第百二十五話「死闘」
戦いが始まった。
大きな部屋にどっしりと構えるヒュドラ。
その後ろにある魔力結晶。
その中に閉じ込められているのは、やはり紛れも無くゼニスであった。
ヒュドラは俺たちの姿を見かけると、ゆっくりと体を起こす。
「よし、いくぜ!」
パウロが走る。
犬のように低い姿勢で、風のように速く。
何もかもを置いてけぼりにする速度で。
しかし、今回はエリナリーゼも付いていっている。
その後ろからタルハンド。
彼の足は遅い。
俺たちはタルハンドにあわせるように前進していく。
ギースは俺たちのさらに後方に待機している。
戦うすべを持たない彼は、この場では役立たずだ。
ヒュドラのような大型の魔物と戦うための術も無い。
しかし、彼はいる。
仮に俺たちが全滅したとき、脱出してその結末を伝えるのも、彼の役割だ。
「らあぁぁぁ!」
パウロがヒュドラに到達する。
同時に、ヒュドラの三つの頭が動いた。
大きさに対して、ヒュドラは素早い。
首の一つ一つが野生の蛇であるかのように俊敏に動く。
しかし。
パウロが一瞬ブレた瞬間、首のうちの一つが切断されていた。
よし、いまだ。
「火球弾!」
杖の先へ、渾身の魔力を込める。
凄まじい熱量を持つ火の玉がヒュドラへと飛ぶ。
――が、ダメだった。
火球弾はヒュドラに近づくにつれて小さくなり、着弾と同時に消え去った。
耳に残るのは、ガラスを引っ掻いたような不快音。
「やはり近接してぶち込むしかないか」
近寄らなければ、倒すことはできない。
至近距離で火魔術をぶちかまして、傷口を焼き落とすしか無い。
「予定通りですね。ルディ、いけますか?」
「大丈夫です。別に、魔術師としての訓練ばかりをしてきたわけではありませんので」
口ではそう言いつつも、俺の心臓はバクバクと早鐘を打っていた。
接近戦は苦手だ。
俺の接近戦の記憶は敗北に彩られている。
パウロに始まり、ギレーヌ、エリス、ルイジェルド。
誰にも勝てず、今の俺がある。
そりゃ、最近はそれなりに勝てるようにはなってきた。
リニア、プルセナ、ルーク。
予見眼を使ったとはいえ、彼らには勝利している。
しかし、彼らはヒュドラに勝てるだろうか。
否だ。
パウロやエリナリーゼといった者達が苦戦する相手に、彼らが勝てるとは思えない。
つまり、あいつらに勝ったからといって、ヒュドラに勝てる道理は無いって事だ。
だが、今回は一人で戦うわけではない。
チーム戦だ。
パウロもエリナリーゼも、ロキシーもついている。
タルハンドの力は未知数だが、彼らと同程度ならば役に立たないわけではない。
俺は全速力で前進し、パウロのすぐ後ろについた。
「ルディ、俺の背中から離れるんじゃねえぞ!」
目の前から聞こえるパウロの声。
俺の左側にエリナリーゼが、右側にタルハンドが付く。
そして背後にロキシーだ。
まさにイ○ペリアルクロスだな。
「シャアアァァァァ!」
三つの首が同時に攻撃を仕掛けてくる。
ヒュドラは4つ以上の首を動かさない。
そこまでのキャパシティが無いのか。
それとも、単に他の首が邪魔になるからなのか。
わからないが、とにかく好都合である。
エリナリーゼが一つの首をいなし、タルハンドが一つの首を受け流し。
そしてパウロが一つの首を切り落とす。
切り落とされた首はビクビクと地面をのたうちまわった。
「いけっ!」
「はいっ!」
パウロの叫びを聞いて、俺はのたうち回る首に近づき、魔術を放つ。
火魔術は周囲を明るく照らしながらヒュドラの首に着弾。
その傷口をブスブスと音を立てながら焼き、黒焦げに変えた。
「どうだ……?」
俺はバックステップを踏みつつ、傷口を見る。
まだわからない。
すぐに別の首が襲い掛かってくる。
パウロが受け止める。
エリナリーゼが盾で受け流す。
視界の端で、タルハンドから血しぶきが上がる。
「くっ!」
「神なる力は芳醇なる糧――『ヒーリング』!」
タルハンドが傷を負うと、すぐにロキシーが詠唱しながら走っていき、その傷を癒やす。
全員が俺に攻撃が行かないように立ちまわっている。
俺が確認するしかない。
「……」
首は、傷口はどうだ。
炭化した切断面は再生するのか。
どうだ。
「……よし」
再生しない。
奴の傷はそのままだ。
以前のように、肉が盛り上がり復活する事はない。
「有効です!」
「よっしゃ!」
パウロが叫び、次の首を切り落とした。
俺がその首を焼く。
凄まじい熱。
息苦しくなるほどの熱量が俺にまで届く。
パウロも額に汗を垂らしている。
だが、これぐらいの火力を出さなければ、切断面を焼けない。
生焼けでは再生される可能性だってあるのだ。
この調子でいけば……。
「……っ! カバーを!」
予見眼がヒュドラの動きを捉えた。
<動いていなかったヒュドラの首が二本、俺を狙う>
片方は回避出来る。
しかしもう片方は回避した先を狙ってくるだろう。
「任せなさい!」
俺が片方の首を避けた所で、エリナリーゼが飛び込んでくる。
一つの首を弾き飛ばしながら、やや無理な体勢で飛び込んでくる。
俺とヒュドラの間に自分の体をはさみ、
自分とヒュドラの間に盾をはさみ、
ギャリギャリという音を立てながら、俺を守る。
ピッと、エリナリーゼの血が俺の頬に飛んだ。
「ロキシー! 治癒を!」
「神なる力は芳醇なる糧――『ヒーリング』!」
ロキシーがすぐさまエリナリーゼの傷を治す。
そして、二人は何事もなかったかのようにポジションに戻る。
「ルディ! 三本目行くぜ!」
「はいっ!」
パウロの叫び。
同時に、目の前に血柱を立てながら落ちるヒュドラの首。
焼く。
俺の仕事は焼くだけだ。
肉を焼く。
ひたすらに焼くのだ。
他の事は他の奴に任せる。
ただ目の前の事に集中する。
パウロが斬る、俺が焼く。
エリナリーゼとタルハンドが俺を完璧に守る。
そして、彼らをロキシーが守る。
四本目の首を焼き落とした。
いける。
そう思った瞬間。
ヒュドラは動きを変えた。
唐突に。
そう、唐突にだ。
ヒュドラは残る5本の首を、同時に動かして、タルハンドを狙った。
「くぅッ!」
「タルハンドっ!」
1本目の攻撃を避ける。
2本目は避けきれない所を、タルハンドが地面を転がるように逃げる。
その際、ヒュドラの体が掠り、重そうな甲冑の肩の部分が弾き飛ばされ、地面をカラカラと転がった。
3本目。
タルハンドは尻もちをついた体勢で、斧を盾にそれを受け止める。
4本目。
タルハンドの足に食らいついた。
タルハンドは一瞬にして宙吊りにされる。
「ぐおおぉ!」
そして、5本目が、身動きの取れないタルハンドの胴体を食い破ろうと――。
「オラァッ!」
ドン、ドンと音をたてて首が落ちてきた。
ヒュドラの首が、だ。
四本目、五本目が、パウロの斬撃によって切り落とされたのだ。
「すまぬ、助かった!」
「燃やします!」
「神なる力は芳醇なる糧――『ヒーリング』!」
タルハンドの声、俺の声、ロキシーの声。
同時に聞こえ、それぞれが別々に動いた。
ヒュドラの首が二つ、同時に焼ける。
残り、三本。
「ん?」
そこで、ヒュドラの動きがまた少し変化した。
俺たちを恐れるように、よたよたと後ろに下がり始めたのだ。
「いける、押しこむぞルディ!」
パウロが出る。
いや、まて。
罠じゃないのか。
相手がなにを企んでいるかわからないのに攻めるべきでは……。
と、思った瞬間。
「なっ!」
ヒュドラの首の一つ。
ひときわ大きな首が。
焼け焦げた首の一つを、食いちぎった。
「なにぃ!?」
食いちぎられた首は、みるみるうちに再生していく。
「いかん!」
焼いた断面からは再生できない。
だが、その断面を食いちぎってしまえば、再生出来てしまうのだ。
「再生させる暇を与えるな!」
「やあああぁぁぁ!」
エリナリーゼが雄叫びを上げながら走る。走る。
そしてグラディウスを、再生しかけている首の一つに突き刺し。
「汝の求める所に大いなる氷の加護あらん、
氷河の濁流を受けろ、『氷撃』」
魔術を、再生しかけている首へとゼロ距離で叩き込んだ。エリナリーゼがだ。
まだ鱗のない、ぶよぶよの肉肌に、氷の塊がぶち当たり、はじけた。
ザクロのような血を撒き散らせながら、首がのたうちまわる。
「ロキシー!」
「小さな燻りが巨大なる恵みを焼きつくさん『火炎放射』!」
いつしか、エリナリーゼに追随していたロキシーが火炎放射を放つ。
鱗によって威力が減衰していたものの、ヒュドラの首は煙をあげて焼けた。
「よし!」
パウロが追撃を掛けようとする。
しかし、ヒュドラは首をさげない。
大きな体を持ち上げて、天井スレスレまで頭を持ち上げて、こちらを睥睨した。
残り三本の首、全てで。
怯えているのか?
ちがう。
そんな感じではない。
なんだ、覚えがある、危険だ。
「何かくるぞ、警戒しろ!」
「はい!」
パウロの声。
そこからの俺の動きは直感だった。
いや、経験によるものと言えるかもしれない。
俺はこの体勢を、一度だけ見たことがあった。
ドラゴンが体を直立させ、大きく"息を吸い込む"その姿を。
「ブレスがきます! 俺の近くに寄ってください!」
「おう!」
パウロが大きくバックステップを踏み、俺の目の前まで来る。
エリナリーゼとタルハンドが、転がるように俺の足元まで走りこむ。
ロキシーが抱きつくように飛びこんでくる。
俺は水を創りだした。
分厚い、水の壁を。
ほぼ同時に、ヒュドラが吐いた。
三つの首から、凄まじい量の火炎ブレスが降り注ぎ、水壁にぶち当たる。
凄まじい湯気が発生し、室内の温度がぐんと上昇した。
「……!」
ドラゴンの火炎ブレスは、凄まじい温度を誇る。
鋼を簡単に溶解させ、小さな沼を一瞬で蒸発させてしまうほどの。
それが、三つの首から同時に放たれた。
並の魔術師には、これを防ぐ術はない。
五人、いや十人近い魔術師が結集して一つの水壁を作り出せば、あるいは可能だろう。
それでも無理かもしれない。
しかし、俺の魔力は並ではない。
「父さん!」
「おう!」
ヒュドラが首を落とした所に、パウロが躍りかかる。
ブレスには使用制限がある。
理由は分からないが、とにかく連射は出来ないらしい。
体内機関を使っているのか、魔力の溜めが必要なのか。
理由は分からない。
ゆえにドラゴンの切り札なのだ。
それを、三つの首から同時に放った。
連発はない。
一つの首ならば、あるいは別の首がブレスを使ったかもしれない。
だが、奴はそれをしなかった。
恐らく、他の首が巻き込まれるからだ。
ともあれ、今がチャンスだ。
「おおおぉぉぉっっ!」
パウロが首を切り落とした。
即座に俺が焼く。
あと、二本。
太い首と、細い首。
ひときわ太い方が本体か?
なら、奴は後回しだ。
「父さん、細い奴を先に!」
「わかってる!」
パウロが走る。
エリナリーゼとタルハンドが太い首の相手をしている。
残り二本となって、かなり楽になった。
「だぁらぁぁぁ!」
パウロが首を切り落とす。
俺は即座に火魔術を叩き込む。
いける。
残り一本だ。
勝った。
ここまでくれば再生の隙は与えない。
もし最後の首が不死身だとしても、一本ならいくらでも相手を出来る。
俺が魔術でその首を焼いた瞬間。
ヒュドラが身震いをするように動いた。
俺は、その動きが何かわからなかった。
予見眼には、映っていたのに、わからなかった。
大きすぎて。
「馬鹿野郎!」
「っ!」
気づけば、パウロに突き飛ばされていた。
すぐ目の前を、巨大な何かが通過した。
もう首は無いはずなのに。
違う。
首は"ある"のだ。
ただ"頭がないだけ"で。
頭の無くなった首を、ヒュドラはバラ鞭のように振り回したのだ。
八本の首を。
おろし金のような硬い鱗で覆われた、一抱えもあるような首を。
体を振って、一斉になぎ払ったのだ。
「ルディィ!」
パウロが叫ぶと同時に、俺を再度、蹴り転がした。
ほぼ同時に、ダァンとでかい音をたてて、俺の真横に何かが落ちた。
何かが。
膝をつく俺のすぐとなりに。
俺がいた場所に。
俺とパウロの間に。
「う、うおっ!」
そこに眼があった。
切羽詰まった眼をしていた。
追い詰められた眼をしていた。
ギリギリになって、生き延びようとする眼をしていた。
ヒュドラの眼が。
額のあたりから、角のようなものが飛び出している頭が。
「おおおおおおぉぉぉ!」
俺は反射的に、その眼に左手を突っ込んだ。
グチャリという音と共に、やけどするような熱が腕に伝わる。
ヒュドラがまぶたを閉じた。
鱗に包まれたまぶたが、落ちてくる。断頭台のように。
次の瞬間、俺は岩砲弾を放った。
ヒュドラの頭が爆散すると同時に、まぶたが閉じられた。
同時にぐいんと上へと持ち上げられる。
ゴキンという音の後、ブチィという音が脳髄に響いた。
「ろ、ロキシィィ!!」
痛みをこらえて俺は叫ぶ。
信頼できる師匠の名を。
「小さな燻りが巨大なる恵みを焼きつくさん『火炎放射』!」
その声は、小さく、しかし俺の耳には響いて聞こえた。
最後の首は、黒焦げになって落ちた。
ヒュドラの巨体が轟音をたてて、崩れるようにして倒れる。
土煙を上げて、首の無い死体が、ビクビクと痙攣しながら、地面に横たわった。
その体から生命が消失していくのを感じられる。
再生はない。
最後の首は不死身ではなかったのだ。
「はぁ……はぁ……」
倒した。
倒したのだ。
「やった……っつぅ!」
そう認識した瞬間、俺は左手に激痛を覚えた。
見て、愕然とした。
「うっ……」
左手が無かった。
まぶたについた鱗によって皮と肉を切られ、強靭なまぶたの筋肉によって骨を砕かれ。
そして最後の一瞬、頭を上げたヒュドラによって、ちぎり取られたのだ。
動脈からビュービューと血が噴き出している。
「手が、俺の左手……」
眼だ。
ヒュドラの頭の中に、俺の左手がある。
そう思い、先ほどの頭を見る。
ロキシーの渾身の火魔術によって、炭化した首の跡。
それを見た瞬間、俺は悟った。
もう、左手は無い。
恐らく、探しても見つかるまい。
あったとしても、探している間に俺の血が。
ああ、早く治癒魔術を使わなければ。
「奇跡の天使よ、命の鼓動に天なる息吹を与え給え。
天にいただきし太陽。神なる御使は赤を嫌う。
光の海に舞い降りて、純白の翼を広げよ。
さすれば赤は駆逐されん。
『シャインヒーリング』」
上級の治癒魔術を詠唱する。
上級では、失われた部位が元に戻らないのは知っている。
しかし、上級を使った。
切断された部分からピンク色の肉がモリモリと膨らんでいき、血が停止した。
ついでに、顔にあったらしい傷や、パウロに蹴られた時の打ち身も治っていくのを感じる。
「ふぅ……はぁ……」
息が荒い。
落ち着け。落ち着け。
左手を失った。
だが、ヒュドラはかなりの難敵だった。
左手だけで済んだ、そう思えば、安いものだったかもしれない。
ギリギリでパウロが助けてくれなければ、死んでいた可能性も高かっただろう。
「……助かりました、父さん」
俺は振り返りつつ、パウロの姿を探した。
返事はない。
誰もが黙っている。
エリナリーゼが立ち尽くしていた。
タルハンドが無言だった。
ロキシーが口元を抑えていた。
その後ろから、ギースが顔面蒼白で走ってきている。
パウロの返事が無い。
「……父さん?」
全員の視線の先。
パウロが地面に倒れていた。
そう、倒れていた。
上をむいて。
けど。
ただ倒れていただけではなくて。
意識が無くて。
うつろな眼で。
そして。
下半身が無かった。
「……あ?」
理解できない。
「え?」
ああ、いや。
何が起こったのかは、知っている。
そうだ。
見てたじゃないか。
パウロは、俺を蹴り飛ばした。
俺がいた場所に、ヒュドラの最後の首が迫ってきたから。
だから、俺を蹴ったのだ。
人を一人、蹴り転がすためには。
そう、思い切り蹴らなければならない。
俺はもう子供じゃない。
思い切り蹴るには、こう、腰を突き出すみたいにしなければならない。
普通なら、俺を蹴った反動で後ろに下がれるだろうが、パウロはこの世界の剣士だ。
有能で、闘気をまとえていて、筋力のある剣士だ。
つまり、俺を蹴り飛ばしても、自分の位置はそのままで。
てことはつまり、つまりだ。
つまり理解、したくない。
つまりだ。
「あ、なんで?」
そう言った瞬間、パウロの目がぎょろりと動いた。
俺と目が合う。
「…………」
パウロは何も言わなかった。
ただ、安心したように口元を少しだけ動かして。
ほっとしたように息を吐いて。
こぽりと力なく吐血して。
そして、その瞳は光を失った。
パウロが死んだ。