第百三十七話 暖簾に腕押し
7450年1月15日
「で、あとはガルヘだけなんだよな?」
焚き火の炎を見つめながら、ラルファに尋ねた。
「ん? ああ、検地か。あとベージュが残ってる」
ラルファも俺の方を見ることなく答える。
「あ、そうか。ベージュもまだだったな」
検地は当初考えていたよりもかなり早いペースで進んでいる。
「ん……」
ガルへ村とベージュ村の二つを残すだけなら、戻る際にウィードあたりでラルファ達と別れれば今月中に終わってお釣りが来るだろう。
その後、ラルファとグィネには少し休みをやり、来月の終わりか再来月には騎士団に放り込んでも大丈夫そうだ。
『……ねぇ』
検地とは別に、馬車鉄道の工事の方も順調に進んでいる。
べグリッツからウィードまでは五〇㎞以上もあるが、年末から工事チームを増やしたし、来月には更にもう一つ増やす予定なので五月……いや、四月中には開通してしまうかも知れない。
『ねぇ、アル?』
うーむ、そうなると色々と捗るな。
工事チームだってこの調子で行けば遅くとも夏の間には合計五つに出来るだろうから、いくらダート平原内の開墾が困難だとしても……。
『ねえったら』
『お、おう。悪い。ちょっと考え事してた。何だ?』
『考え事ならいい』
ラルファは俺の方に顔を向けていたようだが、少し膨れたような顔をしてまた焚き火に視線を戻していた。
ま、いいならいいさ。
俺は新しい薪を一本、焚き火にくべると再び妄想の翼を広げた。
『……』
鉄道路線の敷設工事の方はそれでいいとして、問題は焼き玉機関だよな。
出力は総排気量一〇〇〇ccくらいで馬力は一〇も出るかどうかだが、鉄道ならそれで充分だ。
鉄道車両は摩擦係数が普通の馬車と比較して圧倒的に低いから、時速二〇㎞くらいで十数tの荷物が運べるからね。
有名な話だが、戦中戦後、北海道を走っていたD51蒸気機関車は一三〇〇馬力に満たない出力で一三〇〇tにも上る石炭を積んだ貨車を牽いて走っていた。
長さ九mもない貨車一両には二五t前後の石炭が積まれていたので、貨車の数は優に五〇を超える。
貨車自体の自重も一五t程もあったので牽引している総重量は二〇〇〇tを超えていた。
それでも時速は平坦地で六〇km程も出せたという。
詳しいだろ? まぁ、自衛官として最初に配属されたのが北海道だったからね。
幹部自衛官は任地の歴史にもある程度通じている必要があろうと必死に覚えたんだよ。
もっと効率を追い求めるのであればポンポン船のように船舶の発動機にする、というアイデアもなくはない。
が、そのためには領内を流れる川底についてくまなく調査しなければならない。
浅いとこなんか見つかった日には大規模な浚渫をしなきゃならないから、下手したら工事は馬車鉄道よりも大掛かりで長期になる可能性がある以上、選択肢には入れられなかった。
ところでその燃料だが、今回手に入れたのはワインの樽で七樽。
一樽の容量は大体二二〇リットルくらいなので、少なくとも一四〇〇リットル以上はあるだろう。
まぁ、木の樽なので漏れがないと仮定しても半年くらい貯蔵していると一五%くらいは蒸発したりして減っちゃうからあれなんだけど。
蒸発によって失われる「天使の取り分」を考慮すると、使えるのは一〇〇〇リットルを少し超えるくらいだと考えておくべきかな?
ここから焼き玉機関の燃料となる灯油や重油・軽油・ガソリンが取れる量は本来なら全体の八割くらいだが、俺たちの場合は素人蒸留なのでその効率は更に落ちて、六割五分くらいになると思う。
と、すると、原油全体の三分の二くらいの量が燃料油として使えるかな?
今回なら七〇〇リットルといったところだろう。
まぁ、ナフサ同様にガソリンも火炎瓶の材料に回すことを考えると五〇〇リットルくらいかな。
一回の試験では排気量の三倍くらいの量が必要だけど、失敗なら燃料は殆ど使わないだろうから何百回も失敗が出来るな……。
暫くの間、トールには地獄を見てもらうとしよう。
『……』
暫しの間、ぱちぱちと薪が爆ぜる音だけが辺りを支配していた。
温暖な地方だとは言え、流石にこの時期の深夜は冷え込む。
そんな時、熱いお茶は体を芯から温めてくれる気がする。
『ちょっと、いつまで考え事してんの?』
ラルファは俺の方を横目で見ながらぶすっとした声で言った。
『なんとか言いなさいよ……』
目を合わせてやると、恥ずかしそうに俺から目を逸らした。
『なんとかってなんだよ?』
こいつは急に、何を言い出すんだ?
『だって……さっきあたし、話しかけてたじゃない……』
『考え事してたならいいって……』
お前が言ったんじゃないか。
『あんたね……』
ラルファは呆れたような声で呟くように言った。
いや、確かに俺から聞いても良かったよ?
でもさぁ、なんで俺がいちいちご機嫌を伺うような真似をせにゃならんのよ?
『わかったわかった。無視して悪かった。で、何だよ?』
『もういい』
あそ。
いいならいいや。
ラルファはぷいと横を向いてしまった。
『……』
『……』
『ねぇ』
『ん?』
やっと話す気になったのかな?
『あたしさ、最近思うんだよね……』
ラルファは焚き火を見つめながらポツポツと喋りだす。
『……何を?』
真に面倒だが相槌を打ってやる。
『あたし、来月二二になるじゃん?』
『ああ』
俺もだけどな。
『……』
『……』
プレゼントでも欲しかったのか?
そういやぁ去年とかプレゼントはやってなかった。
でも、もうガキじゃないんだし……。
『ベルとトリスも結婚して……大人だよね』
『……ああ』
『あ、あんたもね……』
『ああ……』
何言ってんの?
『あ、あたしもさ、ゼノムからせっつかれてんだよね』
『そうか』
そりゃいい年だもんな。
ゼノムだってさっさとお前が結婚してガキを産んだ方が安心できるだろうよ。
あ?
『お? そうか! お前、結婚するのか?』
そうかそうか。そりゃあめでたいな!
そんな大切な話をしようって時にシカトして悪かった。
『なんでそうなるのよ?』
あれ?
『違うのか? やな奴紹介されたとか?』
ゼノムも好みくらい考えてやれよ。
『紹介なんかされてないわよ』
ならなんなんだよ……。
『え、ええと、その……どこかにいい相手いないかなって……』
『ああ、そういうことか』
紹介しろってことだろうな、これは。
『だ、誰でもいいなんてことはないわよ、勿論』
『うん。そうだな。俺やトリスたちみたいに異種族は嫌だろうし』
子供出来にくいだろうからね。
でも、数少ない友人、それも俺の領地でナンバー2であるファイアフリード家が迎える結婚相手となれば、俺も口を出さずにはいられない。
それが貴族の世界というものでもあるし。
そう考えると、ラルファが結婚相手を探すのにまず俺に相談するというのは非常に理に適っている。
ちゃんと成長しているんだなぁ、こいつも。
少し目がうるうるとしてしまった。
『そ、そりゃあ……そうよ。同じ普人族ってのは最低条件よ』
『だよなぁ』
異種族間で婚姻した俺たちを傍で見ているとかそういうのを抜きにしても当然だ。
『それに、と、歳も近い方が……』
『うんうん』
年齢差の多い間柄での婚姻も珍しくはないが、どちらがいいかと問われれば近い方が理想だろう。
『あ、そうだ』
急に思い出した。重要な事だ。
『な、何?』
『ラルファが結婚するとして、旦那は婿としてゼノムの養子になるのか? それとも、単に配偶者になるだけか?』
これを確認せねばなるまい。
婿養子となり、ファイアフリード家の家督相続権を有する事になるのであれば、現在の家の家督相続権が最上位の長子長男は難しいかも知れない。
次子以降である方が何かと都合がいい。
でも、今の西ダートでは男爵家はファイアフリード家だけになってるし、そのあたりはあまり拘らなくてもいいのかな?
『……婿養子……は難しい、かな?』
ラルファはそっと俺の方を窺うようにしながら言う。
ゼノムにしてみればよく知らない相手を息子として迎えなければいけないから「それは抵抗がある」と言われているのかも知れない。
ロンベルト王国では必ずしも男子が家督を継がなければならない訳ではないし、女性の家督者なんて珍しくもないからね。
『そうか。ファイアフリード家はお前が次の家長になるのか。それもいいだろう』
『え? う、うん。でも、生まれた子に継がせてもいいから、あたしが継がなくても……』
ああ。まぁ、そうね。
ラルファが産んだ子であればゼノムも抵抗はないだろう。
『それでいいなら相手の選択肢は広がるな』
極論を言えば貴族じゃない相手に対し、ラルファが嫁入しても大丈夫だ。
二人の間に生まれた子をゼノムが養子にしちまえばいい。
とは言え、現在唯一の男爵家であるファイアフリード家の家督継承権者が貴族でもない相手と結婚すると言うのはちょっとな。
領主としてはなかなか受け入れがたいよね。
だけど……。
『そ、そう?』
『ところで、誰か心に決めている相手でもいるのか?』
『え? いぃいいる訳ないじゃない!』
『そうか。でも結婚は大切な事だからな。出来れば好きな相手とするべきだと俺は思う』
今のファイアフリード家に政略結婚は必要ない。
お互いに気に入って好きになった相手とした方が、後々不仲になったとしても自分が選んだ相手ならまだ納得が行くだろう。
ラルファが貴族のままでいるつもりなら離婚出来ないんだし。
『うん……』
『まぁ、でもさ。まだ相手が居ないってんなら、焦らなくてもいいんじゃないの? 俺の姉貴だって結婚したのは二四の時だったしさ。オースなら遅いと言えば遅いけど貴族なら三〇くらいまで引っ張る人も珍しくないし』
『三〇は嫌』
『そらそうだわな』
高齢出産はそれだけで色々とリスクが増すし。
『それに、あ、相手は貴族じゃないと……』
『ま、お前の立場だとそうかもな』
『う、うん。しっかりした貴族じゃないとだめ』
こいつも本当にファイアフリード家の行く末について心を砕き始めたか。
なんだか嬉しくなるよ。
『貴族と言えば、検地で回ってる時、良さそうな相手は居なかったのか?』
どっかの村長さんの次男坊とかさ。
『……バカ』
じっとりとした嫌な目つきと共に言われた。
『あ、遊びに行ってた訳じゃないし、忙しくて知り合う暇なんかないわよ! 私がい、い、嫁き遅れたら無茶な仕事をさせたあんたのせいだからね! もう寝る!』
ちっ。
今までも度々思ってたが、もういい加減諦めろよ。
お前は見てくれも悪い方じゃないし根は良い奴だけど、俺にその気はねぇっての。
……いつでもお前の事だけを考えてくれる奴の方が良いよ。
・・・・・・・・・
7450年1月某日
ガルヘ村。
「お頭。どちらへ?」
トリスが奴隷頭のビルサインに命じて馬のサドルバッグに弁当などの包みを入れさせていると、丁度前を通りかかった奴隷が話しかけてきた。
奴隷の名はジンガル。
現在はトリスの半戦闘奴隷として午前は戦闘訓練、午後は農地の開墾に従事している。
今は戦闘訓練の為に村の空き地へ向かうところらしく、訓練用の木槍を手にしている。
ジンガルはかつてドランの犯罪者集団“暁”で小頭を務めていた強面の普人族の男だが、その“暁”のリーダーをトリスが下し、組織ごと手に入れたという経緯で未だに「お頭」と呼んでいる。
トリスはそう呼ばれることを嫌い、今までに何度も「お屋形様」と呼べと言っていたのだが、旧“暁”の連中は幼い子供に至るまで誰一人として直さなかった。
何度も同じことを言うのも面倒臭くて嫌になったのでそのままにしていたのだ。
「ん……いつもの会合だ。夕方には戻る。お前もしっかりと訓練しておけよ?」
トリスは返事をするとゴルフバッグのような形をした丈夫そうな革袋を馬に乗せた。
「へい。じゃああっしはこれで……」
ジンガルは軽く頭を下げると歩き出した。
トリスやビルサイン同様に革鎧に身を固めたベルが出て来るのを待って、三人は馬に騎乗して屋敷を出た。
村の外に出る前にジェルとミースの二人もそれに合流してきた。
彼らは月に一度くらい、パトロールや稽古、農作業監督の合間を縫って会合だと言って村を出ている。
目的地はガルへ村から北に数kmの地点だ。
トリスとベルがこの地に赴任して来て最初に行ったのはガルへ村、ベージュ村、ミドーラ村、ラッド村の中間地点あたりの探検だった。
そのあたりで適当に開けた場所を発見すると、地魔法を使って最大高三m、幅四m、奥行き一〇mくらいで一方が塞がっているかまぼこ型をした構造物を作った。
構造物の表面には草木などを被せてカモフラージュも施すなど、それなりに手間も掛かっている。
要するに射場を作ったのである。
そして、その後暫くはそのまま放っておいたのだが、何ヶ月経っても各村に駐屯するロンベルト軍の話題にのぼることはなかったことを確認した。
昨年の秋口にアルからコートジル城の中で発射した拳銃の音は五〇〇mも離れると真夜中でも聞こえなくなり、城の外で発射しても一・二km程で聞こえなくなると報告があった。
薬室の密閉度が甘いリボルバー拳銃、且つ周囲に音を遮るような物など殆ど無いコートジル城でこれなのであれば、森の中で半自動ライフルを発射しても可聴距離は大したことはないだろうと思われた。
まして、射場として一〇mも奥行きのあるパイプのような構造体の中からの発射であれば、開口部の方向以外には二〇〇mも離れれば殆ど聞こえないと考えられる。
当初は慎重に慎重を期し、ビンス、ヒス、カーム、キム、ロッコ、ロリック、サンノ、ルッツらを周囲に配してどの程度まで聞こえるのかを確認していた。
また、このあたりはミドーラ村に駐留する王国第四騎士団のパトロール領域であるため、ビンスとヒスは何度もパトロールに同行し、巡回コースや日程について完全に掴んだ。
そして、ここ数ヶ月で合計三回、日程を合わせて合同で射撃訓練を行っている。
実包は当初アルから渡されていたものを使用していたが、今では火薬だけ送られて来ており、実包の作成はトリスとベルが行っていた。