第394話 塔と学院、リリアンのこと
「……すまないが」
そう言って、ロレーヌは近くを通った東天教の僧侶と思しき女性に話しかける。
目的の人物、エルザ僧正を呼んできてもらうためだ。
まぁ、本人に渡しておいてくれ、と手紙を手渡すのが一番簡単なのだろうが、これは曲がりなりにも依頼である。
本人に、しっかりと手紙が渡った、と言える状態にまで持って行かなければ、冒険者として失格だろう。
それを考えると、誰かに渡して放置というのはあまりよろしくない。
「はい……どのようなご用件でしょう? お祈りでしょうか。それとも聖水をお求めですか? あるいは、ご寄進など……?」
女性僧侶は純粋に用件を羅列して聞いただけなのだろうが、最後の台詞だけ若干、期待しているような雰囲気なのでなんだかな、という気がしてしまう。
宗教は金ではないとはいえ、どんな団体であっても経済力がなければ存続するのは難しいからな。
仕方のないことでもある。
それに、通り過ぎる僧侶の身につけている物を見る限り、いずれも質素で、かつ年齢を重ねているほど、服に継ぎ接ぎなどが増えているので、贅沢をしているというわけでは全くないのだろう。
東天教はその辺り、徹底しているなと改めて感じられ、それならば寄進くらい、という気持ちにもなってくる。
それはロレーヌも同様だったのか、
「寄進の方は、帰りにさせていただくつもりだ……ただ、本題はそれではなくてな。我々は辺境都市マルトからやってきたのだが、そこにある東天教の僧侶から手紙を預かったのだ。それを直接、相手に手渡ししたい。ついては、その方を呼んでいただけないだろうか?」
「ずいぶんと遠くからいらっしゃったのですね……遠路はるばる、お疲れさまです。もちろん、ご用件の方は承ります。それで、その僧侶の名前は……? できれば、差出人の方もお教えいただけるとありがたいのですが」
「あぁ、これはすまなかった。手紙の受取人はエルザ僧正だ。そして差出人はマルトのリリアン僧侶だ……申し訳ないが、リリアン僧侶の位階は聞くタイミングがなかったので存じ上げないのだが……」
ロレーヌとしては、ただ、依頼内容を口にしたに過ぎないだろう。
しかし、これを聞いた女性僧侶は驚愕したように目を見開き、
「え、エルザ様にリリアン様が……!? か、かしこまりました。すぐに呼んで参ります! お二人は、応接室でお待ちを……ちょっと! こちらの二人をご案内して!」
近くを歩いていた、おそらくは僧侶見習いとおぼしき少女を捕まえて、女性僧侶はそう言いつけ、どこかに向かって走り出していく。
その慌てようはもの凄く、ロレーヌはそれを見ながら、
「……私は何か、おかしなことを言ったか?」
そう俺に尋ねてくるが、当然俺は首を横に振った。
「……いや。わからん。あぁ、この子ならわかるんじゃないか?」
俺が案内を命令された僧侶見習いの少女に視線を向けると、ロレーヌは確かに、とうなずき、尋ねる。
「つかぬことを伺うが……エルザ僧正と、リリアン僧侶を知っているか?」
すると少女はうなずき、
「はい……エルザ僧正につきましては存じております。この東天教ヤーラン本山に当たる、エフェス大寺院の責任者でいらっしゃる方です。ただ……申し訳ないのですが、リリアン僧侶につきましては……どこの方でしょうか?」
「マルトの僧侶なのだが……」
「あぁ、マルトの……そうでしたか。あの厳しい土地で僧侶をされておられるということは、立派な方なのでしょうが……やはり、存じ上げず……お役に立てず、申し訳なく……」
少女はそう言って謝った。
ロレーヌはそれを聞き、俺に目配せをするが、知らないと言うものはしかたないだろう。
俺が首を横に振ると、ロレーヌは少女に、
「そうか。こちらもおかしなことを聞いてすまないな。それでは、応接室に案内してくれ」
そう促したのだった。
◇◆◇◆◇
「では、失礼いたします。もう少々、お待ち頂けますよう……」
僧侶見習いの少女は、応接室に俺たちを案内したあと、お茶を出して、部屋を出ていった。
足音が遠ざかるのを確認して、ロレーヌは口を開く。
「最初の僧侶が驚いた理由はさっぱりわからなかったな?」
「まぁな。単純に、エルザ僧正に手紙が来たから驚いただけじゃないか? すごい筆無精で、手紙なんて滅多に来ないとかさ」
「お前、本気で言ってるのか?」
ロレーヌが眉をしかめてそう言ってくる。
もちろん、本気なわけがない。
東天教の僧正ともなれば、宗教者であると同時に政治家にも一歩踏み入れているような存在である。
筆無精なんてありえないし、手紙がぜんぜん来ない、なんてこともないだろう。
ということは、あの女性僧侶はエルザ僧正に手紙が来たことに驚いたのではなく、リリアンからエルザ僧正に手紙が来たことに驚いた、と捉えるべきだった。
「冗談だ。まぁ、普通に考えるなら、リリアンが何か重要な人物だ、ってことじゃないか?」
「あの少女見習いが知らなかったのはなぜだ?」
「それも色々考えられるだろうが、あの少女見習いは若かったからな。知らないことが多くてもそこまでおかしくないだろう」
「まぁ、確かにそれもそうだが……」
頷きながらも、あまり納得していなさそうなのは、ロレーヌの学者気質の故だろう。
不思議に思ったことはとりあえずその真相を知りたくなるのだ。
それが、意味のあることかないことかはとりあえず置いておいて。
ただ、リリアンについては俺もちょっと知りたいけどな。
マルトという辺境で、僧侶をしている彼女だが考えてみると若干奇妙な存在ではあった。
なにせ、彼女は聖気が使える、いわば聖女だ。
俺やロレーヌ、それにうちの眷属なんかも使おうと思えば使えるようになってしまっているために、あまりありがたみのない力のような気がしてしまっている最近だが、本来、これはかなり珍しい力なのだ。
使える人物は、その能力の多寡に関わらず、宗教団体に属しているのならばそれなりに手厚く遇されるものだし、一所に押し込めるよりかは、大きな教会に所属している体裁をとりつつ、巡回神官、僧侶、司祭として働いているのが通常である。
なのにリリアンは……というわけだ。
複雑な事情があるだろうということは、想像に難くない。
「……まぁ、どうしても知りたいなら、本人に尋ねるか、これから会うだろうエルザ僧正にでも聞いてみるしかないだろうな。答えてくれるかどうかはわからないが」
「うーむ……それは、難しいな……」
ロレーヌは腕組みをしてため息をつく。
東天教の内部事情に関わる話だったら、おそらくは教えてくれないだろう、と想像がつくからこそのことだ。
しかし、その場合は仕方がないだろう。
まぁ、リリアンに尋ねれば、意外とすんなり教えてくれそうな気もしないでもないけどな……。
それからしばらく、注がれたお茶を飲みながら待っていると、
――コンコン。
と扉をたたく音がしたので、俺とロレーヌはイスから立ち上がり、
「どうぞ」
と言った。
すると扉がゆっくりと開かれる。
そしてそこからは、先ほどの女性僧侶、それにその後ろから、エルザ僧正と思われる女性僧侶が現れたのだった。