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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅢ
300/533

深淵卿編第二章 プロローグ



 声が聞こえる。


 一寸先も見えない暗闇の中、おぞましい声が響いている。


 こびりつく、へどろのようなその声。


 もう、何千回、何万回と聞いた。


 この先の展開も、私は知っている。声と同じ。何千、何万回と繰り返し見続けてきた。


 否。正確に言うなら、そう、思い出してきたから。


 忘れ得ない記憶。忘れてはならない記憶。


 おぞましい、私の生きる理由。心の原風景。


 轟ッと風が吹く。


 黒のインクで塗り潰したような暗闇が払拭される。代わりに現れるのは紅蓮の炎――地獄の業火。


 赤く染まった世界の中、〝奴〟がいた。


 暗闇を、あるいは影を、凝縮したような姿。無数に走る亀裂からは血のように赤い炎が噴き出し、絶え間なく周囲を焼き滅ぼしている。


 業火を纏う両手に、両親だったもの(・・・・・・・)を無造作に持ち、炎で彩られた眼や口が嘲笑するように歪む。


 〝奴〟の口が、微かに動いた。


 声が聞こえる。


 何千、何万回と聞いた〝奴〟の声が。


 ただ震えてることしかできない私を、〝奴〟の嘲笑が串刺しにする。


 炎が噴き上がった。


 大切な人達が塵一つ残さず消え去り、〝奴〟は手を伸ばす。


 涙でにじむ視界に、業火と影で作られた手が一杯に映る。


 そして、希望や未来、温かなもの……その一切合切を握り潰すかのように――








「ぁああああああああああああああああああっ」


 真夜中の寝室に悲鳴が木霊した。


 やわらかな布団を撥ね除けて、まるでバネが弾けるかのように起き上がったのは二十歳くらいの若い女だった。


 普通に見れば見目麗しい整った容姿の女性であったが、今は恐怖に彩られ悲痛に歪んでいる。本来はゆるくウェーブのかかった金の髪も、汗でべっとりと頬や首筋に張り付いていて無残な有様だ。


 荒い息づかいと、衣擦れの音だけが響く。


 と、そのとき、コンコンッと部屋の扉がノックされた。


「クラウディア様?」

「――ッ」


 心配そうな声音で自分の名を呼ぶ声に、この部屋の主――クラウディア・バレンバーグはビクリッと体を震わせる。


 が、直ぐに大きく息を吐くと、翡翠の瞳を潤ませている涙を袖で拭き取り、胸に手を置いて呼吸を整え返事をした。


「大丈夫ですよ、ウィン。少し夢見が悪かっただけなのです。騒がせてごめんなさい」


 努めて冷静で明るい声音を心がける。しかし、彼女の部屋の前で護衛を務める者からすれば、彼女が心配をかけまいとそうしていることは手に取るように分かった。


 なにせ、もう何年も続いていることだ。少なくとも週に一、二回。多いときは三、四回。クラウディアは夜中に悲鳴を上げて飛び起きる。


 原因は、周知の事実だ。故に、それが容易に解決し得ないことも、彼女を慕う者達は理解している。


 だから、〝せめて〟と、今夜の護衛を務める者は、いつも通り声をかける。


「よろしければ何か飲み物でもお持ちしましょうか? ちょうど、アンナが交代がてらハーブティーを入れてくれているので、クラウディア様もご一緒にどうでしょう?」


 きっと、そのハーブティーも、安眠を促す種類のハーブを使ったものに違いない。


 クラウディアは、護衛であり、仲間であり、そして家族同然の彼等の気遣いに、ほんわりと笑みを浮かべた。心を覆っていた寒々しさ、否定すべき感情が和らいでいく気がする。


「ちょうど喉が渇いていたのですよ。是非、お願い致します。ありがとう、ウィン」

「とんでもありません」


 それから、クラウディアは乱れた衣服を整え、髪や寝汗を軽く拭うと、ちょうどやって来たアンナと共にウィンを部屋へ招き入れた。


 ウィン――ウィン・キーマンは、金髪をオールバックにした細身の青年だ。年は二十八歳。珍しく灰色の瞳をしており、その面立ちは凜々しくキリッとしている。性格も真面目で、その美徳を重んずる在り方から、仲間には〝ナイト〟などと呼ばれたりもする。


 紅茶を入れてくれたアンナ――アンナ・フォークは、栗毛の三つ編みがトレードマークの女の子で、年齢は十五歳。髪と同じブラウンの瞳は、彼女の性格を表しているかのように、いつも快活に輝いている。


 しばらくの間、アンナを中心に、クラウディアとウィンが相槌を打つ形で雑談に興じる。


 温かい紅茶と、仲間との団欒に心が温まったのか、クラウディアの目元がとろんとしてきた。


 彼女はもともとたれ目のおっとりした目元が特徴的で、性格もルックスに反さずおっとり系お姉さんといった感じだ。口調までのんびり、おっとりしているものだから、そこに眠気がプラスされると、見た目と声の相乗効果で強力な睡眠促進の特殊能力が発動するとまで言われるくらいである。


 そんな彼女が目元をとろんとさせると、当然、もう誰が見ても「あ、眠いんだな」と分かる。


 もう一時間もすれば朝日が昇るだろう時間ではあるが、ウィンやアンナはクラウディアにもう一度眠るよう勧めた。見ていると護衛のウィン達まで眠気に誘われるからだ。地味に業務妨害なのである。


 クラウディアが、朝のお祈りの時間を考えるとこのまま起きていた方がいい気がするのですよ~と逡巡していると、不意に、ウィンの端末が着信を知らせる振動を伝えてきた。


 ウィンが着信相手を確認して通話状態にする。


「ウィンだ」

『……アジズです。任務完了。今から飛行機に乗ります』

「ご苦労だった。問題はなかったか?」

『……ないです』

「そうか。詳細は帰還後にしてもらうが、その様子だと例の遺跡と遺物は違ったようだな?」

『……はい。でも、危険です。データ、送りました。管理部に対応を』

「承知した。確認次第、伝えておこう」


 任務でとある国のとある企業へ情報を奪取しに行った仲間の無事を聞いて、ウィンだけでなくクラウディアとアンナが僅かに安堵の吐息を漏らす。


 ウィンが心なし穏やかな口調となって「他には何かあるか?」と尋ねた。すると、アジズと呼ばれた、まだ少年のような声音の男は僅かに躊躇うように口ごもった後、ポツリと零すように言った。


『……帰還者のデータ、ありました』

「! ……どの程度のものだ?」

『メンバーと家族構成。それから英国での詳細』


 ウィンは思わず唸った。


 前者の情報は、ウィン達もある程度揃えている情報だ。だが、後者については、当国の情報部による妨害で中々情報収集が進んでいないのが実情。


 当該企業がどうやって手に入れたのかは分からないが、おそらく企業特有のルートで仕入れたのだろうと当たりをつけつつ、望外の情報を得られたことに内心で歓喜する。


「アジズ、よくやった。早速こちらで精査する。彼等の力は、その真偽も含め底が知れない。帰還には十二分に注意しろ」

『承知です』


 それから、二、三の会話の後、ウィンは電話を切った。


「彼等の情報が手に入ったのですね……これが、良い未来に繋がっていることを祈りましょう」


 クラウディアが、特徴的なのんびりとした口調の中に切実さを含ませつつポツリと呟くように口にした。


 かの騒動から後、クラウディア達が欲してやまなかった情報。しかし、全力を注いでも全容がしれないどころか、接触すらできなかった。それどころか、大切な仲間に被害まで出る始末。


 なんらかの確実な手段が得られるまで接触禁止令が出た彼等の情報に、クラウディアは高揚する気持ちを抑えられなかった。


「ウィン。これは最重要案件なのですよ。得られた情報の扱いは、くれぐれも慎重にお願いしますね?」

「心得ています。直ちに長官に報告します。同時に、警戒レベルも上げておきましょう。彼等の手札はまるっきり分かりません。情報が流れているといつ知れるか。知られた後、我々まで辿られたら……」


 ウィンは頭を振った。かつて、接触を試みた際、仲間の身に起きたことを思い出したのだろう。アンナが同じように頭の痛そうな表情で続ける。


「あたし、もう嫌ですよ? 発展途上国で井戸掘りに精を出したり、傭兵に転職してテロリスト絶対殺すマンしてたり、どこぞの動物愛護団体に所属して捨て犬の飼い主捜しに奔走する仲間を正気に戻して連れ帰るお仕事なんて。私の方が発狂するかと思ったんですから」


 本当に嫌そうに、あるいは恐ろしそうに顔をしかめるアンナの言葉には、突然、いろんな意味でボランティア精神と正義感に溢れ出した当時の仲間を思い出して、クラウディアとウィンも遠い目になった。


 クラウディアはハーブティーを一口飲んで心を落ち着けると、「それでも」と憂い顔で口を開いた。


「最近、ますます〝奴等〟の動きが活発になっているのです。だからこそ私達は見極める必要があるのですよ。彼等が何者なのか。そして、彼等が私達と〝同じ〟であるのか。このタイミングで彼等の情報を得られたのは何か意味があるのかもしれないと、私は思うのですよ。それこそ……」


 ほんのり、クラウディアは微笑んで言った。


――主のお導きなのかもしれませんよ?


 と。


 そうかもしれませんね、と同じように微笑んで頷くウィンとアンナ。


 結局、その日は目が冴えてしまい、クラウディアは身支度を調えて、二人と共に今日のお役目を果たすべく活動を開始した。


 まさか、既に〝彼等〟の一人が動き始めているとは知らず。











 日本の、ごく普通の一軒家。住宅街であるから周囲には似通った一軒家が多くある。家の前に設けられた駐車場に並ぶ二台の自動車も、よく見かけるタイプのファミリーカーとコンパクトカーだ。


 特に特徴があるわけでもないので住宅街の風景に溶け込んでいるその家は、しかし、その住人に関しては少々特殊であった。


 正確には、その家の次男が。


 表札にかかっている姓は――遠藤。


 そう、帰還者の一人にして、仲間からは〝さりげなく人類最強格〟〝あいつ最近自動ドアが全く反応しないんですけどマジで〟〝てめぇ、ウサミミお姉さんの恋人いるくせに、なに金髪美少女にまで手ぇ出してんだぶっ殺すぞ〟等と称賛される男――遠藤浩介の家である。


 浩介は現在、二階にある自室にて、中学入学と同時に買ってもらったお気に入りのリュックに旅の荷物を詰めていた。


 特に几帳面な性格というわけではないので、着替えなどをたたむこともなく適当に放り込んでいく。


「え~と、こんなもんかな? 後は宝物庫でいいか」


 浩介は、独り言ちながら少し考える素振りを見せた。


 重要な荷物はハジメから譲られた宝物庫に入れればいいので本来はリュックも要らないのだが、海外に行くのに手ぶらというのは微妙だ。出入国の際、空港職員に胡乱な眼を向けられるのは間違いない。


 人前で欲しい物を出すときも宝物庫だと気を遣うので、リュックにある程度の物を入れておくのは必要なことだった。


「それにしてもバチカンか……まずはイタリアのローマに入ることになるけど、あの辺りは初めてだし、ちょっとドキドキするなぁ」


 いくつか忘れ物を思い出し、また適当にリュックへ放り込んでいく。


「海外に行っても言語の壁にぶつからないのは助かるけど……どうせなら観光で行きたかったな。……ラナと」


 ウサミミで美人で可愛らしい年上の恋人を想い、でれっと相好を崩す浩介。


 刹那、冷気を感じてぶるっと身震いする。分身体の視界共有能力の先で、単一色の瞳をジッと向けてくるエミリーちゃんの姿が……


「ごほんっ。さて! 支度も出来たし! 出発するか!」


 視界共有をカット! カット! カット! 俺は何も見なかった!


 正妻(本人曰く)であるラナ・ハウリアの「ボスの右腕たるこうくんにも、世界のどこかにいる七人くらいのお嫁さんが必要よ!」という考えのもと、一応、二番目のお嫁さんという立場に収まっているエミリーちゃんは、時々、とても病む。


 少し前に起きた事件――ベルセルク事件。


 幼い時から天才として研究一色の人生を歩んできた彼女が、意図せず生み出してしまった怪物にまつわるこの事件で、彼女は浩介に強い恋慕の情を抱いた。それも初めての。


 彼女の想いは強く、紛れもない本物。


 故に、初恋の相手である浩介にラナという恋人がいることが判明した後も結局諦めることはできず、ラナ本人が歓迎していること、護衛のために浩介の分身体が同棲してくれていてグラント家ごと交流を深めていることもあって、彼女の想いは日々深く強く育っている。


 比例して、病むレベルも上がっているのだ。


 自称、三番目の嫁もいるし、もしかして本当に七人も……と、想像もしていなかった自分の未来を少し思って、浩介は僅かにぶるりっと震えた。


 某魔王のように上手くやっていく自信など全くない。


 その某魔王からは「お前、分身できるんだから、むしろ俺より大丈夫だろ」と、カラカラと笑われながら言われたのだが。


 浩介は思った。あの野郎、恋愛関係の相談事じゃあ全く当てにならねぇ、と。


「さて、飛行機の時間もあるし、そろそろ行くか」


 リュックを背負い部屋を出る。と、その瞬間、


「わっ!? こうにぃ、いたの!?」


 細身の小柄な女の子が驚きもあらわにぴょんと跳ねた。


「いたよ。朝からずっといたよ。さっき一緒に飯食っただろ」

「? そうだったかな? ま、いいや」


 慣れた様子で会話を切り上げた小柄な女の子――遠藤真実(まなみ)。眼鏡をかけ、おさげがデフォルトの浩介の妹だ。年は十三。中学一年の文芸部員である。


 地味な印象ながら、ハキハキとしゃべる快活な少女だ。


「っていうか、こうにぃ。なにその荷物」

「ああ、ちょっと今からイタリアに行って来ようと思って」

「ああ、そうなんだ。イタリアに――ってなんで!? なんでイタリア!? そんなちょっとコンビニ行って来るみたいなノリで遠すぎない!? 急過ぎない!?」


 見事なツッコミを入れつつ、ずれた眼鏡を直す真実ちゃん。


 と、そこへ近くの部屋の扉を開けて、ひょっこりと眼鏡の青年が顔を出した。


「真実? なに一人で騒いでんだ?」

「一人じゃねぇよ。俺がいるだろ。ぶっ飛ばすぞ、兄貴」


 あ、いたのか……みたいな顔をしているのは遠藤宗介(そうすけ)。今年成人を迎えた浩介の兄だ。法学部に所属する大学生である。


 家族旅行などに行くと、よく遠藤家は二人兄妹だと思われることがあるのだが、それはきっとこの眼鏡のせいに違いないと浩介は思っている。


 試しに百均で買った伊達眼鏡を付けてみたことがあるが、いつもより周囲の認識率が高かったような気がしないでもない。妹から破滅的に似合わないと大笑いされて以来つけるのを止めたが。


 妹と兄が「こうにぃ、イタリア行くんだって!」「え? いつ?」「今から!」「はぁ!? ちょっとコンビニ行って来る! みたいなノリで遠すぎないか!? 急過ぎないか!?」と、デジャビュなやり取りしているのを耳にしつつ、浩介はリビングへと降りた。


「父さん、ちょっといい?」

「ふ~ふん♪ ふふ~ん♪」


 リビングの床に釣り竿一式を並べて、機嫌良さそうに手入れをしている中年の男――遠藤英和(ひでかず)。御年四十九歳。市役所の住民課に勤める父親だ。ちなみに、趣味は釣りで、某ギャグにされまくっている色黒俳優な○夫さんばりに日焼けしている。


 辰○さん――ではなく英和は、息子の呼びかけにも気が付かない様子でせっせと竿の手入れを続けている。


 いつものことなので、浩介は父親の肩を揺さぶって再度声をかけた。


「おぉう!? なんだ――って、浩介か。どうした、そんな荷物背負って。出かけるのか?」


 ビクンッと震えつつも、傍らに立っている息子の姿を見て、英和は何事もなかったかのように首を傾げた。


 浩介も慣れた様子で特に何も言わず、そのまま言葉を続ける。


「うん。ちょっとイタリアまで行って来るから、空港まで車出して欲しいんだけど」

「ああ、イタリアまでな。分かった分かった。ちょっと待って――って、本当に待って!? イタリア!? イタリアってあのピザが美味しい国の!? ちょっとコンビニ行って来るみたいなノリで遠すぎないか!?」


 一番長く乗ってくれたが、ツッコミの内容はデジャビュだった。


 英和の声を聞きつけて、ダイニングのテーブルで家計簿とにらめっこしていた浩介の母――遠藤実里(みさと)がバッと顔を上げる。


「ちょっと、あなた。いきなり大きな声出さないでよ。計算間違えたじゃない。イタリアとかピザとか……ダメよ、ピザなんて。Mサイズでも二千円以上するのよ? 最近は一枚買ったらもう一枚タダってところも多いけど、それでも何でもない日にそんな贅沢は許しません!」


 シャープな眼鏡をクイッと上げながら断固却下を示す実里お母さん(四十九歳)。市役所の市民税課に勤めている。彼女はお金には厳しい。


「違うよ、実里。浩介がね、今からイタリアに行くって言うんだ」

「え? 浩介が? っていうか、イタリア!? 今から!? なに近所のコンビニに行って来るみたいなノリで言ってるの!? 急過ぎるでしょ!?」


 遠藤家は、コンビニに並々ならぬ関心があるのかもしれない。


 その辺りで宗介と真実もリビングに下りて来た。家族揃って、浩介にどういうことかと問い詰める。


 よく忘れられる浩介だが、家族愛は本物だ。たとえ、ふらりと遠出することが度々あって慣れつつあっても、一度は行方不明になってしまったのだ。どうしても心配はしてしまう。


 浩介は苦笑いしつつ、魔王――もとい、ハジメの依頼でちょっとした調査をしに行くのだと説明した。例の如く、既に依頼料はある程度、否、庶民感覚の浩介からするとドン引きするレベルの額が振り込まれているので渡航費用も心配ない旨を伝える。


「ぬぅ、また南雲先輩なんだ……」


 真実が何やら微妙な表情で微妙な唸り声を上げる。彼女的に、魔王ハジメは不倶戴天の敵なのだ。


 何故か。


 少し話は変わるが、天之河光輝には妹がいる。彼女は幼い頃から雫と接している。とても慕っている。


 つまり、ソウルシスターである。


 そして、彼女は真実と同い年で、同じ学校に通っている友達だ。


 つまり、ソウルシスターである。


 ただ、真実が何故、某後輩ちゃんのようにあからさまな敵意を見せず微妙な表情なのかというと、その某後輩ちゃんが魔王ハジメに突貫し、さんざん可愛がられてポイ捨てされたり、縛られたりしている光景を何度か目撃していたからだ。


 ……ちょっとドキドキしてしまったのは秘密である。遠藤家の真実ちゃんは、某駄竜さんと同じ素質があるのかもしれない。


 英和も、真実と同じように微妙な表情で口を開いた。


「……その、大丈夫なのか? この前も、英国で大変だったんだろう?」

「うん、まぁ、大変だったけど。あの時の南雲からの依頼は俺達に手を出そうとしているオカルト組織の壊滅で、ベルセルク事件の方は俺が自分で決めて首を突っ込んだからさ、大変だったのは自業自得だよ」

「でもなぁ。……父さん、南雲くんには感謝しているんだが……いくら彼の依頼でも……浩介、せっかく無事に帰ってきたのに、ちょっと危ないことに関わりすぎじゃないか?」


 父親として、当然と言えば当然の意見だ。言葉はなくとも、実里も同じことを思っているのは表情を見れば分かる。


 浩介は、心配してくれる両親に少し表情を緩めつつも、しかし、断固とした口調で言った。


「確かにさ、やっと帰って来て、将来の目標もできて、なのに何やってんだって思うよ。でもさ、俺はトータスで学んだから。――理不尽は、俺達の都合なんて考えちゃくれないって。自分の都合を押し通したいなら引いちゃいけないんだってことをさ」

「浩介……」


 自分の息子ながら、「なぜ?」と不憫に思うほど存在感の薄い目立たない浩介を、英和も実里も、いつも心配はしていた。


 自分達家族ですら時々意識の外に置いてしまうのだ。一時は何か呪いのようなものでもかかっているのではと、お祓いを受けさせたことだってある。藁にも縋るような思いで。


 だが、今の思わず息を呑むほど強い眼差しで自分達を見据える息子の姿を見ると、あるいは、もう既に、浩介は親離れしているのだと思わされる。


 否、本当は、帰って来たときから分かっていた。


 異世界での壮絶な経験が、息子を大人にしてしまったのだということを。既に、自分達の手が及ばなくても、浩介は一人で、あるいは仲間と、なんでもやり遂げてしまうのだろうと。


 どこか、しんみりした雰囲気の英和と実里。そして、兄が遠くに行ってしまったようでちょっぴり寂しそうな表情の真実が何となく口を噤んでしまい静かになったリビングで、しかし、長男が「ケッ」と若干やさぐれた感じで静寂を破った。


「別に浩介がどこで何をしようがどうでもいいだろう。どうせまた、美少女か美女をたらし込んでくるんだろしな!」

「あ、兄貴? なんか、やさぐれてない?」

「うっせぇよ! お前に兄ちゃんの気持ちが分かんのか!? 超絶美人な本物バニーガールお姉さんの恋人を弟に紹介されたときの気持ちが! しかもこの野郎! 紹介した数ヶ月後に、今度は年下の金髪美少女と現役捜査官のクール系美女だと!? ハーレムか!? ハーレムなんですか、この野郎!」

「い、いや、エミリーとヴァネッサは、まだそういうんじゃ……」

「まだ! まだと来ましたよ、こんちくしょうめっ。どうせ今回だって、ラナさんの言う通り、世界のどこかにいる七人の嫁の誰かをゲットしちゃうんだろう!? 兄ちゃん、心の準備しとかないと精神崩壊しそうだから、半年くらい帰国しなくていいぞ!」


 今にも、嫉妬で血の涙を流しそうな眼鏡大学生の宗介兄さん。


 浩介とラナの頼みで、ハジメは何度か前の〝開門〟時にラナを呼び寄せている。


 浩介の家族との邂逅に向けて、ハウリア流奥義〝ザ・日本的普通の言動〟を死に物狂いで身につけたラナは、無事に遠藤一家に次男の婚約者として受け入れられたのだが……


 端的に言って、ラナは美人である。八頭身を地で行くスタイルに、立派な双丘を抱え、美人系の顔立ちながら茶目っ気も含んだ可愛らしさがあり、そしてピコピコと動くウサミミとウサシッポ。


 年は二十二歳なので、宗介から見ても〝ウサミミお姉さん〟である。


 そんな彼女が、ハウリアの性質(厨二病)を抑えて、静々と大和撫子のような雰囲気と言動で挨拶したのだ。


 当然、


「彼女いない歴=年齢。そうにぃ嫉妬乙」

「うるさいぞ、妹!」

「先週もサークルの先輩に告白して玉砕。かなしみ~」

「なんで知ってる!?」


 という感じに、宗介兄さんは嫉妬と悲しみに暮れているのである。


 もちろん、弟が壮絶な経験の果てに、そういう状況になったことは理解している。祝福の気持ちはちゃんとある。


 だが、だがしかし、だ。


 ウサミミお姉さんな恋人だけなら、まだしも、だ。


 弟は、あろうことか、更に金髪美少女とクール系美女まで連れてきやがった挙句、その二人はウサミミお姉さんも認める二番目、三番目の嫁なのだという。


 ちょっとおかしなクール系美女はともかく、金髪美少女の健気で一生懸命な「こうすけが好きです!」アピールと、家族にも受け入れて欲しいアピール……


 必死に勉強したのであろう、未だたどたどしい片言な日本語で必死にアピールし、途中からあたふたと身振り手振りも加え、しかし、言いたいことが中々伝わらないと感じたのか涙目になりながら~というのも、宗介兄さん的にドストライクだった。


 当然、その努力の動力源は、全ては弟たる浩介への想いの深さ故だが。


 そんなわけで、彼女ができない大学生の嘘偽りない気持ちとして、「どっちくしょぉおおおおっ、死ぬほど羨ましいんだよぉおおおおっ」というわけなのである。


 ちなみに、英和や実里などは、複数の恋人など受け入れ難いごく普通の日本的な感性の持ち主であるから、ラナを至極気に入っていたこともあり、エミリー(+ヴァネッサ)の存在は難色を示すだろうと思われたのだが……


 あたふたと必死に一生懸命アピールする姿には二人をして胸キュンしたらしく、最終的には受け入れちゃったりしている。


 もちろん、真実も受け入れている。本好き、ラノベ好きな若干オタクが入っていなくもない真実的に、実の兄のリアルハーレムはワクテカの対象らしい。


 特に、現役国家保安局捜査官であるヴァネッサには懐いている。シンパシーと憧れを感じるらしい。


 こそこそとヴァネッサが耳打ちする度に、何故か瞳をキラッキラと輝かせる妹の姿に、浩介はそこはかとない不安を感じていた。もし、妹に駄ネッサの悪影響が出たら……〝村人の誇りに賭けて〟の使用も辞さない覚悟である。


 閑話休題。


 浩介は、兄と妹のやり取りに苦笑いしつつ、再度、英和に視線を向けた。


「まぁ、とにかく、南雲が全部片付けてくれるならそれでもいいんだけど、あいつが〝やってくれ〟って言うなら、しかもそれが俺や仲間に関わることなら俺は動かなきゃ」


 如何にも、しょうがないという素振りの浩介だが、その表情にはどこか誇らしさと自信が窺えた。


――魔王の右腕


 誰が言い出したのかは分からないが、仲間が浩介につけた称号の一つだ。あの南雲ハジメが嫁~ズ以外で最も頼りにする男で、実際、どんな状況でもいつの間にか結果を叩き出すが故に。


 仲間からの信頼と、己が出した実績が浩介に誇りと自信を与えている。その顔は間違いなく、子供のそれではなく一端の男の顔だった。


 小さな声で真実が「そうにぃも、こういう顔ができたら彼女の一人もできるのにねぇ」と呟き、「聞こえてるぞ。……しゃ、社会人になれば俺だって」などと宗介が呟いているのを尻目に、英和と実里は顔を見合わせて苦笑いを浮かべ合うと、互いに頷き合った。


「分かった。空港だな。直ぐに出そう。飛行機はもう取ったのか?」

「ネットで取ったよ。あと三時間あるから、直ぐに出れば間に合う」


 釣り竿一式を片付けながら尋ねた英和に、浩介は礼を言いつつ答えた。


「それならせっかくだし、お母さんも見送りに行くわ」

「あ、なら私も! こうにぃだけイタリア旅行に行くんだから、私達も帰りにどっか寄っていこうよ!」

「浩介。哀れな兄ちゃんに小遣いくれ」


 早速支度を始める実里と真実。そして、遂にプライドを捨てて小遣いをせびりにきた宗介兄さん。


 一応、魔王からの依頼で稼いだお金のいくらかは家に入れているので無視する。


 そうして、支度を終えた遠藤一家がローンの残っているファミリーカーに揃って乗り込むと……


 キュルキュルキュルキュルッ


「あれ? おかしいな……」


 エンジンがかからない遠藤ファミリーカー。宗介兄さんが半眼になって言う。


「バッテリー上がっちゃってんじゃないの? 昨日の夜釣りでライトとか暖房とかかなり使ってたし」

「う~ん、大丈夫だと思うんだけどなぁ」


 何度回してもかからないエンジン。英和は車から降りてボンネットを開く。一緒に降りてきた真実が耳を突く音にふと視線を上げてギョッとする。


 カァッ! カァッ! カァッ!


「ちょっ、なんかカラスの数多くない? 怖いんですけど……」

「うわっ、気持ち悪っ」


 宗介も同じように見上げれば、そこにはおびただしい数のカラスが飛び交っていた。曇りでもなければ、まだ夕方にもなっていないのに、どことなく空も薄暗い。


「ねぇ、あなた。私の車から充電してみたら?」

「そうだな……。ちょっと待っててくれ。今、ケーブル持ってくる」


 英和が遠藤ファミリーカーの後ろに回って工具箱を取り出そうとする。と、そこへ横切る……


 ニャァ~~


「……黒猫」


 黒猫さんは、遠藤パパをジッと見た後、もう一鳴きしてから走り去った。


「なぁ、もう、母さんの車で行けばよくない? ちょっと狭いかもだけど、帰りは俺がいないわけだし」


 浩介が努めて冷静を心がけながら早く出発しようと提案する。


 それもそうだな、と英和は実里を見やった。実里が頷き、自分のコンパクトカーのドアに手をかける。そして、


「あら? やだっ、空気抜けてるじゃない!」


 見れば、前輪の一つがぺったんこになっていた。どうやら何かを踏んで昨夜の内に空気が抜けてしまったらしい。


「えぇ……ちょっと待って。なんでこのタイミングで移動手段が全滅して――」


 してるんだよ! と言いたかったのだろう。浩介は。


 しかし、その言葉は遮られた。


 バツンッという音に。


 全員の視線が音の発生源――浩介の足下へ向く。


 見事に切れていた。靴紐が。両方とも。


「「「「「……」」」」」


――カァッ! カァッ! カァッ!

――ニャァ~~


 真実が、割とマジな表情で浩介に言った。


「……こうにぃ。死ぬんじゃない?」


 このまま出発したら。


 浩介のこめかみを冷たい汗が流れ落ちた。


 英和も実里も、そして宗介も、「やっぱり止めとけ!」と言いたげな表情を向ける。


 浩介は無言で宝物庫を光らせる。出てきたのは予備の靴。今度は紐タイプではなく、ベルトタイプの靴だ。


「なぁ、浩介――」

「言わないでくれ、父さん。理不尽とは、戦わなくちゃいけないんだ!」


――カァッ! カァッ! カァッ!

――ニャァ~~

――グルルルルルッ


 いや、これもう理不尽とかそういう話じゃなくて……


 と、言いたげな家族を置いて、キリッとした表情の浩介は実里のママチャリに跨がった。


 そして、


「それじゃあ、行ってきます!」


 ウィリーする勢いでママチャリダッシュを決めた浩介は、無数のカラスと黒猫と、いつの間にか現れた野犬に咆えられつつ、妙にねっとりした風に吹かれながら去って行った。


 おそらく、途中で認識されない影の薄さを利用して〝E・T〟したりしながら爆走するだろうから、自動車じゃなくてもギリギリ間に合うのだろうけども。


「こうにぃ、大丈夫かなぁ」


 不吉すぎる旅を、ママチャリで始めるヒーロー……


 真実の不安そうな声に、英和も実里も宗介も同意するように頷くのだった。


いつもお読み頂ありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告ありがとうございます。


アビィ編バチカンの章の始まりです。

とはいえ、正直前回ほどがっつりは書ける自信はない…

なので、アフターの中の長編という形で、10話くらいのお話で書かせていただこうと思います。

よろしくお願いします!


PS(1月15日追記)

悲しみの活動報告をアップしました。

アニメ延期に関するお知らせです。

よろしければご確認ください。

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― 新着の感想 ―
不吉がすぎる!
性格も含め変身ヒーローっぽいよねーこの人……
何処かの先生っぽく「こ~の、バチカンがぁっ!」
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