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第247話「積みゲー」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、徳を積もうとしている人たちが集まっている。そして日々、善行にいそしもうと、偽善の心を高ぶらせている。

 かくいう僕も、そういった、口先だけは真面目な人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、気持ちに行為が付いていかない面々の文芸部にも、徳の高い人が一人だけいます。賽の河原で石を積む子供たちの前に現れた、地蔵菩薩。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右横にちょこんと座る。僕は、先輩の机の上を見る。無数に積まれた本は、一週間でほぼ入れ替わる。物事を後回しにしない先輩は、僕とは違い、きっちりとしている。そんな僕とは違う性格の楓先輩が、とても好きだ。僕は、そんなことを思いながら、声を返す。


「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉を見つけましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。ソビエト連邦の科学者アレクセイ・パジトノフが、ブロックを積むテトリスを開発したように、僕は人生が詰む、様々な性癖を開発しています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、数々の言葉を積み重ねて書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、やるべきことを後回しにし続ける人たちを目撃した。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「積みゲーって何?」


 楓先輩は、にっこりと微笑んで、僕を見上げながら尋ねた。

 うっ。言葉自体は単純だ。楓先輩は、読書家だから、積ん読という言葉を当然知っている。本を買い集めるだけで、読まずに積み重ねることだ。そのゲーム版が積みゲーになる。落ちゲーの異称に使われることもあるが、積ん読のゲーム版が、最も一般的な意味だろう。


 そう。言葉自体は簡単だ。しかし、この言葉には、落とし穴がある。いつもの流れなら、楓先輩は僕に、積みゲーをしているかと尋ねる。オタクの例に漏れずに、積みゲーをしている僕は、イエスと答えるだろう。その先に、楓先輩が何を言うか、僕は予想ができる。

「ねえ、サカキくんが積んでいるゲームって、どんなゲームなの?」


 それは壮大なる地雷フラグだ。自爆スイッチの付いたロボットが、必ず自爆するように、積みゲーについて説明した僕は、必ずそのことを尋ねられるだろう。

 ま、まずい……。やばい。死ねる……。


 僕は、すぐには答えられずにまごついた。すると部室の一角で、僕と同じようにキョドっている人がいた。それは、僕と同じように美少女ゲーム好きなのだけど、そのことを周囲に隠している吉崎鷹子さんだった。


 鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。

 その鷹子さんは、長身でスタイルがとてもよく、黙っていればモデルのような美人さんだ。でも、しゃべると怖い。手もすぐに出る。武道を身に付けていて、腕力もある。ヤクザの事務所に、よく喧嘩に行く。そして、何もしていなくても、周囲に恐るべき殺気を放っている危険な人なのだ。


 その鷹子さんが、積みゲーという言葉に反応して、挙動不審になっている。


「ねえ、鷹子」


 鷹子さんの様子に気付いた楓先輩が、声をかける。鷹子さんは、びくりと体を震わせたあと、忍び足で部室から去ろうとする。


「どこに行くの?」

「いや、ちょっと外に」


「今から、サカキくんが、積みゲーの話をしてくれるんだけど、鷹子も聞かない?」

「やめておこう。忙しいからな」


「でも、反応していたよね。興味があるんじゃないの?」


 楓先輩は、おひさまのような笑みを見せる。その笑顔に抵抗できず、鷹子さんは青い顔でやって来て、僕の左隣に座った。そして肘で、僕の脇腹を突いてきた。


「おい、サカキ。何で、積みゲーの話題になっているんだ?」

「楓先輩の、いつもの質問ですよ」


「いいか、サカキ。積みゲーはまずい。どんな積みゲーがあるかという話になったら、私が美少女ゲームを積みゲーしているのがばれてしまう」

「それは、僕も同じですよ。ばれてしまってはまずいゲームを、今は積んでいますから」


 どうやら、鷹子さんも、僕と同じ心配をしているようだ。


「何とかごまかせ、サカキ」

「そのつもりですが、楓先輩の追及はいつも厳しいですからね」


 楓先輩に聞こえないように小さな声で、僕と鷹子さんは打ち合わせをする。


「ところで、鷹子さんは、今どんなゲームを積んでいるのですか? 楓先輩との説明でぼろを出さないように、事前に情報を得ておきたいですから」


 鷹子さんは、僕の顔を見たあと、そっと目を逸らす。目を合わせたくないような、ゲームなんだ。僕は、鷹子さんに顔を近付けて、「教えてくださいよ」と小声で言う。


「買ってみたのは、いいんだがな。あまりにも大作すぎて、手を付けられないでいるんだ」

「そういうゲームってありますよね。僕も、その手のゲームは、積みゲーにしてしまうことが多いです」


「ああ、どうしても、時間には限りがあるしな」

「それで、何というタイトルなんですか?」


 僕の問いに、鷹子さんは腕組みをして、言いにくそうに答える。


「『宇宙英雄ペニー・スーダン』だ」


 ペニーとスーダンの間に点を打たないと、大変なことになりそうなタイトルだ。


「『ペニー・スーダン』ですか。どこかで聞いたことがあるようなタイトルですね」


「ああ、そんな気もするな。SF超大作だ。腰にぶら下げた太い武器で、宇宙の敵を、ばったばったと倒す、スター・ウォーズのようなゲームだ。

 ネットで追加シナリオがダウンロードできる仕様なのだが、それが千話近く出ているんだ。一話クリアするのに一時間ぐらいかかる。単純計算すれば、すべてのシナリオをクリアするのに千時間かかる」


「寝ずに遊んでも、一ヶ月以上かかりますね」

「ああ。だから、なかなかプレイできずにいる」


「他に、積みゲーはあるんですか?」


 鷹子さんは、渋い表情で視線を逸らす。そして、仕方がなさそうに口を開いた。


「『ウィーン・サーガ』だ。ウィーンは、作品の鍵を握るアイテムが発する音らしい。

 メタな構造をしたゲームで、クリ本香という主人公が、タートルヘッドの仮面を被った主人公の活躍を執筆するというRPG超大作だ。百話以上がオンラインから追加ダウンロードでき、こちらは総プレイ時間が二百時間以上と言われている」


「なかなかハードですね」

「ああ。さらに攻略が難しいのは、シナリオが進めば進むほど、主人公が老齢になっていくという設定があるからだ。主人公の寿命内に、全シナリオをクリアする必要があるんだ」


 それは大変そうだと、僕は思った。


「おい、サカキ。私の積みゲーばかりを言わせやがって。お前の積みゲーは、どうなっているんだ?」


 鷹子さんの台詞に、今度は僕が目を逸らす。僕は、とてもまずいゲームを、今積んでいる。


「えー、あの……」

「さっさと言え」


 鷹子さんは拳を握る。仕方がない。


「僕も、大作を積んでいまして」

「買って、遊んでいないのか?」


「いえ、僕が積んでいるのは、無料のオンラインソフトのゲームです」

「名前は何だ? 私も知っているかもしれない」


 ううっ。言いたくない。しかし、鷹子さんの鉄拳が怖いので、告白する。


「『こちらカモシカ区・あり・なし・オーイェイ前・顛末書』です」

「はあっ? 何だそりゃ」


「それと、『掘る夫13』」

「その二つは、どんなゲームだ?」


 僕は言いよどむ。しかし、鷹子さんににらまれて口を開く。


「最初の一本は、カモシカ区という架空の街で、ナニがあったり、なかったりする人が、オーイェイするゲームです。

 もう一本は、謎な密閉空間に閉じ込められた男性主人公が、十三人の異常な殺人鬼から、掘られないように逃げるという設定のゲームです」


 僕は、恥じ入りながら言う。


「……お前、そういう方向性に興味があるのか?」

「違いますよ! ネットで話題になったから、とりあえずダウンロードしておいたんです。オンラインソフトの無料ゲームですからね。昨今の世の中では、箱を積むだけでなく、ダウンロードして遊ばない、積みダウンロード的な積みゲーもありますから」


 僕は、必死に背景事情を語る。


「サカキは、そういったゲームばかりを、ダウンロードしているのか?」

「いえ。普通の人気ゲームも、ダウンロードしていますよ。『マン・ピース』とか」


 マンとピースの間に点を入れ忘れると、大変なことになるゲーム名を、僕は告げる。


「ねえ、サカキくん。鷹子。何を、小声で、ごちゃごちゃと話しているの。私にも聞かせてよ」


 少し怒ったような口調で、楓先輩が身を乗り出してきた。

 うっ、これ以上、逃げるわけにはいかない。僕は、楓先輩に突っ込まれないために、素早くロジックを組み立てる。

 人には、積みゲーをしなければならない理由が存在する。それは、人それぞれの事情がある。そういった、各々の立場には立ち入らない方がよい。


 そういった話をすれば、さすがの楓先輩も、僕の事情を聞こうとはしないはずだ。僕はそう考え、会話を開始する。


「楓先輩。積みゲーの説明をおこないます。積みゲーとは、本を買うだけ買って読まない積ん読の、ゲーム版です。買ってきたゲームを、棚や部屋の隅に積んで、未プレイの状態で、あるいは少しだけプレイした状態で放置する。そういったゲームのことを、積みゲーと呼びます。

 人によっては、数百本のゲームを、積みゲーにしている人もいます。また、こういった積みゲーを減らすことを、積みゲーを消化する、積みゲーを崩すと言います。


 では、なぜ、人は積みゲーをするのでしょうか? 社会人の場合だと、お金はあるのに、遊ぶ時間がないので、買ってしまったゲームが、自然に積みゲーになるということが多いです。

 また、コレクターズアイテムとして、自分の好きな作品や作家の、関連商品を買うこともあるでしょう。所有自体に価値を見出しているというケースもあります。さらに、今を逃すと、二度と手に入らないかもしれないという焦り、今買わないと、買うこと自体を忘れてしまいそうという警戒心、そういった理由も存在するはずです。

 それだけではなく、日々のストレスから逃れるために買う人もいます。買い物自体がストレス発散になっているとわけですね。


 人は、それぞれ事情を抱えています。今プレイできなくても、いずれプレイしたい。死ぬまでにプレイしたい。それは、その人の人生設計であり、将来に託す夢なのです。老後の楽しみのために、大切に作品を取っている人もいるでしょう。

 だから、なぜプレイしないのに買うのか、と非難するのはよくありません。その代わりに、その人なりの事情を勘案するのが、よいと思います」


 僕は説明を終えた。そして、楓先輩の反応を待った。


「それで、サカキくんは、積みゲーはあるの?」

「え? いや、楓先輩、僕の話は聞いていましたか?」


 思わず僕は、突っ込みを入れる。しかし、そんな僕の言葉を華麗にスルーして、楓先輩は、鷹子さんにも言葉をかけた。


「さっき、興味津々だったけど、もしかして鷹子も、積みゲーがあるの?」

「おい、ちょっと待て、楓。お前、サカキの話は聞いていたのか?」


 鷹子さんも、楓先輩の台詞に驚く。


 楓先輩は、まったく空気を読まずに、僕の予防線をやすやすと突破してきた。僕と鷹子さんは、楓先輩のきらきらとした目の直撃を受ける。僕は身を縮めて、自分の心の卑しさを痛感する。


「えー、ごにょごにょです」

「あー、むにゃむにゃだ」


「えっ、聞こえなかったよ、二人とも。どんなゲームなの?」


 楓先輩は、明るい笑顔で尋ねてくる。駄目だ。告白させられてしまう。


「逃げるぞサカキ!」

「はい!」


 珍しく、鷹子さんと意気投合した。僕は、すでにネットスラングの説明を終えた。義務は果たした。僕と鷹子さんは立ち上がり、一目散にその場から逃げ出した。


 それから三日ほど、僕は、楓先輩からの質問に、胸を張って答えられるように、必死に積みゲーを消化した。攻略サイトを血眼で見て、次々と最短コースで積みゲーを崩していったのだ。


「はあ、はあ、はあ」


 三日の徹夜ののち、ようやく積みゲーがすべて消えた。しかし、その頃にはもう、楓先輩は、積みゲーという言葉から興味を失っていた。


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