフは、罠であるという意見が強い。
もはや彼の中では罠であると確定すらしている。
「賭けてもいいが、これは君を殺すための罠だ」
「ふむ」
「普通なら、クーデターを起こしたのなら一族を皆殺しにするはずだ。禍根を残さないためにも」
クリフ自身、ミリス神聖国の権力争いの影響でここにいる。
クリフの祖父が権力争いに負けた場合、クリフにも危険が及ぶからだ。
敵の家族は皆殺し。
それを当然のことだと思っているのだ。
「大体、敵が攻めてくるのが本当だとして、君一人が増援に行って、何が出来るっていうんだ」
「何かは出来るでしょうな。余はこれでも、神子ですゆえ」
「だとしてもだ!」
クリフはイラついた表情で、ドンと机を叩いた。
ごまかしたな。
「お前が敵を退けたとして、パックスはどういう行動に出る!?」
クリフは、パックスが国外追放になった事件の顛末を知っている。
いつだったか、俺とザノバの出会いを話したからだ。
だから、パックスがどんなヤツだったかってのも知っている。
偏見もあるだろうが、彼が反対するのは、俺もよくわかる。
「用済みになったお前を生かしてはおかないかもしれないだろ!」
だから、こういう言葉も出る。
もっとも、俺もその意見には同意だ。
仮に、本当に他国が侵略してきて戦争になったとしよう。
パックスが本当にザノバの力を欲していたのだとしよう。
そこで、ザノバがシーローン王国に訪れ、神子パワーで解決したとしよう。
しかしその後はどうだ。
王族であり、第三王子であるザノバは、パックスにとってどういう存在だ。
敵を倒したとなれば、ザノバの評価も上がっていよう。
国を救った英雄として祭り上げられているかもしれない。
窮地を救った兵士たちに、莫大な人気を得ているかもしれない。
そんなのが、自分と同じく王家の血を引いているとして。
パックスはどう思うだろうか。
邪魔に思うんじゃないだろうか。
自分の地位を脅かす存在に見えるんじゃないだろうか。
そう思った時、パックスがどういった行動を取るか。
考えるまでもない。
「ザノバ、俺もそう思う」
「……その可能性は高いでしょうな」
俺がクリフに同意すると、ザノバもまた真面目な顔をして頷いた。
パックスが自分を恨んでいるだろう事も、自分が殺される可能性もわかってるって事か?
「でも、行かねばなりません」
だというのに、ザノバは行くという。
おかしな話だ、意味がわからん。
「……なんでだよ」
「正式な帰還命令ですゆえ」
即答であった。
確かに、書状には国王の印が押してある。
前王の命令は撤回、今すぐ留学をやめ、帰って来い。
そんな旨の文章だ。
「でも、パックスからだろう? 王が変わったんだ、従う必要はないんじゃないか?」
「師匠。王が変わったから命令を聞かずとも良いというのでは、それでは国は立ち行きませぬ」
「といっても、正式な手続きを経て王になったわけじゃない……いわゆる簒奪者だろ?」
「経緯はどうであれ、今現在パックスが王であるのに違いはありませぬ」
そういうものなのだろうか。
まあ、前世の世界でも、そういう国はたくさんあったが……。
その国の臣下は、どうしてたんだろう……。
簒奪をした王の下でも、働きたいと思ったのだろうか……。
「ザノバ、お前はパックスの下で働きたいのか?」
「そういうわけではありません」
ザノバはゆっくりと首を振った。
埒があかないな。
何を言っても、ザノバには届かないのではないだろうか。
そんな思いが、俺の気持ちを焦らせた。
「じゃあ、なんでだよ」
思わず口調が強くなる。
「殺されるのがわかってる。従うつもりも無い。なら、行く必要もないだろ。なんでそこまでこだわるんだ?」
あるいは報復でも恐れているのだろうか。
ザノバが命令を拒否した場合の、シーローン王国からの報復。
でも、ここはラノア王国だ。シーローンからどれだけ急いでも半年はかかる場所だ。
なんだったら、アリエルに口添えして、アスラ王国に亡命って形にしてもいい。シーローンでクーデターが起こった、身の危険があるため亡命したいって、そんな理由で亡命できるのかは知らないが。
「理由ですか」
俺の問いに、ザノバは笑った。
いつものように心底楽しそうな笑みではない。
無理やり作ったような笑みだ。
「いいですか師匠、元々、余はシーローン王国にとって厄介者だったのです」
「そんな事はないだろ、だって神子だぞ?」
「ええ、ですが、力加減を間違えて王族を殺してしまうような神子です」
その言葉で、俺はふと、シーローン王国時代のザノバの二つ名を思い出した。
『首取り王子』。
生まれたばかりの正妃の子供――自分の弟の首を引っこ抜いた、狂乱の王子。
言うまでもない事だが、正当な理由なく身内を殺すことは、王族だろうと許されはしない。
しかし、その事件においてザノバは、ほぼお咎め無しだったという。
ザノバの母は国外追放されたというのに。
「余が許されたのは、神子だからです。いつかは役に立つだろうと思われたのです」
クリフが動揺した顔でこちらを見てくる。
その話は知らなかったのだろうか。
「それから、自分の妻の首を引っこ抜き、内乱を誘発させた事もありましたな」
ザノバはバツイチだ。
王族として政略結婚し、新婚初夜に相手の首をねじ切った。
そして、それが元で、内乱が発生した。
「あの女は許せぬ事を言いましたし、許すつもりはありませぬが、戦争を起こした余は処刑されてもおかしくなかった」
ザノバはそう言って、俺を見た。
「でも、処刑されなかった」
そして、ため息を一つ吐いた。
続けて、当然のことを聞くような口調で言う。
「師匠。余はなぜ、生かされていたのだと思いますか?」
「……」
俺は答えられない。
ザノバは続ける。
「その後、師匠と出会い、問題を起こした余は、とうとう国外へと追放された。
処刑されてもおかしくなかったが、国外追放にとどまった。
追放にも関わらず、ここシャリーアに来てからも、本国からは莫大な生活資金が送られてきた。
それはどうしてだと思いますか?」
ザノバの言いたいことはわかっている。
ザノバが生かされている理由はわかっている。
「いざという時に、国を守るためです」
ザノバの口調は強く、俺は何も言えなかった。
クリフですら、目を見開いたまま、静止していた。
ジンジャーだけが、理解を示し、悲しそうな顔をしていた。
「他国との戦争は余の義務です。
そのために生かされ、そのために勝手を許されてきたのです。
なので、行かねばなりません。
万が一にも、国が攻め入られてからでは、遅いのです。
いえ、もう攻め入られているやもしれません。
今すぐ、急いで向かわなければいけないのです」
正論だ。
今まで育ててもらった恩、生かしてもらった恩を返す。
もらったものを返すのは、当然だ。
本当なら、パックスがクーデターを起こした時点で帰りたかったのかもしれない。
けど、それはもう過ぎた事だ。
ここで自分が内乱を起こし、国内を疲弊させれば、シーローンという王国は本当に滅びかねない。
だからパックスに従うのだ。
シーローンという国を守るために。
わかる。
けどさ、ザノバ。
違うだろ。
お前はもっとこう、ワガママで、自由な奴だったろ。
責任とか「余には関係ない事ですな、それよりこの人形をご覧ください! 特にこのくびれを!」とか言ってるキャラだろ?
……言えない。
正しくない。
ザノバに「そんなの関係ねえ」と言って欲しいのは確かだ。
でも、正しくない。
「……お前、殺されるぞ?」
俺はなんとか、一言を絞り出した。
その言葉に、ザノバは答えた。
「国が死ねというのなら、死ぬしか無いでしょう」
毅然と、堂々と。
昔の武士や、旧日本軍の兵隊に聞いたら、こんな返答が帰ってくるのだろう。
でも、止めるべきだ。
俺はザノバに死んでほしくない。
でも、正面切って反対できない。
ザノバがまっすぐな目で見ているからか。
俺が変わったからか。
言葉が出てこない。
なんて言ったらいいのかわからない。
「師匠、クリフ。そのような顔をしないでくださらんか」
ザノバはそこで、朗らかとも言える笑みを見せた。
いつもの笑みだ。
「余も、シーローンにいた頃は、義務など考えた事はなかった。
しかし師匠と出会い、クリフと出会い、ナナホシ殿と出会い。
ここで生活をしているうちに、色々と考えたのです。
自分がせねばならぬ事は何なのか……」
そうして、出てきた結論が「国を守る」という事なのだろうか。
俺たちと生活してきて出てきた結論が、なぜ国を守るに繋がるのだろうか。
わからない。
「まあ、偉そうに言った所で、余もなぜ自分がそのような結論を出したのか、わかっておりませんがな! ハッハッハ!」
ザノバは笑ったが、俺は笑えなかった。
こいつの出した結論に、イチャモンをつけるつもりはない。
正解か不正解かなんて、結果が出てみないとわからないからな。
選択は尊重すべきだ。
ただ一つ言える事がある。
選択の結果、ザノバが死ぬというのは……俺にとってよくない。
ザノバは親友だ。
思い返せば、俺はこいつにずっと助けられてきた。
シーローンで助けてくれたのはこいつだ。
この学校に来た時、こいつに会えなかったら、俺は今ほど友人に恵まれなかった。
リニア・プルセナとの関わりが出来たのは、ザノバの人形が発端だった。
ザノバがいなければ、クリフとも今ほど仲良くなれていなかったかもしれない。
一緒に魔大陸に行った時も、こいつは素手でアトーフェを抑えてくれた。
魔導鎧も、こいつがいなければ完成しなかった。
思い返せば助けられてばかりだ。
それに、ザノバと一緒に人形を作っている時は、なんだかんだ言って楽しかった。
俺は楽しかったのだ。
こいつは俺の事を常に持ち上げてくれたし、やることなすこと褒めてくれた。
そんな奴と一緒にいて、心地良くないはずがない。
人としてそれはどうかとも思うが、俺は間違いなく、心地よかった。
それにこいつは、未来の日記でも、俺を死ぬまで見守っていてくれた。
そんなザノバを見殺しにする事は出来ない。
ルーデウス・グレイラットという人間は、ザノバ・シーローンを見殺しにしてはいけない。
……ん?
まてよ。
未来の日記?
ふと、俺の脳裏で何かがカチリとハマった。
「ザノバ」
「なんですか、師匠」
次の言葉は、自然と出た。
「俺も行く」
そう言った時のザノバの嬉しそうな、困ったような顔が印象的だった。
---
会合を切り上げた俺は、オルステッドの所に赴くことにした。
移動しながら、今回の一件について考えてみる。
まず、ザノバの本国召喚について。
日記には、そうしたイベントはなかった。
ザノバはずっとシャリーアにいた。
か、どうかはわからないが、ずっと俺の傍にいてくれたように書かれている。
日記の未来では、この帰還命令は来なかったのだろうか。
パックスはクーデターに失敗したのか。
いや、そもそもクーデターを起こさなかった可能性もある。
ともあれ、今回と日記で、違う事が起きている。
てことはもしかして……ヒトガミの仕業である可能性が高いのではないだろうか。
思えば、この一年半、ヒトガミの使徒が三人揃って出てきたことはなかった。
最後の一人がパックスで、裏でコソコソ動いていたのだと考えれば、辻褄も合う。
オルステッドは「時を待て」と言っていたが、まさに今がその時なのかもしれない。
うん、そうだ。
そうに違いない。
この時のために、俺は力を蓄えていたのだ。
ザノバを助けるために。
「オルステッド様!」
オルステッドはいつも通り、高級な机で書き物をしていた。
「ルーデウスか。どうした?」
いつも通り怖い顔をしているオルステッドに、事情を話した。
ザノバの元に届いた召集令状の事。
しかし、日記によるとザノバは呼び出されていない、という事。
「これは、ヒトガミの仕業ですよね?」
「……」
割りと自信たっぷりでそう言ったが、オルステッドは怖い顔をして睨んできた。
あれ?
おかしいな。
なにか間違っただろうか。
「俺の知る歴史では、シーローン王国は今から約30年後、パックス・シーローンのクーデターによって滅びる」
戸惑う俺に、オルステッドは恐ろしい顔で答えた。
いや、別に怖い顔をしてるわけではないだろうが。
「……30年後?」
「そうだ」
オルステッドは本来の歴史について語ってくれた。
本来の歴史。
すなわち転移事件も起きず、俺がシーローン王国に関わらなかった場合の歴史だ。
その場合、パックスは国の奴隷市場を利用して資金を溜めたり仲間を増やし、人質を取って敵を倒して力を付けていく。
そして、最後にクーデターを起こすらしい。
クーデターは成功、パックスは王になる。
しかし、そこでパックスは燃え尽きる。
王になり、何もかもが自由になったパックスは、王政に疑問を感じるようになるのだそうだ。
パックスは、王政を廃止、共和制を提案する。
シーローン共和国の誕生だ。
シーローン共和国はその後、強国となる。
現在の紛争地帯の約半分を手に入れるほどの成長を遂げる。
そして、世界で4番目の国となったシーローン共和国は、ヒトガミにとって邪魔な存在を誕生させる。
「ヒトガミはそれを嫌い、お前をシーローン王国へと向かわせ、パックスを国から遠ざけたのだと思っていたのだが……」
これが、俺がヒトガミの助言でシーローン王国へと向かった事で変わった。
二人は国外追放になり、パックスが王になる線は消えた。
シーローン共和国は誕生しない。
「パックスが王になってしまったら、共和国が誕生する」
オルステッドは難しい顔をしている。
つまり、ヒトガミの思惑と結果が違うのだ。
「今回は王竜王国をバックにつけての事ですし。パックスは共和制を提案しないのでは?」
「いや、変わらん。以前、俺も今回と似たような事をしたが、やはりパックスは共和制を提案した」
どんな経緯であれ、パックスが王になった場合は、やがてパックスは共和制を提案し、シーローン王国は共和国となるらしい。
アリエルの時と一緒だ。
結局は運命。
王になってしまえば、後の事はほぼ確定するのだろう。
「あれ? じゃあ日記での未来の方は?」
「恐らく、パックスはクーデターを起こしていない。ヒトガミの最初の思惑通り、シーローン王国は小国のままだろう」
つまり。
従来の歴史『パックスがクーデターを起こして王になる、共和国誕生』
日記の歴史『ヒトガミの手引によりパックスは王にならず、共和国は誕生しない』
今回の歴史『パックスがクーデターを起こして王になる、その後おそらく共和国誕生』
こんな感じだ。
てことは、ヒトガミはわざわざ元の状態に戻したって事になる。
「なんでそんなことを?」
「罠だな」
オルステッドの言葉は重くのしかかってきた。
「ヒトガミは、変えようとした未来を元に戻してでも、お前を殺したいのやもしれん」
一つ戻して、俺を殺す、か。
麻雀では相手にアガらせないために、自分の手を崩して降りる事もある。
それと一緒か……。
「ノコノコと出て行けば、ヒトガミはお前を確実に殺すための罠を用意しているだろう」
「オルステッド様を狙っているわけでは?」
「その可能性もあるが、ザノバ・シーローンはお前の友だ。餌と言い換えてもいい」
「……」
パックスはザノバを呼び出した。
ほぼ確実に罠であるにも関わらず、ザノバは行くという。
俺が行くかどうかはヒトガミには見えないはずだが、ザノバが死ぬ可能性が高いなら俺は釣れるだろう。
ヒトガミだって、俺がどういうヤツかぐらいは知ってるだろうし。
……今回のヒトガミは頭を使っているな。
「ザノバはお前の装備を作っている男だ。仮にお前が来ずとも、奴を始末する事は後のためになると考えたのかもしれん」
一石二鳥か。
俺が来たら二人とも。
俺が来なけりゃ一人だけでも。
「ザノバが使徒である可能性は?」
「今回に限っては無いだろう。奴はシーローンの歴史において大した男ではない」
おいやめたまえ。
あいつは、俺にとっては大した男だよ。
現に、こうして俺はまんまと餌に引っかかっているし。
「じゃあ、どうすればいいでしょうか」
「いつも通りだ、真正面から潰す」
「……ですよね」
とりあえず、オルステッドが付いてきてくれれば簡単だ。
アリエルの時と同じようにやればいい。
罠だというのなら、それもいいだろう。
俺が誘蛾灯のように敵をおびき寄せ、いざとなったら「先生お願いします」だ。
さながらチョウチンアンコウのように、オルステッドがパックリ敵を倒してくれるはず。
俺は最近、巷で「龍神の配下」だの「龍神の手先」だの言われている事もあるらしいが、「龍神の提灯」を名乗るのが一番いいのかもしれない。
「だが、ヒトガミが関与していない可能性もある」
「…………と、いうと?」
「もともと、この事件は起きる予定だった可能性だ」
ふむ。
もともと起きる予定。
「先ほどの話は、予想にすぎん。
今の時期については、日記には書かれていない。
案外、ザノバ・シーローンは本国に行った後、無事に帰ってきたのやもしれん」
ヒトガミは関係なく、この事件は起きた。
ザノバは歴史通りにシーローンに召集され、そこで仕事を終え、無事に帰ってきた。
言われて見ると、そんな可能性も、ありうるの、か?
「…………うーん」
「日記のザノバはミリスより賞金を掛けられている。
その点を考慮し、シーローンがザノバの帰還を許さなかった可能性も大いにある。
あるいはザノバ自身が蹴ったか、ジンジャーが握りつぶしたか……」
なるほど。
落ち着いて考えれば、日記と今では状況も違う。
仮に日記未来でパックスがクーデターに成功したとしても、ザノバは賞金首だ。
ミリス神聖国からお尋ね者扱いされている者を国元に戻さず、知らぬ振りをするというのもわかる。
ミリス神聖国には、傭兵部隊みたいな騎士団がいる。
ザノバを戻せば、その騎士団が敵対国につく、という可能性もある。
可能性を言い出せば、キリが無い。
「でも、ヒトガミは俺を使って、シーローンの歴史を変えたんですよね? その場合だと、シーローンが共和国になっちゃうんじゃないですか?」
「変えようとしたが変わらなかった、という可能性もある。
お前の運命は強いが、それでも全てをねじ曲げられるほど強いわけではないだろう」
まあ、俺が関われば全ての歴史を変化させられるってわけにもいくまい。
「む……」
と、そこでオルステッドが何かに気づいた。
顎に手を当て、考えるような仕草をする。
「ど、どうしました?」
「いや……パックスは王竜王国にいたのだったな」
「ええ」
「となれば、クーデターも王竜王国に手引されている可能性があるな」
「まあ、そうですね」
あ、そっか。
パックスは王竜王国にいた。
ってことは、そこで別の使徒に誑かされた可能性もあるのか。
パックスが使徒じゃない可能性だ。
王竜王国の誰かが、ヒトガミの使徒である可能性。
そいつが、今回の黒幕である可能性。
「よし、俺は王竜王国へと行き、そちらに使徒がいる可能性を探る」
え?
付いてきてくれないの?
「で、でも、シーローン王国がヒトガミの罠だった場合は……どうするんです?」
「……お前がそれを恐れるのなら、行かない方がいいだろう」
つまりそれは、見捨てるって事か。
あのザノバを。
そりゃ、オルステッドにとっては、ザノバは重要人物ではないかもしれない。
オルステッドは俺の家族を守ると約束してくれたが、
ザノバは親友ではあって、家族ってわけでもない。
あ、じゃあ家族にしてしまえばいいんだろうか。
ウチの誰かに頼んでザノバと結婚して貰えば…………。
いや、そうじゃない。
ザノバになら妹をまかせてもいいぐらいには思っているが、そうじゃない。
「ザノバは、俺を助けてくれました。日記でも、最後まで、俺を助けてくれました」
「……」
「俺は彼を見捨てはしません」
問題は、俺一人でザノバを助け切れるかどうかって事だ。
いや、一人で行かなくてもいいかもしれない。
誰かを派遣してザノバを助けてもらうのはどうだろうか。
エリスの知り合いには剣聖だかもいるらしいし、剣の聖地に連絡をとって、ザノバの護衛団を組織するとか。
いや、あんまり知らない相手に転移魔法陣の存在を知られるのは困るな。
傭兵団はまだ動かせる段階には無いとして……。
「ならばお前はシーローンへ、俺は王竜へと赴き、ヒトガミの企みを潰す。いいな」
「はい」
考えてみれば、まだまだいろんな可能性がある。
道中で探りながら、調べていく必要があるだろう。
「そうだ。いい忘れていたが、シーローンに行くにあたり、一つ守ってほしい事がある」
「はい」
守って欲しい事か。
絶対に死ぬな、とか言ってくれるのだろうか。
だとしたら、キュンとしちゃう所だが……。
「もし、パックス・シーローンが使徒だったとしても、殺すな」
「……はい?」
「パックス・シーローンは殺すな」
大切な事なのか、二度言われた。
いや、俺が聞き返したからだ。
パックスを殺すな……。
なんでそんなことを、と迷う事はない。
パックスを殺せば、シーローンは共和国にならないからだ。
オーケーボス。
例えパックスがこちらに敵意を持っていたとしても、殺さずに対処するよ。
「わかりました」
でも、難易度が上がったな。
仮にパックスがこちらを殺しにきても、こっちは向こうを殺せないって事になる。
その状態で……まず、俺は死なないようにする。
ザノバも連れ帰る。
あれ?
そういえば、ザノバは何をすれば帰ってくれるんだろうか。
ザノバの目的はなんだっけ?
国防?
何をすれば満足するんだろう。
いや、いい。
とにかく一緒に付いて行って、タイミングを見て、一生懸命説得しよう。
「オルステッド様、ありがとうございます」
「礼はいい」
俺はオルステッドに対して深く頭を下げて、事務所を出たのだった。
---
しかし、ヒトガミの罠か。
ザノバは俺がついていく事に関して、特に文句は言わなかった。
けど、もし罠だと言えば、ザノバは反対するだろうな。
逆か?
例え反対されても言うべきだろうか。
ヒトガミが俺を殺すために、シーローン王国で罠を張った。
お前を餌に、俺を殺すつもりだ。
だから、行かないでくれ、とかなんとか……。
いや、ダメだな。
単に「そういう事でしたら、余が一人で行ってまいります」とか言いそうだ。
それなら、黙っていて、何食わぬ顔で隣にいた方がいいだろう。
……今回もだんまりだ。
俺、そろそろザノバに嫌われるかもしれないな。