第369話 塔と学院、小競り合い
「なんだ? 何かあったのか?」
ロレーヌがそう言って大きな声が聞こえた方角に振り返ったので、俺とリナもそちらに視線を合わせる。
するとそこには、高価そうなローブを身に纏った少年と、行商人と思しき中年男が向かい合っていた。
「……子供か?」
俺がそう呟くと、ロレーヌが頷き、
「そのようだな。十歳前後か? その割には随分と尊大なようだが……おっと、あのローブは見たことがあるな。リナもあるだろう?」
そう言ってリナの方を見た。
リナはそれに首を縦に振って、
「……《学院》の制服です。たぶん、さっきの馬車に乗って来たんじゃないでしょうか」
そう答えた。
微妙な表情なのは嫌な《学院》生徒たちを思い出したから、ということか。
しかしなるほど、学院の制服か……。
俺は初めて見たな。
田舎者にそうそう見る機会があるものではないから当然と言えば当然である。
まぁ、もしかしたらこないだ王都に行ったときに目に入ったかもしれないが、あんまり記憶にはないな。
自分が変な格好をしていたから他人が気にならなかったと言うのもあるかもしれないが。
しかしそれにしても……。
「いい制服だな?」
単純に高価そうな非常に品のいい仕立てであるのはもちろんだが、それ以上に俺は冒険者としてそう思った。
これにはロレーヌも同感のようで、
「そうだな。素材は……錬金術で強化された魔羊布に、虹蚕の糸で陣をいくつか描いているな。魔力の流れを見るに……ふむ、単純な強度強化と魔術的防御力の増加といったところか。シンプルだが使いやすい品のようだ。《学院》の学生であるのならば魔術の練習やら錬金術での薬品の扱いやらで失敗することもあるだろし、ああいった幅広く対応できる加工がベストだろう。良い魔道具職人の仕事だ」
そう語る。
よくこれだけ離れててパッと見でそこまで見抜けるものだと思うが、錬金術はロレーヌの専門だからな。
ちなみに俺にはなんとなく魔力が感じられるだけだ。
ロレーヌのように魔力の流れが見えたり、魔法陣の構成やらなにやらが分かるわけではない。
が、それでも分かることは結構ある。
たとえば、魔術を放っても通りにくそうだなぁ、とか、ただの布のように武器は刺さらないだろうなぁ、とかそういうことだ。
だからいい制服だな、と言ったわけだ。
しかし……。
「……いくらくらいするんだ?」
「ん? そうだな……まぁ、あれくらいなら、金貨五十枚あればなんとかなるのではないか? 同じだけの防御力が欲しいなら普通に鎧でも買った方が安いな」
「金貨ごじゅうまい……」
ロレーヌが軽く言った価格にリナが口をあんぐりとあける。
それは当然だ。
なにせ結構な金額であるからな。
安宿なら二年くらい宿泊できそうなくらいだ。
今の俺になら支払うことも出来るが、それでも買おうと言う気にはならない……。
まぁ、単純に今着てるローブが極めて高性能だから買う必要がないと分かっていると言うのもあるけどな。
これが無かったら買うかもしれない。
街中を歩くのに一々鎧を着脱するのも面倒だからな……その点ローブは楽でいい。軽いし。
問題があるとすれば俺があれを買って着たら《学院》生を騙った不届き者になってしまうということだろうか。
酒場に行くと騎士でもないのに騎士の格好をしていたり、シスターでもないのにシスターの格好をした若い女というのは結構いるが、それに近いことになってしまうだろう。
ちなみに、どちらも露出度は高めになっていたりする。まぁ、お遊びだ。
場合によっては本物の騎士やシスターがやってきて摘発したりするので、その点のさじ加減は酒場の主次第だな……。
話が逸れた。
「それで、騒ぎの方は……と」
再度、少年と行商人風の男の方を注視すると、
「お前、ローブをどうしてくれる!?」
少年が、中年男にそう言っていた。
男の方は困っている様子で、というか、若干呆れたような表情で、
「……どうしてくれるも何も、あたしはただちょっとぶつかっただけでしょう。それについても謝りましたし……まさか少し汚れたから弁償しろとでも?」
「汚れたから、じゃない。壊れたから弁償しろというんだ。お前は知らないだろうが、これは《学院》の制服だぞ! 高度な魔術的加工が施された逸品だ。それをお前が……」
「高度な魔術的加工? そんなもの、ちょっとぶつかったくらいで壊れるはずがないでしょうが。不良品なんじゃないですかね?」
「この……!!」
二人そろってどんどんとヒートアップし、言い争いはギャラリーを集め始めている。
都市マルトは比較的平和な街とは言え、住人同士の小競り合いは日常茶飯事だからな。
冒険者たちも他の街のそれと比べればお行儀はいい方だが、それにしたってその根っこは荒くれ者である。
毎日マルトのどこかで言い争いやそこから発展した喧嘩は普通に行われているわけだ。
そしてそういうときは周囲を観客が囲み、煽ったり賭けを始めたりするわけで……。
今まさに、少年と中年男の争いがそんな見世物になりそうな様相を呈し始めていた。
しかし。
「ちょっと! ここ、通して!」
そんな声と共に、集まり始めた観客、彼らを押しのけて、その中心に一人の少女が現れた。
彼女は、少年と同じく、金貨五十枚(ロレーヌ見立て)のローブを身に纏っていて、《学院》の生徒であることが分かる。
つまり、少年の味方をするためにやってきたのか……?
《学院》生は当たり前だが、その多くが魔術を使える者たちである。
使えなくても入学は出来るのだが、やはり使えたほうが入りやすいし、高額な学費を払えるだけの家の子供というのは家系的に魔術の素養を持った子供が生まれやすいためだ。
したがって、《学院》生が二人いる、という状況は結構危険だ。
それはつまり、相手の男にとって、である。
魔術師の危険性は、言うに及ばないだろう。
少し呪文を唱えれば相手を火だるまに出来る人間だからな。
誰かが介入しなければまずいかもしれない……。
そう周囲も思い始めた。
けれど、現れた少女は、
「ちょっとノエル……ノエル・クルージェ! あなた、一般人に喧嘩を売るのはやめなさい! 《学院》の品位を損なうわよ!?」
少年に向かって、そう言い始めた。