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第240話 挿話56「バレンタインと保科睦月」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、季節の行事を大切にする者たちが集まっている。そして日々、時間に追われてイベントをこなし続けている。

 かくいう僕も、そういった、季節の美味に目がない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、季節感溢れる面々の文芸部にも、本の世界に耽溺している人が一人だけいます。木々に囲まれて生きる野生人に遭遇した、本の森に住む文明人。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


 そんな楓先輩と僕の文芸部は、今日は少しお休み。二月の恋愛行事が近付く中、僕はそわそわとした気分で過ごしていた。


 自宅のインターホンが鳴った。僕は玄関の扉を開ける。建物の外には睦月がいて、いつもとは違い、温かい格好をしていた。厚手のセーターに、ウールのスカート。足下はブーツで、頭には毛糸の帽子を被っている。

 洋服の色はすべて暖色系。赤や茶色でまとめた服に埋もれるようにして、睦月の可愛い顔が見えた。


「ユウスケ。約束の買い物に行こう」

「うん」


 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、部室で僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。


 そんな睦月が、僕を迎えに来た。僕は、家の扉を閉めて、睦月とともに歩きだす。数日前からの約束。今日は、近くのお店に、材料を買いに行くのだ。

 睦月は毎年、僕のためにチョコレートを作ってくれる。例年、僕がもらう手作りチョコは、睦月のものだけだ。あとは義理チョコを、いくつかもらうだけである。


「ユウスケ。今年は、どんな形のチョコにするの?」

「久しぶりに、仮面ライダーがいいかな。特撮系は、ここ数年作っていないからね」


「型は、いつものように、ユウスケが作ってくれるのよね?」

「そうだね。そういった細かい作業は、僕の方が得意だからね」


 例年、バレンタインデーのチョコは、僕が型を作って、睦月がチョコを二人分作る。僕の分と、睦月の分。それが恒例行事になっている。


「チョコの味は、甘め、苦め、どっちがいい?」

「甘い方がいいかな。僕は甘い物が好きだからね。僕は、脳をよく使うだろう。脳は、糖分を要求しているからね。体よりも脳をよく使う僕は、いつも糖分を必要としているんだ」


 並んで歩いている睦月は、僕のお腹をちらりと見て、複雑そうな表情をする。その視線を華麗に受け流して、僕は別の話題を振る。


「それにしても、去年のバレンタインデーはひどかったねえ」


 僕は、ため息を漏らしながら言う。睦月は、僕をちらりと見たあと、同情の表情を浮かべる。


「あの惨劇のバレンタインデー事件よね?」

「うん。満子部長が、まさかあんなチョコを買ってくるなんて。上級生でお金を出し合って、部員のためにチョコを買ってくると言った結果、ああいったものを購入するとは……」


「何を買ってきたか、鷹子先輩も、楓先輩も、知らなかったのよね?」

「当然だよ。あんなことを考えるのは、満子部長ぐらいだから」


 僕は、一年前のことを思い出して、気分が悪くなった。

 そう。満子部長が用意したのは、ロシアンチョコだったのだ。パッケージの中に、一つだけ激辛のチョコレートが入っている危険なお菓子。それを、何も言わずに部員に配り、なぜか僕がその激辛チョコを引き当てた。


 誰が引いてもよかったはずなのに、どうして僕が引いてしまったのかは分からない。しかしそれは、不幸中の幸いだったと言うべきだ。

 楓先輩が、あんな思いをしなくてよかった。鷹子さんが食べていたら、大魔神のように荒れ狂っていただろう。鈴村くんなら、卒倒していたかもしれない。睦月だと、僕の胸が痛む。


 危険なチョコを、僕が食べたおかげで、周囲に被害がなかった。それは本当に喜ばしいことだ。僕は、そういったことを睦月に告げ、同意を求めた。


「ねえ、睦月もそう思うでしょう?」


 睦月は、困った顔をした。


「あのチョコの件は、ユウスケではなく、満子部長が引き当てるのが一番よかったと思うけど」

「あっ! そういえば、そうだね」


 僕は、睦月の鋭い指摘に声を上げる。そうだ。元凶の満子部長が引き当てればよかったのだ。なぜ、そんなことに気付かなかったのだろう。悔しさとともにそう思い、僕は一年前の記憶をたどる。


 そうだ。あの日の一件では、満子部長も激辛チョコを食べる可能性があったのだ。しかし、満子部長は、まったくそういったことを気にしている様子がなかった。

 満子部長は、最初にチョコを手に取り、気軽に口に入れた。もしかしたら、安全な場所を知っていたのかもしれない。満子部長ならあり得る話だ。


 満子部長は、その後、一人ずつに箱を向けて、手前から取らせた。そして最後に僕に食べさせた。うっ、もしかして僕ははめられたのか? あり得る。あの人なら、そういったことをしかねない。

 僕は、そういった満子部長の策略を、一年経過したあとに、ようやく気付いた。何という不覚。僕は落ち込みながら、睦月と並んでふらふらと歩く。


「大丈夫、ユウスケ?」


 睦月の整った顔が、僕の横に来た。


「うん。大丈夫だよ。僕は、自分の馬鹿さ加減に、嫌気が差していたんだ」

「そうなの? 私は、嫌にならないよ。ユウスケは、鈍感だけど、優しいから」


 睦月は、僕のことを心配するようにして言った。


 僕と睦月は、二人で歩く。バレンタインデーまでは、まだ時間がある。早め早めに準備をするのは、睦月の真面目さの現れだ。今日、帰ったら、チョコの型を作らないとなあ。そのデザインに、頭を巡らせていると、食材店が近付いてきた。


「ユウスケ。あと少しだよ」

「あの店は、甘い物が多いからなあ。お菓子を買って帰ろうかなあ」


「食べすぎは駄目だよ。夕ご飯が、入らなくなるから」

「大丈夫。僕は、お菓子もご飯も、行ける系だから」


 いつものように話しているうちに、お店に着いた。店内は、バレンタインデーの準備のためだろう、チョコや調理器具を物色しているお姉さんたちが多くいた。その中、僕と睦月は、チョコ売り場へと移動する。


 睦月は、棚に手を伸ばして、かごに商品を入れる。僕はそのかごに、自分が食べたいお菓子を探してきて放り込む。僕と睦月は、並んでレジに向かった。レジのお姉さんが、僕たちを見て、楽しそうな笑みを漏らした。


 支払いが終わった。チョコとお菓子。それらを、それぞれの袋に入れて、僕と睦月は自動ドアを抜けた。

 道路の空気は、ひんやりとしていた。声を出そうとして向かい合うと、白い息が蒸気のように口から漏れた。その様子を見て、僕と睦月は、思わず笑みを漏らす。


「帰る?」

「うん」


「どこか寄っていく?」

「このままでいいよ」


 二人で寄り添い、枯れた街路樹の下を進んでいく。

 息を吐くたびに、白い煙が一瞬浮かぶ。それが楽しくて、長く息を吐く競争を、睦月とした。勝負は、睦月の勝ち。水泳部である睦月の肺活量は、僕の何倍もあった。


「冬だね」

「うん」


 取り留めのない受け答えをする。

 睦月は、嬉しそうな顔をして、ふと足を止めた。睦月は、仰ぐようにして空を見る。僕も視線を追った。空を覆うようにして、灰色の雲が漂っている。雪を孕んだ雲だろうか。今が冬であることを、僕は実感する。


「今年の文芸部では、去年と違って、まともなチョコをもらえるかな」


 足を止めて、僕はつぶやいた。


「楓先輩のチョコが欲しいの?」

「うん。まあね」


 僕は、睦月の手前、曖昧に答える。


「難しいと思うけど」


 睦月は、気まずそうに告げる。


「そうかな?」

「うん」


「どうして?」

「今年は、先輩たちの誰も、ユウスケにはチョコをくれないと思うよ」


「なぜ睦月は、そういったことが分かるの?」


 僕の知らない情報を、睦月は握っているのだろうか? 僕は不思議に思い、睦月に説明を求めた。


「だって……」

「だって?」


「その日は、先輩たち、高校受験だから」

「えっ?」


 僕は、慌てて睦月に尋ねる。僕は把握していなかったが、先輩たちが受験する高校の試験日は、二月十四日らしい。


「だから、それどころではないと思うよ。バレンタインデーより、受験だと思うから」

「あ、ああ……」


 僕はショックを受ける。どうやら僕は、自分のことしか考えていない、大馬鹿者だったようだ。


 そうか、受験か。そういえば、最近部室はぴりぴりしていた。僕は、精神的なダメージを負って、ふらふらと歩きだす。そんな僕を、睦月が支えてくれる。

 しばらく無言のまま過ごした。睦月が、ちらちらと僕を見上げて、口を開いた。


「だから今年は、文芸部のみんなの分も、私がユウスケにチョコを上げるね」

「う、うん」


「それに、先輩たちが卒業したら、一年間は、ユウスケは、私だけのものだから」

「えっ?」


 僕が声を漏らすと、睦月は顔を真っ赤に染めたあと、すたすたと進んで行った。

 僕は、睦月の背中を見る。睦月は、先ほどの表情とは裏腹に、自信に溢れた足取りで歩いていた。


「ねえ、ユウスケ、行こう」


 振り返った睦月は、何事もなかったかのように、笑みを浮かべていた。仕方がないなあ。僕は、そういった気持ちになり、幼馴染みの睦月のあとを、ゆっくりと追いかけた。


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