第二百三十一章 旅立ち
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なぜこの時期に更新をしたか……分かりますよね?
そうなんです! 猫耳猫を休んでいた二年の間にゲームを完成させました!
「NAROUファンタジー」という作品で、「ふりーむ!」さんに掲載させてもらっています
URL http://www.freem.ne.jp/win/game/16510
フリゲなのでwindowsが動くパソコンがあれば誰でもタダで出来ますのでぜひ!
最近有志の方にwikiも作ってもらいましたが、作者も知らない情報が満載でオススメです!
「冒険者よ、よくぞここまで辿り着いた! だが、西の魔族を統べる我が――」
「てぇい!!」
「ひぎゃぁああああああ!!」
俺が右手を振った瞬間に消し飛んだボスを見て、俺は肩を落とす。
「まさか、こいつでも勝てちゃうとはなぁ」
そうぼやきながら、俺は右手の武器に目を落とした。
俺が持っているのは、ムチにも似た形状の青々とした植物……ねこじゃらしである。
「うーん。流石に、これより弱い武器はないんだけど」
ねこじゃらしは「石ころより弱い!」のフレーズで猫耳猫プレイヤーに浸透した武器で、その恐ろしく弱い攻撃力と、どんな相手を殴っても攻撃一回で耐久が一ずつしか減らないという特殊能力から、主にNPCをぶん殴る時などに使われる手加減武器として愛用される武器だ。
そんなもん何の役に立つんだ、とほかのゲームであれば思うところだが、猫耳猫において、NPCを無傷で殴れるというのは非常に価値が高い。
あいつらプレイヤーとの決闘イベントの最中に通りすがりのモンスターに凸って返り討ちにあって死んだり、謎の挙動で壁ハマりしてイベント進行不可になったり、バグが発生する動作を殴って省略しないと詰んだりするので、ノーダメージでノックバックやヘイトを取れるこの武器は非常に重宝するのだ。
ともあれ、その手加減用の武器でもこのありさまだというなら、もうお手上げだ。
俺はねこじゃらしを左右に振り、それに合わせてきゅっ、きゅっと移動するミツキの猫耳を見ながら、ため息をついた。
俺がボスをオーバーキルしている原因はもちろん、左手に持った楽器。
強化された邪神を武器化したこの『リュート・ディズ・アスター』は、持っている人間の全ての基本能力値をアホみたいに上昇させる。
これでブーストされた能力値をもってすれば、人畜無害の塊のようなねこじゃらしも爆殺確定の凶器に変わってしまう、という訳だ。
この邪神武器については、扱いに困っている、というのが正直なところだ。
何をやるにしても過剰戦力になってしまうので使い勝手はあまりよくないのだが、仮に誰かに盗まれたりして万が一悪人の手にでも渡ったら大変なことになる。
結果、肌身離さずに持つしかなく、俺は哀れな爆殺死体を大量生産するはめになっているのだ。
「……でもまあ、そろそろ終わり、だしな」
小さく口の中でだけつぶやいて、俺は後ろを振り返った。
「真希。リストにあったダンジョンは、これで最後なんだよな?」
「え? う、うん。これで終わりだね。おつかれさま」
真希の少しぎこちない態度を不審に思いながらも、俺は肩の荷が下りたような気分になる。
邪神の騒動が片付いたあと。
俺たちは時間を惜しむように色々な場所を冒険し、様々なダンジョンを制覇した。
この世界に戻ってくるつもりはあるが、それは残念ながら確実とは言えない。
邪神を倒したことでこの世界に対する最大の脅威は片付いたと言えるが、猫耳猫には場合によってはやばいことが起こるイベントなどは無数にある。
この世界を脅かす可能性があるものは、出来る限りなくしておきたかった。
ただ、何事にも終わりは来る。
俺たちはもともとゲームクリアが出来るレベルの高ランクパーティだし、それに加えて俺は邪神を素材とした最強の武器を持っている状態で、これで苦戦する敵なんてそうそういるはずもない。
あ、いや、一度だけ。
相思相愛の指輪を装備したイーナが転んで武器がすっぽ抜けた時は、もう少しで近くを歩いていたサザーンの頭が赤い実、弾けたするところだったが、ピンチになったのはそのくらいだ。
攻略の必要がある場所は思い出せる限りリストに書き出して真希に渡しておいたが、今回のダンジョンで終了。
これで、当分の間は猫耳猫世界が滅ぶことはない……んじゃないかなぁ、と思う。
いや、これだけ予防線を張っても断言出来ない辺りが、猫耳猫なのだが。
「それじゃ、帰ろうか。レイラたちが待ってる」
とはいえ、これ以上、俺がこの世界でやれることはない。
これで俺も、胸を張って帰ることが出来る。
――俺たちはきっと、この世界を救ったのだ。
……そう思っているはずなのに。
なぜだか今日の帰り道は、いつもより足が重かった。
それは仲間も同じようで、普段は饒舌な真希も黙り込んで、何かを考えて込んでいるように見えた。
行きに倒してしまったせいで道を阻むモンスターも現れず、俺たちは気詰まりな沈黙を抱えたまま、黙々と入り口に向かって足を進めていく。
「そ、それにしても、ダンジョン探索にもすっかり慣れちゃいましたねー」
明るい声で沈黙を破ったのは、イーナだった。
「昔はダンジョンはちょっと苦手だったわたしも、何だか今では一端の冒険者になれた気がします!」
そう言うと、わざとらしいほどに大げさな身振りで、グッと拳を握ってみせる。
ただ、それで初めの方の冒険を思い出したのも確かだった。
「そういえば、イーナは最初の方はほんとにダンジョン初心者って感じだったもんなぁ。
途切れた道をスキルで渡らずにわざわざ足場を作る仕掛けを解こうとしたり、罠があるかもしれない廊下に爆発のジェムを放り込む前に進もうとしたり……」
「い、いえ。それはソーマさんの攻略の方がおかしいというか。むしろ今でもおかしいと思いますけど、慣れちゃったというか……」
なぜか歯切れの悪い返答をするイーナ。
もしかすると、初めの頃の未熟な自分を思い出して今さらに照れているのかもしれない。
「でも、ほんの数週間だったのに、このメンバーでダンジョンを歩き回るのが当たり前になっちゃいました。
何だかもう、日常の、当然の光景、みたいな……」
そこで少しだけ、イーナの声のトーンが変わる。
大切な何かを懐かしむような、かけがえない思い出を慈しむような、そんな声。
「だけど、それも今日で終わり、なんですよね」
そう口にするイーナは、朗らかで。
俺に向けるその表情は、笑顔のままで。
「もう、明日からはみんなとこうして歩くこともないんだって思うと、なんか、ふしぎな、きもちで……」
「……イー、ナ?」
ただ、その瞳からはぽろぽろと、涙がこぼれていた。
「えっ? あ、あれ? ど、どうしたんだろ? あ、あれっ? あれっ?」
俺に言われて、初めて気付いたのだろう。
イーナは焦ったように自分の頬をぬぐって、必死に笑顔を続ける。
「ご、ごめんな、さい。違うんです。わたし、こんなつもりじゃ……」
「悪い! 無神経なことを……」
「ち、違います! ソーマさんは、悪くないです! わたしは大丈夫! 大丈夫ですから!」
その言葉を証明するように。
それからも、イーナはずっと、笑っていた。
けれど、俺たちがダンジョンを出るまで……。
その涙が止まることもまた、なかった。
「ミツキ。ちょっとこれから、付き合ってくれないか?」
王都まで辿り着いたところで、俺はおもむろに切り出した。
「私に、ですか?」
ねこじゃらしを手に茫洋としていたミツキだったが、俺の言葉に驚いたように耳を尖らせた。
晴天の霹靂、と言った様子のミツキだが、これは俺が最初から決めていたことだ。
「ああ。最後に、もう一つだけ攻略したいダンジョンがあるんだ」
「でしたら、全員で……」
言いかけるミツキをさえぎるように、
「…わかった。イーナは、わたしたちがつれてく」
黙って後ろをついてきていたリンゴが、そう請け負ってくれた。
何も言わずとも俺の気持ちを汲み取ってくれたリンゴに、心の中で感謝を贈る。
「ありがとう。……それじゃ、行こう。ミツキ」
「分かりました。そこまで言うのなら」
ミツキはどこか釈然としない様子だったが、俺が重ねて言うと、素直にうなずいてくれた。
そうしてほかの仲間にイーナを任せ、俺はミツキだけを伴ってふたたび王都を出発した。
その、目的地は……。
「……ここだ」
「これは……幻石の洞窟?」
その言葉に、俺はうなずいた。
「ずっと前から、決めてたんだ。ダンジョン巡りが一通り終わったら、最後にはここに来ようって」
――幻石の洞窟。
そこは、幻石という結婚指輪の素材となる宝石が取れるダンジョンであり。
ゲームでミツキとの結婚イベントをこなすために訪れる場所であり。
同時に今ここにいるミツキが、俺と一緒に行こうと約束した場所でもある。
約束、と言っても一方的なものであったし、結婚とかそういうものについては正直踏ん切りがつかない部分はあるが、それでもこの場所にミツキと一緒に来たいと思ったのは、俺の本心だ。
それが思い出になるのなら、幻石で最高の指輪を作って贈ってあげたいという気持ちもあった。
「じゃ、じゃあ、行こうか」
なんとなく声を上ずらせながら、俺は幻石の洞窟に向かって一歩足を踏み出した。
しかし、なぜかそのあとに続くはずのミツキの足音がしない。
「ミツキ……?」
振り返ると、ミツキは先程と同じ場所で立ち止まっていた。
なぜか怯えたように幻石の洞窟を見つめ、ぎこちない口調と共に、首を横に振った。
「……今日は、やめましょう」
「ど、どうしたんだよ? ずっと、来たいって言ってただろ?」
驚いた俺が言葉を返しても、ミツキは口元にぎこちない笑みを浮かべたまま、もう一度首を振るだけ。
「確かにここは大事な場所ですが、どうしても今行かなくてはいけない場所でもありません。
特段手間取る事もなかったとはいえ、ダンジョンを一つ攻略した帰りでもあります。
イーナさんの事も心配ですし、今日の所はもう帰りましょう」
あれだけ、願っていたはずの場所なのに。
何度も来ようと誘っていたはずの場所なのに。
その態度が理解出来なくて、俺はさらに言い募る。
「べ、別に、俺のことなら気にしなくてもいいんだぞ?
無理して付き合ってる訳じゃなくて、俺だって、心残りがあると嫌だから……」
「――だったら、それでいいではないですか!」
いつにないミツキの鋭い声に、口にしかけた言葉が、止まった。
「心残りがあれば、もう一度私の許に戻ってこなくては、と思ってくれるでしょう?
だったら、約束なんて、果たされなくて構わない!」
「ミツキ……」
俺の視線を受けて、ミツキはグッと唇を噛み締める。
「私は別に、形が欲しい訳ではありません。
ただ、ただ貴方に傍にいて欲しいと……!」
そこまで言いかけて、ハッとしたようにミツキは顔を上げた。
それからほんの一秒ほど、目を閉じて、
「……冗談、ですよ」
と、くすりと笑った。
「いや、冗談、って……」
「貴方が思ったよりも約束を重く捉えていたようなので、少しからかいたくなってしまったのです。
……さ。もう、帰りましょう」
ミツキの真意は、分からない。
ただ、悟ったようなミツキの瞳に気圧された俺は、ただ「ああ」と言葉を返すことしか、出来なかったのだった。
買いたいものがある、と街に寄ったミツキと別れ、屋敷に戻ると、
「うわあ!?」
門のところで俺に向かって白い何かが飛んできて、俺は焦って飛びのいた。
白い何かは俺の横を通り過ぎて門にベチャリ、と音を立てて張りついた。
……これ、雑巾だ。
しかも濡れた奴。
当たらなくてよかった、と俺が胸をなでおろしていると、
「な、何で避けるんだよ!」
「いや、避けるだろ、そりゃ」
門の影から、この悪戯の犯人が顔を出した。
「で、何でこんなことをしたんだ? サザーン」
俺が怒りを込めた目で尋ねると、サザーンは一瞬だけ怯んだようだが、
「ふん! 元々、貴様とはライバルだからな! 僕からの決闘の申し込みだ!」
「誰がライバルだ、誰が。第一決闘で投げつけるのは手袋だろ」
何がどうなってそうなったのか。
あいかわらず呆れた奴だ。
だけどまあ、ちょうどいいと言えばちょうどいい。
「ほら、お返しだ」
言いながら、俺はサザーンに向かって鞄に入れていたアイテムを放る。
「ひゃっ!? き、貴様!」
仮面の上から直撃を受けたサザーンは肩をいからせたが、俺が投げたものに気付いて動きを止めた。
「こ、これは……」
「ああ。指貫グローブだよ」
「え? だ、だが指貫グローブは貴様の武器に……」
驚くサザーンだが、答えは簡単だ。
「この前また売ってるのを見つけたんだよ。お前が気に入ってたみたいだから、買っていってやろうと思ってさ」
「じゃ、じゃあ、これは……」
「プレゼントだよ。お前にやる」
俺がはっきりとそう言うと、サザーンは複雑そうに、指貫グローブをじっと見つめた。
てっきり喜ぶかと思っていたのだが、当てが外れてしまっただろうか。
「ズルいぞ、貴様は。こんなものをもらっちゃったら、もう、決闘を挑むわけには、いかないじゃないか」
「いや、何もなくても決闘なんてするなよ」
あいかわらず、こいつの考えてることだけはよく分からない。
俺の呆れを含んだ声で言ったが、サザーンは聞いていないようだった。
しばらくグローブを眺めたあとで、ぽつりぽつりと話し始める。
「……本当は。決闘に勝ったら、お前に元の世界に戻るのはやめろ、と言うつもりだった。
だけど、もう、やめだ」
サザーンは指貫グローブを大切そうに手に嵌めると、びしっと俺に指を突きつける。
「僕は大魔術師サザーン様だ! 貴様が向こうの世界からもどってこなければ我の方から捜しに行ってやる!
我が影に怯えてながら、震えて暮らすがいい! ふはははは!」
それはもしかすると、こいつなりの俺へのエールだったのかもしれない。
だとしたら、不器用というのも足りないほどに不器用だ。
「……はぁ。ほんとお前は、あいかわらずだなぁ」
どちらにせよ、サザーンはこれからもこうやって生きていくのだろう。
俺がいなくなっても、ずっと。
「ま、せいぜい期待して待ってるよ」
だから俺は、高笑いをするサザーンを放置して屋敷の中に入り……。
屋敷の扉が閉まる直前。
背中から、ぐす、と小さな音がしたのを、聞こえなかったふりをした。
屋敷に入って広間に行くと、すぐに金色の髪が俺に向かって駆けてきた。
「ソーマ! 遅かったから心配しちゃった! もうご飯、出来てるよ!」
いつもと変わらない笑みのレイラ。
だが、その笑顔が、今だけは胸に刺さった。
俺たちが外に出ている間、レイラはずっと屋敷を守っていてくれた。
だから、彼女は、彼女だけは知らないのだ。
ダンジョン探索の時間は終わり。
俺がもう、元の世界に帰るということを……。
「レイラ。あの、さ」
どう切り出せばいいのか、俺が言葉を選んでいると、
「知ってる、よ。……もう、帰るんだよ、ね」
それを先回りするかのように、レイラがそう口を開いた。
「な、んで」
「ソーマのことだから。それくらいは、分かるよ」
彼女は少し、寂しそうに、だけどどこか誇らしそうに笑って、揺らぎのない目で俺を見る。
「あの、ね。別れるのは、とってもとっても、寂しいけど。
でも、ソーマが幸せなのが私も一番うれしいって、そう気付いたから」
「レイラ……」
笑顔で口にする彼女に、俺は何を言えばいいか、分からなかった。
「あ、忘れてた! ヤカン、火にかけっぱなし!
きょ、今日は記念にとびきり豪華にしたから、いっぱい食べてね!」
慌てて駆けていく背中を、ただ見送る。
立ちすくんで、それからどのくらい経っただろう。
「…ソーマ」
横からかけられた声に、俺は自分が長い時間そこで立ち尽くしていたことに気付いた。
「リンゴ……」
今日はずっと、仲間たちが悲しむ姿を見ていたせいだろうか。
こちらに向かって歩み寄る彼女を見た瞬間、気の迷いが生まれた。
だから俺はつい、リンゴに問いかけてしまった。
「なぁ。リンゴはさ。俺が、元の世界に戻るのは、やっぱり反対か?」
聞いてから、後悔する。
こんな質問、どう答えても相手を困らせるだけだ。
案の定、リンゴは返答に困ったのだろうか。
しばらくの間、沈黙して……。
「…ん」
それから、なぜか俺に小指を差し出してきた。
「リンゴ?」
意図が分からず戸惑う俺に、リンゴは重ねて言った。
「…もういっかい。やくそく、して」
「約束?」
「…ぜったい、かえってきて」
なぜだろう。
その静かな言葉に込められた想いに、熱に、俺は胸が熱くなるような思いがした。
その想いに報いる方法を、俺は一つしか知らなかった。
だから……。
「……分かった」
小さなその指に、俺はそっと、自分の指を絡めた。
そして、自分に出来る限りの想いと確信を込めて、誓う。
「――約束、するよ。俺は絶対に元の世界に帰る。
それから、絶対に、この世界に戻ってくる!」
俺がそう言い切って指を離すと、リンゴは小さく、本当に小さくだけれど、口の端を持ち上げて、
「…ん」
と、いつものように言って、笑ったのだった。
――そんな風に、俺たちは噛み締めるように残りの日々を過ごし、ついにその日がやってきた。
元の世界への帰還場所は、あの指輪の盗難(未遂)事件のあった館、アーケン邸の中庭と決まった。
俺が帰還に使おうとしているのは、強制ログアウトバグ『合成禁術デスフラッシュ』だ。
合成禁術デスフラッシュはスターダストフレアとバブルチェインという広域魔法によって起こる現象。
通りかかっただけの一般人が魔法の巻き添えを食らっても困るし、ないとは思うが、偶然デスフラッシュを見ただけの誰かに影響がおよんでも困る。
その結果、閉鎖された空間で、ほかに迷惑のかける恐れのないアーケン邸に白羽の矢が立った、という訳である。
「……まあついでに、あの駄メイドの奴とまた話をしたかった、ってのもあるしな」
アーケン邸の事件の犯人、メイド……の格好をした用心棒リルムの顔を思い出しながら、俺は猫耳屋敷を引き払う準備をする。
引き払うと言っても、ミツキやリンゴは引き続きここに住むそうだし、俺の私物を回収するだけだ。
それも冒険者鞄があればほんの数十分で終わり、なんとなく寂しい気分になる。
名残を惜しみながら扉を開けると、廊下にリンゴが立っていた。
正直、ホラーっぽい洋館の雰囲気とあいまって、少しビビる。
「…おわっ、た?」
そんな俺に動じる様子もなく、あくまでマイペースにリンゴが尋ねてくる。
俺が無言でコクコクとうなずくと、それ以上何も語ることなく、リンゴは俺の隣に並んだ。
横でひょこひょこと揺れる青い髪を見ながら、そういえば、この屋敷に来た時はリンゴと二人だけだったな、と思い出していた。
だったら最後もこの二人で、というのも運命なのかもしれない。
「最初は、とんでもない場所に来ちゃった、って思ったのにな」
ほんの数ヶ月ではあるけれども、長い時間を共に過ごした場所だ。
言葉はないままに、リンゴと一緒に最後の見回りをする。
どの場所にも思い出が詰まっていて、思い出す度に胸が詰まるのを感じる。
たっぷりと時間をかけて全ての部屋を回ってから、俺は屋敷に別れを告げた。
出立は、ライデンたちや八百屋のおばちゃん、それに王様までがやってきて、盛大に見送ってくれた。
豪華な見送りを受けて王都を出ると、ここから先はもう仲間たちだけだ。
リンゴにミツキ、イーナにサザーン、レイラとくま一号。
かけがえない仲間たちと一緒に、俺と真希はアーケン邸への道を進む。
道中に、会話はなかった。
もうあと数時間もすれば、この最高の仲間たちと別れることになるなんて、実感が湧かなかった。
誰かが「元の世界に帰るのをやめてほしい」と口に出したら、堅いはずの決心が堰を切って崩れてしまいそうな、そんな気配があった。
ただ、結果として……。
仲間たちは誰一人、口を開くことはなく、俺たちは無事に、アーケン邸に着いた。
話はもう、通してある。
館に着いたら、アーケン一家に挨拶をして、中庭を借りてすぐにでも元の世界に……と思っていたのだが。
「あれ? リルムだけ、なのか?」
アーケン邸で待っていたのは、駄メイド一人だけ。
彼女は言葉少なに俺たちを出迎えると、「こちらへ」と言って、館の中に招き入れる。
「これ、って……」
そこに用意されていたものを見て、俺は驚きに目を見張った。
通された食堂には、手作り感あふれる飾り付けがされ、テーブルからあふれんばかりの豪華な料理の数々が並んでいた。
「最後の一日くらい、仲間の方々と一緒に羽を伸ばして楽しんでほしい、というのが我ら一同の願いです」
リルムの言葉に、思わず目頭が熱くなる。
「あのひと、たちは……」
どこまでもお人好しでお節介なアーケン一家の姿が脳裏によみがえる。
彼らは俺たちのためにパーティの準備を整えると、自分たちは邪魔にならないように、家族そろってどこかへ出かけたらしい。
「本日はこのメイド……的存在の不肖リルムが給仕を務めさせていただきます! どうかみなさん、最後の一日を楽しんでください!」
すまし顔でそんな台詞を口にしつつも、早速給仕しようと歩き出したところでバタンと部屋の真ん中で転んだのは、やはり駄メイドの駄メイドたるゆえんか。
だけどそんなところも含めて、俺はこのアーケン一家が大好きだった。
「ソーマ……」
何かを期待するようなリンゴの視線に、俺は頭から突き出した猫耳をかいた。
「ここまでされて、無視するなんて、出来ないよな」
「ソーマさん! じゃあ……」
パッと顔を輝かせたイーナに、うなずく。
「――出発は、明日だ。今日はめいっぱい、楽しもうぜ!」
俺の言葉を皮切りに、どこか空元気を含んだ歓声が起こり、俺たちの最後の晩餐が始まった。
その、最後の一日は……。
俺たちの帰還前最初で最後のパーティでは、語り尽せないほどたくさんのことがあった。
ただ、俺たちはそこで一生分笑って、騒いで、そして泣いた。
やがて夜も暮れて、俺たちは自然とまるで電源が落ちるように眠り込んで……。
――この世の終わりなんじゃないかってくらい大きな音に、俺は目を覚ました。
どんどんと激しさを増していく聞き覚えのある音の連なりに、寝ぼけた頭が一瞬で覚醒する。
「これは、この音は……!」
何も考えている暇はない。
俺は全力で窓に駆け寄って開け放つ。
そこから見える裏庭に人の気配はなく、音は逆側から聞こえてきている。
ということは……。
一瞬で判断を終えた俺は、館の反対側、中庭目がけて走り出した。
朝の静寂を破った犯人は、中庭で途方に暮れていた。
「な、何でだ!? 僕の魔法は、成功したはずなのに……」
「お、おかしいよ! 何で消えちゃったの? これじゃ……」
その姿を見て、俺はホッと、安堵の吐息を漏らす。
「――スターダストフレアは、二人の術者が同時に使うことを想定されていないんだ。どういうプログラムを組んでるのか知らないけど、使用中に別の人間がスターダストフレアを使うとエフェクトがそっちに持っていかれて、一つ目のスターダストフレアのエフェクトが消えるんだよ」
声をかけると、二人は弾かれたように振り向いた。
「サザーン。真希」
音の発生源は、この二人だった。
より正確に言えば、この二人が使った最強魔法「スターダストフレア」があの破壊的な音を生み出したのだ。
「……デスフラッシュを、試そうとしたんだな」
俺が問いかけると、サザーンは動揺し、真希が顔をうなだれさせる。
デスフラッシュはエフェクトの激しい魔法二つの組み合わせで発生するバグだ。
ただ、スターダストフレアの抱えるバグのせいで、スターダストフレアだけを二つ重ねても発生することはない。
だから俺は、危険を冒してまでレイライベントのバブルチェインの魔法を手に入れた訳だが、真希とサザーンはスターダストフレアの欠陥を知らなかった。
スターダストフレアを習得しているのは、俺と真希とサザーンの三人だ。
真希はおそらく、サザーンの協力さえ仰げば、俺抜きでもデスフラッシュを再現出来ると考えたのだろう。
「……そー、ま」
うなだれる真希に向かって、俺は歩を進める。
「どうして、こんなことを?」
「だ、だって、わたしは、知ってるから! そーまがここでの時間をどれだけ大事にしてたか! みんなが、リンゴちゃんたちがそーまがいなくなるのをどれだけ悲しんでるか、知ってるから!」
泣きそうになりながら、真希は言葉をつむぐ。
「ほんとは、ずっとわかってた。そーまはゲームの世界にずっといたいんだって。それでももどろうとしてるのは、わたしがいるから、でしょ。だから……!」
「だから、自分一人が元の世界に戻ればいい。そう、思ったのか?」
俺の問いに、真希は目に涙をにじませたまま、こくりとうなずいた。
「馬鹿だな、お前は。確かに、真希がいなかったら、俺はもしかすると元の世界に戻ろうなんて、言い出さなかったかもしれない。でもさ」
その泣き顔に、俺はこつんと拳を当てる。
「俺にとって、真希と一緒に日本に戻ることは、ここでみんなと一緒に過ごすことと同じくらい、大事なことなんだよ」
「そーま……。でも、でも……」
「それにさ。俺は信じてるんだよ。絶対にもう一度、この世界にやってくる方法を見つける、ってさ。ほら」
俺はポーチの中から用意していたアイテムを取り出すと、なおも言い募ろうとする真希の口に押し込んだ。
「ひゃっ!? ほ、ほれって……」
「俺がこっちの世界に戻ってくるための考えた手札の一つ。特別な『飴玉』だよ」
もの問いたげな視線を無視して、俺は後ろを振り返った。
「そろそろ、いいかな」
「えっ!? み、みんな……」
そこには、いつの間にか仲間たち全員が勢ぞろいしていた。
あれだけの音を立てたのだ。
当たり前だろう。
俺は、乾いた唇を湿らせて、震えそうになる手に力を込めて、意識して笑顔を作った。
「全員、いるみたいだな。見ての通り、こいつから目を離すと何するか分からないから、さ。予定より早いけど、そろそろ試してみようと思うんだ」
「そ、そーま?! で、でも……!」
狼狽する真希とは対照的に、ほかの仲間たちはみな、覚悟したような顔で、うなずいた。
そうして……。
「…ソーマ。まってる、から」
リンゴは、言葉少なに。
「帰ってきたら、一緒に幻石の洞窟へ行きましょう。約束ですよ?」
ミツキは、笑顔を浮かべて。
「絶対、帰ってきてください! 約束ですからね!」
イーナは、力強く。
「ほんとは、離れたくない。でも、でも……いってらっしゃい」
レイラは、涙ながらに。
それぞれの方法で、俺との別れを惜しんでくれた。
最後に視線を横に流すと、真剣な目をしたサザーンと目が合う。
「僕は……いや。いつでもいい。合わせる」
その言葉に甘えて、俺はサザーンから視線を切ると、真希にやったのと同じように自分の口にも「飴玉」を放り込んで、準備は終わった。
ゆっくりと、空を見上げる。
心臓が、早鐘を打つ。
――本当にうまくいくのか。
――もし日本に戻れたら、まず何をしよう。
――本当に、帰ってしまっていいのか。
――俺がいなくなったら、みんなは泣いてくれるかな?
ごちゃごちゃと、とりとめのない思考が、一瞬にして頭を埋め尽くす。
それでも……。
留まるという選択肢は、頭に思い浮かばなかった。
深く、長く、呼吸をして。
隣の真希と、視線を合わす。
緊張した様子の彼女に一度だけ笑いかけると、俺は天高く両手を掲げる。
同時に、隣の相棒が両手を上げたのを意識の端で認識していた。
だから俺は、何の憂いも迷いもなく、叫ぶ。
――バブルチェイン!!
――スターダストフレア!!
二つの声が、重なって。
空を、光が支配する。
(綺麗、だ……)
スターダストフレアの爆発と、バブルチェインの泡が、まるで踊るように入り乱れ、混ざり合い、重なり合う。
もう数秒も経たないうちに、エフェクトの激しさは最高になり、すぐに結果は出るだろう。
「リンゴ。ミツキ。サザーン。イーナ。レイラ」
だから俺は、最後に仲間たち全員を見回して……。
「みんな、ありがとう。それから……」
その姿を、彼女たちの存在を、心に焼きつけて、そして……。
「――また、な」
世界は、白く染まった。
完結まで残り二話
次回更新は明日です