第百十二話「天敵との遭遇」
唐突に眠りから覚めたような感覚があった。
ハッとなる、という感じだろうか。
明らかに一瞬意識が途切れた。
隣を見ると、エリナリーゼも狐につままれたような顔で周囲を見回していた。
「飛びましたわね」
「どうでしょうか」
周囲を見る。
先ほどと同じ、石造りの遺跡。
それほど違いがあるようには見えない。
いや、隅の方に少し砂が積もっている。
壁に蔦が這っていたりもしない。
全体的に茶色さが増している。
違う場所だ。
そろそろと慎重に魔法陣から出る。
体に別状は無い。
荷物もある。
エリナリーゼと中身が入れ替わったという事もない。
俺たちが出ると、魔法陣はまた活性化されたらしく、青白い光を放ちはじめた。
便利な事だ。
見たところ、魔力結晶が設置してあるわけでもないのに、どうやっているのだろうか。
地中深くに結晶がおいてあるのだろうか。
周囲の魔力を吸収している、とかだったら、是非ともやり方を知りたい所だが……。
「っと。一応、戻れるか確かめておきますか」
「そうですわね」
双方向通信の魔法陣ではあるが、無条件で戻れるとは限らない。
一方通行の場合は、帰りは徒歩になる。
ここまで来てしまってなんだが、半年では帰れないな。
「じゃあ俺が……」
「いえ、私が行きますわ。少しして戻って来なかったら、先にいくように」
エリナリーゼはそう言って、俺を下がらせた。
「万が一の時、あなたがいなくなったとパウロに報告するのはゴメンですのよ」
「そうですか、では任せます」
まあ、どちらが行っても構わない。
転移はしたようだが、ここがベガリットとも限らないしな。
「では、行きますわ」
エリナリーゼは魔法陣に飛び乗った。
次の瞬間、魔法陣に吸い込まれるようにして姿が消えた。
転移する瞬間を見るのは初めてだ。
地面に吸い込まれる感じになるんだな。
地面の中を移動しているんだろうか。
「……」
とりあえず、ゆっくり待つか。
ナナホシの話は信用している。
オルステッドも、特に詠唱などはしていないと言っていた。
何か魔道具が必要の可能性もあったが、とりあえず一度は転移に成功した。
なら、帰りも大丈夫だと思いたい。
五分。
十分。
十五分。
「遅いな……お?」
十五分ほどでエリナリーゼが戻ってきた。
出現するときは、消えた時と逆再生だ。
地面から、吸いだされるようにして出てきた。
エリナリーゼはきょろきょろと周囲を見回し、俺の姿を見ると、うんと頷いた。
「きちんと戻ってこれましたわね」
「にしては、少々遅かったようですが」
「そうですの? すぐ戻ってきたつもりですけど」
タイムラグがあるのか。
とはいえ、せいぜい数分か。
片道で七分程度の。
時差が関係しているんだろうか。
あ、そういえば、フィットア領の消失と難民の出現に少しズレがある、という話をどこかで聞いたような気もする。
言ってたのはシルフィだったかな?
転移は瞬間移動ではなく、高速移動なのかもしれない。
あるいはボ○ンジャンプみたいなものなのか。
「何にせよ、戻ってこれるなら問題はないでしょう」
「そうですわね」
危険な代物なら、オルステッドも使わないだろうしな。
戻れることが確認できたことで、よしとする。
「では行きましょうか」
魔法陣の使用が確認できた所で、俺たちは階段を上がった。
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一階に到達した瞬間、気温がぐっと上昇したのを感じた。
むわっとした熱気だ。
しかし、湿度は低いのか、あまりベタつく感じはしない。
遺跡の周囲には砂漠が広がると聞いていた。
なら、この暑さも納得だろう。
一階も森の遺跡とよく似た石造り。
違いといえば、壁や天井を這う蔦がなく、通路には砂が溜まっている事か。
砂で床がほとんど見えないぐらいだ。
っと、足あとが幾つか残っている。
もしかして、オルステッドのじゃないだろうな。
鉢合わせしたら降伏のポーズだ。
部屋は4つ。
遺跡の設計は同じものなのだろう。
部屋のうち一つに、厚手の白いマントと水筒が保管されていた。
……やはりこれはオルステッドの私物なのだろうな。
「足あと、どうしましょう、消しておきましょうか」
「例のオルステッドですの? 大丈夫だと思いますけれど……」
でも、怖いな。
書き置きとか残しておこうかしら。
ナナホシの紹介で、少々私用で使わせてもらっています。守秘義務は守りますので、どうか怒らないでください。みたいな。
……いつ来るとも限らんし、案外知られない可能性も高い。
書き置きそのものが藪蛇になる可能性もある。
とりあえず、やめておくか。
その後、遺跡を一通り調べたが、もちろんオルステッドに鉢合わせる事はなかった。
部屋を調べた後、外に出た。
外は熱かった。
暑いのではない。
熱いのだ。
顔にあたる風が痛い。
目の前には、生前に写真で何度かみた砂丘風景が広がっている。
砂漠だ。
しかし、太陽が沈み始めている。
もうすぐ夜になるだろう。
砂漠を歩くのは、夜の方がいいんだったっけか。
夜は氷点下になるから、動くのはダメなんだったっけか。
この世界でもそんな常識を当てはめていいのだろうか。
……確か、砂漠の魔物は夜行性が多いはずだ。
暗い中を移動して、魔物に奇襲を掛けられるのは危ないだろう。
「エリナリーゼさん、どうします?」
「今から歩いても、大した距離は稼げませんわ。少し早いけど、屋根のある所で休みましょう」
今日はこの遺跡に寝泊まりする事になった。
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夜は、極寒だった。
砂漠では昼と夜の温度差が酷いというが、まさにその通りだ。
今は遺跡の中だからいいが、野宿の時の事も考えないとな。
土魔術でシェルターを作り、そこで過ごすのがいいだろうか。
土魔術『土砦』は便利だが、魔力の供給をやめれば崩れてしまう。
しかし、少しいじれば、カマクラのように形を維持しておくことは可能だ。
その中で焚き火をして、暖をとる。
うん、それでいこう。
今日の所は、遺跡の一室に寝袋を敷いて寝ることにする。
一応、寝る前にエリナリーゼの魔道具に魔力を供給しておく。
オムツに手を当てて魔力を注ぎ込む。
間抜けな光景だ。
エリナリーゼはぽつりと言った。
「……ルーデウス、もし魔力が足りなくなりそうだったら、その時は魔道具は後回しにしますわよ」
「でも、この魔力の供給を止めれば、エリナリーゼさんが我慢できなくなるのでは?」
「戦闘になれば、あなたの魔術は必要不可欠ですわ。そっちを優先しましょう」
ベガリット大陸は、魔大陸ほど魔物が強くない。
とはいえ、同程度の魔物は出るはずだ。
油断は出来ない。
「いえ、これぐらいなら魔力が無くなる事もありませんから」
「そう? 本当に底なしですわね……」
「エリナリーゼさんの性欲ほどではありませんよ」
「あら、それほどでもございませんわよ」
大体、魔道具に魔力を注ぐのをサボって、エリナリーゼが淫獣にでもなったら大変だ。
襲われれば、きっと俺も我慢出来ないだろう。
『一度だけ、二人だけの秘密にしておけば』
『俺は抵抗したんだけど払いのけられなくて』
なんて、自分への言い訳は沢山できるからな。
我慢できなければ、お互い不幸になってしまうかもしれない。
エリナリーゼが妊娠するとかな。
クリフには一生恨まれ、シルフィには白い目で見られ、妹には軽蔑される。
ああ、エリナリーゼに手を出されると、嫌な未来しか見えてこない。
もし、我慢できなくなったら、せめて口でしてもらおう。
っと、いかんな。
こういう考えが浮かんでくるという時点で、俺も溜まっているようだ。
ここ一週間、エリナリーゼに抱きつきっぱなしだったからな。
特にエロい事はしていないが、若いのでしょうがない。
今夜、見張りの時にでも処理しておくとしよう。
「まぁ、寝ましょう。しばらくこの砂漠が続くみたいですし、体力を温存しないといけませんわ」
「そうですね」
体力を温存しないといけないのに、出すものを出しておかないといけない。
男は辛いよ。
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その夜。
遺跡の一室で待機していると、ふと甘い匂いがした。
と、同時に急に動悸を感じる。
胸がドキドキする。
目を開けると、そこにはエリナリーゼが寝ていた。
彼女は剣を抱きしめて寝苦しそうにしている。
首筋が白い。
手が白くてしなやかだ。
顔はシルフィに似ているが、シルフィより大人っぽい。
体つきも、シルフィより背が高くて、スラッとしている。
特に、ウェストからヒップにかけてのラインは、今まで見たどの女よりも完璧な曲線を描いている。
エリナリーゼって、確かむちゃくちゃうまいんだよな……。
「はぁ……はぁ……」
気づけば、俺の丸太ん棒が大木へと育っていた。
頭がモヤモヤする。
「ん……」
エリナリーゼが身を捩る。
毛布がはだけられ、ぴちっとした皮のズボンに包まれた太ももが見えた。
いい尻だ。
思い切り揉みしだきたくなる。
俺は無意識のうちに、彼女の内ももに手を伸ばしていた。
触りたい。
触りたい。
情動に誘われ、内ももに触る。
カモシカのような足だ。
俺が触ると、エリナリーゼは「ん」と唸り、少し広めに足を開いた。
こいつ、誘ってるんじゃ……。
気づけば、俺の下半身はすでに我慢できない状況になっていた。
いい、大丈夫だ、一度だけだ、一度だけ。
エリナリーゼは拒まないさ。
黙っててくれる。
問題ないって、なあ。
「クリフぅ……」
彼女の寝言で、我に返った。
俺は四つん這いで、部屋の外に出た。
そのまま、何かから逃げるように遺跡の外へと出た。
まだまだ大丈夫だと思っていたが、少々溜まっていたようだ。
いかんいかん。
一時の感情に流されては。
こういう悪い液体は、排出しておくに限る。
そう思い、砂の上に座り込んだ。
そしてズボンを下ろそうとした所で。
ふと、気配を感じた。
「……ん?」
エリナリーゼだろうか。
そう思って気配の方向を向くと、そこには妖艶な女性が立っていた。
寒いのに、踊り子のような服装をしている。
生地の薄く、明るい場所で見れば、透けて見えてしまいそうだ。
髪はショートで、色は黒だろうか。毛先が若干カールしている。
肌の色は、この暗がりでは判別しにくい。
ただ、暗い中にぼんやりと白く輝いて見えた。
それにしても、いい体だ。
ふるいつきたくなるような、とはこの事だろう。
ダイナマイツボディだ。
彼女に比べれば、エリナリーゼなど木の枝だ。
彼女は口元に指を当てる。
指先をペロリと舐める。
その妖艶な仕草に、俺は目を奪われた。
彼女の口元から目が離せない。
彼女はそのままゆっくりと俺の側に歩いてきた。
そして、俺の前にしゃがみ込み俺の前でゆっくりと股を広げた。
その瞬間、先ほどかいだ甘い匂いと同じ匂いがむわりと鼻についた。
先ほどより圧倒的に濃厚な匂いが、俺の鼻を刺激した。
「ごくっ……」
生唾を飲み込む。
自分の顎から何かが垂れるのを感じ取る。
拭ってみると、手が真っ赤に染まった。
気づけば鼻血が出ていた。
「うふふ……」
彼女はおいでとばかりに手を差し伸べる。
俺はその手を掴み、倒れこむように彼女へと……。
「ルーデウス!」
次の瞬間、叫び声が遺跡内に響き渡った。
同時に、女がとびのく。
女がいた場所に、剣を持ったエリナリーゼが飛び込んできた。
そのまま、女と俺の間に割り込むように立つ。
「しっかりなさい!」
「え?」
戸惑う。
エリナリーゼは盾を構え、女に対して突進した。
「キェェェァァァァァ!」
女は甲高い叫びを上げ、異様なほど長い爪を伸ばした。
みるみるうちに骨格が変化し、背中に翼が生える。
その翼を動かし、空を飛ぼうとする。
そこにエリナリーゼが躍りかかった。
ガァン!
盾で殴りつけると、鈍い金属音と共に女が地面を転がった。
エリナリーゼはすかさず女の体を足で押さえ込む。
そして、暴れる女の胴体に剣を突き立てた。
「ギョェァァ……」
女は不気味な声を上げた。
エリナリーゼは油断なく数度、女の体に剣を刺した。
それから、後退りつつ距離をとった。
女はしばらくピクピクと動いていたが、しばらくして動かなくなった。
死んだのだ。
「え……?」
俺は呆然とその光景を見ていた。
ちょっと、何が起こったかわからない。
相変わらず俺の下半身はギンギンだし。
あれ?
なんで?
何が起こったの?
混乱していると、エリナリーゼに頬を叩かれた。
「しっかりなさい、サキュバスですわ!」
「え? サキュバス? 今のが?」
死んでいる女。
どうみても普通の女だ。
背中にコウモリのような羽があり、爪が異常に伸びているが。
ああ、よく見ると、肌が青いのか。
顔のパーツも、よく見ると人間とは少し違う。
でも、いい体だな。
死んでしまったが。
死んだのなら、揉んでも怒られないだろうか。
死体でも穴はあるんだよな……。
「わたくしも見るのは初めてですけど。噂に聞くこの鼻が曲がるほどの臭さ、間違いありませんわね……」
「臭い?」
むしろいい香りだと思うが。
凄い興奮する。
それにしても、
エリナリーゼの体を見ろ。
胸こそないものの、綺麗な顔に、スラッと伸びた足。
腰回りの素晴らしい曲線。
「エリナリーゼさんって、いい体してますよね?」
「は? ちょっと、ルーデウス。しっかりなさいな」
大丈夫、この女は淫乱だ。
褒めればヤれる。
できる。チョロくヤレる娘だ。
「俺、エリナリーゼさんみたいな人に優しく抱かれてみたいなって思ってたんですよ……」
「シルフィに言いつけますわよ?」
「言わなきゃバレませんよ……」
立ち上がり、エリナリーゼに向かう。
エリナリーゼは盾を構え、後ずさった。
「ああ、そういえばサキュバスは男を惑わすって聞きましたね」
「なあ、エリナリーゼさん……スケベしようや……」
エリナリーゼは眉を潜め、ため息を一つ。
「ふんっ!」
ガァン!
盾で殴られた。
砂の上にたたきつけられる。
目がチカチカする。
いやいい、そんなことよりエリナリーゼだ。
今目の前にいる女を犯さなければ。
「はぁ……はぁ……一回、一回でいいんです。必ず満足させてみせますから……」
「ああ、もう……ルーデウス。10秒数える間に解毒魔術を使いなさい」
「解毒魔術? そしたらヤラせてくれるんですか」
「……早く使いなさい」
俺は荒い息を隠す気もなく、解毒魔術を詠唱した。
初級からはじめ、中級を片っ端から詠唱していく。
ふと体が軽くなった。
「……あれ?」
ふと頭がスッキリしていた。
下半身がちょっと重いが、堪え切れない性欲はすでに無い。
エリナリーゼを見る。
まぁ、体つきはエロいな。
確かにエロイ。
けど、それだけだ。
「サキュバスの出す臭いには、男を誑かす効果があると聞いていましたけど、抜群ですわね」
エリナリーゼはため息をついて、剣を鞘に収めた。
そして、腕を組むと、ふぅと一息ため息を付いた。
「……ふぅ、まったく」
「……」
俺は今。何をしていた?
自分が今しがた言った言葉。
……アカン。
「さぁ、寝ますわよ。次は油断しないようにお願いしますわね」
エリナリーゼはそう言いつつ、部屋の中に戻ろうとする。
俺は手をもじもじとすり合わせつつ、彼女に呼びかけた。
「あの、エリナリーゼ・サン。その、さっきはすいませんでした」
そう言うと、エリナリーゼは胡乱げな顔で振り返り、ニヤリと笑った。
「俺、エリナリーゼさんみたいな人に優しく抱かれてみたいなぁ」
顔が熱くなるのを感じる。
それはサキュバスに無理やり言わされたの!
「スケベしようやぁ?」
「ぐぬぬ」
なんだこれ。
なんでこんな恥ずかしいんだこれ。
エリナリーゼはニヤニヤ笑いながら俺の所まで歩いてきて、ぽんぽんと頭を叩いた。
「わかってますわよ。サキュバスはそういう魔物ですもの。仕方ありませんわ。もちろん、シルフィにもパウロにも言わないで差し上げますわ」
「エリナリーゼさん!」
エリナリーゼが女神に見えた。
「でも、あまり過信してはいけませんわよ? わたくしも今はまだなんとかなりますけど、だんだんと呪いが強くなっていきますから。いつかは我慢できなくなりますわ」
「分かりました。その時はよろしくお願いします」
「そうじゃなくて、その時はあなたが我慢するんですのよ!」
「へい」
そう言うと、エリナリーゼは静かに微笑んだ。
「では、わたくしは寝ますから、引き続き見張りをおねがいしますわ。
……あ、あと死体の方も焼いておいてくださいまし」
「了解」
エリナリーゼは、遺跡の中へと入っていった。
悪いことをしてしまったな。
俺はサキュバスの死体を焼いて、骨を埋めた。
近くで見るサキュバスは、全然可愛い顔とかはしていなかった。
コウモリみたいな顔だ。
なんでこんなのに欲情してたんだろう。
さっき見たときは人間の顔をしてたと思ったんだが。
本性を現すと本当の顔になる、とかかな。
洋画のヴァンパイアみたいに。
体か、この体がいかんのか。
いい体してんだよなぁ。
ボンキュボン。
エリナリーゼにオプションで胸をつけた感じだ。
っと、いかんいかん。
それにしても、危なかった。
もしエリナリーゼがあそこで飛び込んでこなかったら、どうなっていただろうか。
そのままあの手を取って……。
生気を吸われて死んでいたかもしれんな。
うう、それにしても下半身が重い。
それもこれも、全部サキュバスのせいだ。
こんなのが続けば、本当にエリナリーゼに襲いかかりかねん。
遺跡に入る前に処理しておくか。
何はともあれ、今後もサキュバスには注意しよう。
こうして、ベガリット大陸最初の夜は過ぎていった。