365 迷宮脱出
何も見えず、何も聞こえない……そんな漆黒と静寂が支配する世界だった。
ただそんな世界なのに不安や恐怖を一切感じることはなく、何だかとても懐かしく心地良くて、何も考えずにこの世界に身を委ねていたいと思わせた。
しかし突如、漆黒の世界に一筋の光が差し込んできた。
その光を見た瞬間、この世界にいることが酷く不安となり、とても危険なことのように思えてきた。
だけどその光が差し込まなければこんな不安になることはなかったんだ……。
そう思ってその光を睨みつけた。
だけどその光から話し声が聞こえてくることに気がつき耳を澄ませてみると、その話し声がとても心を揺さぶりイラつかせた……。
それなのにその光から離れることも話し声に耳を塞ぐことも出来なかった。
だからその一筋の光が徐々に大きくなっていることにも気づくことが出来なかったのだ。
いつの間にか大きくなっていたその一筋の光に触れてしまった瞬間、光の優しい暖かさに気がつき、今まで感じていた負の感情が全て溶けていくのを感じながら、俺は光に飲み込まれた。
何だかとても騒が……賑やかな声が聞こえてきたところで、徐々に意識が覚醒し始めた。
どうやらこの声の主達は戦乙女聖騎士隊のようだ。声色が明るいことからどうやらルミナさんとエリザベスさんのことは無事に助けられたんだろう。
そのことに一先ず安堵した。
それにしても何となく会話の内容からルミナさんが弄られているみたいで、戦乙女聖騎士隊にしてはとても珍しく思えた。
ただ会話の内容は全然頭の中に入ってことなかった。
その理由は治療で無理をした影響らしく、強い頭痛に襲われていたからだ。
他にも身体の力は全く入らないのに節々に痛みが奔るなどの症状があったが、まぁ邪神の時と比べたらかなりマシな症状だった。
それにしても何だがとても固いところに寝かせられているのか、首と後頭部が痛かった。
そのためエクストラヒールを発動して、頭痛や身体の痛みが消えていったことを確認してから目を開くと、目の前には俺を覗き込むように見つめているルミナさんの真っ赤になった顔があった。
「……えっ? ……えっ? ルミナさん?」
そのことに一瞬パニックになりかけたけど、次の瞬間にはとても硬い感触が顔に圧し掛かってきて強い痛みが思考を支配することになった。
「隊長大胆やな」
「ルシエル君も意識を取り戻して隊長に抱きつかれてうれしいやろ」
「あの何だかもがいている気がしますけど」
「男はああいうのに憧れるんでしょ」
「そんなに胸の感触……」
そこで会話が一旦止まる。
「この鎧ってかなり固いけど、抱き着いた時だけ柔らかくなるなんてこと……」
「ないわね。隊長、ルシエル君が目を覚ましたのが嬉しいのは分かりますけど、そろそろ離してあげた方が……」
「また気絶すると思いますわ」
「それも本望であれば止めることはしませんが……」
「とりあえず抱きつくなら鎧は止めておいた方がいいと思います」
次から次へと戦乙女聖騎士隊から言葉を浴びせられたルミナさんは恥ずかしくなったのか、抱きしめている力が徐々に強くなっていった。
「ち、違う。からかうなお前達……」
ただ皆の言葉を最後まで聞いたルミナさんはそこで我に返ったのか、ようやく締め付けから解放された。
しかしルミナさんがそこで急に立ち上がってしまったため、俺の頭は重力によって自然に落下して地面に後頭部を強打することになってしまった。
こうして俺は膝枕には痛みが伴うのだということを知り、地味に痛い後頭部へヒールを発動しながら身体に違和感がないかを確かめて立ち上がった。
「……どうやら気絶していたみたいですね……。ご心配をおかけしました」
「いや、えっと……大丈夫なのか?」
何だか照れたままのルミナさんって新鮮だな……。
「少し魔力が心許ないですが、魔力回復ポーションや魔力結晶球がありますからね」
俺はそう告げて魔法袋から魔力結晶球ではなく、高濃度の魔力回復ポーションを取り出した。
「ただ少し話も聞いておきたいので、今はこれで十分です。ちなみにどれぐらい気絶していましたか?」
「十分ぐらいだよ」
それを聞いて正直ホッとした。実はかなりの時間が経過していたらどうしようかと思っていた。
各地に出現した巨大な魔法陣のこともあるし、あまり迷宮で時間を取られたくなかったからな。
もちろん邪神がここにいればそんなことも気にせず済んだんだけど、そのことを考えても仕方ないもんな。
「そうですか……。二人があの魔族の魔法陣の中に入ってからのことを教えてもらえますか」
俺はそう何気なく聞いたことを後悔した。
魔力結晶球には限りがあるから、それを悟らせたくはなくて話を振ったんだけど、どうやらもう少し内容に配慮した方が良かったように思う。
二人はあからさまに落ち込んでしまった。
「それは……」
「それは私が説明しますわ。元はとはいえば私が捕まったことが原因ですもの」
「それは違う。ルシエル君が来ていることを知りながら先行することを選択した私の責任だ」
「それでも私が説明しますわ。隊長が危険な目にあったのは私を助けるためだったんですもの」
「……」
エリザベスさんが折れないと判断したのか、ルミナさんは静かに頷いた。
「ルシエルさんが聖シュルールに着いたと連絡をなされた頃に私達は別の騎士隊や治癒士達と合流したのです」
「それは分かっていますし、一応回収もしています」
するとここでルミナさんが首を傾げた。
「そういえばその騎士達はあの場に置いてきたの?」
「いえ、隠者の厩舎の中に入ってもらいました」
「あの中には馬か入れないのではなかったか?」
「そう思っていたんですけど、馬と同じように馬房へ入るとその場で過ごせるみたいなんですよ」
「それは……あの者達にとっては屈辱だろうな」
ルミナさんはや戦乙女聖騎士隊は皆ストレスを抱えていたようで笑いだした。
騎士達はかなり迷惑だと思ったけど、笑いを提供してくれたおかげで雰囲気が明るくなってくれた。
「話を戻しますわよ。先行した理由は魅了や混乱に対する耐性がない者達と一緒に行動して無駄な犠牲を出さないためでしたの。それで魔物倒して進んでいると魔物が出てくる罠が発動してしまって倒していたのですが、そこにあの魔族達が現れたのです」
そう言えば合流した時にも複数の魔族がいたようなことを言ってたけど、あの魔族以外は戦乙女聖騎士隊が倒していたんだな……。
「俺が介入してしまったことで逃げてしまったんですよね? 申し訳ありませんでした」
「謝ることはないよ。あれのおかげで魔族や魔物が弱体化し、私も自決せずに済んだのだから。それにあの魔族の張った罠に私が満々と嵌まってしまい、魔法陣へ飛び込んだところで意識を失っていたんだ……。本当に……」
ルミナさんから微かに聞こえた声は足手纏いだった。
だけどあの魔族は魔法陣なしで転移することが出来るのにわざわざ魔法陣から出現したと聞いた。
そして逃げる時に必要のない魔法陣を展開したのだからその罠に引っかかっても仕方ないと思う。
ただ自決を迫られたことやエリザベスさんが攫われたのを目の前で見せつけて動揺させられなければ、もしかしたらルミナさんは気つけたのかもしれないとも思った。
それにしてももう少し早く物体Xを飲んでいたのなら耐性がついてまた少し変わったかもしれないけど、こればかりはしょうがないもんな。
やはり全てが終わったら教会本部では物体Xを修行ということで食事後に飲んでもらう提案をしておこうかな。
「あ、それではあの魔族がお二人をどうやって魔族化しようとしたのかも分からないってことですか?」
帝国では魔石とか、色々なことを試していたみたいだけど……。
「いえ、それは分かりますわ。こちらが苦しんいる姿を愉しむように見ながら魔族化と眷属化について話をしていましたから……」
「聞いても大丈夫な奴ですか?」
「? ええ。高濃度の瘴気を吸わせて魔族化させて、その後で魔族の血が身体に入ると眷属になってしまうと言っていましたわ」
「ただ物体Xを飲んでいたおかげで瘴気に対する耐性もついていたようで、中々魔族化しない私達に業を煮やしたのか、魔族の魔力浴びさせて瘴気を受け入れやすくしたのだ。そこにルシエル君達が助けに来てくれたんのだ」
なるほど……変な妄想をしてしまうところだった……。
「助けられて良かったです……本当に」
結構ギリギリだったのかもしれないし、躊躇うことなく全力で助けに来て本当に良かったな。
あとは連れ去った目的だけど……それはあとで聞くことにした。
俺は魔族が消えていた場所へ視線を移すと魔石が複数個転がっていた。
ベタな展開で復活するかもしれないと頭を過ったので、実はこっそり安心したのは秘密だ。
それにしてもこのボス部屋も入ってきた扉が消えているし、魔法陣も出現していない。
そうなるとトリガーとなるのは魔石なんだけど……転移した方が安全だろう。
俺は皆に声をかけた後に魔石を魔法袋にしまい、十分の瞑想時間を確保して魔力を回復させた。
そして皆と手を繋いで教会本部の受付へと集団転移した俺達を待っていたのは、完全武装をした教皇様だった。
お読みいただきありがとうございます。
投稿できずに申し訳ありませんでした。