深淵卿編第二章 聖女クラウディア
ほぼ説明回です。
上手くまとめられず、我慢できなくておふざけもいれてたら18,000字以上に……
目が疲れすぎないよう、ご注意ください。
再会できたことに、心の底から嬉しそうに微笑むクラウディア。含むところのない笑みは、そのおっとりした優しげな容貌と相まって、万人の心を鷲掴みにしかねないほど魅力的なもの。
そんな彼女に、浩介は大きく目を見開いて……
「お、俺を認識している!?」
「え?」
思わず、叫んだ。
同時に、一緒に入ってきたバーナードが、「まさか、〝部屋に入ってきたアビィ〟に気が付くとは……やはり、ただ者ではないなっ」と、警戒心をあらわにしている。
クラウディア様、もう一度「え?」。
想像していたリアクションと違ったようで、ちょっと困った表情になりながら口を開く。
「あ、あの、お部屋に入ってくれば、分かるのは当然だと思うのです。何か、おかしなことを言いましたでしょうか?」
「とう、ぜん……だと!?」
「アビィ……バチカンってのは相当ヤバイところらしいな。今、実感したぞ」
アビィ、衝撃の言葉に足がふらつく。それを支えてやりながら、冷や汗を流すバーナード。歴戦の局員にして実働部隊のトップという剛の者である彼をして、戦慄の表情を隠せない。
変な意味で、バチカンの株が上がったようだ。
クラウディアが「わ、わけが分からないのです……」と、若干涙目になり始める。本当は、もっとこう、感動的な再会というか、クールでスタイリッシュな感じを夢想していたのだ。
例えば、浩介が「やれやれ、遅かったじゃないか」と当然のようにクラウディアの登場を予見していたり、「ほぅ。まさか俺を見つけるとはな。やるじゃないか」と不敵に笑いながら迎えてくれたり……
クラウディアの中で浩介という人間は、クールでスタイリッシュな、何故かクルクル回る常に冷静さを失わない泰然とした超人というイメージだったのだ。
頑張って、少しでも良い印象を持って貰おうと、スタイリッシュな再会の挨拶を、飛行機の中や移動中の車中で何時間もかけて考えてきたというのに……
超人さんは、挨拶しただけでめちゃくちゃ動揺していらっしゃる! 全然、泰然としていなかった! クールじゃなかった! ついでにターンも決めなかった!
「あの、クラウディア様? だから言ったではありませんか。美化しすぎではないかと」
「美談好きなのはいいんですけど、ただでさえ良い話を、盛りに盛って過剰に美化しちゃうの、クラウディア様の悪い癖ですよ」
「うっ」
部屋に響いた、頭の痛そうな青年の声音と、溜息交じりの女の子の声。
キリッとした金髪オールバックの青年――ウィン・キーナンと、栗毛の三つ編みの女の子――アンナ・フォークだ。二人もお供として一緒に来ていたらしい。クラウディアの背後に控えている。
そんな彼等の存在でハッと我に返った浩介は、とにもかくにもという感じで、
「貴女のような人を助けられて、ほんっと~~にっ、良かった!! 聖女とは、まさに貴女のことだ!」
そう言って、この場の誰にも認識すらさせない踏み込みでクラウディアの手を取った。両手で包み込むようにして。歓喜の涙目になりながら。
「え? あ、そんな……。確かに、聖女をやっておりますけれど……あぅ、またそんな強い力で……」
聖女様、浩介に手を握られて赤面。恥ずかしそうに、照れたように、もじもじしながら視線を泳がせる。地獄で抱き締められながら逃走したときの、力強い腕の感触を思い出したようだ。
男性との接触に免疫のない聖女は、自分の存在を当然のように認識してくれたことに歓喜する浩介にされるがまま。
もちろん、普段、そんな無用の接触をしてくる不躾な男など、やんわりかわすか、実力で追い返すのだが……
取り敢えず、今回はお付きの二人の方が、思わずといった様子で動いた。
「っ、クラウディア様から離れてもらえないかっ?」
「今の踏み込みなんですか!? やっぱりあなた、変です! あとクラウディア様も、なんか変です! なんですか、その乙女みたいな反応!」
浩介の実力を垣間見た故か。前回の険悪な関係を思い出してか。あるいは染みついた戦闘経験故か。二人の手は己の武器に触れている。ウィンは円柱ケースから飛び出た細剣の柄に、アンナはスカートのスリットから覗くトンファーに。
その二人に即座に反応したバーナードが、二丁拳銃状態で、それぞれの銃口をウィンとアンナに向けた。
一瞬で訪れた一触即発の雰囲気。
が、当の二人は、
「ち、違うのですよ! アンナ! これは、ちょっとびっくりしてしまっただけでっ、乙女だなんて! もうっ」
「ありがたや~、ありがたや~。世界にはまだ、俺を普通に認識してくれる人もいるんだ~。貴重だよ~、レアだよ~。聖女様、ありがたや~」
より乙女になってもじもじ、&聖女を拝み倒す――という、ある意味、二人の世界に入っていた。
厳しい表情をしていたバーナードの目が、微妙に泳ぐ。
酷く緊張して強ばっていたウィンとアンナの目も、普通に泳ぐ。
バーナードと、ウィン&アンナの視線が交わった。「んっ、んんっ」と互いに喉を鳴らし、視線で「ど、どうする?」と言葉を交わす。
一拍。互いに溜息を吐いて、両手を挙げた。
そして、もじもじクラウディアと拝む浩介に視線を向け、もう一度、深い溜息を吐き合った。なんだか、とても通じ合ったバーナード達だった。
「アビィ。嬉しいのは分かったから、そろそろ正気に戻ってくれ」
「クラウディア様。いろいろ片付いたら、もう少し免疫を付けましょうね。取り敢えず、いつものクラウディア様に戻って下さい」
「「ハッ!?」」
正気に戻ったクラウディアと浩介。互いに咳払いをして取り繕い、全く取り繕えていない感じで対面のソファーに腰を落ち着けた。
それを見て、ウィンとアンナがクラウディアの後ろに、バーナードが浩介の後ろに控えた。
「で、では、改めまして。クラウディア・バレンバーグと申します。ローマ教皇直下、対悪魔組織〝オムニブス〟にて、聖女を務めております」
肩越しに振り返った浩介が、バーナードと視線を交わす。バーナードは首を振った。彼もまた全く覚えがない組織名のようだ。
保安局において、バーナードは現場のトップだ。相当高い地位にある。その彼が知らないということは、保安局も知らない組織となりそうだが……
「俺は、浩介です。遠藤浩介。日本人で、保安局の局員ってわけじゃないんだけど……」
「存じています。――〝帰還者〟のお一人ですね?」
「あ~、うん。やっぱり、それくらいは掴んでるか。ここに来たのは……あれか、ベルセルク事件から辿ったのかな?」
「はい、浩介様。先の事件はこちらもある程度把握しておりましたので、保安局に頼ればあるいは、と。あの天から降る光の柱は……私達を騒然とさせましたから、それなりに調査したのですよ」
苦笑いしながら「やっぱりか」と頷いた浩介に、クラウディアは微笑みながら頷き返し、そして表情をスッと真面目なものに変えた。
「浩介様。まずは、感謝の言葉を捧げさせてください。アジズの命を救い、私を現世に連れ戻してくださり、本当にありがとうございました。貴方様に報いることができるなら、私はどんなことでもさせていただきたく思います」
思わず、浩介がたじろぐほど強い眼差し。深い感謝の念がよく伝わってくる。
「そして、心から謝罪を。本来、感謝を捧げるべき貴方様を、私の仲間は武力を以て捕らえようとしたと聞きました。本当に、本当に申し訳ございませんでした」
クラウディアが肩越しに振り返る。「うっ」と言葉に詰まるような様子を見せたウィンとアンナ。
現場が混乱し、全員がかつてないほど殺気立っていたとはいえ、確かに、クラウディアを救助した直後の彼を襲ったことに、冷静となった今はバツの悪い思いがあるらしい。
もの凄く気まずい様子で浩介を見やると、二人揃ってがばりっと頭を下げた。
「申し訳なかったっ。貴方は、話し合いの場を設けようとさえしてくれていたというのに、警戒するあまり、恩を仇で返すような真似をしてしまった!」
「すみませんでした! それと、アジズとクラウディア様を助けてくれて、ありがとうございました! 償えというなら、どうか私とウィン先輩の身命でご寛恕ください!」
感謝と謝罪の言葉を突然送られて目を白黒させている浩介に、クラウディアが言う。
「長官も――私達の組織の長も、正式に謝罪したいと言っております。あいにく、私と長官が同時にバチカンを離れるわけにはいかない状況で、こちらに来ることはできず、失礼をしていることは重々承知しているのですが……」
心苦しそうに、通信越しという失礼を許して貰えるなら、直ぐに繋いで謝罪する用意があるというクラウディア。先程の微笑みが嘘のように意気消沈した様子だ。
実のところ、てっきり〝追手〟かと思っていた浩介。まさか、謝辞のためだったとはと、つい呆気にとられてしまっていた。
よく見れば、ウィンとアンナは酷く緊張しているようだ。冷や汗が浮かんでいる。先程、いきなり踏み込んでクラウディアの手を取った浩介に、咄嗟に武器へ手が伸びた時もそうだったが、二人は浩介の怒りが爆発し、その矛先がクラウディアに向くことを相当懸念しているらしい。
謝罪の気持ちはあるが、だからといってクラウディア様に危害が加えられることだけは許容できない、という切羽詰まった感情が透けて見える。同時に、そのためなら己を犠牲にすることも厭わないという覚悟が見えた。
自分達の力を振りかざして上から目線にならないのは、元の性格か、あるいは浩介の実力を聞いているからか。先の襲撃をあっさり帰還者サイドが収めたことも頭にあるのだろう。
二人は、クラウディアの護衛というより、代表して浩介のバツを受けに来たのかもしれない。アンナの言葉にクラウディアが驚いた様子からすると、クラウディア自身には黙ってしていた覚悟なのだろう。
そんな彼等を見て気を取り直した浩介は、困ったような表情で頬をポリポリと掻いた。そして、そっと尋ねた。
「ウィンさん、アンナさん。……何人、犠牲になった?」
「……む?」
「えっと?」
ウィンとアンナに向けられた言葉。二人は頭を下げたまま顔を見合わせ、伺うようにして視線を上げた。
「あの爆発、それから崇拝者の襲撃。助からなかった人、たくさんいただろう。爆発の直後、クラウディアさんの、仲間の安否を確認する声は悲鳴みたいで、ウィンさんやアンナさんは重傷だったのに、ウィンさんは仲間を助けるために直ぐに飛び出したし、アンナさんも直ぐに仲間を呼びに行った」
浩介の言いたいことが分からず、困惑するウィン達。浩介は、構うことなく続ける。
「アジズくんは、今にも死にそうだったのに、口からでるのは『姉さんを助けて』って言葉だけ。俺が地獄から戻ったとき、あの場にいた誰もが焦燥感や危機感じゃなく、怒りを抱いてた。長官って人も、見た目は冷静さを保っていたけど、握った拳が震えていた」
だから確信する。
「あなた達は、きっと強い絆で結ばれた仲間だった。そうだろう?」
浩介の言葉に、クラウディアも、ウィンもアンナも、僅かに泣き笑いのような表情になった。ウィンが静かに「……ああ」と呟き、アンナも「……はい」と小さく声を漏らす。
「俺にも仲間がいる。命を預けられて、命を捧げられるくらい大事な仲間が。あいつらが傷つけられたらと思うと、うん、俺も、冷静でいられる自信はない」
だから、
「謝罪なんかいらない――って言いたいところだけど、それだときっと、真面目そうな貴方達は困るだろうからさ、受け取るよ。でも、それだけで十分だ。これでこの話はおしまい。水に流す! 以上! 申し訳ないと思うなら、以後、蒸し返さないこと! OK?」
「あ、ああ。いや、うむ、君がそれを望むなら……分かった。……感謝する」
「お、OKです。その、ありがとうございます」
ウィンとアンナは、少し戸惑いつつも、一拍。ふっと肩から力を抜いて笑みを浮かべた。
そうして、浩介の言葉に何故かバーナードがドヤ顔しつつ、後ろから浩介の肩をバンバンッと叩く中、クラウディアもまた、頬をうっすら染めながらニコニコと笑顔を見せる。
「浩介様。ありがとうございます」
「うん、まぁ、それより、その浩介様って止めてくれない? 普通に浩介でいいよ」
「いいえ、浩介様を呼び捨てになどできないのですよ。私のことはどうぞ、〝クレア〟とお呼びください」
笑顔なのに、妙に迫力のある強い眼差しで訴えるクラウディアさん。そのあまりの目力に、浩介はつい「あ、はい」と頷いてしまう。卿でないただの浩介など、聖女アイの前では無力だった。
咳払いを一つ。居住まいを正して真面目な表情になった浩介が口を開く。
「それで、クラウディ――」
「……」
「あ~、えっと、クレアさん――」
「……」
「……クレア達は、謝辞を伝えに来ただけってわけじゃないんだろう?」
笑顔の聖女、強し!
聖女のにっこり! は万能の言語ツールなのだ! ウィンとアンナの、なんとも言えない表情もなんのその。浩介のクレア呼びに、聖女様はとても満足そうな表情だ。
「はい、浩介様。もはや秘匿してはいられない状況となりました。浩介様に、そして帰還者の皆様に、伝えるべきことを――世界の危機を伝えるために参ったのです」
「世界の危機、ね」
苦笑い気味に反芻する浩介。冗談だと思ったからではない。地獄の悪魔が、実際に襲撃してきたばかりなのだ。疑う余地はない。
まして、クラウディアは、聖女という肩書きもそうだが、バチカンでの様子を見る限り相当高い地位にあることが窺える。
それは先程、〝私と長官が同時にバチカンを離れるわけにはいかない〟と言っていたことからも明白だ。
そんな彼女が、わざわざ本拠地を離れてやってきた。相応の理由があるのは当然だ。
「お話をする前に、まず確認をさせてください。先の悪魔と崇拝者の襲撃。不完全とはいえ世界の隔たりは確かに揺らいでおりました。バチカンでは、長官を筆頭に揺らぎを正す儀式を執り行っておりましたが……術が発動する前に世界は正された。浩介様が手を打たれたのでしょうか?」
「いや、悪魔を送り込んでいた奴を逆探知してぶっ飛ばしたのは俺じゃない。俺より、遙かにとんでもない人だよ。俺達、日本にいる帰還者とその関係者が総じて襲われたといえば、分かるかな?」
「っ……なるほど……やはり、皆様はそれほどの力を……」
半ば確信しての問いかけだったようだが、実際に世界を越えて反撃し、悪魔を撤退に追い込んだと聞いて、クラウディア達は息を呑んだ。
クラウディアが決然とした表情で振り返れば、その眼差しを受けたウィンとアンナも同じような表情でコクリと頷く。
「では、ローマ教皇の命により、全てお話しします。私達が何者か。そして、今起きている未曾有の危機について」
「そうか。それは助かるよ。実は、魔王の正妻様にカチコミかけるから敵の情報を持ってこいって言われててさ。実は、これからまたバチカンに侵入するつもりだったんだけど、手間が省けたよ」
「え?」
「前はアジズくんを尾行して、バチカン市国外からの秘密の通路を使って侵入したんだけど、アジズくんが鋭敏でさ」
「え?」
「久々にスリル満点で参ったよ。今度は厳戒態勢だろうし、ちょっと面倒そうだなぁって思ってて」
「え?」
実に軽い感じでポロポロとこぼれ落ちる事実。秘密組織なのに〝手間〟という認識レベルで侵入され、遙かに厳しい警戒態勢があるだろうと予想していながら〝面倒〟で済ませる感覚。
クラウディアはちょっと表情が引き攣り、ウィンは「アジズぅ、尾行されて……いや、無理もないか」と頭をかかえ、アンナが「認証式の扉とか、どうしたんだろう……」と乾いた笑い声を上げる。
なんだか微妙な雰囲気に、浩介は「あれ?」と首を傾げ、バーナードが「分かる。すっごく分かるぞ~、その気持ち。局長室に普通に侵入されていた時の、俺達局員の気持ちも同じだぞ」と呟きながら、とても優しい虚ろな目をしている。
浩介、ごほんっと咳払い。
「ええっと、とにかく、今から説明してもらうことを、俺はユエさん……今、帰還者達のまとめ役をしてる魔王の正妻さんだけど、その人に報告しなきゃならないから、二度手間避けるためにも、通信を繋げて一緒に聞かせてもらっていいか?」
「それなら、うちの局長も一緒だから都合がいいな。さっき、無事に南雲家に辿り着いたと連絡があったから、一緒に聞かせてもらえるとありがたい」
ちなみに、PCのビデオ通話で連絡してきた局長の後ろに、妙に緊張した様子でチラチラと画面外に視線を投げるアレンがいたのだが……
もしかしたら、にこにこしながらもドSな眼差しで見つめる女子高生がいた……のかもしれない。
クラウディアが了承を伝えると、浩介は直ぐに南雲家へ連絡を取った。事情を話すと、直ぐにPCの通信が繋げられて……
「……どうも、私です」
ユエ様、再び転移で登場。もちろん、大人バージョン。そして、月に代わっておしおきしちゃう戦士の香ばしいポーズをビシッと決め、更に指でっぽうでバキュン♡
その足下には、悟りを開いたような透き通った表情で座り込むマグダネス局長もいた。どうやら、一緒に二人だけで転移してきたらしい。
他のメンバーは通信越しでいいが、ユエとマグダネス局長は直接話す方が良かったのだろう。応接室の大型ディスプレイの向こうに、呆れたような表情の香織や雫達の姿が見える。おそらく、騒がしさからして画面外には避難してきたクラスメイト達もいるのだろう。
いきなり現れた神々しいまでの美貌の女に、そしてシュールすぎるポージングに、クラウディア達は唖然呆然……
「ふ、ふつくしい……」
否、一人、ユエ様のバキュン♡にやられた男がいた。ウィンだった。胸を押さえ、一歩二歩と後退り。
被弾したらしい。
隣のアンナがギョッとした表情を向けると、ウィンはハッと我に返り、「私はクラウディア様の騎士! クラウディア様の騎士! エイメンッ」と若干錯乱気味にブツブツと呟き出した。
普通に危ない人のようだった。アンナちゃんの冷め切った視線が突き刺さる。汚物を見るような目だ。
「ユエさん、ユエさん。空気、読んで下さい、マジで」
「! ……私をKYと申したか。失礼な。電車に飛び込んだアビスゲート卿の真似をしただけなのに」
「ぐはっ!?」
浩介が胸を押さえて蹲った。確かに、月に代わっておしおきしちゃうポーズを取った。だが、何故、それをユエが知っているのか。
答えはもちろん、さっきまでカメラマン綾子による撮影記録の上映会をしていたからだ。
「んんっ、ごほんっ。初めまして、私は保安局局長のマグダネスです。こちらは、帰還者達のリーダーである南雲ハジメ氏の奥方……の筆頭、ユエ氏です。お話を聞かせて頂けますか?」
「あ、はい」
混沌とし始めた現場を立て直すため、マグダネス局長、すごく頑張る。ゴゴゴッと背後に文字が浮き出そうな迫力だ。クラウディア様、ちょっと涙目でコクコクと頷く。
そうして、大体ユエ様のせいで乱れた場の空気を戻しつつ、浩介がリットマン教授から聞いた話を改めて詳細に全員に伝え、それを踏まえた上での説明が、ようやく始まった。
「なるほど、既にそこまで知っているのですね……。地獄と悪魔、そして崇拝者の話は、おおむねその認識で間違いございません。私達〝オムニブス〟は、そんな地獄や悪魔、崇拝者達に対抗するための組織なのです」
曰く、かつての地球と異世界の戦争で勝利した側、つまり地球側の人々のうち、異世界を監視する役目を担った人々の末裔が創設した組織らしい。
その時代ごとに合わせながら、時に組織の名を変え、しかし決して途切れることなく、歴史の裏で人類を守護してきた対悪魔組織なのだという。
「つまり、エクソシストは実在した、ということか」
「はい、浩介様。ただ、世間一般でいうところのエクソシストとは少し異なります。オムニブスに所属でき、かつ〝エクソシスト〟を名乗れるのは、神器を扱える資質を有する者だけなのです」
「神器?」
「浩介様もご存じの、〝鏡門〟や〝聖十字の鍵〟、そして……」
クラウディアの視線が、後ろへ向いた。背後に控えるウィン達の後ろの壁に立てかけてある大きな十字架へ。布と革のベルトが巻き付けられ本体は見えない。ただ、全長二メートル弱はある、それこそ教会の祭壇に設置されていてもおかしくない立派なものであることは分かった。
「私の〝聖十字架〟。悪魔に対抗する力を秘めた特別な武具のことです。かつて、地球と異世界の争いにおいて用いられた武器、防具であり、神の御業を宿した奇跡の一端なのです」
話すクラウディアを、ユエがジッと見つめる。それからウィンとアンナへ視線を巡らせ、「なるほど」と頷いた。
「……要するに、異世界の住人の血を引く子孫の中で〝魔力持ち〟がたまに生まれて、残された魔法具やアーティファクトの類いを扱える者が、本物のエクソシストということ」
ちなみに、ユエが見たところクラウディア達の魔力は、帰還者組に比べるとかなり少ない。後衛職に比べれば、桁が違うレベルだ。ユエ達とは比べるべくもない。
それでもクラウディアだけは、ウィンやアンナに比べ数倍の魔力を有しているようだが……
先程の話からすると、おそらく先祖返りのように魔力を有して生まれても、代を重ねるごとに血が薄れ、比例して魔力量も少なくなっているのだろう。
納得したように頷くユエの〝魔力持ち〟〝アーティファクト〟の言葉に、クラウディアは首を傾げる。
取り敢えず、ユエ達の話は後でとジト目で先を促す。別に睨んではいない。不機嫌でもない。のだけど……クラウディアはビクッとしつつ話を続けた。真面目なユエ様は迫力があるのだ。
「オムニブスの存在は、教皇様の他は、代々、表向きはバチカン第二図書館を預かる枢機卿のみが知り、他には一切秘匿されています」
「対悪魔戦の総司令を教皇とするなら、現場指揮官の枢機卿が〝長官〟という感じかな? クレアは〝聖女〟だって言ってたけど……それは?」
何故か、テレビ電話の向こうがにわかにざわついた。「浩介様呼びに……浩介までクレアなんて愛称で? こ、こうすけ、どういうことなの!」「ちょっ、エミリーちゃん落ち着いて!」という声が響いてくる。直ぐに「んむぅ! もがー!」という口でも塞がれたような呻き声になったが。
クラウディアがディスプレイの向こう側をちょっと気にしつつ質問に答える。
「せ、聖女というのは、その時代、エクソシストの〝最強〟を意味する言葉です。通常は〝聖使徒〟と呼びますが、女性が聖使徒となった場合の俗称として〝聖女〟という呼称が定着しているのです」
「……最強? クレアが?」
「うっ。はい、その、一応……」
浩介のキョトンとした表情に、クラウディアは恥ずかしそうに俯いた。ゆるふわなおっとり系お姉さんな見た目で当代最強のエクソシスト……
ユエ様のジト目も突き刺さる。「はぁ? お前が最強? 身の程って言葉、知ってる?」と言っているように見える。実際は、ただ「へぇ~~」としか思ってないが。むしろ、魔力量からして納得しているくらいだが。なんというデフォジト目。
ますます体を小さくして恥ずかしそうにするクラウディアを見かねてか、ウィンとバーナードが口を挟んだ。
「クラウディア様が我々の中で最も強いというのは本当だ。確かに、見た目からは想像し難いだろうし、実際、格闘戦などでは目も当てられない。それどころか、日常生活においても実に危なっかしい。だが、あの〝聖十字架〟を扱えるのはクラウディア様だけだ。そして、〝聖十字架〟を扱える者は対悪魔戦において必然的に最強なのだ」
「確かに凄かったぞ。局が悪魔に襲われていたとき、駆けつけたバレンバーグ氏がな、祈りを捧げたんだ。そしたら、あの大きな十字架から強烈な光が迸って、気が付けば悪魔はいなくなっていて、崇拝者も全員倒れていたんだよ。まさに一掃かつ圧倒って感じだったぞ」
全員がほぇ~といった感心の目をクラウディアに向ける。ちょっと頬を染めつつ、しかし「格闘戦では目も当てられない」等のウィンのさりげない評価に、全力で視線を窓から見える空へと逸らしていた。心当たりがあるらしい。
浩介が納得顔で頷く。
「なるほどな。後衛職として最強ってことか。確かに、神器がない状態でも凄かったもんな。地獄でも餓鬼モドキを一切寄せ付けない結界を張ってたし」
「あ、ありがとうございます、浩介様。少しでもお役に立てていたのなら幸いです。最初から最後まで抱きかかえられたままでは、聖女の名が泣きますから」
にっこり微笑むクラウディア。お姫様抱っこで逃避行した時のことを思い出しているのか、頬を染めてはにかんでいる姿がなんとも可愛らしい。
『もがっ、んんむぅ! ぷはっ、こうすけ! どういうこと!? その人を抱っこしたの!? だからクレアなんて親しげな――』
『はい、エミリー博士。少し静かにしていましょうね。コウスケさんが今、四人目のお嫁さん――ごほんっ、バチカンの聖女様と大事な話をしているのですから』
『んみゅ~~~~っもががぁ~~~』
何も聞こえない。寒気なんて感じない。ディスプレイの中の香織達が生温かい目を画面外に向けているが、気にしない。
あと、「やっぱり新しい女に手を出してやがった」とか「卿、モゲロ」など怨嗟の声も響いてくるが、浩介は今手に入れた新スキル〝都合に合わせてギャルゲ主人公並の聴力になる〟を発動。
え? なんだって?
「あ、あの、浩介様。あの方は……それに、〝四人目のお嫁さん〟というのは……」
「Ms.バレンバーグ、話の続きを。まだ首謀者の話を聞いていません」
マグダネス局長、話の腰を折らせて堪るかと言わんばかりに、眼光鋭くクラウディアを見やる。
何故、マグダネス局長も、コードネーム〝魔王〟の奥方様も私を睨むのでしょう……と、やっぱり少しだけ涙目になりながら、エクソシスト最強はコクコクと頷いた。
「首謀者――私をさらい、世界の隔たりに干渉して皆様を襲った者。二つの世界を統一し、支配者にならんとする者。聖書にも、他のどんな書物にも語られない悪魔。私達は彼の悪魔を――アンノウンと呼称しています」
「書物に語られない悪魔……。それってつまり、逆に言うと世間一般で知られているような有名な悪魔は実在するってことか?」
あの〝影〟の悪魔ならどうにでもなる。しかし、語り継がれる大悪魔が実在し、それらも地球を狙っているのだとしたら……
そんな浩介の懸念は、あっさり肯定されてしまう。
「残念ながら、実在するのですよ。とはいえ、書物に記されていることと実態は異なりますが……。ともかく、過去の記録に一切なく、十二年前に初めて確認されたあの悪魔を、正体不明なれど王級の力を有する大悪魔として〝アンノウン〟と呼んでいるのです」
十二年前、と口にした瞬間、僅かだが声音に暗いものが滲んだクラウディアに、浩介は少し訝しむ表情になる。
が、何かを尋ねる前に、ユエが〝王級〟という言葉に反応した。
「……王級って?」
「私達、オムニブスにのみ受け継がれる歴史書があります。それによると、かつて異世界側にて各国や種族を統治していた七人の王がいたらしく、彼等は神の御業の更に上、世界の根幹に作用するような奇跡すら扱えたのだそうです」
「……世界の根幹に?」
ユエの目がスゥと細められた。それを驚愕と受け取って、クラウディアは神妙な表情で続けた。
「はい。ただ、火や風を起こすだけではない。もっと大きな力です。王の血筋に近い悪魔ほど、強い力を使えたそうなのですが……アンノウンもまた、類似した力を扱うのです」
そういった他の悪魔とは一線を画す力を有する悪魔を、〝王級〟と呼称しているらしい。
浩介は、脳裏にアンノウンを思い浮かべた。影が凝縮したような姿で、影そのものを操っていた力。分身体が直接戦った感じだと、影というより、力場の塊のような感じだった。
加えて、世界の隔たりに干渉する力……
ちょっとばかし、冷や汗が流れる。戦った感じ、厄介ではあるものの倒せないほどではないというのが現段階の評価なのだが、嫌な予感がする。
「もしかして、俺が地獄で戦った時って、あいつ本気じゃなかった?」
「いえ、あの時点では本気だったかと。母体として欲する私を、わざわざ手を抜いて逃がすとは思わないのです。ですが、力を十全に出せていたのかというと、答えは〝NO〟でしょう。少なくとも、十二年前に確認されたとき、アンノウンには姿形を自在に変える力や、魔獣の類いを召喚する力がありましたが、それを使っていなかったので」
また出てきた〝十二年前〟というワードに、浩介は意識を囚われる。だが、今度は、クラウディアは全く表情も声音も変化させることなく話を続けた。
「その時は、アンノウンは召喚されて現世に出てきたのですが、恐ろしいほどに強く、エクソシスト達の力も及びませんでした。最終的には地獄から強い干渉を受けて引き戻されたようです。魔王達に対する怨嗟の声を上げながら消えていきましたから」
どうやら、悪魔召喚の儀式というものも、資質のある者が正しく行い、かつ、代償が見合えば実際にできることらしい。
そして、地獄に追いやられたかつての魔王達は、基本的に、既に地球への侵攻の意思はないというのが、オムニブスの見解らしかった。それは、太古の戦争以後、序列の高い悪魔が人類に召喚以外で干渉することがほとんどなかったが故の結論らしい。
もちろん、人間側に名が通っているような大悪魔以外の悪魔の干渉は絶えずあり、逆に悪魔を召喚しようとする輩も後を絶たないが故に、エクソシストの戦いも終わりがないようだが。
浩介がハッとしたように言った。
「そういえば、偽りの王が消えて~的なことを聞いたけど」
「……はい。どういう理由かは分かりませんが、現在の地獄においては、魔王達の影響がないようです。だからこそ、アンノウンは動きだしたのでしょう。封じられでもしていたのか、まだ力の全てを使えるわけではないようですが……」
「……ん。そうすると、有名な悪魔も相手取る必要が出てくるかもしれないってこと?」
「可能性はあります。しかも、アンノウン自体、急激に増えた崇拝者達の信仰を力にしているのか、どんどん力を増しているようです」
クラウディアは元の神妙な雰囲気に戻って、浩介に、そしてユエに真っ直ぐな目を向けた。
「次に、アンノウンが世界の隔たりを揺るがすとき、それは今回のような不完全なものではないでしょう。今度は、地獄と完全に繋がります。受肉した強力な悪魔達が、際限なく現世へと降り立つのです。かつて、神の御業と呼ばれた奇跡の力を前に、現代兵器では対抗しきれないでしょう。私達も、数の力には勝てないのですよ。もし、世界が繋がれば、それは――世界の、現代社会の、破滅を意味するのです」
現代世界破滅の危機なのだと言うクラウディア。もはや、帰還者達の周辺などといった局所的な侵攻ではなく、世界規模の、それこそ海を媒介に悪魔達が溢れ出るだろう、と。
そうなったら、どれだけの被害が出るか……
「ですから、世界を繋げられるより先に、こちらから地獄に乗り込んでアンノウンを打倒しなければなりません。しかし、先の襲撃で、多くの仲間を失い、オムニブス本部は弱体化しているのです」
元より、本物のエクソシストの数は少ない。世界中に派遣している者達を招集しても、だ。時間もない。
だから、浩介という人を、ヒーローのような人を、知ってしまったから、
「帰還者の皆様。どうかお力をお貸しください」
そう言って、クラウディアは深く頭を下げた。ウィンとアンナも頭を下げている。
本来、彼等が他の組織や個人に力を借りるなどあり得ないことなのだろう。だが、先程、クラウディアは教皇の命令と口にしていた。つまり、上が認めるほど、今回の事態は逼迫しており、文字通り、世界の危機というわけだ。
保安局の同席が許されたのは、帰還者との繋がりを考慮したからに違いない。いらぬ詮索をされ、それに対応している余裕などなく、それなら最初から情報共有も仕方ないということだろう。
ディスプレイ越しに、クラスメイト達が「マジか、スケールがいきなりでかくなったな」「なんで地球に戻ってもファンタジーなのよ」と半笑い気味の声が聞こえてくる。
マグダネス局長は、特に口を出さず、ユエに判断を任せるようで視線だけを向けている。
浩介も、ユエに「どうするんです?」と視線で問いかけた。ユエは、特に考えた様子もなく、頭を下げるクラウディア達に返答した。
「……ん。問題ない。というか、力を貸す貸さないの問題じゃない」
「え? それはどういう……」
困惑しながら顔を上げたクラウディア達に、ユエは無表情のまま、しかし、誰もが寒気を覚えるような恐ろしい雰囲気を滲ませながら言った。
「……悪魔だか負け犬だか知らないけど、連中は私に喧嘩を売った。だから買う。殺す。滅ぼし尽くす。慈悲はない」
ですよね~みたいな空気が、浩介とディスプレイ越しから伝わってくる。
「……クラウディア」
「は、はいです!」
「……貴女は母体として狙われていると聞いた。後方に安全のため控えていた方がいい。戦力的に見ても協力は必要ない。鏡門だけ開けて。後は、私が地獄を蹂躙する」
「っ……それは……」
言外の、戦力外通告。確かに、アンノウンを追い返した上に、空間転移などというとんでも業も目の当たりにした。浩介の実力を見た上で、その彼が格上と断言する相手だ。エクソシスト達が加わっても、確かに、戦力になるどころか足手まといになるかもしれない。
合理的な判断ではあるが、クラウディアはもどかしそうな表情で何故か異論を唱えた。
「し、しかし、地獄は広大です。記録によれば、地表部分だけでなく、地下に何層もの領域があるのです。私は、私ならアンノウンを見つけられます。アンノウンとは、繋がりがあるのです」
「……ん、大丈夫。奴の魂魄なら既に把握した。同じ世界にいれば見つけられる。後は転移で移動すればいい」
「うっ……」
クラウディアの視線が泳ぐ。ウィンやアンナが、その心情を知っているが故に、なんとも言えない眼差しをクラウディアへ向けている。
ユエは、クラウディアの様子に「?」を頭上に浮かべて問うた。
「……ん? 何か問題があるの?」
「………………いえ。念のため、私達も部隊を編成して地獄へは乗り込みますが、私達のことは気にせず敵をお討ちください。どうか、どうかっ、世界をお願い致します! これ以上、アンノウンの振りまく悪が、人々に降りかかりませぬよう、お願い致します!」
何かを振り切るような、押し殺したような、そんな声音。深く頭を下げているので、その表情は分からない。
なんとなく様子がおかしいと感じたのか、ユエは訝しむようにクラウディアを見つめた。今回の事件、敵の首魁をユエ達が討てるなら、エクソシスト側としても利害的に一致しており歓迎だと思っていたのだが……
ユエの視線が、ウィンとアンナに向く。問いかけるような視線に、ウィンとアンナは、少し逡巡したように顔を見合わせた後、アンナは静かに首を振り、ウィンは頷いて、何かを誤魔化すように答えた。
「我々も多くの仲間を失いましたから、敵討ちを望む者も多いのです。できれば、自分達の手で、と。しかし、天秤に乗っているのは世界の命運。貴女方が、自分達だけでやる方が確実だとおっしゃるなら、我等に否はありません。可能な限りサポートさせていただきます」
元より、エクソシストとしての使命――人類を悪魔から守るというそれのために身命を捧げた身。誰かを救うためなら自己犠牲すら厭わぬ身なれば、私情を挟む余地はない。より、確実な道を選ぶ。
「……ん、なるほど。なら、貴方達の仲間の分も、落とし前をつけさせてくる」
まだ少し、納得していない感じはあるものの、ユエはそう言って頷いた。その間も、浩介はずっとクラウディアを見ており何かを考え込むような表情をしている。
「……直ぐにいく? 座標を教えてくれたら転移するけど?」
ユエの言葉に、クラウディアはようやく顔を上げた。その時には、既に何かを抑え込むような雰囲気はなかった。
「いえ、英国に派遣していたエクソシスト達と合流してから、専用機で戻る予定だったので。それに、現在、世界の隔たりが再び繋げられたときのための準備をしているのです」
曰く、実はサン・ピエトロ広場にあるオベリスクも神器の一つらしく、大規模な悪魔召喚に対処する必要があるときに起動されるものなのだという。
世界のどこで世界の隔たりが揺らぎ道が出来たとしても、オベリスクが起動していれば、世界を繋ぐ道を強制的に広場へと繋げることができるらしい。
ついでに、広場を囲む百四十体の聖人像。あれも神器らしく、広場から悪魔を出さないための強力な結界を張ることができるものらしい。
つまり、万が一討伐が間に合わないか、不測の事態が発生して世界が繋がったとき、広場を一時的な戦場にして時間稼ぎをしようというわけだ。
「あちこち爆破されてしまったため、準備にはあと半日ほどかかります。突入後、不完全でも世界を繋ぐなどという暴挙にアンノウンが出ても対応できるよう、これだけは済ませてからにしたいのです」
「ユエさん、俺はクレア達についておくよ。クレアは母体として狙われてるし、万が一があっちゃ困るしさ」
「……ん。分かった。それじゃあ準備ができたら連絡して。それまで、うちの防御を固めておく」
そう言って、ユエは立ち上がり、マグダネス局長の手をむんずっと掴んだ。局長、慌てて制止する。どうやらこちらに残るようだ。流石に、本部が襲われた後に局長がいないのはまずいということらしい。
『え……シャロンおばあちゃん、戻ってこないの?』
「ふぐぅっ」
ディスプレイに、しょぼんとしたミュウの姿が……。
泣く子も黙る鬼の局長。かつて部下の誰も見たことがない、形容しがたい表情で唸った。まるで重度の腹痛に耐えているかのような表情だ。
「ご、ごめんなさいね、ミュウ。おばあちゃん、これからお仕事がいっぱいなのよ。良い子のミュウは、分かってくれるわよね?」
『……ミュウは良い子なので分かります。おばあちゃん、お仕事頑張ってなの』
健気に笑って、小さな紅葉のような手をふりふりするミュウ。おばあちゃん、鼻を押さえつつ、良い笑顔で手を振り返す。
『こうすけ……その人の傍にいるの?』
「ふぐぅっ」
ディスプレイ越しに、しょぼんとしたエミリーちゃんの姿が。
悪鬼羅刹をものともしないヒーロー。割とよく見る形容しがたい表情で唸った。まるで重度の腹痛に耐えているかのような表情だ。
「ご、ごめん、エミリー。分身体は残すから……」
『いいの、分かってるから。こうすけ、気を付けて。私も、できることをするから』
チラリとクラウディアを見つつ、健気に笑うエミリーちゃん。浩介が、その笑顔に鼻を押さえつつ、良い笑顔を――「これだから、アビィはよぉ。見せつけやがって」「ラナさんに言いつけてやろうぜ」「馬鹿、あの人のことだから喜ぶだけだろ」「クソがっ」「卿、モゲロ」etc.――見せず、そっとディスプレイのスイッチを切った。
「……ん、それじゃあ、エンドウ。あとよろ」
「ういっす」
しゅぱっと消えるユエ様。
クラウディア達と帰還者、保安局の会合と協力態勢構築の話し合いは終わり、どこかほっとした空気が流れた。
「Ms.バレンバーグ。対悪魔はともかく、崇拝者の襲撃を警戒するなら、うちからも実働部隊をお貸ししますが、いかがなさいますか?」
事態の推移をリアルタイムで把握するため、また歴史の裏に潜み続けた組織との友好関係を築きたいという打算から、マグダネス局長がクラウディアに提案した。
クラウディアは、助力を受けられたことの安堵に抜けかけていた気を、ハッとしたように張り直す。本来、こういった対外交渉をする立場にはないのだろう。
「願ってもない話です。長官からは、もし申し出があれば受けるように言われております。崇拝者、あるいは悪魔との戦闘経験がある戦力は貴重ですから」
他国の武装勢力を受け入れるのは普通なら大問題だろうが、事情を知るプロの戦闘集団は、後の関係を考慮しても有用という判断らしい。
おそらく、マグダネス局長と同じような打算が多分にあるのだろうが、とにもかくにも、バチカン側もこの非常時には受け入れる考えなのだろう。
キリッとした表情で立ち上がり、マグダネス局長と握手するクラウディア。バーナード達を独自のルートで秘密裏に入国させるので、バチカン側で受け入れ態勢を~などの話を手早くまとめる。
「それでは、浩介様。参りましょう。今度は侵入せずとも、正面から歓迎致しますからご安心ください」
少々の茶目っ気を発揮しつつ、笑顔でそう言うクラウディア。
よいしょっと呟きながら、巨大な十字架を背負う。クラウディアの身長は百六十センチくらいなので、三十センチ以上、頭の上に十字架が飛び出ている形だ。
それを、ちょっと重そうに前屈みになりつつ背負って扉へ向かう。
ウィンが先回りして扉を開ける。
「なんか、重そうだな。大丈夫か、クレア」
「金属製なので確かに重いですが、もう慣れましたよ」
これくらいなんでもないのですよ! 私、エクソシスト最強ですから! と言いたげな素敵な笑顔で、クラウディアは扉をくぐり――
ガンッ
「ア!?」
聖十字架の先端が扉の上に激突。聖十字架が背後に倒れ込み、引っ張られるようにしてクラウディアも倒れる。そして、後頭部を十字架に打ち付けた。ゴチッという痛そうな音が響く。
「ク、クラウディア様! 大丈夫ですか!」
「ああ、最近はなかったのに! 慣れない場所で見栄を張るから!」
うっ、うぅ~と、後頭部を抱えながら涙目になっているクラウディアを、ウィンとアンナが慣れた様子で助け起こす。
先程まで、すごく聖女していたし、会談後もおっとりお姉さんな雰囲気だったのだが……
浩介も、マグダネス局長も、バーナードも、聖女様の突然の失態にぽかんっとしてしまう。
「い、今のはあれです。ちょっと失敗しただけなのです。えへへ……」
誤魔化し笑いを浮かべるクラウディア。恥ずかしそうに後頭部をわしわしと掻いているが、絶対、痛いのを誤魔化している。
「クラウディア様、やっぱり私が持ちますので……」
「ウィン! いつも言っているでしょう! これは私の神器なのです。ならば、私が持つのが当たり前なのです!」
よいしょっと、呟きながら、今度は胸の前に聖十字架を抱えるクラウディア。慎重に、そ~と上部を注視しながら、今度こそ扉をくぐっていく。
応接室の外、フロアでもクラウディアの転倒は見えていたらしく、でっかい十字架を必死に外に出そうとしているクラウディアに、ハラハラとした局員達の視線が集まっていた。
そんな視線に頓着せず、クラウディアは応接室の外に出て、ふぅと息を吐きながら聖十字架を背負いなお――そうとして、ズルッと手が滑った。
「――ア!?」
クラウディアのつま先に落ちる聖十字架。慌てて足を引き抜き、痛みに震えつつ涙目で屈もうとして、
「――ア!?」
案の定、支えを失った聖十字架がクラウディアに倒れ込んだ。重い金属の塊の下敷きになり、ジタバタともがく聖女様。
さっきのは見なかったことにしようと、視線で一瞬の会議を終えた浩介やマグダネス局長達は、もはや見なかったことにできないレベルの失態に開いた口が塞がらない。
「あぁっ、クラウディア様! お怪我はありませんか!?」
「いつにもまして酷い……。会談で、ものすごく緊張していたんですね」
どうやら、この聖女、緊張している間は問題ないが、気が抜けた時はドジっ子になるらしい。
ウィン達に助け起こされたクラウディアは、顔を真っ赤にしながら、かつ痛みで涙目になりながらも、聖十字架を背負い直す。そして、必死に取り繕いながら、にっこり。マグダネス局長やバーナードに別れの挨拶をする。
全然まったくちっとも取り繕えていないが、そこは大人なマグダネス局長だ。何事もなかったように別れの挨拶を交わした。
そうして、颯爽と出口へと歩き出したクラウディアだったが……襲撃で荒れたオフィスはトラップ(?)の山。飛び出した配線に見事に躓き、
「――ア!?」
ビタンッと、うつ伏せに倒れた。十字架の重みが倍プッシュ。「くぇ!?」という奇怪な呻き声まで漏れ出す。
し~んと、オフィスに静寂が降りた。
ウィンが目頭を押さえ「本当に今日は酷いな……」と呟き、アンナが「あのユエという方のジト目がよっぽど辛かったんですかね? 気の抜け方が半端ないです」と呟いている。
近くにいた局員達が慌ててクラウディアを助け起こした。
「おいおい、大丈夫か? すごい倒れ方したぞ」
「怪我はないか? っていうか、これ重いな!」
局員達が次々に心配やら驚愕やらの声を漏らす中、いよいよ爆発寸前なくらい顔を真っ赤にしたクラウディアは、それでも聖女のプライド故か、
「あ、ありがとうございます。大丈夫ですよ。私、こう見えて頑丈なので。走行中の車からうっかり転げ落ちたときも無傷だったのですよ!」
にっこり笑って言うことじゃない、と誰もが思った。
とはいえ、「えへへ」と、誤魔化すような、照れたような笑顔を浮かべて、局員達にぺこぺこと頭を下げるクラウディアの姿は、なんだかほっこりする。局員達も、クラウディアの笑顔で自然と生温かい笑顔になった。
クラウディアは、改めてマグダネス局長に挨拶をすると、聖十字架を背負いも抱えもせず、慎重にズリズリと引きずりながら出口へと歩いて行った。
浩介が、クラウディアを指さしながら、遠い目をしているウィンとアンナに尋ねる。
「……最強?」
「……最強、なのだ。戦闘中とか、集中しているときは問題ないのだ。ただ、気が抜けると、何故かああなる。だいたい自爆で周りに迷惑をかけないから、心配するだけで怒るに怒れないのがなんとも言えないのだ」
「なるほど」
先程の、日常生活すら危なっかしいの意味を理解する。むしろ、日常生活が危なっかしいのかもしれない。
「十字架を背負い、十字架を抱え、十字架に振り回される聖女……なんだか、含蓄ありそうだな」
「あの、別に無理して良い感じにまとめなくてもいいですよ?」
クラウディアの背を見つめながらの浩介の言葉に、アンナは「いつものことなので」と乾いた笑みを浮かべながらそう言うのだった。
「――ア!?」
ドタンッ、ゴロゴロッ、ベチャ!
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
コミックガルドにて〝日常〟の最新話が更新されております。
本編では、あえて触れなかったミュウの闇にスポットを当てるとは……
森先生、なんという勇者w あと、シアの〝モッ〟が素敵でしたw