第106話「元魔王、オデットの宿舎を警護する」
──その夜。王都のとある宿舎の近くで──
細い月が輝く、夜の中。
黒ずくめの人影が、建物の屋根の上を移動していた。
場所は貴族街の近く。
『魔術ギルド』が所有する、ギルド員用の宿舎が立ち並ぶ地区だった。
「……さっきの馬車に、アイリス殿下が乗っていたのは間違いないのだな」
黒ずくめの一人が、ささやいた。
別の一人はうなずきながら、
「────さまからの情報です。依頼は、アイリス殿下とスレイ公爵家の令嬢……2人の話の内容を探るように。可能なら弱点を見つけるように、というものですから」
「……成り上がりの男爵家の令嬢も一緒のようだが」
「……そちらは別の貴族が探りを入れているかと」
「……急な出世は貴族の疑心を招くということか」
『キィキィ』『キキィ』
「……コウモリがうるさいな」
「……追い払いましょう。これでは中の音が聞き取れません」
「……いや、待て!」
黒ずくめのリーダーが手を挙げた。
「────さまの情報にあった。成り上がり男爵家の庶子は、コウモリを使い魔にしていると。それが集まってきたということは……」
黒ずくめの男たちが立ち上がる。
リーダーが手を振るのを合図に、早足で撤退を始める。
その足が、屋根に落ちていたロープを踏んだ。
「……な、なんでこんなところロープが?」
『──!!』
黒ずくめたちのリーダーの前を、コウモリが通り過ぎた。
コウモリは、口でロープをくわえていた。
普通のコウモリでは持ち上げることができないほど、太いロープを。
「まずい! こいつらは我々を捕え──」
『──ィ!』
声をあげた瞬間、黒ずくめのリーダーの身体に、ロープが巻き付いた。
手足に力を込めるが──動けない。
コウモリはロープの端を、家のエントツに巻き付けている。反対側は別のコウモリがくわえている。ほんの小さなコウモリだ。なのに──
「──これがコウモリの力か? う、動けない」
「……リーダー」「な、なんなんですか、こいつら……」
仲間の2人も同じ状態だった。
闇の中を飛び回るコウモリたちは、それぞれにロープをくわえている。
コウモリたちは訓練を受けた兵士のようにテキパキと、黒ずくめたちの周囲を飛び回り、彼らの身体にロープを巻き付けていく。もはや肩から足までぐるぐる巻きだ。
「どうしてコウモリに気づかなかった? 魔術師の方から、使い魔をお借りしたはずなのに……」
呆然とリーダーがつぶやく。
『魔術ギルド』に所属している令嬢の宿舎を見張るのだ。当然、使い魔対策はしてある。
依頼主が、知人の魔術師から犬の使い魔を借りてきてくれたのだ。
その犬は地上にいるはずだ。他の使い魔が近づいたら、吠えて知らせてくれるはずなのに……。
「意外と重いな。こいつ」
声とともに、黒ずくめのリーダーの目の前に、犬が置かれた。
彼らが連れて来た使い魔だった。
白い犬なのに、頭のあたりに血がついている。けれど、怪我をしている様子はない。
ただ、目を閉じて眠っているだけだ。一体なにがあったのか……。
「わかってると思うけど、あんたたちは衛兵に突き出す」
犬の横に、黒髪の少年が立っていた。
足音はしなかった。気配さえも。
はじめからそこにいたように、少年は拘束された黒ずくめたちを見下ろしている。
「宿舎の主が通報してる。もうすぐ来るはずだ。できれば、目的と雇い主について話してくれると助かる」
「……男爵家庶子……ユウキ=グロッサリア」
「他の2組は宿舎を遠巻きにしてただけだし、コウモリを見て撤退してくれたんだけどな。あんたたちは近づきすぎた」
少年の言葉に、黒ずくめたちは震え出す。
彼らは公爵令嬢と、お忍びで来ているアイリス王女の弱みをにぎるためにここに来た。
なのに、情報を手に入れる前に捕まってしまった。
それどころか──
「まぁ、あんたたちの依頼主については……ぼそっと話してるのが聞こえたけど。使い魔も使ってるくらいだから、それなりの相手だってのはわかってたけどな」
──少年の方は、黒ずくめの男たちの情報を手に入れている。
もしかしたら、彼らがどこから来たのかも知っているかもしれない。
「衛兵が来た。あんたたちのことは、彼らに任せることにするよ」
少年はロープに巻かれた男たちを地上に降ろしていく。
力などなさそうなのに、軽々と。1度に2人を抱えて。
それは男たちから、抵抗する意志を奪うのに充分な力だった。
やがて、衛兵たちがやってくる。
男たちは全身黒ずくめ。顔には覆面。場所は貴族街の近く。
これほど怪しい連中を、衛兵たちが見逃してくれるはずがなかった。
「……こんなところでなにをしていた!?」
「……スレイ公爵家のご令嬢の宿舎を覗こうとするとは、身の程知らずめ」
「……とにかく歩け、話は詰め所で聞く」
こうして、黒ずくめの男たちは衛兵たちに引っ立てられていったのだった。
──ユウキ視点──
「サルビア殿下の手下を排除、と。探りを入れに来たのは、これで3組目か。意外と多いな」
俺は羊皮紙に相手の風体とセリフをメモした。
「最初の2組が来たのは貴族の屋敷から、と。場所をオデットに伝えれば、誰が背後にいるかわかるな」
先に来た2組は『身体強化』したコウモリ軍団でおどしたら立ち去った。
俺の顔は見せてない。
「なるべく穏便に」が、オデットの希望だったからだ。
黒ずくめの連中に姿を見せたのは、あいつらが使い魔を連れてたからだ。
そんなに強力な使い魔じゃなかったから、こっそり近づいて『侵食』をかけて無力化した。
背後に魔術師か、魔術師に縁のある人間がいるはずだから、拘束して、衛兵に突き出すことにしたんだ。
『ごしゅじんー』
「どうしたディック」
『わるものを追い払うやりかた、覚えましたー。あとはディックたちだけで大丈夫ですー』
同意するように、宿舎のまわりでコウモリ軍団が飛び回る。
ロープはまだ残ってる。
ディックたちに『身体強化』を掛け直せば、しばらくは大丈夫か。
『ごしゅじんは、ゆっくりしてくださいー』
『オデットさまたちを、安心させてほしいですー』
『ここはコウモリ軍団にお任せをー』
「わかった。それじゃニール、先触れを頼む」
『しょうちですー』
飛び立ったニールが宿舎の裏手に向かう。
用があるときは寝室の窓を叩くと、アイリスたちには伝えてある。
アイリスならニールの言葉がわかるから、オデットかマーサに伝えてくれるはずだ。
ニールが戻ってきたら、俺が『気配遮断』スキルで、気配を消して宿舎の窓を叩けばいい。
まぁ、長時間はいられないんだけどな。
深夜に男性が公爵令嬢の宿舎を訪ねるわけにはいかない。
オデットの宿舎にはメイドと家庭教師がいるからな。
だから、見つからないように気配を消して、短時間で話を済ませよう。
「どうぞですわ。ユウキ」
しばらくして、2階の窓が開いた。
うっすらとした灯りの中、オデットが顔を出してる。
俺は『飛翔』と『気配遮断』のスキルを起動。
ふわり、と浮かびながら、オデットのところに向かう。
「夜分にごめんな、オデット」
「気にすることはありませんわ。報告があるのでしょう?」
部屋着姿のオデットは笑ってる。
アイリスはベッドに腰掛けてる。
ふたりとも、ちょうど寝室にいたようだ。
「メモは見ましたわ。逃げた連中の行き先から推測すると、1組目は伯爵家、2組目は子爵家ですわね。家名は……調べてからお知らせしますわ」
「中級貴族ってことは、目的は俺んちか」
俺が言うと、オデットはうなずいた。
「でしょうね。おそらく、ルーミアさんが宿舎に入るのを見て、探りに来たのですわ。グロッサリア男爵家について知るために」
「バーンズ将軍も、男爵家に探りを入れようとする貴族がいるかもしれない、って言ってたからな」
「出世が早すぎるとねたまれるのは、よくあることですわ」
オデットは肩をすくめた。
「それで、3組目の者たちですけれど……」
「本人たちが『サルビア姫の依頼』と言ってたのが聞こえた。衛兵たちにそれを話すかどうかは、わからないけどな」
「連中は諜報を請け負う者たちです。たやすく口を割るとは思えませんが……使い魔がいますからね」
「そっちの方から、依頼主がばれるだろうな」
連中が使い魔を連れていたことがわかれば、『魔術ギルド』が動き出す。
諜報員が公爵令嬢の宿舎を探ろうとしていたんだから当然だ。
たぶん、背後にいた魔術師のことも明るみに出るだろう。
「依頼者がサルビア姫ということは、目的はアイリスか」
「それについては、私に心当たりがあります」
アイリスが前に出た。
オデットとおそろいの部屋着を着てる。仲いいな。
「実はさっき離宮に戻ったとき、国王陛下からお話があったのです。何名かの王子と王女を選び、北の領地に派遣する、と」
「王子と王女を、北の領地に?」
そういえばバーンズさんが似たようなことを言ってた。
帝国に近い土地に巡回に行く。そのうち『魔術ギルド』に協力要請が行くかもしれない、と。
「それにアイリスが選ばれたのか?」
「はい。『魔術ギルド』に所属している者から、優先的に派遣するそうです」
「帝国が動き出したことで、北方に位置する領土の住民が動揺しているらしいのですわ。それをなだめるため、王子殿下や王女殿下を向かわせることにしたそうですわ」
アイリスの言葉を、オデットが引き継いだ。
「陛下から直接のご命令をいただくのは名誉なことです。だから──」
「やきもち焼いたサルビア姫が、アイリスの失点を見つけるために、スパイを送り込んだ……ってことか」
「ですわね」
王族も大変だ。
でもまぁ、わかりやすい相手なら対処もしやすい。
後でデメテル先生経由で、カイン殿下に話を通しておこう。
「……マイロード。領地視察の件なのですが」
「行くのは父さまの叙爵の後かな?」
「はい。式典には私も参加しますので」
「わかった。俺も視察についていく」
俺が言うと、アイリスは安心したようなため息をついた。
「俺はアイリスの『護衛騎士』だからな。ついていくのは当然だろ?」
「『護衛騎士』……だからですか」
「あと、ひとりで行かせると心配だから」
「ありがとうございます。マイロード」
だってアイリス……アリスは放置すると、なにするかわからないし。
ゼロス兄さまの試験のときも、バーンズさんと一緒に試験会場の視察に来てたからな。部下にやらせればいいことなのに。
領地視察なら兵士も一緒に行くだろうけど……やっぱり心配だからな。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」
スレイ公爵家のメイドに見つかると、オデットに迷惑がかかるからな。
今日は早めに引き上げよう。
「そういえばルーミアはどうしてる? 迷惑かけてないか?」
「ふふ、心配性ですのね」
「妹のことだからな」
「心配いりませんわ。さっきまで仲良く、一緒にお茶を飲んでいました」
「今は、マーサさんと一緒に寝室で眠っています。レミーさんはキツネに戻って、抱っこされてますね」
「そっか」
「兄さま好き好き……って、たくさん聞かされました」
アイリスは楽しそうに笑ってる。
それから彼女は、俺を見て、両腕を広げた。
「……私の知らないマイロードとの時間があるんだな……って。ちょっと妬けてしまいました。さびしくもなったので……ここでマイロードを、ぎゅ、っとさせてください」
「ア、アイリス殿下?」
「「しーっ」」
俺とアイリスは唇に指を当てた。
オデットは慌てて口を押さえて……後ろを向いた。
俺は腕を広げたままのアイリスに近づく。
間合いに入るのを待ちかねたように、アイリスは俺の身体を抱きしめた。
「ふむふむ。これが今のマイロードの体温ですね」
「前世とあんまり変わらないと思うが」
「私の身長が違います。前世では、私はマイロードのお腹に頭をくっつけることしかできなかったのに……今はこんなにお顔が近いです」
「近いな」
「背伸びしたら、お互いの額がくっつきますね」
「くっつくだろうな」
「背伸びしてもいいですか?」
「くっつけるのが額だけなら」
「……ですから、心を読むのをやめてください」
むー、と、頬をふくらませて、俺を見上げるアイリス。
唇を尖らせてる。位置は、俺の唇の真下だ。どこを狙ってるか一目で分かる。
前世でも似たようなことしてたからな。アリス。
あのときはライルが折りたたみ式の踏み台を作ってやってた……って、アイリス、手を後ろにまわしてなにか探るようにしてる。探しても、今世ではライルの踏み台はないぞ。
「……さ、さすがにわたくしの宿舎で口づけをするのは……遠慮していただけないかと」
オデットが震える声でささやいた。
こっちをチラ見してたらしい。
「……はぁい」
しぶしぶ、といった感じで、アイリスが俺の身体を放した。
でも、口元が笑ってる。
領地視察で一緒にいる間に再び狙うつもりだろうか……だろうな。
「それじゃ、次はオデットの番だな」
「「……え?」」
「言っただろ。親友同士が人目に気にせず仲良くできる場をつくる、と」
本当はそのために、俺が見張りをやってたんだ。
王女と公爵令嬢──身分の違うふたりが、心おきなく抱き合えるように。
俺も仕事をしたんだから、ちゃんと抱き合ってもらわないと。
「……そういえばそういうお話でしたね」
「……わ、わたくしが殿下と抱き合うのですか?」
「私も少し恥ずかしいですけど……今日は無礼講ですから」
「た、確かに、親友同士ならこれくらいするのかもしれませんけれど……」
じりじりと近づいていくアイリスとオデット。
照れながら……ふたりは近づいていく。
でも、抱き合うのは無理だったみたいだ。特にオデットが。
アイリスとオデットは額がくっつきそうな距離まで近づいて、笑い合う。
王女でも公爵令嬢でもなく、ただの親友同士みたいに。
よし。いいものが見られたから帰ろう。
俺は再び『飛翔』『気配遮断』を起動して、宿舎の窓から飛び立ったのだった。
──ユウキが立ち去ったあとの寝室で──
「────ところで、殿下」
「なんですか、オデット」
「……ユウキのにおいがします」
「抱き合ったばかりですから」
「まるで……わたくしまでユウキと触れ合っているようですわ」
「特別ですよ?」
「……それはよろこんでいいものなのでしょうか」
「オデットはマイロードに背負われて護衛騎士選定試験を受けて、旅の時はマイロードと一緒の部屋に泊まったのですもの。そのオデットなら、マイロードの体温を分けあってもいいのです」
「で、殿下?」
「今日はアイリス、と呼んでください」
「……アイリスさま」
「はい。では親友同士、一緒にマイロードのお話をいたしましょう」
「お、お手柔らかに……」
「だーめーでーすー」
そのままアイリスとオデットは、部屋着から寝間着に着替えて──
眠くなるまで、ユウキについての話を続けたのだった。
いつも「辺境ぐらしの魔王」をお読みいただき、ありがとうございます!
書籍版1巻は2月25日にMFブックスから発売です!
(表紙も公開になりました。ユウキとアイリスとオデットが目印です)
書籍用に、書き下ろしエピソードも追加しています。
愛されすぎる「不死の魔術師」の活躍を、ぜひ、読んでみてください!