第109話「それぞれの旅立ちと、そのころの伯爵領」
数日後、父さまとルーミアは、グロッサリア伯爵領に向けて出発した。
「……無事に儀式が終わって安心したよ。これでやっと領土に戻れる」
馬車に乗り込む父さまは、ほっとした顔をしていた。
王都に来てからは儀式の準備をしたり、王家の重臣に会ったりと、緊張しっぱなしだったらしい。
すべて無事に終わったことで、本当に安心したみたいだ。
「苦労をかけてすいません。父さま」
「なにを言うか、ユウキが成果を上げた結果であろうが」
父さまは笑った。
「男爵家が伯爵家になったことにも満足している。成り上がりの男爵家が、成り上がりの伯爵家になったところでたいして変わらぬだろう。まぁ……領地運営については、ちょっと手間が増えるかもしれぬが」
「ほんとにごめんなさい、父さま」
「だからユウキがあやまることではない。わしが一生分の幸運を使ってしまっただけだ」
「一生分の幸運を?」
「男爵が伯爵になるなど奇跡のようなものだ。おそらくわしの世代には、これ以上の出世はないだろう。だから、これからのわしの役目は伯爵家を無事にゼロスとユウキの世代に引き継ぐことだ。そう考えれば、これはお前たちの苦労でもあるのだからな」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
「じゃあ、俺がゼロス兄さまに選んだおみやげは、正しかったんですね」
「ゼロスへのおみやげ? どんなものだ?」
「領地経営についてのメモ書きです」
確かオデットはそう言ってた。
約束通り、領地経営の本を抜粋したものを届けてくれたんだ。
もうルーミアに渡して、おみやげ品の中に入れてある。
「あれがゼロス兄さまの役に立てばいいんですが」
「お前たちは、本当に仲がいいのだな……」
あれ?
父さまが涙ぐんでる。
「わしは……そのお前たちを引き裂くようなことを……家庭教師のカッヘルを引き入れてしまった……あのことは、考えるたびに後悔して……」
「はいはい父さま。馬車に乗りましょうねー」
とん、と、ルーミアが父さまの背中を押した。
「お、おい、待てルーミア。わしはまだユウキと話が……」
「時間がありません。お父さま。次はこのルーミアの番です」
「う、うむ……わ、わかった。元気でな、ユウキ。身体に気をつけるのだぞ。それからマーサ、ユウキは無茶をするので、気をつけてやってくれ。それとレミー……と言ったな。お前にもユウキのことを頼──」
「はいはいお父さま。きりがありませんから」
ルーミアに言われるまま、父さまは馬車に乗り込んだ。
「……父さま。まだ家庭教師カッヘルのことを気にしてたんだな」
「家でもよく言ってます。ご飯のとき、ユウキ兄さまがテーブルにいないのを見て」
「気にすることないのに」
「うーん。教師カッヘルを引き入れたことで、子どもたちが早々と大人になっちゃった、って思ってるみたいですね。ユウキ兄さまは家を出ちゃいましたし、ゼロス兄さまは、領主の跡継ぎになるための勉強で手一杯ですから」
「……それってもしかして」
「はい。お父さまは、かまってもらえなくてさみしいんですね」
ルーミアは真面目な顔でうなずいた。
「だから、今回の伯爵家への昇格もよろこんでました。ユウキ兄さまが自分のことを忘れてなかった証拠だ、って」
「俺が父さまを忘れるわけないだろ」
「ルーミアのことは?」
「もちろん、ちゃんと考えてるよ」
ルーミア向けのおみやげは、俺が選んだ。
オデットのアドバイスで、王都で流行のリボンにしたんだ。今、ルーミアの髪を結んでるのがそれだ。
ちなみに俺の後ろにいるマーサも、似たデザインのものを着けてる。
貴族の令嬢とおそろいにするわけにはいかない……って本人が言うから、ちょっと安いものだけど。
「マーサのリボンを見るたびに思い出すよ。ルーミアのことは」
「……はい」
「泣くことないだろ」
「ルーミアさま。泣いてたら、ユウキさまが安心してお見送りできませんよ?」
マーサがルーミアの手を取った。
「ルーミアさまには、ユウキさまのおみやげを領地まで届けるというクエストがありますよね? ユウキさまご依頼のクエストです。ね、ルーミアさま」
「うん。マーサ」
「るーみあさまー」
「うん。レミーも、またね」
「……るーみあさまぁ」
「こ、こら、レミーまで泣いたらだめだよ」
「ルーミアさまもレミーちゃんも、泣き虫ですね」
自分も目をうるませたマーサが、ルーミアとレミーの涙をぬぐう。
御者台では男爵家──じゃなかった伯爵家の御者が手を振ってる。
そろそろ、出発の時間だ。
「俺はこれからアイリス殿下と一緒の任務があるけど、それが終わったら手紙を書くよ。ゼロス兄さまに、おみやげの感想も聞きたいからね」
「……やくそくですよ?」
「ああ」
俺とルーミアは握手。
そうして俺が背中を押すと、ルーミアは馬車に乗り込んだ。
やがて、グロッサリア伯爵家の馬車は、王都の門を出て街道へ。
窓から手を振るルーミアの姿は、見えなくなっていったのだった。
「さてと、俺も出発の準備をしないとな」
アイリスと領地巡回に出発するのは明日だ。
荷物は用意できてるけど、一応、確認しておこう。
「また留守番をお願いして悪いな。マーサ」
「気になさらないでください。ユウキさまの居場所を守るのは、マーサの役目です」
「レミーも、おやくめするー!」
「ありがとう。マーサ」
俺は少し考えてから、
「マーサは、領地巡回のおみやげはなにがいい?」
「ユウキさまが無事に帰って来ることです」
「それ以外で」
「天井を掃除する道具があればいいのですが」
「天井を掃除する道具かー」
「たまに天井のすすはらいをしたいのですが、マーサもレミーちゃんも背が小さいですから、手が届かなくて」
マーサは背伸びして、笑った。
「コウモリのディックさんたちでは、すみっこのお掃除は難しいですからね」
「ホコリまみれになっちゃうだろうな」
「そうなんですよ」
「俺が『飛行』スキルで掃除しようか?」
「いいですね。そのあとで、マーサがユウキさまをお風呂できれいにして差し上げましょう」
「……」
「……」
顔を見合わせる俺とマーサ。
「……おみやげは天井を掃除する道具だね?」
「……はい。天井を掃除する道具です」
「がっかりすることないだろ?」
「そうですね。出発前の今日は、まだチャンスがありますから」
「マーサが言いたいことはわかる」
「当ててみてください」
「『ユウキさまは王女殿下の護衛騎士としてお仕事をするのですから、今日のうちに髪をしっかり洗って整えておきましょう』」
「マーサの心の中は、ユウキさまにはお見通しなのですね」
「……まぁいいけど」
「はい。では、マーサにお任せください」
「レミーもてつだうー」
「はいはい。了解だ」
そうして俺とマーサとレミーは、並んで宿舎へ帰ったのだった。
翌日。
今度は俺が王都を出発する番になった。
「それでは出発いたします。アイリス殿下」
御者の言葉とともに、馬車が動き出す。
荷馬車も含めて馬車数台と、十名弱の兵士たちを連れた大所帯だ。
今回の目的は、帝国に近い領地に住む住民を落ち着かせること。
兵士を連れていくのはそのためだ。わかりやすい兵力を見せて、王家に民を守れる力があることを示すのが目的らしい。
「私としてはマイロ……いえ、ユウキさまとふたりきりでもよかったのですけれど」
「王家の仕事じゃ、そういうわけにもいかないだろ」
俺はアイリスと一緒に、馬車の中にいる。
しばらくしたら外に出て、馬に乗って進む予定だ。
『護衛騎士』がずっと馬車の中、というわけにもいかないからだ。
「オデットが一緒に来られないのは残念でしたね……」
「『魔術ギルド』の仕事じゃしょうがないよ」
オデットは今ごろ、『エリュシオン』に潜ってるはずだ。
『ユウキたちが戻るまでに、地下第5層への道を開いてみせます』──って、気合いを入れてた。
無理しないといいけど。
「失礼します! アイリス王女殿下。『護衛騎士』ユウキ=グロッサリアどの」
不意に、兵士の隊長さんが馬車の窓を叩いた。
「同じルートを進まれる部隊の方が、おふたりにごあいさつをしたいとおっしゃっております。いかがいたしましょう」
「あいさつ、ですか」
「俺が行きます。殿下」
俺は馬車を飛び降りた。
後ろを見ると、街道を兵団が歩いているのが見えた。
領地巡回に行く別の部隊だ。
先頭にいる男性が手を振ってる。
「あれは……ロッゾ=バーンズさんか」
「おお! 追いつけてよかった。ユウキ=グロッサリアどの!!」
馬にのったロッゾ=バーンズさんが声をあげた。
「我々も、途中まで同じルートを通るのだ。安全のため、ご一緒してもいいだろうか!」
「少々お待ちください。殿下にうかがいます……わかりました。構わないそうです」
「……早いな。どうやって確認したのだ?」
馬車の窓にディックを放り込んだだけですが。
「……聡明なる殿下は、あらゆる可能性を考慮していらっしゃいます。ロッゾ=バーンズさんが領地巡回に行くことを知り、途中まで同行する可能性も考えてらっしゃったのです」
『「話をもりすぎですー」と、アイリスさま、言ってますよー?』
俺の肩に戻ったディックが言った。
「『まけといてくれ。あとで言うこと聞くから』と言っといて」
『しょうちですー』
ディックが馬車に戻り、馬車の窓からかすかに指で作った『丸』印がのぞく。
OKのようだ。
「バーンズ将軍のご子息とご同行できるのなら安心です。ぜひ、お願いいたします」
「それはよかった。ついでに、彼女も仲間に入れてくれないだろうか」
ロッゾ=バーンズさんは馬に乗ったまま、俺のところにやってくる。
……あれ?
よく見ると、ロッゾ=バーンズさんの前に、ローブを着込んだ人が座ってる。
馬に慣れていないのか、身体を倒して、しがみつくみたいにしてる。
フードをまぶかに被っていて、顔は見えない。
でも、なんとなく見覚えがある。
少し震えている小さな身体。フードからはツインテールの赤い髪がはみ出してる。
「もしかして、そこにいるのは……フローラ=ザメル?」
「……は、はい」
ロッゾさんが馬を停め、小柄な少女が身体を起こす。
フードを外したその顔は……老ザメルの孫娘、フローラ=ザメルだ。
彼女がどうしてこんなところに……?
「申し訳ない。老ザメルと知人の者に、どうしてもと頼まれてね。連れてくることにしたんだ。彼女はユウキどのに頼みがあるらしい」
「はい……お願いが……あって、まいりました」
ふらつきながら、フローラ=ザメルが馬から飛び降りる。
そして彼女は、俺の前にひざまずいた。
「どうか私を、ユウキさまの従者として使っていただけないでしょうか」
「従者?」
「私は、強くなりたいんです」
フローラ=ザメルが顔を上げた。
真剣な表情だった。
「祖父や他人に従うだけの弱い自分が、嫌になったんです。どうかユウキさまの元で、真の強さについて学ばせていただけないでしょうか。この旅の間だけで構いません……どうか……お願いします」
「フローラ=ザメルはD級魔術師だろ?」
『魔術ギルド』の上から4番目。
本当なら、部下を従える立場だ。
「それが俺の従者ってのは無理があるんじゃ……」
「D級魔術師の地位は返上しました」
「返上?」
「あれはもともと、おじいさまの力で手に入れたものです。私のものじゃ、ないです。だから、今まで手に入れた地位は、すべて捨てました」
「彼女の言うことは本当だよ」
ロッゾ=バーンズさんがうなずいた。
「父から聞いた。フローラどのは『魔術ギルド』に願い出て、D級魔術師の地位を返上した。今の彼女は、ただのギルド研修生だ」
「……なんでそこまで」
「自分の弱さを断ち切りたいのです」
震える声でつぶやく、フローラ=ザメル。
「どうか、ただの従者として、この旅の間だけ、私を雇っていただけないでしょうか。ユウキさま、アイリス殿下……お願いします」
そう言ってふたたび、フローラ=ザメルは俺に向かって頭を下げたのだった。
──その頃、帰宅途中のルーミアたちは──
「そういえばルーミアよ」
「はい。お父さま」
「自宅には、帰りの日時の連絡はしたのだよな?」
「お任せください。ルーミアが自分で願い出たことです。おろそかにはしませんよ」
ルーミアは平らな胸を、ぽん、と叩いた。
「王都にいる間に、ゼロス兄さまにお手紙を出しました。おみやげについての目録も付け加えておきましたよ」
「……お前もしっかりしてきたのだな。ルーミア」
「もちろんです。ルーミアもいずれ『魔術ギルド』に入って、ユウキ兄さまの隣に並ぶのですから」
馬車の窓を開けるルーミア。
窓から顔を出しても、もう、王都は見えない。
「待っていてくださいね。ユウキ兄さま。ルーミアは必ず戻ってきますから」
「……子どもたちの成長はうれしいが……さみしいものだな」
「王都にいるあいだに、ルーミアは様々な人とお話をしましたからね。家に戻ったら、成長したルーミアにゼロス兄さまはびっくりしますよ」
「そうだな。びっくりさせてやるといい」
そんな穏やかな時間の中、馬車はグロッサリア伯爵領めざして進んでいくのだった。
そのころ、グロッサリア伯爵領にいるゼロスは──
「え……な、なんだこの目録は……? 領地運営についての抜粋……って、この本は伝説の大臣が書いたものじゃないのか!? あの本は上位貴族じゃないと絶対に手に入らないのに、その重要な部分だけを書きだしたメモって、買ったらいくらすることか……え? 公爵家の令嬢が手配してくれた? なんでそんなことに?
王都でなにをやらかしてるんだよ……ユウキ」
──ただ、ひたすらびっくりしていたのだった。
いつも「辺境ぐらしの魔王」をお読みいただき、ありがとうございます!
書籍版1巻が2月25日にMFブックス様から発売になります。
(表紙も公開になりました。ユウキとアイリスとオデットが目印です)
もちろん、書き下ろしエピソードも追加しています。
愛されすぎる「不死の魔術師」の活躍を、ぜひ、読んでみてください!