第557話 山積みな課題と母親
ここ十年の月日の中で、最も短い間隔で訪れたハトハラーの村は以前と変わらず、村人達が穏やかに生活を営んでいた。
この十年、俺がここに帰ってくることは年に一度あるかないかだったのに、こんな風に数ヶ月も経たずにもう一度訪れたことに何かを感じつつも、特に突っ込まずにただ「お帰り」と言ってくれる人々の優しさはまさにここが俺の故郷であるのだなと感じさせる。
「……これで二度目になるが、何度訪れてもよい村だな。ハトハラーは」
転移魔法陣を使い、ゆっくり歩けば村から歩いて半日近くかかる位置に存在する古い時代の砦から森の中を休みなく進んできたのにもかかわらず、さして息も上がることなくロレーヌがしみじみとそう言った。
やはり、冒険者というものは男女問わず元々の体力が尋常ではなく高いものであるとこういうところでも理解させられる。
ロレーヌは魔術によって身体強化をしているから余計に疲労などほとんどないというのもあるが、それをせずともこれくらいの距離を歩けなければ冒険者などやっていられない。
「俺もそう思うよ。いっそ、もっと村の近くに転移魔法陣を置きたいくらいなんだけどな。そうすれば気軽にここに帰ってこられる」
半ばくらいは本気で言った台詞だが、それが無理な相談であることは分かっている。
理由は二つある。
それをロレーヌが口にする。
「転移魔法陣を作り出せる魔道具がもう一組しか持っていないからな……もったいないと言うのはあれだが、一週間かかる道のりがすでに半日かければ来れる程度になっているのだ。やめておくべきだろう……それに、あんまりこの村の近くに転移魔法陣を作ってしまうと怖いからな。あれは結局のところ、この村の人間であれば誰でも稼働させられてしまうという話なわけだし……」
「そうだよなぁ……間違えて乗って、気づけば《善王フェルトの地下都市》なんていう迷宮だった、なんてことになったら……普通の村人がまともに対応できるとは思えない。親父やガルブ、それにカピタン以外はそういうことを知らないんだからな……」
「そういうことだな。ま、それでもできるだけ早くここに帰ってきたい、というのであれば、別の方法を考えた方が建設的かもしれんな」
「別の方法?」
「そうだ。たとえば、お前の親父殿のリンドブルムを使役できるようになる、とかな」
「なるほど、それなら早く着けそうだな……別にあそこまで大物でなくても、普通の飛竜でもいいわけだし」
マルトから砦までは転移魔法陣で転移して、そこからは飛竜でひとっ飛び、という方法を採れるようになればマルトから一時間ほどでここに帰ってくることが出来るようになる。
検討すべきかもしれなかった。
それに、黒王虎の背に乗りながら思ったが、やはりああいう《足》があると便利だからな……。
従魔師というのは自分の代わりに、もしくは共に戦う為に魔物を従えるものだが、俺としては移動手段確保のためにその技能を得られないかと本気で検討したくなった。
義理とは言え、父親なのだし……ちゃんと頼めば教えてくれるんじゃないかな?
と思わないでもない。
「……おっと、着いたな」
今まで俺たちは歩きながら話していたわけだが、ロレーヌが立ち止まり、そう言った。
目の前にあるのは懐かしき……というほどでもないが、我が実家である。
家の前では、義理の母であるジルダ・ファイナが薪を両手に抱えつつ、肩で扉を開けようとしていた。
俺は義母の方へと走り、扉に手を添えてやる
「……あら、これはご親切に……って、レント!? それに……ロレーヌさんも!」
誰か他の村の人間が手を貸してくれたと思ったのだろう。
顔を上げたジルダは、俺の顔をそこに認めて驚いてそう叫んだ。
さらに少し遠くにロレーヌの姿も認めて再度驚いたようである。
当たり前だ。
ハトハラーの村はそんな気軽に何度も帰ってこられるような場所ではないのである。
まさかこんなに短い間隔で帰ってくるとは思ってもみなかったのだろう。
しかし、それでもジルダは迷惑そうな顔などせずに歓迎の微笑みを向けてくれた。
「よく帰ってきたわねぇ……。前のときは慌ただしくいなくなっちゃったから、気になってたのよ。あの人に聞いても『……大丈夫だ』の一点張りだし……」
あの人、とはつまり俺の義父であるインゴのことだな。
以前はインゴに送られてマルトに戻り、それっきりだったから……。
落ち着いたら報告に戻ろうと思っていたが中々立て込んでてその機会を得られなかった。 その結果、インゴは妻に対する説明に色々窮していたらしい。
……実に申し訳ない話だった。
元々そういう言い訳とか説明が得意なタイプではないからな……。
村長という役職にいるのだからそういうことはうまく出来るべきだと思うが、ハトハラーほどの田舎となると腹芸を披露する機会などほとんどないものだ。
あってもガルブやカピタンが適度に補佐してなんとかするだろうし、義父に要求されているのは村をまとめることが大半だ、ということだろう。
妻の詰問に言葉を詰まらせても責めることは出来ない。
「……まぁ、実際大丈夫だったからな。今日はとりあえず、色々落ち着いたから改めて親父と話しに来たんだよ。それと、俺、今度、銀級昇格試験を受けることになってさ。今の実力じゃ、ちょっと心許ないからガルブとカピタンに鍛え直してもらおうと思って」
「銀級ですって!? レント、すごいじゃない! 少し前までずっと銅級で足踏みしていたって言うのに……」
目を見開いて驚き、喜んでくれるジルダであるが、そんな彼女に魔物になったお陰なんです、とは言いにくい。
とりあえず話を逸らす。
「冒険者って言うのは一気に殻が剥けることもあるもんなんだよ……」
「そうなの? もしかして、それって、ロレーヌさんのお陰だったりするかしら?」
ジルダは突然ロレーヌの方を見て小さな声で俺の耳に囁く。
「……どういう意味だよ……?」
「どういう意味って……ほら、ねぇ? あっ、もしかして今日は婚約の挨拶とか……?」
「違う、違う! それよりほら、とりあえず中に入ろう」
このまま続けさせると余計なことを色々口走りそうな母を扉の中に押し込み、俺はその場でため息を吐く。
ロレーヌが近づいてきて、
「……どうした?」
と尋ねてきたので、
「……母親って奴は、どんなところでも似たようなもんだなって思ったんだよ」
「……? よく分からんが……」
「わかんなくていいさ……ともかく、俺たちも中に入ろうか」
「あ、ああ……」