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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅢ
314/533

深淵卿編第二章 決死の戦い(?)



「……大丈夫か? クレア」


 浩介の、少々引き攣った感じの声が響いた。


 場所はローマ市内の小さな空港の滑走路の外れ。オムニブス専用の空港で、これまたオムニブスの専用機から降りてきたところだ。


 時刻は黄昏時。今日を照らした太陽が、西の彼方へと沈んでいく。


 空は茜色に美しく、夕方の風は清涼。そして、タラップの下でお尻を押さえて涙目になっている聖女は、とても痛そう。


「へ、へへ、見ての通り、大丈夫なのです」

「いや、見ての通りだと大丈夫じゃないから聞いてるんだけど」


 えへへ、という可愛らしさを感じたあの照れ笑い――では、もはやない。どちらかというと「へへっ、親分、すいやせん」というお調子者の誤魔化し笑いみたいな表情を晒しているクラウディアさん。


 お尻を押さえつつ起き上がり、うんしょっと聖十字架を立てて支える彼女は、白を基調とした長袖ワンピースの清楚な格好なのだが、全体的に薄汚れている。


 別に、今まさにタラップを踏み外して、お尻ソリーで滑落したからではない。英国からの道中、悪魔や崇拝者に襲撃され激しい戦闘をしたわけでもない。


 原因は一つだ。


 クラウディアの、ここに辿り着くまでに発生した数々の自爆である。


 保安局を出た後、浩介達は、まず英国に派遣していたエクソシスト二名と合流することになったのだが、それまでにも、まぁ、クラウディアは自爆した。


 階段を上れば、聖十字架が引っかかって(つまづ)(すね)を強打し、逆に下りれば聖十字架の重みでバランスを崩し、足を踏み外してお尻で滑走していく。


 何もないところで転んだかと思えば聖十字架の下敷きになり、余所見して壁や柱に激突して転倒し、やっぱり聖十字架の下敷きになる。空港では回転ドアにだってしっかり挟まった。


 専用機の中で、アイマスクを付けて仮眠を取ったときなど、起きた際に「ま、真っ暗です! 何があったのですか!?」とジタバタしながらもがいていた。そして、リクライニングシートから転げ落ちた。


 そんなこんなで、数多の自爆を経たクラウディアは、最初の方は悲鳴も照れ笑いも可愛らしい感じだったのだが、途中から「ひぎっ」とか「へぶぅ」とか、だんだん余裕のない声になっていき、今に至るや照れ笑いすらも「へ、へへっ」という実に残念なものになってしまっていた。


「いえいえ、浩介様。ほら、どこも怪我をしていないのです。私、無傷です」

「うん、すっげぇ不思議」


 この聖女、もしかしてバーナードと同類か? という疑念が首をもたげる。バーナードが、死神と幸運の女神に同時に愛されている疑念があるのと同じで、ドジっ子の神と、自爆から保護する神に同時に愛されている可能性がある。聖女だし。


 万歳して無傷アピールするクラウディア様。当然、手を離せば、支えを失った聖十字架さんは主に牙を剝く。グラリと傾き、へへっと微笑むクラウディアの頭部目がけて――


「だから、わざとか!」

「あ!」


 寸前で、浩介が飛びつくように接近し聖十字架さんの暴挙をとめた。クラウディアをサンドイッチする形で、聖十字架を片手で支える。


 ほとんど胸元に抱かれる形となったクラウディアが、異性の、それも妙に意識してしまう浩介の急接近にぽわっと頬を染める中、浩介は後ろを振り返って声を張り上げた。


「っていうか、あんたらも、もうちょっと注意してあげて!」


 その声に、ウィンとアンナ、そして二人のエクソシストが荷物を下ろしていた手を止めて一斉に浩介を見やる。


 そして、


「浩介殿。我々にも」

「仕事がたくさん」

「あるのです」

「クラウディア様なら、いつものことなので――」

「「「「大丈夫」」」」


 なんという連携。なんという絆の強さか。示し合わせたようなセリフ繋ぎが秀逸だ。


 普段ならもう少し心配したり、フォローしたりするのだろうが、今そうしているように浩介がいるので任せることにしたらしい。


「へ、へへっ」


 仲間の信頼(?)に、クラウディアは微妙に死んだ目で微笑んだ。浩介が、テキパキと仕事する真顔のエクソシスト達に、少々表情を引き攣らせる。


「あ、うん、なんかごめんなさい。お仕事お疲れ様です。それと、クレア、その笑い方やめようぜ? なんか、もう見てられないから。せめて、頭に〝え〟をつけて、えへへにしよう? な?」

「えへへ?」

「うん、そう」

「えへへ……」


 どっちにしろ、見ていられない感じだった。


 そうして、もしかして聖十字架はクラウディアのことが嫌いなのでは? というくらい、聖十字架に振り回されるか追加ダメージを負うクラウディアを浩介がサポートしつつ、一行は専用車両でバチカン市国へと出発した。


 空港からの距離は近く、ほんの十分ほどでバチカン市国の壁が見えてきた。


「そういえば、あの秘密基地みたいなところ、第二図書館が爆破されて穴が開いてたけど、今から向かうのもそこ? 修繕はまだだろう?」


 浩介がふと思い出して尋ねる。


 ちょうど、飲み物を飲もうとしていたクラウディアが、それに答えようとする。


「あ、それはですね。実は――ア!?」


 ガタンッと揺れた車両。飛び出る飲み物。行き先は? もちろん、聖女の顔面である。


 アンナが素早く、「はい、クラウディア様。大丈夫ですよ~」と言いながら取り出したハンカチでクラウディアの顔面をふきふきしている間に、ウィンが「本当に、いつにも増して酷いな……う~む」と唸りつつ、代わりに答えた。


「浩介殿の言うとおり、修繕はまだだ。今は、旧本部を使っている。今から向かうのもそちらだ」

「旧本部?」

「ああ、オムニブスの地下施設はあそこだけではない。あそこは、今の長官の力で、いろいろな利便性を考えてほんの十年ほど前に作られた新しい施設だ」

「へぇ、確かに、横通路がたくさんあったもんな。かなりの地下空間が広がっているんだろうとは思ってたけど、正解だったわけか」


 白い服をオレンジジュース色の(まだら)に染めて、悲しそうに眉を八の字にしているクラウディアを放置してそんな話をしていると、車両はバチカン市国から少し外れたビルの地下駐車場へと入っていった。


「うん? バチカン内に直接行くわけじゃないのか?」

「ああ。市国内の者達にも、私達の存在は原則的に秘匿されている。あまり姿を見せては、よく見かけるあいつらは一体どこの所属なんだ? と疑問に思われるだろう? だから、オムニブスの関係者の出入りは、基本的に市国外から秘密の通路を使うことになる」

「なるほど」


 実は、ホームが常に地下というのは辛いっす……という、何代か前の長官の意向で、バチカン宮殿内やバチカン美術館の隠し部屋にもオムニブスのオフィスは存在する。もちろん、バチカン市国外のビル一つ、丸ごとオムニブスの施設というのも存在する。


 話している内に、車両は地下駐車場の一番利便性が悪そうな隅っこにあるスペースに駐車した。


 てっきり、ここから歩いて行くのだろうと思っていた浩介だったが、直後、機械音が響くと同時に、車両ごと地面に沈み込んだことで「おぉ!?」と驚きの声をあげる。


 ウィン達が、浩介が驚いてくれたことに少し嬉しそうに笑う。


「以前、アジズを尾行して侵入したのなら、おそらくマリー女史が管理する通路を使ったのだろうが、あれは徒歩専用だ。こちらは、車両専用通路。乗車したまま国内まで行ける」

「……太古から存在する秘密組織なのに、まるでスパイ映画の世界だな。ジャンルを間違えてるぞ」

「あははっ、浩介さん。映画の見過ぎですよ。私達だって普通にPCもスマホも使いますって」


 カラカラと笑うアンナに、そりゃそうかと苦笑いする浩介。そういえば、バチカンに侵入するきっかけも、アジズが企業のPCからデータを抜き取ったことが発端だったと思い出す。


 やがて、地下通路へと入り、そのまま車両を進めていくと、広々とした地下駐車場へと辿り着いた。降車し、クラウディアがルーフ部分に頭をぶつけ、奥にある十字架が彫り込まれた金属製の扉へと向かう。


 生体認証で扉を解錠し中に入れば、前に見た地下施設よりずっと古びた、しかし同じくらいの広さを誇る地下空間に出た。


 と、同時に、既に連絡を受けていたのか、あのめちゃくちゃ迫力のあるキャソック姿の老人がいた。皺の多い顔を、更に厳つくしかめているので、子供が見たら「あくま!?」と泣き出しそうな恐ろしさだ。


 取り敢えず、あの金属でできた本は持っていないので、戦闘態勢ではないのだろう。ないと思いたい。今にも「貴様を、殺す!」と言って襲いかかってきそうな雰囲気だが、きっと勘違いに違いない。


「クレア、それにウィン達も、ご苦労だった。無事に話をまとめられたようだな」

「はい、長官。それで、こちらが――」


 クラウディアが、嬉しそうに長官のもとへ小走りに向かい、浩介を紹介しようとする。が、それを手で制した長官は、ずいっと前に進み出た。それだけで、顔の面積が三倍になったかのように錯覚するほどの威圧感だ。


「オムニブス長官のパトリック・ダイムだ。Mr.遠藤。先の件は失礼した。部下は……私にとって子も同然。故に、冷静さを失った。とはいえ、子が悪魔に魅入られたことも、冷静さを保てなかったことも、全て私の未熟が招いたことだ。如何な罰とて受けよう」


 ジッと浩介を見つめる瞳に、嘘はなかった。少なくとも、浩介はそう思った。


 なので、謝罪しながらも、「貴様を、くびり殺す!」と言っているように見えなくもない眼光は気のせいだと結論づけて、若干引き攣り顔のまま首を振った。


「謝罪だけ受け取ります。既に、ウィンさんやアンナさんに、自分達の命を好きにしていいから許してくれと言われちゃってるんで。そんな覚悟ある謝罪されちゃあ、もう責める気も起きませんよ。俺が、狭量な男みたいじゃないですか」


 ダイム長官の視線がくわっと見開いた。ビクッとする浩介だったが、その「貴様等、まとめて滅殺する!」と言っているように見えなくもない眼光の矛先は、ウィンとアンナだ。


 二人は、全力で視線を逸らした。どうやら、勝手に命を賭けた二人に怒っているらしいダイム長官。部下を子のように大切に思っているというのは本当のようだ。


 目だけ見ると、とてもそうは思えないが。


「罪には罰を。当然のことだ。狭量ではない。が、その心意気には感服と感謝を捧げよう」


 手を差し出すダイム長官。和解の握手を求めているらしい。当然、浩介も応える。ごつごつとしていて、凄まじく堅い手の平は、やはり聖職者というより歴戦の戦士のようだ。


 「貴様の手を、このままひねり潰す!」と言いたげな眼光と相まって、浩介はビクビクしてしまう。


 隣で、クラウディアが、それはもう嬉しそうににっこにっこと微笑んでくれているのが、せめてもの救いだ。場の空気を見事に中和してくれている。


 流石、聖女。ちょっと〝なんちゃって〟を頭につけそうになっていた浩介は、心の中で「やっぱり貴女は聖女だ!」と拍手を送る。


 が、そんなクラウディアの笑顔が、ちょっと流れを変えてしまう。


 手を離そうとした浩介だが、何故かダイム長官の手が離れない。その力強さ、万力の如く。


 あれ? と思う浩介に、ダイム長官の言葉が響く。


「ところで、クレアをアンノウンより奪還してくれたことには感謝を捧げたい。望みがあれば、可能な限り応えたく思う」

「え、ええ、それはどうも? でも、特に望みは――」


 グッと、ダイム長官の手に力が入った。その眼光が、「口を閉じろ。さもなくば貴様を滅ぼす!」と言っているようだ。


「ただし、あくまで可能な限りだ。あまり、度を超えた望みは配慮してもらえると助かる。そう、例えばクレアを望んだり、な?」

「ちょ、長官!? 何を言ってるのです!?」


 本当に、何言ってんだこのジジィ。てか、手! 手に力入りすぎ! ギリギリッて鳴ってるから! めちゃくちゃ圧力かかってるから!


 と、言いたいところを空気を読んで我慢する浩介。


 が、顔を真っ赤にして、あわあわ、あせあせっと狼狽えるクラウディアに、ダイム長官の眼光は更に鋭くなった。もはや「世界を、呪い殺す!」と言わんばかりの鋭さだ!


「の、望みませんよ、そんなこと!」

「そんな、こと?」


 今、分かった。ダイム長官は、今、長官じゃない。ただの親馬鹿だ! 聖女な娘が初めて興味を抱いた異性を、全力で牽制しているただの親馬鹿だ!


 視界の端で、しょぼんっとしているクラウディアと、頭を抱えるウィン達、そして周囲に集まっていたオムニブスの構成員達の突き刺さるような視線を受けて、冷や汗を吹き出す浩介。


 だが、浩介は学習する男だ。エミリーのときのような失態は二度としない。中々言い出せなかったことで修羅場(笑)になり、空港職員さん達にお世話になるような経験は一度で十分である!


「お、俺! 恋人いるんで! お嬢さんは、大変魅力的な女性と存じますが! 恋人がいるんで手を出したりなんて絶対にしません!」

「……なんと。そうだったか。いやはや、これは早とちりを。年は取りたくないものだ」


 スッと手を離す親馬鹿長官パトリック・ダイム。眼光も「貴様を、病院送りにする!」くらいに落ち着いている。


「……恋人……恋人…………濃い人?」

「ク、クラウディア様? 大丈夫ですか?」


 ぽけ~と虚空に視線を投げながら、心ここにあらずなクラウディアに、アンナがいろいろ察しながら声をかけている。


 オムニブスの人達も、顔を見合わせて苦笑いしたり、ほっと息を吐いたり、浩介になんともいえない視線を向けたり……


 とにもかくにも、クラウディアがみなに愛されていることが、よく分かる。


 おそらく、先の浩介捕縛作戦後、クラウディアは浩介について熱弁を振るったのだろう。そして、かつてないほど怒ったに違いない。


 箱入り娘レベルで浮いた話のなかった自分達の聖女が、初めて興味を持ち、頬を上気させながら語った男。帰還者ということも含め、いろんな意味で彼等は浩介に注目していたに違いないのだ。


 だが、蓋を開けてみれば、これこの通り。ロマンスが始まる前に、聖女轟沈……


 もちろん、クラウディアの気持ちは、まだそういう関係を望むほど明確なものではないだろうから、ある意味、ここで恋人の存在が判明したことは良かったのだろうが……


「主よ、罪深き私に罰をお与え下さい! 私の心は暗雲に侵され、万雷が轟き、氷の如き雨が吹き荒れております! 清浄なる心を失った私に、どうか試練をお与えくださいませ! 主よっ!」

「ク、クラウディア様! 落ち着いて下さ~~い! あ、こら、聖十字架を発動してどうする気ですか!? あ、違う、暴走してるだけ? とにかく落ち着いてくださ~~い!」


 場が、混沌としてきた。


 突然、神に懺悔やら何やらを始めたクラウディアを、アンナが必死に正気へ戻そうとし、他の者達も慌てて駆け寄ってくる。


「……あの、長官。そろそろ遠藤……様に施設の案内などをした方がいいのでは? オベリスクと聖人結界の準備も、まだ途中ですし」

「む。そうだったな、アジズ。Mr.遠藤、よければオムニブス内を案内させよう。必要なければ、部屋を用意してあるから英気を養うといい。食事も、大したものではないが用意している。アジズを付けるので、何かあればアジズに伝えてくれ」

「あ、ああ、それはどうも」


 あの聖女、放置でいいのかな~と思うが、何やら膝を突いて熱心に祈りを捧げているので、浩介はスッと視線を逸らした。


 そして、ダイム長官が次々に指示を飛ばしながら集まっていたオムニブスのメンバーを散らしていく中、アジズ少年が浩介の前にやって来た。


「遠藤……様。アジズ・スタインです。あの時は、ありがとうございました。俺のことも、姉さんのことも……」

「ああ、アジズくん。重傷だったけど、もう大丈夫か?」

「……アジズと、呼び捨てで構いません。怪我は、ええ、遠藤、様が施してくれた薬のおかげもあって、ほぼ完治しています」

「そりゃ良かった。まぁ、ウィンさん達も結構な怪我だったはずなのに完治しているっぽいから、たぶんオムニブスにも治癒系統の魔法――あ~、こっちでは奇跡だっけ? があるみたいだし、いらない世話だったかもだけど。あ、それと〝様〟付けは勘弁。浩介でいいぞ? 呼びにくそうだし」

「……すみません、じゃあ浩介さんで」


 無表情がデフォルトっぽいアジズだったが、浩介の言葉に、少し目元が緩んだ。


 一見すると、気難しそうな性格をしているように見えるが、浩介に対する雰囲気は柔らかい。やはり、命の恩人であり、願いに応えてクラウディアを奪還してくれたことが、アジズの中で大きいのだろう。


 ちなみに、浩介の推測通り、オムニブス側には治癒の神器を扱うエクソシストもいる。ウィン達を癒やしたのはそのエクソシストだ。〝姉御〟と呼ばれている男性エクソシストだったりする。


「……それで、どうしますか? 案内か、お部屋で休まれるか」

「そうだな。オベリスクとか、聖人結界とか、見ておきたいかな。それに、ちょっとここを離れて聞きたいこともあるし」

「? 了解です」


 コクリと頷いたアジズの案内に従って、オムニブスの人々から視線を受けつつ、浩介は地下旧本部を後にした。


 元々、アジズは口数が少ないようで、道中、特にしゃべらない。が、浩介に興味はあるらしく、チラチラと視線を向けている。


上階へと繋がる古めかしいエレベーターに乗りつつ、口下手なアジズに変わり浩介が口を開いた。


「ところで、オムニブスってローマ教皇が総司令官なんだよな? 謁見とか畏れ多いんだけど、やっぱり面通しくらいした方がいいのかな?」

「……今は、無理だと思います。あの方は表の顔です。総司令というのは確かですが、こちら側の世界に関しては、ダイム長官に一任されています」


 爆破事件に関する対応に、ローマ教皇は追われているらしい。本人としては、帰還者とは是非とも話してみたいとのことだったが、事情を知らない周囲の者達からすれば、正体不明の日本人集団だ。


 会うとすれば、必然的に、秘密裏ということになる。また、ローマ教皇自身にはエクソシスト的な力があるわけではないので、悪魔関連の事件はダイム長官が全て担っているのだ。


 今回の危機を乗り切り、時期を見て……ということになるだろう。


「……広場を戦場とする以上、オムニブス関係者以外がいては困ります。なので、命運の決する明朝まで、聖下が表の人々を近づけないようにしてくれているんです」

「なるほど」


 市国内に、バチカンの職員や聖職者が誰もいないわけではないが、少なくとも広場には誰も近づかない。そして、百四十体の聖人像による結界が発動すれば、広場の中で行われることは誰にも気が付かれない。音や視覚情報を遮断し、平穏な広場の光景を外部に映すのだ。


「アジズも突入組か?」

「……はい。クラウディア様と、俺、ウィンさんにアンナの他、全戦力の八割超で挑みます」

「長官さんは?」

「長官は、残る数名のエクソシストと共に、ここに悪魔が出現した際の戦力です。正直、長官一人でもいい気がしますけど……」


 なにやら遠い目をしているアジズ少年。


 聞けば、パトリックさん、前エクソシスト最強である〝聖使徒〟らしい。前長官が死去したために代わりに現在の地位にいるが、固定砲台的に最強のクラウディアと異なり、もっぱら物理的に最強らしい。御年七十を超える今も、だ。


「え、ちょっと待って。あの人、如何にも魔術書っぽい金属の本を持ってなかった? てっきり、呪文とか書いてあって、それで奇跡とか起こす後衛の人だと思っていたんだけど」

「……〝聖滅の書〟ですね。確かに、結界の奇跡や、捕縛、攻撃、回復、強化の奇跡など五つもの奇跡を行使できる最上位クラスの神器です」

「だよな」

「……ですが、長官はもっぱら、あれを鈍器として使います」

「ん? 鈍器?」


 曰く、教師が居眠りする生徒を叩き起こすように、あの金属の書物で直接、悪魔をぶん殴るらしい。あるいは、鎖を巻き付けてフレイルのように扱い、あるいは、かざして盾にし、時にはぶん投げて撃墜したりするらしい。


 そうして、若かりし頃についた二つ名が〝撲殺神父〟〝書物の冒涜者〟〝あいつ、実は信仰心とか全然ないんじゃね?〟〝悪魔絶対殺すマン〟〝奇跡の物理使い〟などだ。


「……数多くの伝説を作った人です。昔、有名なソロモン72柱の悪魔にも出てくる悪魔が四体も同時に召喚されたことがあるのですが、たった一人で追い返し、最後の一体についてはマウントポジションを取ってボッコボコにしたそうで、今でも語り継がれています。決して真似をしないようにと、教練書にも載っています」


 現場に駆けつけた当時のエクソシスト仲間が、無表情で悪魔に〝聖滅の書〟を叩き付け続けるパトリックさんを見て、一瞬、悪魔だと思ったらしい。襲われている悪魔(被害者)を助けねば! と。


「マジで? それならむしろ、長官さんが地獄に突撃した方がいいんじゃ……」

「……いえ、アンノウンを、〝王級〟を確実に滅するには、やはりクラウディア様でなければなりません。何十年も使い手のいなかった聖十字架。あれに勝る神器は存在しないので」


 それに、と続けたアジズ曰く、現世ならともかく、ダイム長官が老いているのは確かで、地獄に蔓延する〝嘆きの風〟には、どうしても耐えられないらしい。


「え? あれって対抗策あるのか?」

「……はい。聖水を使います。一本の服用で一時間は耐えられるかと」

「一時間……」


 短い、と浩介は思った。地獄に突入して、直ぐに相対できるならなんとなるかもしれないが、居場所が分かるとはいえ広大な地獄を探索した後に戦闘だ。かなりシビアな制限と思わざるを得ない。


「……いずれにしろ、全員はアンノウンまで辿り着けません。半数以上は、クラウディア様をアンノウンのもとへ届けるための捨て駒となります。一時間というのは、聖水を均等に割り振った場合の、一人当たりの生存可能時間なので」

「――っ」


 最初から、全員で生きて地獄から戻るつもりなど、誰にもなかったのだ。あるいは、クラウディアですら、アンノウンを倒した後の帰り道など、考えていないのかもしれない。


「なぁ、アジズ。はっきり言うけど、無駄だと思う。ユエさんが本気になって、勝てない相手なんて存在しない。そこに白崎達も加わるし、俺だっている。アンノウンがどれだけ強力な悪魔でも、俺達の勝ちは揺るがない。これは、自信過剰なわけでも、楽観視しているわけでもない、事実だ」


 だから、突入など止めろと、言外にそういう浩介。


 アジズは、しかし、ともすればエクソシスト達を貶めているとも取れる言葉を受けても、怒りを抱いた様子もなく真っ直ぐに見返した。


「……それでも、俺達はエクソシストなので」


 だから、ただ見ているわけにはいかない。万が一がなくても、億が一があるかもしれない。だから、たとえ無駄だとしても命を懸ける。


「……それに」

「それに?」


 鋼鉄の如き意志を見せる年下の少年エクソシストに、浩介もまた真っ直ぐな目を向けた。


 だが、言いかけた言葉の続きは口にされなかった。口にすべきでないと、寸前で思いとどまったようだ。


 しばらく待ってもアジズが口を開くことはなく、話しながら歩いている内に、バチカン宮殿の一室に出ていた。そこから、また壁中の通路を通って、なんとバチカン宮殿の屋根の上に出た。


 サン・ピエトロ広場が一望できる。あちこちにある爆破の痕が美しい広場を汚していて、なんとも悲しい。オムニブスの構成員が忙しなく広場を走り回っている。聖人像の周囲にもたくさんいて、祈りを捧げたり、何やら道具を設置したりしている。


 場合によっては、地球を守る最後の砦となる場所だ。誰も彼も必死な様子。


 ここに、もう数時間もすればバーナード達が加わるだろう。


 しばらく、広場を見つめていた浩介は、アジズに、本命の話を振った。


「〝それに〟の続きは、クレアのことか?」

「!」


 図星らしい。どうして分かったのかと、アジズの顔に出た。


「ユエさんが任せろと言ったときにな、クレア、何かを我慢するような顔をした。直ぐに元に戻ったけど……ウィンさんが、クレアのドジがいつも以上に酷いって言っててさ。もしかして、単に会談が終わって気が抜けただけじゃなくて、別のことに意識が向いていて気がそぞろだったってこともあるんじゃないかなって」

「それは……」

「たぶんだけど、クレアは、自分の手でアンノウンを討ちたいんじゃないのか?」

「っ……浩介さん、貴方は、どこまで……」

「知らないよ。クレアの事情は。アンノウンに母体として狙われていて、もしかすると、奴が初めて確認されたっていう〝十二年前〟ってのが何か関係しているのかな? って考えてるくらいだ」


 広場に向けていた視線を、アジズへチラリと向ける浩介。アジズは思わず、サッと視線を逸らした。


「……」


 口を噤むアジズ。逡巡が見て取れる。話したい。けれど、自分が話すべきことじゃない。そう思っていることがよく分かる。


 浩介は、肩を竦めると、苦笑いしながら言った。


「悪い、そんなに困らせるとは思わなかった。いろいろ教えてもらいながら、十二年前の事件ってのを知ってる範囲で聞かせてもらおうかと思った程度だったんだけど……どうやら、そんなに気軽に聞いていい話じゃなかったみたいだな」

「いえ……」


 しばらく、沈黙が場を満たした。作業する人達の喧噪だけが耳に響く。


 やがて、浩介がそろそろ戻ろうかと口にしかけた、その前に、アジズが口を開いた。


「……俺は、俺は姉さんに死んで欲しくありません」

「……うん」

「一人のエクソシストとして、悪魔との戦いを前に命を惜しむなどあってはならない。けど、それでも、姉さんには生きていて欲しい。あの冷たい場所から、俺を救い出してくれた人なんだ。優しいとか、温かいとか、そういうの全部、姉さんがくれたんだ」

「……」


 アジズ・スタイン。悪魔崇拝者の両親の下に生まれ、大悪魔召喚のための贄として育てられた少年。


 六年前。八歳のとき保護されるまで、彼には碌に意思すらなかった。許されなかった。当然だろう。いずれ贄とする子供に、人間らしさを与える必要がどこにあるのか。


 周囲に怪しまれぬよう、一般教養と最低限の対人スキルは叩き込まれたものの、それはあくまで仕込まれた演技だ。ロボットに、Aというアクションを取られたら、Bという反応を返せとプログラムするようなものだ。


 子供らしい反応どころか、人間らしい情動もない、人形のようなアジズを、エクソシストの素質ありとして保護したのはダイム長官。そして、彼に一から、人間らしさを教えたのはクラウディアだった。


 だから、アジズだけは、クラウディアの部下でも仲間でもなく弟なのだ。


「本当は、帰還者が全て終わらせてくれるっていうなら、姉さんを地獄になんか行かせたくない。俺に力があるなら、俺がアンノウンを倒したい」


 けれど、


「でも、姉さんの望みは、そうじゃないんだ……。姉さんを死地に行かせたくないけど、同じくらい、姉さんには望みを叶えて欲しいって思ってるっ」

「……望み、か」


 アジズは、睨むように浩介へ視線を向けた。その目尻には、涙の雫がたまっている。


「奇蹟だと思った。もう、どうしようもなくて、死ぬって分かってて、現実はいつだって冷酷で、だから、もう終わりだと思った。なのに、貴方は現れた。奇蹟みたいに、冷たい現実をぶち壊した。俺にとって貴方は、貴方こそが、神の御使い様だ」


 体ごと向き直ったアジズに、浩介もまた向き直る。


「姉さんを、助けてくれませんか?」


 都合のいいお願いだと、アジズは思っているのだろう。人生に、そう何度も奇跡が起きてたまるかと、自分で思っている顔だ。


 それでも、すがらざるを得ない己の弱さを呪いながら、目の前に垂れ下がる救いの糸を掴まずにはいられなくて……


 ああ、きっと、崇拝者達はこんな気持ちだったのだと、アジズは思う。彼等の子として生まれ、彼等の気持ちが分かってしまう自分は、エクソシスト失格で、神の僕失格で、きっと天国になんか迎えられはしないのだろう。


 ゆるりと風が吹いて、アジズの前髪を揺らす。覗く容貌は、間近で見ればより分かる幼さがある。ようやく手に入れた家族を手放したくなくて、必死な表情がよく見える。


 少しの間、じっと答えを待つアジズを見つめていた浩介は、やがてガリガリと頭を掻いた。小声で「やべぇ、やべぇぞ、俺。場合によっちゃあ悪魔を相手にする前に、ちょっとした死地じゃねぇか……」と呟いている。


 が、一拍。小首を傾げるアジズの頭をわしわしと撫でた。そして、ギョッとするアジズに苦笑いを浮かべながら、


「取り敢えず、クレアのとこ、行ってくるわ」


 そう言って、踵を返した。「あ……」と声をもらすアジズに、浩介は肩越しに振り返りながら言葉を付け加える。


「ま、なんとかするさ」


 アジズはキョトンとした。そして、次の瞬間、泣きそうな顔になって深々と頭を下げた。


 やけに大きく見える背中が見えなくなるまで、ずっと。










 聖堂の奥。祭壇の前に跪いて、祈りを捧げる者がいた。クラウディアだ。


 オムニブスの地下施設に到着した時の明るい雰囲気は微塵もなく、ただ静謐を保っている。が、胸の前で組み合わされた両手が白くなっているのを見れば、きつく堅く握りしめられていることは一目瞭然で、彼女の心情が決して静謐ではないことも明らかだ。


 ふと、クラウディアが顔を上げた。そして、後ろを振り返る。


「おぉ、やっぱり分かるんだな。ちょっと隠形したのに」

「浩介様」


 にっこりふんわり微笑むクラウディア。浩介もまた、やっぱり気が付かれたことに嬉しそうに笑う。


「なんで分かるんだろうな?」

「何故、分からないと思うのです?」


 お互いに、心底不思議そうに小首を傾げ、一拍、おかしそうに笑い合う。


「何を祈ってたんだ?」

「皆の無事と、人々の安寧を」

「ふ~ん、そうなのか?」


 何やら含むところのありそうな浩介の返答に、クラウディアは一瞬、目元をピクリとさせた。


「世界の危機なのですよ? 当然ではありませんか」

「いや、俺はてっきり、ドジっ子の神様に改善を祈っているのかと……」

「ドジっ子の神様ってなんですか!? そのような神などいません! というか、それでは我が神がドジっ子のようではないですか!」


 流石に、神ジョークは看過できなかったらしい。如何にも、「メッ!」とするかのように人差し指をピンッと伸ばして、浩介を睨む。が、やっぱり見た目や雰囲気がおっとりふわふわなので、どうにも迫力にかける。


 そういうところは、一般にイメージされる聖女らしい。浩介など、クレアは保育士とか天職なんじゃないだろうか、等と思ったりしている。


「悪い悪い。聖職者には適さない冗談だったかな。でもまぁ、一心に世界の安寧を祈ってるってだけには見なかったのも事実だからさ」

「え?」


 思わず息を呑んだクラウディアの横に並び、聖堂にかかげられた大きな十字架を見つめる浩介。


「どうして地獄へ行く?」


 あるいは哲学的とも言える質問だったが、クラウディアはその意味を正確に察する。


「もちろん、それが私達エクソシストの使命であるからです。……浩介様達からすると、信用していないのか、あるいは無意味だと思われるかもしれませんが……」


 そんなことはない、とは言えない。


 事実、浩介は無意味だと思っている。浩介の中で、ハジメやユエ達は、議論の余地なく世界最強なのだ。悪魔だろうが、神だろうが、害なすならば滅殺する。それが可能な、超越者なのだ。


 とはいえ、そこまで繋がりの深くないエクソシスト達にとってはそこまで信頼できないのも当然で、故に、彼等の自分達も保険として乗り込むという意気込みを否定するつもりはない。


 彼等にも矜持はあるだろうし、悪魔から人類を守護する使命に、文字通り身命を賭している以上、無駄に終わるとしても行動を起こさない理由など微塵もないだろう。


 オムニブスに、帰還者達を止める権利がないのと同じで、帰還者達に、オムニブスを止める権利はない。


「使命、だもんな。ずっと、そのために戦ってきたんだ。実力や実績をある程度確認しているとはいえ、詳しく知りもしない連中に世界の命運を投げっぱなしになんかできない。それは分かるよ」

「浩介様……」

「でも、クラウディアにとっては、それだけじゃないんだろう?」

「っ……それは……」


 浩介は、十字架に向けていた視線をクラウディアへと移した。


「十二年前に何があった?」

「……」


 クラウディアは口を噤んだ。今度は、彼女の方が十字架へと視線を向ける。ただそれは、〝目を逸らした〟というべき行動だった。


「……アンノウンの存在が初めて確認された事件が起きたと、そう言いましたが」

「うん。で、その事件はクラウディアに何か関係があって、だから、本当は、俺達にアンノウンを討伐して欲しくない。そうなんだろう?」

「そ、そんなことあるはずがないのですっ」


 声を荒らげるクラウディア。それは、図星であるという何よりの証拠だった。


 自分でもそう思ったのだろう。クラウディアはハッと口を閉じ、しかし誤魔化せないと観念した様子で溜息を吐いた。


「浩介様は、実は酷い方だったのですね。乙女の隠し事を無理矢理暴こうなどと」


 頑張って、溢れ出しそうな感情を抑え込んでいたのに。聖女たらんと、エクソシスト達の模範であらんと、必死に心を作ったというのに。


 使命に邁進するエクソシストでいいではありませんかと、クラウディアは恨めしそうに浩介を睨む。


 浩介は苦笑いを深めつつ口を開いた。


「正直な話、俺にとって今回の事件は、ユエさん達が出てきた時点で深刻な問題じゃなくなってる。クレア達は死を覚悟して地獄に乗り込むんだろうけど、それもな。死ぬことはないよ。俺が死なせないから」

「ぅ……」


 睨みながら、ちょっぴり頬を染めてしまうクラウディア。


 特に気にせず、浩介は続ける。


「レダってエクソシストの、最期の叫びを聞いたよ」

「レダ……引き取りました。やはり、浩介様だったのですね」

「うん。あいつさ、泣いてたよ。私を救ってくださいって」

「……」


 クラウディアは、その優しい面差しを悲痛に歪めた。裏切りエクソシスト――レダ・ロッカ。彼とも長い付き合いだ。それこそ、兄のように思うくらい。


 彼が、どんな気持ちで裏切ったのか。心を、悪魔に寄せたのか。その最期の言葉で、クラウディアは察する。少なくないエクソシストが、特に経験豊富なエクソシストが、ある日、ふと囚われる感情だ。


 彼の疲れ切った心を察してあげられなかったことに、忸怩たる想いが胸中に溢れる。


「それにさ、救ってくれって言われたし」

「……アジズですね?」


 肩を竦める浩介に、クラウディアは、エクソシストとしては間違っている願いをした義弟に、怒るべきか、喜ぶべきか、迷うような複雑な表情となった。


 浩介は、体ごとクラウディアに向き合い、誤魔化しはいらないとばかりに彼女の翡翠の瞳を覗き込んだ。


「気付かなかったなら、それでも良かった。でも、気付いたのなら、知らんふりはちょいと難しい。少し前なら目を逸らしたかもしれないけど、どうやら俺は、俺を慕ってくれてる人達にとってヒーローらしいから」


 クラウディアは、本当に酷い人だと頬を膨らませた。そんなことを言って自分を見つめながら、その〝慕ってくれてる人〟の筆頭は、他の女、そう、きっと、あの金髪の可愛らしい少女なのだろうから、と。


 ほっぺを膨らませ、しかし、決して逸らせない目。自分を見つめる浩介の瞳に映る自分に、自分はこんな顔ができたのかと、恥ずかしい気持ちが湧き上がる。


 クラウディアの心情などお構いなしに、浩介は、一番聞きたいことを力強い声音で尋ねた。


「俺達が全てを終わらせて、それで――」


――クラウディア・バレンバーグは救われるのか?


 救われる。救われるに決まっている。現世を支配せんとする大悪魔を誰が倒すかなど問題じゃない。大切なのは人々の安寧。強大な人類の敵を滅ぼすことができるなら、喜んで頭を下げ、身命を捧げ、より確実なありとあらゆる手段をとる。


 当然のことだ。エクソシストとしても。一人の人間としても。


 私情など……


 私怨など……


 天秤に乗せる必要性すらない……


 なのに、気が付けば、


「――本当はっ、私が倒したいっ」


 そう、叫んでいた。


「知らないところで、知らない人達に、勝手に終わりにされるなんてっ」


 逸らすことのできない眼差しに、必死に押し込めた心が引き寄せられた。


「いったい、どれだけ頑張ったと思うのです!? 血反吐を吐きましたっ、普通の生活も捨てましたっ。命をかけ続けましたっ。全ては奴を、アンノウンを倒すためにっ。全てを捧げたのです!!」


 そう、全ては、


「父と母の(かたき)を討つために!!」


 悔しいのか、悲しいのか、クラウディアの目から涙がほろほろと流れ出した。


 たった一度だ。こんな風に泣いて、心情を吐露したのは。あの日、全てを失った日、第二の父となってくれたダイム長官の前で、エクソシストになると宣言した日。


 いつか必ずアンノウンを打倒すると誓いを立てた日から今日まで、こんな風に喚いて泣いたことは一度もない。


 だが、一度壊れた心の堤防は、そう簡単に修復などできなくて……


 クラウディアは、八つ当たりするように、浩介の服に掴みかかり、額を胸元に強く押し当てた。


 浩介が、そっと背を叩く。ぽんぽんっと気遣うように。


 そうして、ポツリポツリと、こぼれ落ちるような言葉と共に語られたのは、確かに、悪魔と戦う者達にとっては〝ありふれた話〟で、どうしようもないほどの悲劇だった。


 十二年前。


 クラウディアが、九歳のとき。父の誕生日のことだった。


 きっかけは、父親の長年の友人だ。


 父親自身、親友だと言ってはばからず、月に数度は家に招いて一緒に食事をするその男を、クラウディアもまた、よく遊んでくれる優しいおじさんだと慕っていた。


 両親には気恥ずかしくてできない相談は、その〝父の親友のおじさん〟に頼るほど。例えば、そう、父の誕生日にどんな贈り物をすれば一番喜んでくれるか、とか。


 おじさんは、にっこり笑って教えてくれた。そのとき、一瞬、背筋を襲った怖気を、クラウディアはもっと気にするべきだったのだが……九歳の女の子には酷な話だろう。


 おじさんは、内緒話でもするように、そっと秘密を打ち明けるかのように、声を潜めて言ったのだ。


――天使様に、家に来てもらう方法を教えてあげようか?


 その言葉を、クラウディアは疑わなかった。なぜなら、バレンバーグ家は代々敬虔なカトリックであり、そして、おじさんは神父だったからだ。


 おじさんはすごい! 天使様にお会いできる方法を知っているなんて!


 お父さんの誕生日に、天使様をおうちに招待できる。きっと、お父さんは喜んでくれるに違いない!


 もちろん、これは悲劇の話だ。


 故に、召喚は成功した。そして、現れたのは、


「アンノウン、だったわけか」

「……はい」


 クラウディアの、地球人にしては莫大な魔力と、正しい召喚儀式。そして、最高の生け贄であるクラウディア自身を媒体に、おじさんが(・・・・・)召喚したアンノウンは、その標的であったクラウディアの父を殺した。


「後で分かったことですが、あの男は、長い間、母に想いを寄せていたそうです」


 神父という立場上、結ばれることはなく、故に想いを告げることもなく、やがてクラウディアの母は父と結婚し、クラウディアが生まれた。


 何か大きなきっかけがあって、信仰を捨てたわけではないのだろう。十年近く自分が得られたかもしれない幸福を見続けて、離れるべきと分かっていても離れられず、やがて己の不幸を、そして神を憎むようになり、それが積み重なって……


 そう、魔が差したのだ。


 少しずつ狂った男は、その果てに、悪魔に魂を売った。


 想定外だったのは、クラウディアが媒体として優秀すぎた、否、最高だったことだろう。


「偶然か、必然か、呼び出されたのはアンノウンで、奴は、契約に従い父を殺し、私を贄として受け取る寸前で、私の価値に気が付いてしまった」

「母体、だな?」

「はい。元より、あの男の召喚儀式では、アンノウンを拘束しきるほどの力はなかったのです。アンノウンは、あの男を殺し、私を絶望させるためだけに、目の前で母をも殺しました。私の目の前で、ママとパパの首をっ」


 浩介の胸元をギリギリッと握り締める手。俯いていても分かる。きっと、その表情は憎悪に歪んでいる。聖女などではない。剥き出しのクラウディア・バレンバーグという女が、そこにいた。


 その後の話は、保安局で聞いた通りなのだろう。


 実は、少し前から、神父でありながら悪魔関連の調べをよくしている者がいるという情報を掴んでいたオムニブスが、男を調査していたが故に、アンノウン召喚後、割と直ぐにエクソシスト達が駆けつけた。


 が、その元より強大な力に、クラウディアの魔力を得て半顕界状態だったアンノウンの力は凄まじく、エクソシスト達は歯が立たない状態で、しかし、全滅する寸前で、アンノウンは地獄からの干渉により引きずり戻されたのだ。


 クラウディアに、時が来れば母体として迎えに来ると絶叫しながら。


「十二年前のあの日から、この日のために鍛えてきました。分かっていますっ。分かっているのですっ。浩介様達に任せるのが最善だと! でも、だけど、なら私の十二年は!? 私の、この真っ黒な気持ちは、どう晴らせばいいのです!?」


 何より、


「どうやってママとパパに謝ればいいの!?」


 そう、それこそクラウディアの根幹。


 復讐心はある。憎悪に身を焦がしてもいる。


 けれど最たる想いは、それ。


 浅はかな自分が呼び出してしまったものが、父と母を殺した。取り返しのつかない悲劇を生んだ。


 もう、謝ることもできないのに。懺悔すべき相手はこの世にいないのに。


 自分の手で終わらせることもできないなら、父と母にどう詫びればいいのか。


 たとえ許されなくとも、クラウディア自身が一生、自分を許さなくても、敵を討つことだけがクラウディアに残った唯一の贖罪だったのだ。


 血を吐くようなクラウディアの叫びが、聖堂に木霊する。


 やけに響くそれが完全に消え、聖堂に静寂が戻っても、しばらくの間、二人に言葉はなかった。


 やがて、クラウディアがそっと身を離す。


「……これが私なのですよ。醜いでしょう? エクソシストとしての使命を、必死に自分に言い聞かせて、ようやく外聞を取り繕える。それでも、こうして貴方に感情をぶつけてしまう、その程度の人間なのです」


 暗い瞳に、引き攣ったような不細工な微笑み。


 もはや語ることはないと、どうか一人にしてくれと、あるいは浩介の真っ直ぐに自分を見つめてくる目に耐えられないと、そう言わんばかりに視線を逸らしたクラウディアは、再び、己の心を偽るため十字架の前に跪こうとした。


 が、その前に、


「聖十字架を使えば、奴を確実に仕留められるのか?」

「……え?」


 軽蔑の言葉でも、慰めの言葉でもない。ただの確認の言葉に、クラウディアは思わず惚ける。


 浩介は、そんなクラウディアの困惑した様子など軽くスルーして、重ねて尋ねた。


「どうなんだ? 確実に倒せるのか? それとも分の悪い賭けか?」

「え、あ、えっと、た、倒せると思うのです」

「思う?」


 鋭い眼差しで、咎めるような声音で反復され、クラウディアは慌てて言い直した。


「た、倒せるのです。聖十字架は、他の神器とは異なるのですよ。相手の強さは関係なく、ただ悪魔であるというだけで絶大な効果を発揮します。過去に王級の悪魔を滅したという記録が、いくつもあるのです」

「なるほど。十全に使えるんだな?」


 あまりに真剣で、迫力のある浩介の問いに、クラウディアはもはやコクコクッと高速で頷くのみ。


 浩介は、それを見て「よし」と頷いた。それから、何故か、まるで死地に赴くような強ばった表情で、死神と相対したが如き冷や汗を吹き出しながら――スマホをピッポッパした。


 トゥルルルというコール音を、まるで死刑のカウントダウンを待つ囚人のような表情で待つ浩介。


 そして、


『……ん。エンドウ。準備できた?』

「まだです、ユエさん。作戦変更するので、その連絡です」


 電話の向こうから「ん?」、直ぐ隣から「へ?」という声が響く。


『……どういうこと?』

「突入隊の本命と予備を入れ替えます。本命は、聖女率いるエクソシスト部隊と俺。ユエさん達は予備隊ってことでお願いします」

『……』


 沈黙が、恐ろしい! と言わんばかりに、力強い声音とは裏腹に浩介の手が小刻みに震える。


『……私は、連中を根絶やしにすると言った。私に売られた喧嘩を、私が買った。文句があるの?』

「あ、あります。根絶やしにされては困るんです。喧嘩を買ったのは、クレアの方が先なので。ケリはクレアがつけます」


 途中から、浩介の不可解な要請に疑問を覚えてスピーカーモードにしていたのだろう。電話の向こうから、クラスメイト達のざわざわとした動揺が伝わってくる。「ユ、ユエ様に口答え、だと!? 浩介っ、死ぬ気か!?」「遠藤くんっ、早まっちゃダメ! 正気に戻って!」「卿、死す」「斬新な自殺方法だな」などと聞こえてくる。


 ガクブルと激しく震える浩介だったが、隣のクラウディアが息を呑んで口元を押さえている光景を横目にして、グッと踏ん張った。


「ユエさんが怒ってるのも分かりますし、ユエさんに任せた方が迅速で確実に事が終わるのも分かっています。けど、それじゃダメなんです。救われないんです。頼みます、ユエさん。まず、俺達にやらせてください」

『……世界の命運がかかっているのに?』

「こ、浩介様!? 世界の命運がかかっているのですよ!?」


 ユエが淡々と、クラウディアがオロオロしながら言う。


 浩介は、クラウディアを見ながら、しかし、意識は電話の向こうのこわ~い吸血姫に向けて、「ハッ」と鼻を鳴らした。


「世界の命運がなんだってんだ。こちとら、女一人のために神をぶっ殺した男の右腕だぞ。今更、世界と一人を天秤になんざかけるかよ。魔王の正妻が、くだらないこと言わないでくれ」


 電話の向こうから悲鳴が響いてきた。クラスメイト達の声だ。「浩介! 今すぐ土下座しろ! 人生で一番いいやつ!」とか「ユエさん! あいつ、ちょっと頭があれなんです! 許してやってください!」とか聞こえてくる。


 浩介、声音は強く、しかし、土気色の顔をしながら、もうやけくそ気味に声を張り上げる。


「そもそも、これは俺が南雲に預けられた仕事の延長だ。だから、俺の方法で片付ける。ユエさん達は引っ込んでてくれ」


 言ってやった! 言ってやったぞ! ごめんなさい許してください! と心の深淵卿が土下座する。


 永遠にも等しい時間が流れた。電話の向こうも、しんっとしている。生唾を呑み込む音が聞こえてきそうな緊張感が漂う沈黙だ。


『……エンドウ、スピーカーにして』


 ユエの指示に、迅速に従う浩介。震える手が通話を切りそうになるが、必死に制御。今、切ったらきっと浩介の股間も切られる。スマッシュじゃなくスラッシュされてしまう。マジ勘弁だ。


『……クラウディア・バレンバーグ』

「は、はい!」


 先程のクラウディアの声が聞こえていたのだろう。ユエが言葉を向けた相手はクラウディアだった。


 クラウディアは緊張した様子で返事をする。ピンッと背筋が伸びている。


 ユエは、僅かな沈黙のあと、静かに尋ねた。


『……大切なことは、自分の言葉で言って。貴女は、どうしたいの?』

「っ……それは……」


 ユエは、浩介の言葉と保安局での会談から、いろいろ察したらしい。クラウディアに、直接心情を問うた。


 クラウディアは、言葉に詰まった。エクソシストの使命が心の中に響く。醜い己の心を叱責する神の声が聞こえる。私情を捨てろと訴える。


 そんなクラウディアに、声が届く。


「復讐心の何が悪いんだ?」

「浩介様?」

「醜い心で悪いかよ。人間なんだ。それだって、みんな当たり前に持ってる〝心〟だろ」

「人間が、持ってる、心……」


 浩介は、クラウディアのもとへ歩み寄り、スピーカーモードになっているのも忘れている様子で語りかけた。


「エクソシストだって人間だ。レダは救われたかった。アジズも救いを求めてる。ウィンさんやアンナさん、他のオムニブスの人達、長官さんだってきっとそうだ。滅私奉公――ああ、素晴らしい言葉だ。尊敬するよ。でも、それで救う人間が救われないなら、クソ食らえだ」


 クラウディアの目が大きく見開かれる。浩介はクラウディアの肩を掴み、燃えるような目を向けた。


「俺は強いぞ。どんな障害もぶち壊して、クレアが望む扉を開いてやる。だから、ぐだぐだ御託を並べてないで、言えよ。どうすれば、クレアは、クレア達は救われる?」

「……」


 泣きそうな顔が、浩介の瞳に映っている。けれど、さっきの絶望したような不細工な微笑みより、ずっと良い顔だ。浩介が、ニィと口元を裂いて不敵に笑った。


 クラウディアは、ゴシゴシッと目元をぬぐった。あぁ、この人は、確かに魔王の右腕が似合っている。神の御使いなんてとんでもない。こんな悪魔のような甘い誘惑をするのだから、なんて思いながら。


 そして、気合いの入った声で、電話の向こうで答えを待つユエに、視線は浩介に注いだまま叫んだ。


「奴は、私が倒すのです! 十二年前のあの日から、奴は私の獲物なのです! 手を出さないでください!」


 ざわざわしていた電話の向こうが、再びし~んと静まった。


 一拍して、ユエが口を開いた。


『……そう。先約があるなら仕方ない』

「っ……いいの、ですか?」

『……ん』


 怒りを孕んでいるわけでも、不機嫌そうでもない。むしろ、どこか温かさすら感じる声音で、ユエは言葉を続けた。


『……ただし、あんまり無様を晒すなら、さっさと私が片付ける』

「それは、はい。もちろんなのですよ」

『……ん。貴女が失敗しても……この世界は渡さないから。気にせず、頑張って』

「あ……」


 それが、ユエなりの激励だと分かって、クラウディアは言葉に詰まった。憂いなく、自分の気持ちに従って思いを成就したらいい……そういう意味だと分かったから。


 しかし、実際にお礼の言葉を伝える前に、ユエの声音は無機質なものに戻って、浩介を呼んだ。


「はい、ユエさん」

『……エンドウ。調子に乗んな。帰ったら覚えとけ』

「え゛!? ちょっ、ユエさん!? さっきのは、なんというか雰囲気に流されたというかっ」

『……エミリンの瞳も真っ黒。私の雷龍が唸りを上げる。そして、こっちにいる全員がニヤニヤしてる』

「!!?」


 電話の向こうから、


『こうすけ? その人がそんなにいいの!? 巨乳だから!?』

『エミリー、落ち着いて。コウスケくん。義理の父になる身としては、ちょっと後日、話し合いをしたいんだけど、いいね?』

『浩介。兄ちゃんは今、かつてない尊敬と殺意を覚えているよ』

『こ、こうにぃ、勘弁してよぉ。こんな大勢が聞いてる前で、なんてはずいセリフを……妹としてどんな顔したらいいの~?』

『……あなた、どうしましょう。浩介ったら、また新しいお嫁さんを……』

『そう、だな。愁さん、今度、ハジメくんも交えて男だけでメシでもどうかな? 浩介の今後について、親としていろいろ相談に乗って貰いたいんだが』

『ハッハッハ、もちろんOKだとも。義理の娘がいっぱいの楽しい生活の送り方を教授してあげようじゃないか!』


 という、家族関係者達の声と、いつも通りの、クラスメイト男子達からの深淵卿死すべし慈悲はない、でもちょっと尊敬してます。可愛いエクソシストっ娘を紹介してください的な声が飛んでくる。


「こ、浩介様? 大丈夫ですか?」

「浩介は……大丈夫じゃない、です」


 どこかで聞いたことのある言い回しで、顔色を青から赤、白から黄土色、そしてまた赤と忙しなく変化させつつ、死んで腐った魚みたいな目になっていく浩介。クラウディアさん、ちょっと引く。「に、人間って、こんな風に顔色が変化しましたっけ?」と。


 小声で、おうちに(日本に)帰りたくない……と呟く浩介に、ユエ様が言葉を送る。不敵で、少し面白そうな声音だ。


『……エンドウ。あなたは自他共に認めるハジメの信頼する人。そして、シアの身内になる人。大言壮語は許さない』

「……吐き出した言葉の責任は、必ず取りますよ」

『……ん。エンドウ、ハジメに代わって言う』

「はい」

『……後は任せた』

「うっす。任されました。……ありがとうございます、ユエさん」


 最後に「ん」と返事して、ユエは電話を切った。


 ホッと息を吐く浩介に、クラウディアはおずおずと近寄って、噛み締めるような表情で見上げた。自然、上目遣いになる彼女の瞳は、熱と感涙できらめいている。


 男なら、誰でも一発でくらりときそうな表情だ。


 クラウディアは、何かを言おうと口を開きかけるが言葉が見つからないようで、何度も口を閉じたり開けたりしている。込み上げる想いが強すぎて、どんな感謝の言葉も陳腐に思えて、相応しいと思える言葉が出てこないのだ。


 そんなクラウディアの様子に、浩介は苦笑いを浮かべつつ肩を竦めた。


「そういうのは、全部が終わってからにしよう。なに、気負う必要はないさ。クレアは、思う存分、あの野郎をぶちのめせばいい。道は俺が切り開く。世界は、最強の嫁~ズが保証してくれる。ほら、問題ないだろ?」

「はぃ……はいっ。浩介さまっ」


 感極まったように、再び浩介の胸元に顔を埋めるクラウディア。苦笑いしつつ、浩介も背中をぽんぽんしてあげる。


 と、そのとき、


「む? なんだお前達。なに? 今はダメ? 馬鹿を言うな。クレアがいるのだろう? ええい、どかんか! そろそろ作戦の――」


 聖堂に入ってきたのは、苛立った様子のダイム長官。そして、その足にしがみついて必死に留めようとしているウィンやアンナ、そして複数のオムニブスのメンバー達。


 ダイム長官の視線が、聖堂の奥に向いた。抱き合うクレアちゃんと浩介くんの姿を、ばっちり捉える。


 時が、止まった。


 アンナが「逃げてぇ! 浩介さんっ、超逃げてぇ~~!!」と叫ぶ。


 直後、


「――主よ、敬虔なる信徒に加護を与えたまえ。罪深き者に神の鉄槌を!」


 どこから取り出したのか、金属製の書物が砲弾の如く飛び出した。封印のように鎖が巻き付き、フレイルのようになった巨大な書物が!


「のわぁ!?」


 咄嗟に、クラウディアを押し倒す形で倒れ込み回避する。ゴウッと、背筋が寒くなるような音と共に〝聖滅の書〟が頭上を通り過ぎて、凄まじい破壊音と共に祭壇を破壊した。


「こ、浩介様……い、いきなりは、困るのです。流石に、神の前でというのは……」

「え?」


 浩介しか見えていないらしいクラウディアさん。ポッと頬を染め、無抵抗な感じで恥ずかしそうに視線を逸らす。


 ジャラジャラジャと鎖の音が鳴る。生き物のように空中をうねった〝聖滅の書〟がダイム長官のもとに戻った。そして、クラウディアの状態を見て、祭壇を破壊した悪魔の如き枢機卿兼対悪魔組織の長官は、再び、絶対に間違っている書物の使い方をスタンバイさせる。


「浩介様……いけません……恋人がいらっしゃるのに……あぅ」

「貴様を、殺す!」


 下の聖女。入り口の悪魔。


「……全部終わったら、ちょっと一人になろう、そうしよう」


 本格的に死んだ目になった浩介から哀愁が漂う。


 異国の地でも、故郷でも、浩介には受難しか待っていないらしかった。










 バチカン市国、城壁の外。


 そこに無数の人影が集まり出していた。数百人は、直ぐに数千人に。彼等の目は等しく――赤い。


 今宵の月は、奇しくも魔を高める満月。


 それもまた、赤く染まり始めていた。


いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


※新刊案内

25日に、「ありふれた職業で世界最強 第8巻」 「コミック版 第3巻」 「スピンオフ〝日常〟 第1巻」が発売です。早いところだと、もう店頭に並んでるかもしれません。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

8巻は樹海の大迷宮攻略編です。いつも通り、加筆修正の他、番外編も収録しています。特に、最後のボス戦はほぼ書き直しました。Web版とどっちがいいか、見比べていただくのも面白いかもしれません。


右はドラマCD付きの特装版です。時系列的には、メルジーネを攻略した後、アンカジ滞在中の出来事です。アンカジの結界は、嘘発見器代わりもできる。ハジメの嘘が…とか、オアシスが魔境だったり…とか、心の闇が溢れ出て…とか、そんなアフターストーリー的なノリのお話です。

香織初参加! ユエと香織の掛け合いなんかもありますよ。是非、声ありで楽しんでいただければと思います。


挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

漫画版第3巻。シアがいっぱい。白米的には、そんなシアと関わった時のユエの表情が最高だと思います。まさに、漫画ならではの楽しみが詰まっているかと思います。

右は、スピンオフ日常の第1巻。これはもう、言葉はいらない。白米が逆輸入せずにはいられない面白さです。是非、お手に取っていただければと思います。


長々と失礼しました。

これからも「ありふれた」を、どうぞよろしくお願い致します。




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― 新着の感想 ―
でもその笑い声も悪くないかもな ブヘヘヘヘ
[良い点] 何度読んでも 「世界の命運がなんだってんだ。こちとら、女一人のために神をぶっ殺した男の右腕だぞ。今更、世界と一人を天秤になんざかけるかよ。魔王の正妻が、くだらないこと言わないでくれ」 …
[一言] ユエ様がどんどん残念になってる・・・
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