閑話 その頃の弟子たち2《十九》
「……だから、ディーグを商会の主にするためよ」
リナの言葉に女はそう答える。
ただし、その表情は何かを隠しているかのようで、すべてを話していないというのが分かる。
女も演技が出来ないという訳ではないのだろうが、完全な状態ならともかく、体を地面に縫い付けられ、まともに動かせるのはせいぜい表情くらいとくれば平静でいられないのだろう。
焦りが顔にどうしても出てしまっている。
その証拠に、
「……それもまた、嘘ではないのでしょうけど、どちらかと言えば手段ですよね?」
リナが詰めるように圧力をかけてそう尋ねれば、女は諦めたように話し出した。
「……そうよ! あんたも吸血鬼なら分かってるでしょう? 私たちがどれだけ生きにくいかを……だから私は……」
リナやレント、それに加えてイザークたちのように人間社会で何食わぬ顔をして生きることは、吸血鬼にとって簡単なことではない。
普通はすぐに見つかり、そして退治されるものだ。
通常の魔物よりもずっと念入りに排除されるのは、吸血鬼という存在の危険性による。
それこそ、人とほとんど変わらない容姿を持ち、放っておけば首筋に噛みついて数を増やしていく。
加えて主食は人間であり、寿命は永遠に等しいとくればこれを放っておいて良いと考える人間はどこか頭がおかしいだろう。
しかしそのことは吸血鬼の側から見ればどんな場所にいても極めて生きにくいことを意味する。
それこそ、ひっそりと人を襲わずに、誰か適当な協力者を頼んで生きていこうとしても吸血鬼狩りがやってきて襲いかかってくる訳だ。
勘弁してくれ、と思わない吸血鬼はいないだろう。
加えて、今、首だけになっている女にはさらに問題がある。
リナはそれについて指摘する。
「……貴女、“はぐれ”ですね?」
「“はぐれ”……?」
リナの質問に、意味が分からない、と不思議そうな顔をする女。
これではっきりした。
この女はいわゆる“はぐれ吸血鬼”なのだということが。
もっと言うなら、リナはそれをもっと前から予測していた。
ガスターがリナに操られていることを察知できなかった時点で、それはほとんど確信に変わっていた。
なぜなら、吸血鬼の僕というのには一種の印があるからだ。
同族にしか分からない、特別な印である。
加えて、有名な吸血鬼ともなるとその者や"群れ”とか“家族”と言われる集団固有のものまで存在している。
リナは、イザークよりラトゥール家……というか、ラウラを頂点とする“群れ”の印とその付け方を教えられ、使う許可を得ていた。
イザークにラウラが眠っているのにいいのか、と聞けばイザークはそれを使う許可を与える権限をラウラより預かっている、と説明した。
それに、レントやリナにそれを使う許可を与えることに否とは言わないだろうとも。
といっても、それなりに練習や修行が必要で、レントはそれを学んでいないが、リナには色々とたたき込むついでにと教えられたのだった。
それをリナはガスターにつけていた。
にもかかわらず、この首だけの女は何も気づかなかった。
そういうことがあることはイザークから聞いていた。
それはその吸血鬼が“はぐれ”である場合である。
“はぐれ”というのは……。
「吸血鬼の間で言うところの“はぐれ”とは、所属する“群れ”や“家族”などと呼ばれる集団を持たない吸血鬼のことです。気まぐれに吸血鬼が“子”を作り、しかし“親”としての義務を果たさずに放置した場合などに発生します。ただし、ほとんどが長生きできません。なぜなら吸血鬼が身につけるべき技能を何も知らずに、自ら手探りで全てを学んでいかなければならないからです……」
「……確かに、私にはそんなものいないわ。だから何だって言うのよ……」
少しばかり悲しそうな顔で女は口を尖らせる。
リナは続けた。
「だから、ディーグさんを操り、商会の主にして、そこを隠れ蓑に生活をしようと考えた。そういうことでいいですか?」
そんなに複雑な事情ではない。
つまり、女は自分の居場所を確保するために今回のことを起こした、というわけだ。
ディーグだった必然性は特になかっただろう。
隠れ蓑に出来る力を持つような存在であれば誰でも良かったはずだ。
たまたまディーグは操りやすかった……そういうことだろう。
女はリナの指摘に力なく頷き、
「……そうよ。それの何が悪いの……そうしなきゃ、生きられないのよ……もう逃げ回るのには疲れたわ……どこに行っても、静かに生活してても、最後には……」
この女にもそれなりの苦労の歴史があったらしい。
しかしだからと言って今回のようなことをするのが許されるわけでもない。
この女からすれば、他にやりようもなかったのだろうが……。
リナは改めて、魔物、という存在がいかに人の世で生きるのが厳しいのか突きつけられた気がした。
分かっているつもりだったが、そこまで身にしみては理解していなかったのかもしれない。
何せ、リナは初めから庇護してくれる存在がいたからだ。
場合によっては、この女のようになっていた可能性もある。
レントもそうだろう。
運の問題だ。
少しばかりの同情も湧かないでもない。
さて、それではどうするか……。
「まぁ、話は分かりました。もう聞きたいこともありませんし……」
そこで言葉を切ったが、その先に続く言葉を想像したのだろう。
女は怯えた様子で、
「ま、待って! 殺さないで! 死にたくない……死にたくない!」
そう涙ながらに叫ぶ。
首だけで叫ぶ、なんて一体どういう仕組みなんだろうか、と場違いなことを考えつつ、どうしようかとリナは考えた。
一番簡単なのはここでやってしまうことだろうが、そうすると吸血鬼がここにいた証拠がなくなってしまう。
吸血鬼の死は存在の消滅だからだ。
殺さずに、支配するか……。
そこまで考えたとき、
「……お困りですか?」
リナの背後に突然、新しい気配が出現した。