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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅢ
303/532

深淵卿編第二章 鏡の国のアビィ

↑ サブタイ。前回の感想欄にあって白米的にツボだったので使わせて頂きました。

感想を下さった方、ありがとうございます!

他の方々も、いつも楽しい感想ありがとうございます!




 血風が吹き荒れ、大地には亀裂が走り、瓦礫の山やクレーターが無数にある。


 空には黒雲。雲の狭間には業火が奔り、まるで、大地の隙間からマグマが溢れ出しているかのよう。常に雷鳴が轟き、世界は血と炎の赤に染まっている。


 〝鏡の向こう側の世界〟――バチカンの地下に隠された正体不明の大鏡の向こう側は、まさに〝地獄〟と呼ぶに相応しい様相だった。


「ッ!? ――分身体が!?」


 驚愕の声を漏らしたのは、少年の救いを求める声に応え、地獄へと突撃した浩介だ。


 鏡を潜った瞬間、グラント家の分身体とリンクが途絶し、同時に己の感覚が最大数の分身体を召喚できると伝えてくる。意図せず、分身が解除されたのだ。


「やっぱり、世界が違うってことか……」


 如何に浩介の分身体が優秀と言えども、世界をまたいで維持し続けることはできない。自律行動は可能であっても、その動力源は本体の魔力だ。世界という隔たりに繋がりを断たれては流石に維持できないのである。


 頭の片隅に、エミリー達を心配させてしまっただろうと忸怩たる思いが過ぎるが、目の前の異常で超常で切迫した事態が余計な思考を許してはくれない。


 更に酷くなり、濃密な砂嵐の如き様相を呈してきた血風の中に、無数の影が蠢く。


「クッソッ。面倒くせぇ……」


 思わず零れ落ちた悪態。


 コンディションも、環境も、そして状況も、何もかも最悪だ。


 血風は人体に多大な悪影響があるようなのだ。踏み込んだ瞬間から、浩介はずっと感じている――刺すような肺の痛み、焼け付くようなヒリヒリする肌、体の芯から体力や活力、そして精神力といった生きるためのエネルギーが抜き取られているような感覚。


 この世界は、全く以て生きる者に優しくないらしい。


 おまけに、激しさと密度を増した血風のせいで、異様な人型と奪還目標を見失った。


 浩介の気配感知は、通常で半径百五十メートルほど。一度覚えた気配なら最大で三百メートルまで捉え続けることが可能だが、その範囲内に感知できないのだ。


 代わりに、数えるのも馬鹿らしくなる、おびただしい数の〝何か〟の気配が感覚をざわめかせる。


 とにもかくにも、方向だけはある程度分かっている。その方向へ突き進み、再び感知範囲内に彼女を捉え、奪還し、脱出しなければならない。


(タイムリミットは……十分といったところだな)


 サングラスをクイッ。顔の下半分、鼻まで覆う覆面の位置を再調整。自らにタイムリミットを課して内心で呟く。


 刹那、脳内に直接響くような、おぞましい声音が。


――ニンゲンッ! ニンゲンッ!

――ニンゲンガイルッ! イキタ、ニンゲンッ!

――クワセロッ、クワセロッ


「しゃべるのかよっ!? っていうか、俺に気が付いた!?」


 吃驚仰天という表現でも、まだ足りない。おまけに、自分に気が付いてくれたのだとしても、まったくもって嬉しくない。むしろ、肌が粟立ち、背筋に氷塊が滑り落ちた気持ちだ。


 だが、名状し難いおぞましさに硬直している暇はなかった。周囲の血風に紛れて凄まじい数の〝何か〟が襲いかかってきたのだ。


 まるで、野生のチーターがトップスピードで獲物に襲いかかるような速度。かつ、周囲の瓦礫やクレーターを利用したトリッキーな動きは、縦横無尽に樹海を渡るサルの如く。


 尋常ならざる速度と奇怪な動きは、初見での対応を至難とするだろう。並の人間なら間違いなく初手でやられる。


「構っている暇はないんだよ!」


 ヒュンッと、血風の中に一条の剣閃が奔った。かと思えば、浩介の姿が数メートルも先に出現。片手でサングラスをクイッとしながら残心する姿はなんとも香ばしい。まだ深淵卿モードには本格的に入っていないというのに。


 結果は当然……


 襲いかかった〝何か〟――血走った赤黒い眼、まばらに生える毛と歯、異様に長い手足、やせ細り、あちこち欠損した灰色の体。なのに腹だけが異様に膨れている。まるで、餓鬼(がき)のような怪物――は、一体の例外もなく首を落とされて地面に転がった。


 そして、普通に起き上がった。


「うそん!?」


 ちょっと深淵卿が入っていた浩介さん。思わず素に戻る。


 確かに首を落とされた餓鬼モドキ共は、その断面をぶくぶくと泡立たせると頭部を再生していく。転がり落ちた頭部の方は、まるで急速に風化でもしているかのように血風にさらわれて消えていく。


 そうしている間にも、次々と襲いかかってくる餓鬼モドキ。


「チッ。時間がないってのに、ほんと~に面倒だな!」


 二本目の小太刀も抜刀。


 伸ばされた腕をかわし、すれ違い様に首を落とす。


 這うようにして接近したものを踏みつぶし、飛びかかってきたものを踏み台にして更に跳躍。感応石で飛ばした苦無で、纏めて五体を串刺しに。


 更に飛びかかってきた餓鬼モドキ達を、空中での回転斬撃で薙ぎ払い、着地と同時に足下の敵を踏み砕く。


 そして、その全ての敵が何事もなかったかのように起き上がり再生した。


「不死身か!? キリがない!」


 全方位。血風から飛び出してきた餓鬼モドキの雨で一時的に空すら見えなくなる。


 圧倒的物量で獲物を覆い尽くそうというのか。餓鬼モドキのドームに覆われるなどゾッとする。


「しょうがねぇっ、――〝黒渦〟!」


 重力魔法〝黒渦〟――任意の方向に重力場を展開する魔法。


 浩介は頭上を覆って落下してくる餓鬼モドキの群れを、上空への自由落下に任せて強引に吹き飛ばして突破した。


 そして、眼下で、浩介を求めて手を伸ばす餓鬼モドキが小山を作っていく光景にゾッと肌を粟立てつつ、水平方向へ重力場を展開。進路方向へ自由落下を開始する。


「ぐぅっ、やっぱりきついなっ。ユエさんはマジで化け物だ」


 真上への自由落下中に、急激に真横への自由落下へ転換したために体にかかった負担と、重力魔法の継続使用による莫大な魔力消費により苦悶の声を上げる浩介。


 実のところ、浩介が実戦的に使える重力魔法は極めて限られている。天井等に張り付く程度の重力方向転換、重力場の付与、自分を中心にした重力の増減――この程度だ。


 ユエのように、即座に敵を圧殺したり、全ての攻撃を呑み込み圧縮して返す重力球を作ったり、属性魔法と複合するなど時間をかけないとできないし、連発などもできない。


 重力魔法の初歩である〝黒渦〟など、ユエは詠唱することもなく呼吸するように発動し、自由に疑似飛行しているから簡単に見えるが、それだって速度調整から方向調整、果ては本来の重力の継続的中和まで、重力魔法の複数同時制御という超高等技をこなしているから可能なのだ。


 ハジメやシアが、魔法の才能がなくてまともに重力魔法を使えないのと同じ。


 多少才能があるとはいえ、本来前衛であり、かつ、魔力の直接操作などできず、更に言えば人外の魔力も持ち合わせていない浩介にとって、重力魔法という神代の魔法は切り札であると同時に、使い勝手の悪い高等すぎる魔法なのである。


 なお、浩介の疑似飛行可能時間は僅か三十秒程度だ。限界突破状態だったり、深淵卿モードの最大深度状態だったりすると話は別になるが。


 改めて、奈落の化け物の花嫁は、やっぱり化け物だ! と、面と向かっては決して言えない愚痴を吐きつつも必死に重力魔法の継続発動をしていた浩介は、しかし、湯水の如く消費した魔力の代償に、遂に待望の気配を捉えた。


 疑似飛行可能時間は残り十数秒だが、自由落下速度だ。数百メートル程度の距離を詰めるには必要十分。


 今の内に回復薬を飲んで、体のダメージと魔力の回復を図ろうと、浩介は息を止めて覆面をずらした。そして、回復薬を宝物庫から取り出し飲もうとして……


 その寸前、


――ィ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ


 耳を突くおぞましい絶叫。


「ッ!?」


 咄嗟に〝黒渦〟を解除して本来の落下をすることで軌道をずらせば、刹那、掠めるようにして通り過ぎる奇々怪々な生物。


 透けるほど薄い皮膜の翼を持った餓鬼モドキだ。翼以外にも、鋭い牙と、脳が露出しているかのような歪極まりない頭部が特徴的で、醜悪さをこれでもかと醸し出している。


「今度はなんだ!?」


 掠めた時の衝撃で回復薬を落としたことと、覆面なしで血風を吸ってしまったことに、苛立ち混じりの声を張り上げる浩介。


 覆面を戻したと同時に、更に別方向から飛びかかってきた〝それ〟を、技能〝木葉舞〟――空中の塵や埃を一瞬の足場に跳躍する、技能〝影舞〟の派生――を使って跳躍しかわす。


 が、ここでもやはり、問題は単純な物量。


 精神を掻き乱すような絶叫と共に全方位から躍りかかってきた有翼の餓鬼モドキは、およそ航空力学を無視したような軌道で次々に急迫し、遂に、一体が体当たりに成功する。


「あっぶねぇっ!?」


――イキテルッ、ニンゲン!


 ガキンッと、眼前で閉じられた顎門に冷や汗を流す浩介。もちろん、直撃を受けるようなヘマはせず、交叉した小太刀でしっかりガードしているものの、空中ではどうにも分が悪い。


 突進の勢いに押されて、そのまま血風の嵐を突き進む。その後ろから、挟み撃ちをするかのように新手が。


 浩介の目が、スゥと細められた。


「――いい加減に、してもらおうか? ――〝業火紅旋風(逆巻く深淵の暗き焔)〟」


――深淵流火遁・風遁混合陣 業火紅旋風(逆巻く深淵の暗き焔)


 渦巻く火炎が周囲を巻き込みながら天と地へ伸びる。術者を中心に火炎の竜巻が渦巻く、全方位攻性防御魔法だ。


 小太刀に牙を立てていた餓鬼モドキも、後ろから挟撃を図った者も、それどころか上下から隙を覗っていた者達も、一切合切まとめて魔法の炎に巻かれていく。


 そして、パンッと風が破裂するような音と共に火炎竜巻が消えた後、サングラスを意味もなくクイッとする者が……


 それは、浩介……


 否、スムーズに事を運べないことに苛つき始め、遂に心のタガを外した――深淵(アビスゲート)卿だ!


「ほぅ。どうやら、俺の深淵なる技の前には再生も覚束ないようだな?」


 空力ブーツの力で空中に留まりながら、サングラスの奥で眼を細める香ばしいポーズのアビスゲート卿。


 その言葉通り、〝業火紅旋風〟を食らった有翼の餓鬼モドキ達は、再生する様子もなく体を塵にして風にさらわれている。


 炎に弱いのか? あるいは魔法による攻撃だからか? もし後者なら、魔力さえ纏わせれば物理攻撃も有効なのか。


 とはいえ、検証する時間は乏しい。


 有翼の餓鬼モドキが周囲を球体状に覆うほどの密度で包囲してくる中、卿は口元を不敵に歪めると小太刀を十字に構えた。


 特に意味はない!


「この深淵の貴族たる俺を止められるというのなら、やってみるがいい! 地獄の亡者共よ!」


 いつの間に貴族になったのかは分からない! でも、普段から卿と名乗ってるし、細かいことはいいよね!


 卿は、空中でグッと膝をたわめると、次の瞬間、一発の砲弾の如く飛び出した。同時に、再度重力魔法〝黒渦〟を発動。


 正面に来た有翼の餓鬼モドキをバレルロールするように身を捻りながら切り裂く。


 振るわれた軌跡に応じて、空中に赤く輝く十字の残像を刻む二本の小太刀。


 本来、漆黒である小太刀には、今、赫灼(かくしゃく)の輝きが宿っている。


――小太刀 赫灼たる雷炎の滅天刀


 炎属性上級魔法を圧縮して纏うことで〝偽ライトセイ○ー化〟するアーティファクトだ。


 魔法+一切合切を溶断する超高熱の刃。そのどちらが有効だったのかは不明だが、案の定、切り裂かれた有翼の餓鬼モドキは再生することなく風化し消えていく。


 そんな卿を、やはり物量で襲う彼等に対し、卿は「ふっ」と嗤った。


 左右から挟撃を仕掛けて来た有翼の餓鬼モドキ。


「どこを見ている?」

「頭上がお留守だぞ?」


 黒い人影が二つ。真上から落下してくると同時に、有翼の餓鬼モドキ二体は頭をスライスされて錐揉みしながら落下する。


 正面から長い腕を伸ばしてきた新手。


「誰の前に立っている?」


 真下から突き上げられて、吹き飛びながら消滅。三つめの黒い人影が、くるりと宙返りして先陣を切る。


 三つの人影--三体の分身が、本体たる卿を、左右及び正面のデルタフォーメーションで囲んだ。


 物量で押せど、三体の分身体が相打ち覚悟で特攻し、消滅する端から新たな分身体が現れ一撃必倒の攻撃を繰り出す。


 有翼の餓鬼モドキに、その怒濤の進撃を止める術はなく、卿は遂に包囲網を突破。


「むっ、抜けたか!」


 同時に、それは高密度の血風の嵐の突破でもあったようだ。


 ボバッと音をさせて抜けた血風の嵐の向こう側に躍り出た卿は、しかし、珍しくも言葉を失って呆然とした。


「なんだ……ここは」


 黒雲と、ひび割れた空。密度は下がれども、依然として吹き荒れる血風や、乾き、荒れた大地はそのまま。


 だが、瞠目すべきものがあった。


「都市、だったのか? ここは」


 そう、卿の目に映っていたのは、荒廃した都市であり、街並みだったのだ。


 摩天楼だったことを思わせる半壊した建物の数々。隆起し、あるいは抉れた道路。瓦礫の山と化した一角もあれば、奈落を思わせる大穴もある。


 広がる荒廃した都市のずっと向こうには、マグマを噴き出す赤く輝く山々があり、そのマグマでできているらしい巨大な湖も見えた。まさに、〝地獄の釜〟というに相応しい有様だが。


 終末の世界とは、このことを言うに違いない。


 卿は、訳もなくそう思った。


――ィ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛

――ニンゲェェエエエエン


 背後の、血風の嵐の中から飛び出してきた有翼の餓鬼モドキを撃墜しつつ、何を呆けているのかと己を叱咤する卿。


 集中し、捉えた気配の場所をより正確に探る。


 そして、


「――見つけたぞ」


 卿は一筋の影となって宙を駆け出した。








 声が聞こえる。


 おぞましい、心を掻き乱す声。


 幾千、幾万回と聞いて来た、宿敵の声。


 奈落の熱と、ヘドロのような影が肌を撫でる。


 ああ、またいつもの夢……


 そう思ったクラウディアだったが、何故だろうか。


 夢のはずなのに、いつもより感覚がリアルだ。


 あの脳内にこびりつくように居座り続ける悪魔は、こんなにも生々しく痛みと苦しみを与えてくるものだっただろうか。


――時ガ、来タ


 何故だろうか。


 いつもと言葉が違う。〝奴〟は、まず嘲笑し、そして言うのだ。〝時が来れば(・・・)〟と。そうして、続けるのだ。〝犯し、宿り、狭間の界へ〟と。


 あぁ、そうか。と、ぼんやりする意識の中で、クラウディアは納得した。


 時が、来てしまったのだ。両親を奪った〝奴〟が、自分だけを見逃した理由。それを実行に移す、その時が。


 もっとも恐れていた、その時が!


「うっ、ぁ?」


 轟々と、耳鳴りのような風が耳朶を叩いている。肌を撫でる不快で苦痛を伴う風と、鳩尾に感じる鈍痛が次第に意識を覚醒させる。


 クラウディアは、呻き声を上げながらうっすらと目を開いた。まだ、意識の半分は夢の世界にあるような状態だったが、不快と苦痛、そして手足の浮遊感が与える強烈な違和感が急速に意識を浮上させていく。


「――ッ」


 明瞭になっていく意識が、胴体に纏わり付くものに気が付かせる。あまりにおぞましく、魂が拒絶反応を示し、吐き気を覚えるその感触。気配。


『時ガ、来タ』


 およそ、この世のものとは思えない恐ろしい嘲笑が耳に届いた。


 夢ではない。夢で聞こえる声ではない。確かに、今、自分の耳に届いている!


「――!?」


 クラウディアは、声にならない悲鳴を上げた。ぼんやりしていた頭が、けたたましくレッドアラートを鳴らす。魂の発する警告が急速に意識を回復させた。


『偽リノ王共ガ消エ、忌々シイ封印ハ解ケタ。虚ロナル我ガ身ハ、肉ノ体ヲ得ル――待ッテイタゾ、クラウディア。我ガ母体』


 再び、金属を爪で引っ掻いたような嘲笑が響き渡った。それだけで、人の心など容易く発狂させるような、あまりに冒涜的な嗤い声。


 視線を上げたクラウディアの視界に、悪夢が現実として飛び込んできた。


 〝影〟だ。濃縮され、人の形を取った〝影〟。血管のように、無数の炎が奔り、〝影〟の亀裂から噴き出している。眼も、口も、鼻も、業火で形作られた存在。そいつの体から伸びた左腕に、クラウディアは抱えられているのだ。


「あなたはッ――かふっ、ゴホッ!?」


 眼を大きく見開き、何かを言おうとしたクラウディアだったが、鳩尾の鈍痛により咳き込んでしまう。


 同時に、その鈍痛が記憶を揺り戻した。


「っ、アジズ! オマール!?」


 抱えられたまま周囲を見渡す。血風の嵐と荒廃した街並みしか見えない。探し人は、いない。


 が、答えは意外にも、宿敵がもたらした。


『カカカッ。アノニンゲンナラ、既ニ、我ガ身ノ糧トナッタ。役ダッタ褒美ダ』

「あ、ぁあ、そんな……」


 〝アノニンゲン〟――間違いなくオマールのことだと、クラウディアは察した。


 オマール・ガレット。クラウディアの仲間であり、部下でもあった男。そして――今回の事態を引き起こした〝裏切り者〟


 クラウディアは思い出す。オマールの報告でアジズと共に異界――〝地獄〟へと繋がる〝鏡門の間〟へと急行した時のことを。


 彼は〝鏡門〟の封印が解けかけており、このままでは〝地獄の門〟が開いてしまうと焦燥もあらわに報告した。


 だが、現場に着いたクラウディアの眼に映ったのは、封印など欠片も解けていない〝鏡門〟。


 どういうことかと、オマールに問おうとしたクラウディアの耳に飛び込んできたのは、アジズの発する苦悶の声だった。


 何事かと振り返れば、まるで抱き合っているかのように密着した二人の姿。まるで、クラウディアと同じように、問いかけるため振り返った瞬間、アジズへオマールが組みついたかのように。


 そして、そのまま膝から崩れ落ちる大事な義弟。


 血の繋がりがあるわけではない。けれど、自分と似た境遇の幼い彼を引き取った時から、アジズは実の弟同然の家族だ。そんな最愛の弟が、血だまりに沈んでいる。


 何故? 何故、アジズは倒れているのです? 何故、お腹にナイフが刺さっているのです? 何故、そんなにも血が出ているのです?


 目の前で起きた事象を直ぐに理解できなかったクラウディアは、アジスに絶叫するように呼びかける。そんな彼女に、オマールはするりと接近。


 クラウディアが覚えているのは、直後に感じた鳩尾への衝撃と、自分が持っていた〝聖天光架(せいてんこうか)〟が取り上げられ、投げ捨てられたことだ。


 そこで、クラウディアはハッと胸元をまさぐった。〝聖天光架〟を放棄させられたことから、まさかと思ったが故の確認だったが……


 案の定な結果に、サーッと血の気が引いていく。


『探シ物ハ、コレカ?』

「! 返すのです!」


 無駄で無意味で滑稽ですらあると分かっていても、クラウディアはそう叫ばずにはいられなかった。


 〝影〟の肩口から伸びた触手のようなものが、チェーンのついた古めかしい赤褐色の十字架をぶら下げている。それこそ、クラウディアが顔を青ざめさせた原因。決して敵の手に渡してはならない、クラウディアだけが持つことを許された秘宝。


 クラウディアの動揺を嘲笑う〝影〟を前に、クラウディアはスッと目を閉じた。


 諦めたわけではない。


 逆だ。


 戦うためだ。


 武器もなければ仲間もいないけれど、あの日、心に悪夢という名の原風景を刻み込まれたその時から、決意し、覚悟し、備えてきた通りに!


「――主よ、汝が子の祈りをお聞き下さい。哀れみ、嘆きの声を心にお留め下さい。貴方の敬虔なる信徒に加護をお与え下さい――」


 クラウディアの属する組織の中でも、ほんの一握りの者しか使えない力の発現。聖句による奇跡の行使。


 淡い翡翠の光がクラウディアを包み、彼女を拘束する〝影〟の腕を灼く。


 だが、


『カカカッ。ヨキ、アガキ。美味ダ』


 変わらぬ嘲笑と、黒が混じった業火がクラウディアに纏わり付いた。そして、より一層、強烈な圧迫がクラウディアを襲う。肋骨に嫌な音が響いた。激痛が脳天を突き抜ける。


「ッ!? ――主よ、悪しき者の悪を断ち、正しき者を堅く立たせますよう。私を守るものは神の盾。神は心の直ぐ者を救われる」


 だが、クラウディアは祈りを止めない。苦痛程度では止まらない。


 クラウディアを包む蛍の光のような優しい燐光はますます強く輝き、〝影〟の腕に白煙を上げさせる。


 そんな彼女の前にスゥと影の塊が……


『クレア? どうしてお母さんを苦しめるの?』

「ッ!?」


 奇跡を起こす祈りが、止まった。直ぐに再開するが、


『酷いじゃないか、クレア。お父さんを、まだ苦しめるつもりかい?』

「や、止めて!」


 懐かしい声が、なのに憎悪を孕んだ声が、今度こそ祈りを止めた。


 クラウディアの眼前にあったのは、懐かしき――母と父の姿だった。首だけとなった二人の。


 あの日の光景がフラッシュバックする。それを振り切ろうと、クラウディアは奇跡の力を更に強めようとするが、比例するように二人は苦しみ出す。


「ぅ、ぁ――」


 あの日の決意に影が差した。


 分かっている。これは幻だ。この異界と〝影〟が見せる悪夢だ。


 分かっている。


 けれど、


『やめてくれ、クレアぁ』

『お願い、これ以上、苦しめないで』


 なんと、己の心の弱いことか。クラウディアは絶望にも似た感情を抱きながら、祈りの言葉を完全に止めてしまった。


 そして、燃え上がる業火。まるで罰を与えると言わんばかりに、クラウディアの肌を焼く。


「ぁあああああああっ!?」

『我ガ身ヲ孕ム最高ノ肉体。壊シハシナイ』


 だが、壊さないだけで、いたぶらないということはないらしい。嗜虐と嘲笑に塗れた不快な声が傷を炙るようだ。


 刻印のように、クラウディアの身にミミズ腫れのような火傷の跡が刻まれる。激しい痛みが喉を詰まらせ、祈りの言葉どころか、反抗の意志すら掻き乱す。


 クラウディアの瞳から、小さな雫が零れ落ちた。


 直ぐに血風にさらわれ消えたそれは、痛みによるものではなく、悔しさ故のもの。


 十年以上、研鑽を積んできたのは、この日のためだ。


 〝影〟に力を与えてしまう憎悪や憤怒といった負の感情を抑え込み、清廉なる心をもって戦うため。心に巣食う悪夢の原風景を打ち消すため。


 なのに、何もできない。


 信じていたものに裏切られたから。弟が致命傷を受けたのを目撃したから。武器が手元にないから。


 そんなもの言い訳にもならない。


 自分は、もっと出来るはずだと思っていた。積み重ねた研鑽と経験、日々の祈り、信仰心は既に、〝影〟に打ち勝つ力を己に与えていると信じていた。


 だが、結果はこの様だ。


「……主よっ、どうか救いの手をっ。貴方のお力をっ」

『カカカッ』


 縋るように神へ救いを求めるが、返ってくるのは嫌悪を煽る嗤い声だけ。


 救いの光は差し込まない――


(主よ、何故、応えてくださらないのですか……)


 神の声は聞こえない――


 なら、せめて、


(……どうか、どうか)


 これから、人類にとっての大罪人となるであろう自分を罰して欲しい。抗いきれなかった罪に、罰を与えて欲しい。


 そして、最後まで戦い抜くであろう家族も同然の仲間達に、少しでも救いがあらんことを――


『……? ……ニンゲン?』


 その呼びかけは、クラウディアに対するものではなかった。


 ふと立ち止まった〝影〟。クラウディアは苦痛に息も絶え絶えとなりながら、どうにか顔を上げる。そして、おぼろげながら理解する。自分に呼びかけたわけではなかったのだと。


 〝影〟は、訝しむように周囲を見渡していたのだ。


 直後、無数の風切り音!


『!?』


 〝影〟が片腕を薙ぎ払った。その軌跡を追うように、業火の鞭が翻り、飛来した無数の何かを叩き落とす。


 その一つが、抱えられているクラウディアの視線の先に突き刺さった。


 クラウディアが、見たこともない形状の短剣だった。菱形を引き延ばし、鍔なしの柄を取り付け、その先端が輪っかになった不思議な形状。光を吸い込むような漆黒なのに、何故か薄く輝いている。


「これは……」


 大きく、目を見開く。見たことがなくても分かる。それが汎用性を内包しながらも投擲に適した短剣であり、この異界の存在が使うはずのないものであることが。


 そう、〝人間が使う武器〟であることが!


「どこに行こうというのかね?」


 人の声が聞こえた。若い、男の声だ。それが、前方の血風の向こう側から聞こえてくる。


「事情は知らないが、感心はできないと言わせてもらおう。エスコートの仕方というものを、もう少し学びたまえよ」


 〝影〟が、スゥと目を細めた。


 クラウディアもまた、呆然と声の方へ視線を向ける。


 そうして、彼は現れた。


「もっとも、手抜き描写のような姿のお前には、少々、酷な忠告だったかもしれないが……とまれ、健気な弟君の頼みだ。その女性は、返してもらおうか」


 血風の中から、滲み出るように現れた黒い人。


 サングラスと、顔の下半分を覆う覆面でほとんど顔は分からない。小太刀を片手に悠然と歩いてくる姿は、ともすればここが地獄の如き異界であると忘れそうになる。


 仲間が助けに来てくれたのかと思ったが、クラウディアの記憶に彼の姿はない。自分より年下の、東洋系の青年のようにも見えるが……


 そんな彼は――何故か、キレッキレのターンをした。サングラスをクイッとした。腕を交差し、香ばしいポーズを取った! 一体、何故だろう! 


 クラウディアの脳内は疑問で埋め尽くされた!


 〝影〟が、問答無用に業火の鞭を振るった。一瞬で音速を突破したのか。パンッという空気が破裂したような音を置き去りにして、刹那の内に目標へ到達する。


 普通なら、瞬く暇もなく青年は業火の鞭に打たれて、焼き滅ぼされるか、体を分断されて絶命しただろう。


 もちろん、青年は――痛めつけられてボロボロのクラウディアと、接近中に聞こえた〝影〟の愉悦たっぷりな嘲笑で割とプッツンしていた――卿は、赤熱化する小太刀であっさりと鞭を弾き返した。


 〝影〟の目が見開かれる。それは、クラウディアも同じ。


 卿は、そんな異界の怪物と、助けるべき女性を前に、不敵に笑って――宣言した。


「これより、理不尽を実行する。深淵を前にしたこと、せいぜい嘆いて朽ち果てろ」


 クラウディアは思った。


 あぁ、主よ、感謝するのですよ。


 救いを、お与えくださったことを。


 でも、主よ。


 一つ、お教えください。


 ――貴方の御使い様は、何故、またターンしたのでしょう?


いつもお読み頂ありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告ありがとうございます。


PS

ガルドにて、ありふれ本編コミックが更新されております。

カムさんやべぇっす。あと、ユエさんの嫌そうな顔がツボ。

この頃のユエとシアは、確かにこんな感じだったなぁと懐かしい気持ちになりました。

オーバーラップ様のHPより無料配信していますので、よろしければ是非、見に行ってみてください。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 理不尽(悪魔)を、更なる理不尽(深淵)で打倒する。 これこそが、アビスゲートッ!!
[良い点] 「何故、またターンしたのでしょう?」 それはあなたが今後「深淵」を知ることによって答が与えられるでしょう…と心の中で答えてしまった点。
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