240 意識改革
迷宮に来ると、いつも色々なことに気づかされる。
暗闇から出てくるシャドウウルフに、俺だけが苦戦を強いられていた。
苦戦と言っても別に倒せない訳ではない。ただ虚を突かれると、直ぐに倒せないことがあるのだ。
今までシャドウウルフ以上に強い魔物と戦ってきていたはずなのに、俺の頭の中で何故? という思いが広がっていき、そこに焦りが生じていた。
するとエスティアが、こちらを見ながらポツリと呟くのが聞こえた。
「ルシエル様の動き、この三ヶ月で最初に会った時に戻ってしまったみたいです」
俺はそれを防御重視のスタイルに戻ったと言われている気がした。
「安全第一で戦うのは、今も昔も変わっていないと思うけど?」
「……そう、ですね」
しかしエスティアは、そういうことを言いたかったのではない。
そんな言葉が含まれているような相槌を打った。
俺はそれが気になり、エスティアの言葉の真意をちゃんと聞くことにした。
「エスティア、言いたいことがあるならちゃんと言ってくれ。命の危険がある迷宮で、気がついたことを遠慮される方が俺の為にならないと思う」
俺の言葉にエスティアは意を決するように、こちらに身体を向けて、先程の呟きの本当の意味を口にした。
「……ルシエル様の攻防は、視覚に頼りすぎているように感じます」
「視覚に頼りすぎている?」
「はい。グランドルで修行されている時は、もっと感覚が優れているように感じました」
エスティアの言葉に、グランドルで師匠とした修行が頭に浮かんでくる。
確かにあの時はもっと何かを感じることが出来ていた気もするが、そこまで違うものなのだろうか? 俺は直ぐにライオネル達にも確認を取ることにした。
「……ライオネル、ケティ、ケフィン。皆もエスティアが言ったことに気がついていたのか?」
「……はい。ルシエル様には実戦勘が失われているように感じておりました」
ライオネルは、俺の問いかけに頷きながらそう答えた。
そしてそれにケティとケフィンも続く。
「ルシエル様は、レベルが今よりもかなり低かった上に、視覚と聴覚を潰されても魔族を倒していたニャ。でも見ない間にすっかりと錆び付いていたニャ」
「この迷宮へ来たのも、実は実戦の勘とあの時の感覚を取り戻していただきたかったからです」
強くなったけど、弱くなった。そんな言葉が頭に浮かぶ。
「さすがに旋風のような目潰しや鼓膜破りなどは、時間がないのでするつもりはありませんでしたが、出来ればルシエル様には、ご自身で気がついていただきたかったのです」
そんなに駄目になっていたのか? とは、恐くて聞けなかった。
「……あの時磨いた自分の武器を、いつの間にか失っていたのか……」
「いえ、失った訳ではありません。ルシエル様の武器は危機感と意思の強さですから、新たな力に目覚めて強くなったところで、気が緩んでしまっただけです」
ライオネルの言葉は優しいながらも、師匠が短期間で磨き上げてくれた武器を、同じく短期間で鈍らな武器へと変えてしまったことを示していた。
それでも失っていないと言われたことで、少しだけ安堵することが出来た。しかし状況は変わらない。
確かに慢心はしていたとは思うが、気を抜いたことはないと自分では思っていたのだ。ましてぬるま湯に浸かったと思ったこともない。
だけど、皆がそう感じるのであればその通りなのだろ。
この自覚症状がないことが、いかに不味い状態なのか、俺は理解していた。
「……それを注意しなかったのは何故……自分で気がつかせるためか」
「はい。確かに教えてもらうことで気がつくことも間違いではありません。ですが、悩んで自分で答えに辿り着いた方が物事を忘れにくいのです。さらに心も原点に立ち返ることが出来ると私は考えています」
このライオネルの言葉も、やはり厳しさと優しさが混在しているような気がした。
きっと彼等にも様々な葛藤があったことを理解するには十分だった。
「師匠と戦って勝てなかったのも、エビーザで魔族化した者の攻撃に対処出来なかったのも、全部が己の慢心のせいだったんだな?」
「ルシエル様はネルダールに赴かれた三ヶ月の間、一度しか戦闘らしい戦闘をしなかったのですよね?」
「ああ。水龍と風龍と戦っただけだな」
「それは羨ま……ゴホッ。失礼しました。その三ヶ月の期間がルシエル様の張り詰めていた意識を、少しずつ緩めてしまったのでしょう。それに……」
「まだ何かあるのか?」
「新しく得た力が強力であればある程、それを使ってみたくなるのは武人として当たり前のことです。ですが、今まで築き上げた土台を壊す必要はありません」
「いや、武人ではないから。だが、そうか。エスティア、皆もすまない。そしてありがとう。聞いたことは今から意識して実戦していく。だけど直ぐ感覚が研ぎ澄まされるとは思えない。迷惑を掛けることになると思うけどフォローを頼む」
まさか強くなったつもりで足を引っ張ることになるとは……。
ライオネル達が無理矢理にでも迷宮へ連れて来てくれたことに、俺は感謝するのだった。
「私もレベルが低くなっていますから、ルシエル様と競争出来ますね」
「サポートは任せるニャ」
「この迷宮を踏破するまでに、頑張って取り戻していきましょう」
「ルシエル様なら、きっと大丈夫です」
「ありがとう。よし探索を続けよう」
こうして気持ちだけでなく、失ったものに気がつけた俺は、視覚だけに頼らないように気配と魔力を読みながら、迷宮を進み始めるのだった。
そして何事もなく三十階層へ到達し、ボス部屋で待っていたのはシャドウベア三体とブラックベア五体だった。
「いきなり難易度が上がってないか?」
名前からも分かる通りクマなのだが、正直圧力もウルフの比ではなかった。
「このシャドウベアも影に消えます」
しかもシャドウベアもシャドウウルフと同様に影に隠れるという反則があると、ケフィンが叫んで教えてくれた。
これだけの質量が消えるって反則だろう。そう思いながら、仲間四人と魔物達の気配を探る。
魔物の攻撃はライオネルが受け、そこへケフィンとケティが素早い攻撃から魔物達の腕や脚に切り込み戦闘力の低下を試みる。
エスティアはその戦力が低下した魔物達が、俺やライオネルを囲まれないように、攻撃しながら魔物の意識を自分の方向に向けさせ、踊るように攻撃を避ける。
そこへ戻ってきたケフィンとケティが三位一体の攻撃で確実に魔物を倒していた。
俺はライオネルが攻撃を受けたところで回復魔法を発動しながら、魔物が攻撃して来たところを幻想剣に魔力を注いで斬ることに徹した。
「ルシエル様」
「ああ」
ライオネルの声に後ろから凄い勢いで近づいてくる気配を感じ、そこへ攻撃を打ち込む。
「炎龍剣!!」
名前を呼んで振り切った幻想剣からやはり小さな龍が飛び出ていくと、迫り来る影に噛み付き影が燃えつきると魔石が浮かび上がってきた。
油断しないで次の魔物に構えるが、魔物達は軽い恐慌状態に陥っていて、ケフィン達にトドメを刺されていった。
最後まで残ったシャドウベアはライオネルが一対一で戦い、危なげなく勝利を収めるのだった。
「よし。これで主部屋は確保できたな。お腹も空いてきたし、そろそろ食事にしようか」
魔石を拾い終えてから皆にそう告げたのだが、皆の様子がおかしい。
これはまた何かをしてしまったのだろうか? そう思っていると、ライオネルが俺の直ぐ側まで寄って来て口を開いた。
「さっきの攻撃は何ですか!? ルシエル様は魔法を覚えただけでなく、龍そのものの力も使えるようになっていたのですが」
「他の属性の龍も斬撃として飛ばせるんですか」
ライオネルに続いて、ケフィンも目を輝かせながら聞いてくる。
「……ああ、たぶん出来ると思う」
「あの攻撃が使えるようになったのなら、強くなったと勘違いしても仕方ありませんね」
「迷宮の魔物が恐怖を感じるですから、相当強力だったはずです」
「本当に必要な時以外は全力を出さない……ですか。私も早く力を取り戻せるように精進致します」
「ルシエル様なら龍の神様に認められるかも知れないですね」
二人のテンションが一気に上がる中、ケティとエスティアは苦笑しながら、こちらを傍観しているのだった。
「二人共オーバー過ぎるし、龍の神様は居る場所は危険な場所だから、たぶん一生行くことはないぞ」
「「なるほど」」
ライオネルとケフィンは何かを思案するような顔して、声をハモらせるのだった。
今のやり取りが、フラグにならないことを祈りがなら、三十階層の主部屋で昼食の準備をしていくのだった。
お読みいただきありがとう御座います。