深淵卿編第二章 アンノウン 下
触手に引きずり込まれる形で黒い穴に落ちたクラウディアは、しかし、冷静だった。
「――応えて、聖十字架」
それだけ。聖句とも言えぬその言葉だけで、聖十字架は使い手を中心に球状の輝きを展開した。
触手が、一瞬で分解でもされたかのように霧散する。
浮遊感などないのに確かに落ちているという奇妙な感覚を味わうこと数秒。一寸先すら見えない暗闇は、直後、一気に開けた。
視界に飛び込んできたのは、マグマの川が流れる摩天楼。
大都市と評すべきビル群と、本来はストリートだったはずの部分が全てマグマの川になっているという凄まじい光景。
地平は見えず、しかし、遙か彼方まで岩盤の天井が見えることからすれば、ここが想像を絶する広大さを持つ地下都市であることが分かる。
クラウディアは、その天井に空いた穴から落ちたらしい。
自由落下の速度で、数秒もあれば摩天楼のどれかに激突し、運良く回避できても、プラス数秒でマグマのストリートに最悪のダイブをすることになるだろう。
だが、やはりクラウディアに焦りはなかった。今は、エクソシストモードのクラウディアなのだ。仕事中は、ドジっ子の神も大人しい。
「――頂の翼をここに。一時の天をお与えください」
聖十字架が輝く。と、同時に、クラウディアの背に光り輝く翼が現れた。ばさりっと羽ばたき、光の羽が舞う。銀光を纏うそれは、香織が展開する使徒の翼に酷似していた。
球状の光に包まれ、銀の翼を羽ばたかせ天を舞うクラウディアの姿は、地獄にあって神々しいほどに美しかった。まさに、聖女と呼ぶに相応しく、万人でも否定はできないだろう。
クラウディアは、そのまま滑空するように移動し、摩天楼の一つに降り立った。ふわりっと銀の羽を振りまいて翼が消える。
「浩介様……みんな……」
視線が、自然と上を向く。一人になってしまった。心細くないと言えば嘘になる。仲間が心配ではないと言えば、やはり嘘になる。
だが、心に浮かぶヒーローの言葉が、そんな不安を直ぐに払拭してくれる。
みんな死なない。私も死なない。アンノウンは討伐する。宿願を果たし、世界を救い、みんなで生きて帰って、レモンケーキを食べるのだ。
ふっと、クラウディアの口元に笑みが浮かんだ。
その瞬間、クラウディアの結界に激しい衝撃と波紋が広がる。
「っ――アンノウン!!」
隣のビルの屋上に、宿敵がいた。色濃い影の身は全長三メートルほどか。炎の目と口、マグマの如き燃える血管が全身に奔っている。そこだけ具現化した捻れた角は以前はなかったもの。十二年前ですら感じなかった凄絶なプレッシャーは、それだけで周囲の空間が歪んで見えるほどだ。
常人なら、否、並のエクソシストですら、相対しただけで意識を手放すか、硬直して動けなくなるだろうレベル。まさに、〝王級〟というべき威容を誇っていた。
『クラウディア。我が母体。この時を、どれほど待ち望んだか』
言葉まで、ずっと滑らかになっていた。やはり、崇拝者のおかげか。かなり力を増しているようだ。
アンノウンは、すっと体を浮き上がらせると、クラウディアと同じビルに着地した。
地球でも、そうそうない巨大な高層ビル群は、屋上の広さもケタ違いだ。ちょっとした球場並の大きさがある。
故に、まだそれなりに距離がある。とはいえ、アンノウンがそれだけ近づいただけで、プレッシャーも、思わず吐き気を催すほど強くなった。
後退りしそうな足を、クラウディアは叱咤する。
自爆聖女など何かの間違いだったのではと思うほど、その目は鋭く、溢れ出る覇気は、なるほど、確かに〝エクソシスト最強〟と言うに相応しい。
「私も、この時を待っていました。父と母の仇を討つ、この時を。お前を滅ぼす、この時を!」
『カカッ。心地よい憎悪だ。神の下僕が聞いて呆れる』
嘲るように、追い詰めるように、アンノウンは言う。
『そもそも、我を喚んだのは貴様だろう? 貴様の父と母が死んだのは――』
「そう、私のせいなのです」
だが、クラウディアには、もう通じない。
だって、
「憎悪していいのだそうです。私怨で戦ってもいいのだそうです」
それが、人間の心だから。大切な、心に違いはないから。
でも、それだけじゃない。積み重ねたものは確かにある。
「私怨と、使命を以て、お前を討ちましょう」
仲間と共に抱いた使命も、クラウディアの力だ。
それに気づかせてくれた彼を思い、クラウディアは、あの不敵な笑みを思い出しながら真似してみる。自らを奮い立たせ、アンノウンのプレッシャーを押し返すように。
「私が欲しいのでしょう? ならば、御託など並べていないでかかってきなさい」
聖十字架を片手に、もう片方の手をクイクイッと手招きするように曲げて、
「私は、〝聖女〟クラウディア・バレンバーグ。堕とせるものなら、堕としてみなさい」
宣戦布告。十二年越しの、殺意と使命を乗せて。
『カカッ、いいだろう。貴様を堕とし、我を孕ませる。生まれ変わり受肉した我なら、あの忌々しい術士共も蹂躙できるだろう!』
アンノウンが腕を掲げた。途端、クラウディアをプレッシャーが襲う。精神的な圧力ではない。もっと物理的な、そう、超重力だ。
「っ――主よっ、汝が子をお守りください! 堅き砦にて、悪意の尽くを阻まれますよう!」
膝を折りながら、聖十字架を支えにしたクラウディアの祈りが響き渡る。輝きを増した聖十字架の結界が、超重力の負荷から使い手を守る。
『どこまで耐えられるか、見せてもらおうか』
嘲笑まじりに、更にプレッシャーをかけるアンノウン。
ゴバッと、クラウディアを中心に屋上が陥没した。だが、呻き声をあげながらもクラウディアはなお健在。強い眼差しはアンノウンを貫き、聖十字架の輝きは益々強くなっていく。
が、その凄まじい圧力に、建物の方が耐えられなかった。
クラウディアを中心にして、放射状にビキビキッと亀裂が入っていく。
「――頂の翼!」
崩壊する一瞬前に、銀の翼を展開して滑空。地響きのような轟音と共に高層ビルが倒壊するのを眼下に、クラウディアは隣のビルへ移ろうとする。
が、
『目障りな光だ』
「――ッ!?」
目の前にアンノウンの姿。引き絞られた腕が、至近距離で放たれた砲弾の如くクラウディアを襲った。
凄まじい衝撃に一瞬意識を失いかけるが、しかし、最強の神器たる聖十字架の光は破られることなくきっちりと使い手を守り切った。
とはいえ、場所は空中だ。クラウディアは障壁ごとピンボールのように吹き飛び、隣のビルを貫通。そのまま更に隣のビルの、上階にあるフロアへと叩き付けられた。
「うっ、くっ」
呻き声を上げつつも、普通ならただの肉塊になりそうな攻撃を耐えたクラウディア。再び意識が飛びかけたが、聖十字架の守りだけは決して途切れさせない。
と、そのとき、ビルの外に強大な力の本流が……
「っ――主よ、悪しき者の悪を断ち、正しき者を堅く立たせますよう! 私を守るのは神の盾! 神は、心の直ぐ者を救われる!」
更に障壁を強化した途端、空間が悲鳴を上げた。視界が滲んだかのようにぐにゃりと曲がったかと思った次の瞬間、空間そのものが激震したのだ。
空間爆砕というべき衝撃を受けた高層ビルは、クラウディアのいるフロアより上を一瞬で塵にされてしまった。
フロア自体にも蜘蛛の巣の如き亀裂が入り、今にも倒壊しそうな有様。
見晴らしがよくなったフロアの中心で、クラウディアは青ざめた表情で聖十字架に縋り付く。障壁は無数の亀裂を入れられながらも、どうにか耐えたようだ。
だが、今の障壁強化でかなりの力を使ったらしい。クラウディアは、震える手で懐から試験管形容器を取り出そうとして――
『聖水の類いか? させぬ』
アンノウンの体当たり。再び吹き飛ばされるクラウディアは「ぁああああっ」と雄叫びを上げながら聖十字架に力を注ぎ込む。
高層ビルをいくつも貫通しながら押し出されるようにして吹き飛ぶクラウディアは、やがて、地表近くの広場へと叩き付けられた。
「うぁ、っ、くっ」
呻き声が上がる。障壁の外から、クラウディアの歯を食いしばる様子を愉しむように見下ろすアンノウン。
離脱しようとするクラウディアを、障壁の上から踏みつけるようにして止める。
『カカカッ。どうした、クラウディア。威勢の良さは最初だけか? 守るばかりでは、我を討つことなど叶わんぞ?』
追い詰めるように、障壁を踏みにじるアンノウン。クラウディアは、無言で睨み返す。
防戦一方で、隔絶した力の差を見せつけられてなお、反抗的な目を向けるクラウディアにアンノウンは目を細め、直後、嫌らしく嗤ったかと思うと両手を広げた。
すると、
『クレア……お願いだ、お父さんを助けてくれ』
『苦しいの、クレア。どうして、お母さんを苦しめるの?』
アンノウンの両側に、黒の炎にあぶられ苦しみもがくクラウディアの父と母が現れた。
自分達が苦しいのは、クラウディアのせいだ。この苦しみから解放できるのはクラウディアだけだ。
だから、もうこれ以上、逆らわないで……
お願いだから良い子にして……
あなたは、本当に悪い子……
「ふふっ」
笑い声が響いた。
そう、クラウディアの笑い声が。
アンノウンが、いぶかしむように目を細める。
『狂ったか?』
「まさか。ただ、おかしかっただけなのですよ。お前の、追い詰められた様子が」
『我が、追い詰められている、だと?』
ますます訝しむアンノウンに、クラウディアは青ざめた表情ながらも不敵に笑った。
「実際、追い詰められているのでしょう? 私の結界を破れず、けれど、私が死ぬ可能性を考えて本気の攻撃もできない。だから、精神から崩そうとこんな演出までしているのです」
『何を言うかと思えば。貴様の心を蹂躙する楽しみが――』
「あの人がやってくるのに?」
アンノウンが口を噤んだ。ますます、笑みの深まるクラウディア。
「お前は、あの人を恐れているのです」
『何を……』
「地獄に踏み込んだとき、まっさきに狙いました。私をここに落とした時も、あの人にだけ苛烈な攻撃を加えた。何より、生まれ変わらなければと自分で言ったのです。術士達――帰還者の皆様には勝てないと自覚があるのでしょう?」
ミシッと、障壁が音を立てる。アンノウンの踏みつけに軋んでいる。それは、何よりアンノウンの心情をあらわしているようだった。
「あの人を仕留めきれなくて私を引き離したのに、想像以上に守りが堅い。だから、こんな挑発までして、あわよくば攻撃してほしいと思っている」
如何にクラウディアと言えど、防御と攻撃を同時に同レベルで発動することは難しい。今は、防御に徹しているからこそアンノウンの攻撃に耐えることができている。
攻撃に転じた瞬間、僅かに緩んだ防御の隙を、アンノウンは確実に突いてくるだろう。
「あの人が言っていたのです」
にっこりと、アンノウンにとってはどうしようもなく癇に障る笑顔を見せて、クラウディアは言った。
「魔王なら、堂々と待ち構えていればいいものを、と。逃げて、隠れて、小賢しい挑発などするお前は、自分で宣言しているのですよ」
すなわち、
「魔王の器ではない、と」
『……我を孕むのに、四肢はいらぬ』
アンノウンが本気になった。凄まじい怒気と憎悪が迸る。もはや、無傷でクラウディアを母体にしようという気持ちはなくなった。己を宿し、生まれ出でるまで生きてさえいればそれでいいと言わんばかりに、遠慮のない攻撃を放とうとする。
「お話に付き合っていただき、感謝するのですよ」
『なに?』
「時間は十分に稼いだと、そう言ったのです」
更に、地獄にいるとは思えないほど可憐で満面の笑みを浮かべたクラウディアが、嬉しさ全開といった様子で呼び掛けた。
「ね? 浩介様!」
「応とも」
『ぐぉ!?』
呼び掛けに応えたのは、もちろん、深淵卿その人。全力で行使した隠形は、アンノウンにすら接近を気づかせず、真横から重力&火炎の水平飛び蹴り――重墜焔撃脚を炸裂させる。
即席で作った技を、再び食らったアンノウンは勢いよく吹き飛び、高層ビルの柱を粉砕しながら消えていった。
「すまないな、クレア。一人にした」
「いいえ、浩介様。信じていましたので。それに、私とてエクソシスト最強を名乗る者。この程度、一人で切り抜けられなくてはお話にならないのですよ」
「ふっ、そうか。ところで、今はアビスゲートと――」
「浩介様! お気を付けください! アンノウンは以前より遙かに力を増しております!」
「う、むぅ……」
う、むぅ~~~
何故、アビスゲートと呼んでくれない? この際、アビィでもいいのよ? と思うが、マグマの通りの向こうにそびえ立つビルが轟音と共に倒壊し、闇色の尖塔が天を衝いたので口を噤む。
苛烈な殺意が向けられたことを感じ取った卿は、クラウディアを横抱きにして空へ離脱を図った。
疑似飛行で飛び上がった直後、一瞬前までいた場所を、無数の触手が雨の如く降り注ぎ、足場を破壊してマグマの中へと沈めてしまう。
構わず飛んだ卿は、最も高い摩天楼の上に降り立った。
巨大な時計が取り付けられた最上の高層ビルは、荒廃してなお、もしかしたらこの地下都市が健在だったころ、都市のシンボルだったのではと思わせる偉容がある。止まった時刻は、もしかすると、この都市が滅んだ時を刻んだものなのか……
卿がクラウディアを降ろすと同時に、アンノウンもまた時計ビルの屋上に降り立った。
『どこまでも邪魔をするか、人間』
「どこまでも邪魔をするさ、悪魔」
聖女を背に庇い、前へと進み出る黒づくめのヒーロー。
聖女は、彼を信じて膝を突いた。聖十字架を前に立て、両手で握り締めながら目を閉じる。
『貴様も、貴様の仲間も、蹂躙してくれる』
「ジョークのセンスはないようだ」
シャンッと澄んだ音色を響かせて、二本の小太刀が抜かれた。
もちろん、香ばしく十字に構えるぜ!
「単純な話をしよう。クレアがお前を滅ぼす。それまでに、俺を殺せればお前の勝ち。できなければ……分かるだろう?」
『単純なうえに、容易いな』
そうでもない、と卿は嗤う。
「出し惜しみはなしだ。死に物狂いで踊れ、悪魔。でなければ、我が深淵は容易くお前を呑み込むぞ?」
――発動 ラスト・ゼーレv.4
限界突破!!! 漆黒の奔流が天を衝く!
『人間如きが、身の程を弁えるがいい!』
アンノウンが消えた。そう思わせるほどの速度で急迫。奔流のど真ん中に向けて、丸太の如く肥大化した豪腕を突き込む。
破裂するような音は音速を超えた証か。漆黒の奔流が弾け飛ぶ。
同時に、アンノウンに剣閃が走った。
首、腕、胴体、足。四人の卿が、炎を纏う小太刀を振るう。
『小賢しい!!』
アンノウンが、全身から剣山の如く影の刃を突き出した。貫かれる四人の卿は、しかし、ニィと笑い、直後、八人の卿に分裂して斬撃の嵐をお見舞いする。
影の一部を削ぎ落とされたアンノウンは、大きく体を回転させた。刃だらけの体と、鞭の如き尾が全方位への凶悪な攻撃となる。
八人の卿があっという間に細切れにされるが、
「クレアの近くで、暴れないでくれたまえ」
深淵流火遁・風遁混合陣 業火紅旋風――四方を囲む卿による、火炎旋風の四重発動。
特大の赤き尖塔が空気を焦がす。
更に、縦一列に整列した九人の卿が、一直線に火炎柱へと突進した。
『炎などっ』
効かないのだろう。アンノウンの声が響いたと同時に、火炎柱が弾け飛んだ。
それを予想していたが故の、縦列突進――深淵流ジェッ○ストリームアタック!
アンノウンの触手が先頭の卿を貫き、腕を振るだけで発生した衝撃波が二人目、三人目の卿を吹き飛ばし、突如発生した超重力が四人目、五人目を叩き潰すが……
六人目までは撃墜できなかった。自らの拳で迎撃を試みるアンノウンだったが、その拳自体に、六人目は炎を纏った蹴りを放ち、逆の腕も七人目が弾く。
そうして、ガラ空きとなったボディに、八人目の蹴りが炸裂。
『ぬぐっ』
「カッ飛べ」
ダメ押しに、八人目ごと穿つ小太刀二刀による凄絶な突きが放たれた。炎と冷気を纏った二刀は更に衝撃まで放ち、アンノウンを言葉通りにカッ飛ばす。
ピンボールのように吹き飛び、隣のビルの屋上をバウンドし、更に隣のビルの上層階に突っ込むアンノウン。
「クレア、いけるな?」
「はい、浩介様。今この時より、私の全てを貴方様に預けます」
瞑目を解いたクレアは、そう言って微笑む。そして、もう一度瞑目。
今の戦いの間に、回復できた。精神の準備も整った。
故に唱える。神への祈りを。最強の所以たる悪魔滅殺の御業の聖句を。一度使えば、全ての力を使い果たしてまともに動けなくなる、諸刃の剣ともいうべき最強のエクソシズムの言霊を。
――主よ、貴方の子の祈りをお聞きください。この嘆きに心をお止めください。
聖十字架が淡い輝きを纏った。純白の、今にも消えそうな儚い輝きを。
『図に乗るな、人間!』
超重力が時計ビル全体を襲った。二つ向こうの高層ビルが吹き飛び、アンノウンが飛び出してくる。
「こちらのセリフだ、悪魔」
重力魔法〝黒渦〟――最大展開!
屋上の四方に配置した四人の卿が、それぞれを起点に重力場を形成。時計ビルに降りかかるプレッシャーを、重力場の結界で相殺する。
アンノウンから影が吹き出した。周囲を黒インクで塗り潰すようにオーラを広げ、天井にまで暗雲が立ち込め始める。
黒い影のオーラから、にじみ出るようにしておびただしい数の悪魔、怪物が出現した。
ガーゴイル、ゲイザー、ヘルハウンドはもちろんのこと、あの空間を渡るサメや、紫電を纏う一角馬、女の頭がついたカラス、赤黒い炎の塊……
その数は、優に千に届こうかという数。
空間を埋め尽くす悪魔共を、両手を広げて迎えたアンノウンが言う。
『これが王の力だ』
では、
「これが深淵の力だ」
お返しに、千の卿を以て対抗する。
両軍勢が、摩天楼を飛び石代わりに、あるいは空中で激突した。
――神は義なる裁き人。汝、悔い改めよ。神はその剣を研ぎ、その弓を構え、また死に至る武器を備え、矢を火矢とされる
祈り続けるクラウディアを横目に、アンノウンは歯がみしながら怒声をあげた。
『貴様、いったい、どれほどの力を! 人間に許される力の範疇を超えているぞ!』
己の、悪魔の軍勢を相手に、まさかの物量戦で拮抗してくる人間。
アンノウンが、あってはならない現実を振り払うように、自ら戦列に加わる。
「忘れたのか? お前達のような存在を討ってきたのは、いつだって人間だったろう?」
空中に黒い穴が出現。同時に、アンノウンの姿が消えた。高速移動ではない。黒い穴を通じて空間を越え、相対していた卿の背後に出現したのだ。
容赦なく繰り出される豪腕を、しかし、卿もまた消えることで回避する。
深淵流空遁術 万影之陽炎――分身体、転移用の使い捨て小石、苦無などと空間位置を入れ替える業。
出現場所は、もちろんアンノウンの背後。影を削ぎ落とす小太刀が翻る!
『貴様、やはり王家の力を所有しているのか』
呟きつつ、アンノウンが炎の目を燃え上がらせる。刹那、一筋の雷が卿に落ちた。
「ぐぅっ、天候まで操るか!」
雷速で降り注ぐ雷の雨を、ランダム回避しつつ、分身体を盾にして防ぐ。
――主よ、お立ちください。我が神よ、救いをお与えください。さすれば、私は貴方の敵を討ち、悪しき心を挫きましょう
クラウディアにも雷は落ちるが、それも分身体が自らを盾として鉄壁を築き、ただの一撃も通さない。
クラウディアもまた、外界を気にした様子もなく、ただ瞑目して一心に祈りを捧げている。
気が付けば、聖十字架の輝きが無視できないほど大きくなっていた。燦然と輝く様は、まるで十字の形をした太陽の如く。
アンノウンが眼前に黒い穴を出現させた。細められた目は、卿を通り越して背後のクラウディアを見ている。
『貴様の相手は、後でゆっくりしてやろう』
黒い穴へ、吸い込まれるようにして消えるアンノウン。転移先は決まっている。クラウディアの真後ろ……
「つれないことを言わないでくれ。我とお前の死踏だろう?」
同じく、クラウディアの真後ろ――アンノウンとの間に転移した卿は、逆手に持った小太刀をアンノウンの腹に突き込みながら不敵に笑った。そして、再び転移を発動。
離れた場所へ、アンノウンを巻き込む形で転移した。
『おのれっ。全軍、女を狙え! 男の影に構うな!』
アンノウンが、どれだけ倒してもそれ以上に増殖する卿の分身体を放置してクラウディアを狙えと命令を発した。
悪魔もまた際限なく出現しており、何百体もの悪魔が分身体を無視してクラウディアへと突進する。
「そう来ると思っていたぞ!」
複数の分身体がクラウディアのもとへ集結。
そうして、まるで集団で祈りを捧げるかのように両手を天に掲げれば、この戦いが始まってから準備をし、必死に待機状態にさせていた切り札を解き放った。
「「「「「――黒天窮!!!」」」」」
周囲の一帯の一切合切を呑み込み、ただ一つの例外もなく消滅させる重力魔法の奥義が一つ。
天井付近に出現した、黒く渦巻き、漆黒のスパークを放つ禍ッ星は、クラウディアに急迫していた悪魔の尽くを呑み込んでいく。
悪魔達は絶叫をあげながら空中で必死にもがくが、そんなことで疑似ブラックホールから逃れることなどできるはずもない。
分身体達が重力場の結界を必死に張って時計ビルを守っているが、周囲の高層ビルすら、影響の強い上層階を引き千切られるようにして呑み込まれていく。
『馬鹿な……』
僅かな間、アンノウンは呆けた。今、相対する人間が見せた技は、間違いなく王族の、それも極一部の存在しか扱えないものだ。己ですら、まだそこまで至っていない!
『……認めるものか。認めてなるものかっ』
激高を見せたアンノウンが、空間そのものを激震させた。
「かはっ!?」
何百体という分身体と同時に、卿も血を吐き出しながら吹き飛ぶ。
黒天窮の行使は、諸刃の剣。切り札中の切り札であるが故に、魔力やら気力やらをごっそりと持っていかれる。空間爆砕という広範囲攻撃に、咄嗟に対応できなくなるほどに。
血反吐を吐いて吹き飛ぶ卿を無視して、アンノウンが再びクラウディアに急迫する。直線上に分身体はおらず、転移ではなく物理的な突進の勢いで、一気にさらおうというのか。
「さ、せないと、言ってるだろうがぁあああああっ」
卿にあるまじき、剥き出しの感情そのままの雄叫び。疑似飛行による自由落下速度を、更に重力魔法で加速させて進路上に割り込む。
『邪魔だっ、人間!』
「邪魔なのは、てめぇだっ、悪魔ぁ!!」
小太刀でクロスガードの構えを取りながら、アンノウンの突進を受け止める卿。
クラウディアのもとへ押し込まれていくが、その時には既に分身体が数を取り戻す。四方八方からアンノウンを攻撃し、どうにか突進の勢いを止める。
――たとえ悪に果てはなくとも、闘争が永遠であろうとも、私の信じる心もまた、果てはなく永遠。故に、神の敵よ。悪徳と嘲笑の存在よ。見よ、私達の光もまた、永遠なのです。
黒天窮が消えると同時に、そこへ光が集った。聖十字架から噴き上がる純白の光が、少しずつ形を作っていく。そう、巨大な、天に輝く光の十字架を。
直ぐに近くにいた悪魔達が、なんの抵抗もできず霧散した。光に当てられた影が、静かに消えるのと同じように。
卿と鍔迫り合い状態だったアンノウンが、天の十字架を見て目を見開いた。
瞬時に理解したのだ。あれは、自分を、否、悪魔を滅ぼすに足るものだと。恐ろしき、神の御業。単なる奇跡とは一線を画す、謂わば〝悪魔を滅する〟という理そのもの。
アンノウンが絶叫じみた声を上げた。
『あの女を討てぇええええっ!!』
「指一本、触れさせるなぁああああっ!!」
対する卿も、全ての分身体に絶叫を以て命じる。
アンノウンが、憎悪に燃える目を卿に向ける。途端、アンノウン最後の能力が発動した。
「っ、こいつは!?」
アンノウンが姿を変える。獅子の頭部に竜の如き足と爪、蛇の尾と鷲の翼――そう、かつて、浩介が辛酸を呑んだあの魔物――キメラだった。
一瞬の動揺。が、迫り来る爪牙を分身体が代わりに受けることで辛うじて回避。
蛇の尾が襲ってくるが、小太刀で切断。
そのまま懐に踏み込んで、もう片方の小太刀で斬撃を――
『まだまだだな、浩介』
「なっ――ぐぁっ!?」
逆に、袈裟斬りにされてしまった。
動揺が、剣筋を乱し、弾かれた直後にカウンターを食らったのだ。
動揺の原因は一つ。先程までキメラだったものが、卿の、浩介の、決して色褪せない憧れの兄貴分となっていたから。
そう、
「メルド、団長……」
アンノウン最後の能力は、相手の強い記憶を読み取って、その人物を再現するというもの。クラウディアに、亡き両親を見せつけたように。ただし、今度は幻影ではなく、自ら変身するという形だが。
『浩介。私の邪魔をするな!』
「なめるなっ」
大上段に振り抜かれた大剣を、動揺しつつも小太刀二刀で逸らす。
回転しながら、顔面を薙ぐ上段回し蹴りを放とうとするが、
『こうすけっ、やめてっ。なにするの!?』
「――ッ」
一瞬で、今まさに蹴り抜こうとした顔がエミリーのものに変わった。
動揺が顔に出たのか、一瞬、エミリーの口元が歪む。
「疾っ」
『ぬぅ!?』
が、卿は、そのままエミリーの顔面を蹴り抜いた。動揺しつつも、僅かにも威力を弱めなかった卿に、アンノウンが驚きの声を漏らす。
「どうした? 来たまえよ。なんでもしてくるがいい」
見る者が見えれば分かる。静かにキレている卿は、指先をクイクイッと曲げて挑発。
――聖なる宮へ至る、聖別の門は開かれた。さぁ、集いましょう
卿の怒りに呼応しているかのように、天の十字架が放つ光がアンノウンの肉体をチリチリと焼き始めた。祈りの、そしてアンノウンの終わりが、近づいている。
「時間がないぞ? 悪魔。同族にも見捨てられ、小賢しい手管に縋らねば、人間一人、傷すら負わせられない裸の王」
『……っ、我は王だ。我こそが王だっ。奴等が招集に応じぬのは、見定めているからに過ぎない! 王の器は、我にしか――』
その言葉からすると、やはり名付きの悪魔を、アンノウンは招集できなかったようだ。本当の原因は分からないが、「それがどうした」と鼻で笑えないアンノウンの有様は、やはり魔王と呼ぶに相応しいとは思えない。
卿は、ハッと鼻で笑うと中指を突き立てた。
「そうやって、一生一人で吠えていろ。負け犬」
もはや、その怒りは言語化すらできない様子で、アンノウンは突貫した。
正面から迎え撃つ卿。
変幻自在の豪腕、触手、尾の攻撃を、分身体を本体に重ねるように半展開し、二重三重にぶれながら全て撃墜する。
超重力が降り注げば、同じく反重力で対応。空間爆砕の兆候を逃さず自らの転移を半端に発動することで空間を乱して妨げる。
襲い来る悪魔共。だが、遂に召喚速度を増殖速度が超えた。一体の悪魔につき数十体の分身体が群がり、物量を更なる物量で押し潰す。
卿にとって親しい者に次々に変化しながら超速の攻撃を繰り出すアンノウンだったが、気が付けば拮抗していた攻撃が……
『きさ、まっ。まだ、速くっ』
「それが我の限界突破。これが――深淵卿だ」
時間が経てば立つほど、スペックが上がっていく特殊な限界突破――深淵卿。ラスト・ゼーレにより、一気に最高深度まで到達し、そこから一瞬の隙を突いて魔力回復薬を飲み続ける。
そうすれば、肉体的限界はあれど、限界突破状態は途切れず、最高深度から更にスペックは上がっていく。言わば、限界突破の終の派生〝覇潰〟へと至る道筋。
完全に上回ったスペック。もはやアンノウンとは別の意味で、一筋の影となりて踊り狂う卿を、アンノウンは退けるどころか、無視してクラウディアを狙うこともできない。
――ここにあるは聖なる十字架。神の願いの具現化。天上にあって極限の意志がもたらす絶対の理。
そして、天に輝く十字架は――完全に、その姿を定めた。それはまさに、クラウディアの聖十字架そのもの。
地下都市を、地平の彼方まで光で満たしていく!
『よせっ、クラウディアァアアアッ! お前は、我を――』
「チェックメイトだ。魔王に傷一つつけるより、よほど簡単だったぞ」
もはや威厳も何もない。我武者羅に、死に物狂いでクラウディアを止めようとするアンノウン。
だが、そんなアンノウンを、これまたいとも容易く吹き飛ばす卿。
「さぁ、幕引きだ。十二年越しの悪夢を、終わらせろ! クラウディア・バレンバーグ!」
はい、浩介様。
声はなくとも、確かに、柔らかく、決意に満ちた言葉が、卿に届いた。
そして、
「聖女、クラウディア・バレンバーグの名において命じます」
スッと開かれたクラウディアの目。翡翠の瞳が白銀に輝き、聖十字架と共に彼女自身も白銀の後光を背負う。
「地獄の住人よ、闘争と支配の欲に魂を侵された者達よ――――滅びなさい」
厳かに、しかし、万感の想いを込めて、告げられた聖女の言葉。
絶叫が迸った。断末魔の絶叫が。
この地下空間にいる全ての悪魔が、天に輝く聖十字架に照らされて消えていく。
『……また、叶わぬか』
もはや、光の届かぬところなどない。
それどころか、全身から白煙を噴き上げるアンノウンは己の権能すら発動できなくなっていることに気が付いて、ボロボロと崩れていく己の手を静かに眺めた。
アンノウンの視線が、真っ直ぐに自分を見るクラウディアへと向いた。いつの間にか、己の最大の障害であった男が傍らに寄り添っている。
二人の眼差しの強さに、地獄にあって輝く意志が宿る瞳に、アンノウンは一瞬、羨望の眼差しを返した。
が、クラウディア達がそれに気が付く前に、直ぐに瞳を憎悪の炎で燃やすと、
『地獄は九つの階層からできている。下層には、お前達の想像を絶するような存在がいくらでもいる』
半身が崩れ去りながら、なお語る。
『奴等がお前達をどうするか分からぬが、少なくとも、直ぐ下の階層にいる亡者共には命令をくだしておいた。我が滅びても、最後の一兵まで現世を蹂躙しろとな。下層にて、現世への扉は開かれている』
表情が強ばるクラウディアと卿。二人とも、この一戦に最大の力を発揮するため、ほとんど後がない状態だ。加えて、道が開かれているなら、今この瞬間、バチカンに悪魔が溢れ出ていることになる。
そんな二人に嘲笑を浮かべ、そして、憎むような、悔しがっているような、そんな複雑な表情を見せたアンノウンは、最後に、どこか肩の荷が下りたような静かな声音で、
『この人間め』
そう言って、消えていった。
それが、遙か昔より、現世への侵略と世界の支配を企んだ正体不明の大悪魔の、本当の最期だった。
「うっ」
クラウディアの呻き声。天の聖十字架が虚空に溶け込むようにして消えていく。
「っ、クレア……大丈夫か?」
僅かに血を吐きながら、そして厨二Tシャツを着た心の中のミニ自分の姿に失いそうな正気を必死に保ちながら、今はそれどころではないとクラウディアを支える浩介。痛いよぉ、心が痛いよぉ。でも、もうちょっと頑張れぇ、おれぇ!
そんな浩介の内心を知るよしもないクラウディアは、静かに涙を流していた。
「浩介様……私は、クレアは…………ママとパパに報いることができたでしょうか?」
聖十字架が、カランッと音を立てて倒れた。もはや、力も想いも使い果たしたクラウディアは、言葉では到底表現できない気持ちに、ただ嗚咽を漏らして蹲る。
聖なる光は完全に消え、マグマの赤だけが地下都市を照らす中、浩介はクラウディアの頭を抱え込むようにして抱き締めた。
「最初から、クレアのママさんもパパさんも、クレアに報いてほしいなんて思ってないと思う。幸せに生きてほしいって、思っていたはずだ」
クラウディアが、十二年経っても思い続けた家族だ。それだけ愛情を娘に注いだ両親が、娘の幸せを願わないはずがない。
「でも、それでも、クレアは自分で決めた道を、必死に歩んで、願いを叶えた。ご両親が思っていたのと違う道でも、二人がここにいたなら、自分達のためじゃなく、クレアを想って絶対にこう言ってるよ」
――よく、頑張ったね、と。
十二年、血反吐を吐きながら頑張ったのだ。そんな娘を、誇りに思わないはずがない。
クラウディアは、浩介の言葉を聞くと、その胸元に自ら顔を埋め、再び静かに嗚咽を漏らした。
ほんの少し間、そうやって地獄の中心で二人は寄り添った。
「帰ろう、クレア。今は、まだ、そのために走る時だ」
「はい、はいっ、浩介様!」
力を使い果たして青ざめていても、浩介の意を汲み取ったクラウディアの微笑みは今まで見た中で一番可憐で、聖女の名に相応しい美しさだった。
と、そのとき、凄まじい衝撃が地下都市を襲った。特大の地震の如き衝撃。それだけで、崩れかけていた高層ビルがいくつも倒壊し、マグマの海に消えていく。
「チッ。下層の亡者って奴か。アンノウンめ、最期の最期にやってくれる」
限界突破の後遺症による倦怠感は半端ではない。今回は、限界突破状態の深度Vから、無理矢理効果時間を延ばして覇潰状態に入るほどスペックを伸ばしたために、なおさらだ。
それを、最高位の回復薬でどうにか動けるようにして、浩介はクラウディアを背負った。
「クレア、どれくらいでまた戦える?」
「いただいた秘薬のおかげで……あと、五分もあれば、最低限の結界と攻撃くらいはどうにかなるのです」
五分。短いようで長い。浩介自身も、しばらく初級の魔法を使える程度、かつ、体術は全開時の四割程度の動きしかできないだろう。
だが、それでも、
「帰るぞ」
「はい、浩介様!」
浩介の首筋に、顔を埋めるようにしてギュッと抱きつくクラウディア。
下層からの突き上げるような衝撃は、刻一刻と強くなっている。第三層の悪魔達が、現世に溢れ出ているだろう以外にも上層であるこの地下都市、あるいは地表に上がってこようとしているのだろう。あるいは、浩介達の追撃が目的かもしれない。
もはや、一刻の猶予もない。
不幸中の幸いというべきか、天井には来たときに入った穴が健在している。何故か、黒ではなく光の穴になっているが、ウィン達が穴を維持してくれているのは確かだ。
浩介は、回復の追いつかない残り少ない魔力を振り絞って、一気に天井へと飛んだ。
輝く穴を通り、見えた光の出口へ飛び出す。
「戻ったか!」
「クラウディア様! 浩介さん!」
「良かった……」
転がるようにして着地。浩介とクラウディアが顔を上げれば、そこには満身創痍になりながらも誰一人として欠けていないウィン達の姿があった。
「みんな、無事で良かった……」
再び涙ぐんだクラウディアだったが、直ぐに気を引き締めた。
「アンノウンは討ちました。ですが、最期に第三層の悪魔を暴走させたようです。現世にも既に出現しているでしょう。一刻も早く脱出しなければ、上級クラスの悪魔の大群に呑まれることになるのです!」
息を呑むウィン達。が、動揺も一瞬のこと。直ぐに隊列を組み直した。浩介と、浩介が背負うクラウディアを囲む形だ。
「回復までは?」
「分身体を出すには、あと二分は欲しい」
無事に脱出できても、無理する代償に一週間はまともに動けないな、と思いつつ、浩介が答える。もちろん、再生魔法をかけてもらえば、ある程度はましになるだろうが。
「分かった。二分は任せろ」
ウィンを先頭に、ボロボロのエクソシスト達が、浩介とクラウディアを中心に走り出す。
死に物狂いで、道を切り開いていく。
そうして、どうにか廃都市の外縁部が見えるところまで来ることに成功する。が、そこには絶望があった。浩介達が廃都市から出ようと駆けてきたストリートの向こう側、廃都市の外である荒野に、扇状に下級達が集結していたのだ。
地を埋め尽くすと表現すべき数の下級が。上を見れば、空にも有翼の下級悪魔が溢れていた。
どうやら待ち伏せをされたようだ。
そこに、更に絶望が追加される。
ドンッと再び衝撃。震度六とも七ともつかない衝撃が浩介達を襲った。極限の疲労状態にある浩介達は倒れ込むか、足を止めざるを得なかった。
「今のは!? まさか、もう三層から地下都市に出たのか!?」
「っ、待て、なんだこのプレッシャーは!? アンノウンより上じゃないのか!?」
致命的な隙を晒した浩介達を、しかし、何故か下級達は襲ってこない。
それどころか、どこか怯えたように周囲を見渡し、混乱しているようにも見えた。
ドンッ
ドンッ
ドンッ
まるで、強大な存在の鼓動のような、断続的な衝撃。同時に、ふくれあがる気配と、浩介ですら身の竦むようなプレッシャー。
嘆きの風や、限界突破による肉体的、そして必死に目を逸らして耐えている精神的疲労が、浩介の感覚を鈍らせ地下より迫る敵の詳細を掴ませない。
だが、今、そいつが現れたら、確実に勝てない……。
肉体が壊れること覚悟で、もう一度、限界突破・深度Vモードで時間を稼ぐか……
だが、そうなれば、浩介自身の帰還は絶望的。
脳裏を駆け巡るラナやエミリー、親しい人達、仲間、そして家族……
(ええい、迷うな、俺! どっちにしろ、戦わなきゃ誰も帰れない! ここを死地と定める覚悟で戦え!)
クラウディアを静かに降ろす。
決然とした浩介の表情に、クラウディアは思わず浩介の袖を掴んだ。何をする気か、察したのだ。
それは、ウィン達も同じ。
だから、浩介が「ここは俺に任せて、先に行け。なぁに、直ぐに追いつくさ」という前に、
「これ以上、浩介殿一人に格好はつけさせませんよ」
「エクソシスト、なめないでください」
「今度は、俺が浩介さんを守ります」
ウィン、アンナ、アジズに続いて、他のメンバーも不敵に笑って神器を構える。クラウディアが、優しく微笑んで浩介の腕を抱え込んだ。
「最期まで、どうか共に」
浩介は、僅かに逡巡を見せたが……一拍。やれやれと肩を竦め、覚悟の決まった表情で頷いた。
そして、
「最後まで諦めるな! 絶対に生きて帰る! ――来るぞっ」
その瞬間、大地が粉砕され――
「シャオラアアアアアアアアアアアッ、ですぅ!!」
ウサギが飛び出した。ぶん殴られたっぽいミノタウロスみたいな巨人と一緒に。
「「「「「え?」」」」」
浩介達の目が、一人の例外もなく点になったのは言うまでもない。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
深淵卿編第二章、来週の更新でエピローグとなります。
その後ですが、また一ヶ月ほどお休みをいただこうかと思います。
書籍の執筆に集中させていただきたく、というのが理由です。
できれば6月12日に、遅くても6月19日には更新を再開する予定です。
すみませんが、よろしくお願いします。
追伸
先日のオーバーラップ大感謝祭にて、ヒロイン人気投票でユエ様が栄えある1位を頂きました。
これも常日頃応援してくださっている皆様のおかげです。
本当にありがとうございます!
なお、2位にシアが、5位に香織、6位にティオが選ばれました。本当に、本当にありがとうございます!
サイン会でも、応援しています、いつも楽しみにしていますというお言葉をたくさんいただき、白米、緊張で手が震えないよう必死だったのですが、最後にはそれもなくなるくらい、とてもやる気が出ました。ありがとうございました!
追伸2
オーバーラップ様のHPに、アニメのキービジュアルが発表されております!
ふわっふわなユエ様が凄く素敵なので、よろしければ、是非、見に行ってみてください!