第405話 塔と学院、杖の話
「……あの王杖は、真実の国王が所有している場合に限り、このヤーランの国土に存在する邪気を弱める効果を持っているのです。迷宮内部やその周辺には強い効果は及びませんし、王都から離れるにつれ弱まっていきますが、それでも……」
王女殿下はさらりと言ったが、これは驚くべき効果なのではないだろうか。
邪気を弱める、というのが具体的にどういう意味なのかにもよるが……。
ロレーヌも研究者として気になったのだろう。
単刀直入に尋ねる。
「邪気を弱める、とおっしゃいましたが、その言葉は多分に多義的です。魔物を弱めるという意味に捉えることも出来ますし、病の気や毒を払う、という意味もあるでしょう。また、ただ単に空気を清浄にする、という意味合いでも使うことがありますので……具体的にはどのような効果があるのか、お聞きしても?」
その言葉に王女殿下は頷き、言う。
「そうですね……主には、ある程度、不死系統の魔物について、その発生を抑え、また、その能力を低下させる効果を持っていると言われています。もちろん、しっかりと埋葬した場合に限られますが……。その辺りに死体を放置した場合まではどうにもなりません。ただ、迷宮やその周辺には効果が及ばないようです。しかし、そういう事情ですから、王都周辺の墓地ではまず、骨人などが発生することはありません。王都から離れれば多少発生することもありますが、概ね、あまり強力な不死者はヤーランでは生まれにくい状況にあります。こんなところでいかがでしょうか?」
「……いえ、よくわかりました。しかし、王杖にそのような効果が……言われてみますと、確かにこの辺りではあまり骨人は見ませんね……」
もちろん、マルト周辺では見るが、あそこはまさに辺境だからな。
王杖の力が及ばないほどど田舎だと言う訳だ。
しかし、杖にも田舎認定されてるとか折ってやりたくなるな……したら捕まるだけでは済みそうにないからやらないが。
「それが、王杖の効果ですから。ですが、どんな道具でも何の代償もなく、効果の出せるものはありません。水車を動かすには水の流れる力が必要ですし、魔道具を使うには魔力が必要です。そして王杖の場合、それは国王陛下ご自身の、生命力なのです……」
「……それは、また物騒な……」
そう呻くように言ったのは、オーグリーだ。
そう言いたくなる気持ちも分かる。
国を守るのに国王の生命を代償にしている、と考えれば確かに効果と見合っていると言えるかもしれないが、それはほとんど呪いの品ではないか、という気がしてくる。
しかしこれに王女殿下は首を横に振りながら言う。
「いえ、元々はそれほどの代償を欲するものではなく、せいぜいが、使用した後、一時間ほど疲労する、というくらいのものでした。しかし今では陛下のお命を際限なく啜る危険な道具になってしまっているのです」
「なぜ、そのようなことに?」
ロレーヌが理由を尋ねる。
「宮廷魔術師の解析によれば、杖に負担がかかりすぎているのだと。王杖は長年に亘る酷使によって、劣化が激しいそうです。わたくしは実際に目の前で見ましたが、確かに至る所に罅が入っておりました」
「……おそらくは、力を効果に変換する効率が酷く悪いのでしょうね。簡単な魔道具でしたら、私も作ることがありますが、やはりそのような単純なものでも数年、手入れもせずに酷使すれば罅が入り、作った私自身でも驚くほどの魔力を持っていかれてしまうこともあります。王杖もそのような状況にあるのでしょう」
「ええ。ですが、陛下は杖に力を注ぐことをやめようとはなさいません。それをやめれば、ヤーラン各地で悲劇が起こってしまうから、と。確かに、王杖の効果がなくなれば、不死系統の魔物の能力は上昇し、またその発生率も増加するのは間違いないでしょう。しかし、それでも各地に騎士団や冒険者組合があるのですし、その影響をある程度抑え込むことは可能だと、杖を手放すように多くの臣下が進言したのですが……」
それは聞き入れられなかったようだ。
王女殿下は残念そうに首を振った。
実際のところ、国王陛下が杖を手放し、不死者の発生率が上がり、また多少強くなったとしてどうなるのかと言えば……確かにちょっと厳しいかもしれないな。
なんだかんだ、ヤーランが平和だったのは、街道近くに出現する魔物が少なかったというのも大きい。
街道近くと言うのはどの国でも不死系統の魔物が発生しやすいところだ。
そこでガンガン人が死んでいるからな。
人のみならず、動物も、魔物もだ。
それらの発生率をどの程度か分からないが抑えていたとなると……それがなくなったとき、どうなるかは想像に難くない。
街道での人死にが増えるし、結果として流通も弱くなるだろう。
多くの護衛が必要になり、経済にも大きな影響が出てくると思われる。
簡単にやめてしまえ、とは言えないな。
俺たちみたいな冒険者にとっては稼ぎ時到来、という感じだが、沢山の犠牲者を増やしてまでそうなってくれとは俺は思わない。
国王や貴族たちも必ずしも犠牲者を増やしたいとは思っていないだろうが、しかし国王の命の方がまずは大事だとは思っているからこそ、杖の使用をやめろと進言したのだろう。
ただ、国王自身がかなり高潔な人物なのかもしれない。
それか、他に理由があるのかは分からないが、とにかく杖は使い続けている、と。
「……しかし、それでも、失礼ながらあと一年ほどのお命となりますと……何か対策が必要なのではありませんか?」
あまりはっきりと死んだ後のことも考えてくれよ、などと言えば不敬罪で捕まるので、なんとなくぼやかして言ってみた。
これでもアウトかも知れないが、王女殿下は不敬だとは言わず、しかし俺の質問の意図とは違った捉え方をして、答える。
「ええ、その通りです。ですから、私は……あのとき古貴聖樹国へと向かったのです」