第338話 数々の秘密と眠り
――バキッ!
という音と共に、ドアノブが握りつぶされる。
ゆっくりと手をはなすと、パラパラと木製の装飾が美しかったドアノブは、木片へと変わった。
どどど、どうしよう……。
そんなことを思っていると、どこからともなく使用人が三人ほどやってきたので、
「……あ、あの、これは」
と言い訳をしようと口を開いたのだが、特に何も言われることなく、てきぱきとした様子でドアノブの交換が行われ、三人のうち二人が頭を下げて去っていき、最後の一人はドアノブを開いて扉を開け、深く頭を下げた。
……いたたまれない。
これなら怒られた方がすっきりしたかもしれない。
そんなことを思ったが、もうここまでされたら堂々とするしかないだろう。
俺は、
「……ありがとう」
そう言って開いた扉の向こう、部屋の中へと入っていく。
エーデルはすでにいない。
主のピンチを置いてさっさと入っていく当たり、しもべとしてどうなのか。
まぁ、本当にピンチのときはしっかりと動いてくれるので文句は言えないのだけども。
俺が中に入ると、静かにぱたり、と扉が閉じる音がする。
扉を開けてくれた使用人が閉めてくれたのだろう。
至れり尽くせりすぎて申し訳ない気分になってくる。
が、気にしても仕方がない。
気を取り直して部屋の中を見ると、そこには皺一つないパリッとした執事服を身にまとったイザークと、ラウラのような豪奢な服を身に纏っているリナがいた。
リナは椅子に腰かけているが、イザークは立っていて、給仕を務めているように見える。
リナの前にあるテーブルには、カップに入ったお茶と、それにいくつかの美味しそうなお菓子の類が並べられていて、こちらも至れり尽くせりのようだった。
俺が入って来たのに気づいていたのか、二人ともこちらに振り返っていた。
それからリナは立ち上がり、こちらに小走りで近寄ってくる。
部屋が広いからそんな挙動になるのだ。
俺が以前住んでいた安宿や、ロレーヌの家とは規模が違う。
……ロレーヌに失礼か。居候の分際で。
でもロレーヌの家は小さくはない。狭く感じるのは本や資料がそこら中に山積みになっているせいだ。
ここまで解放感のある部屋というのは俺の生活環境の中ではかなり珍しい、というわけだ。
まぁ、それはいいか。
「……レントさん!」
近くまで来て、リナが俺の胸に飛び込んできた。
それを俺は抱き留めるが、とにかく軽い。
やっぱり、《存在進化》に基づく筋力の上昇が著しいのかもしれない。
ドアノブを壊してしまったことから考えても、力の入れ具合の調整が難しいな……安易に人に触れられない。
ちょっと練習が必要だろう。
「リナ……大丈夫なのか? なんていうか……色々あったが」
吸血鬼に捕まったり吸血鬼にされたり迷宮核と融合させられたりと波乱万丈なリナである。
そこにとある屍食鬼との出会いまで含めるともう、リナは何かに呪われているとしか思えない。
……なんだか親近感が湧くな。
しかし、まだどのあたりまでリナが今把握しているのか分からないので曖昧な言い方になった。
これにリナは、
「……大丈夫ですよ。体も軽いですし、特に問題ありません。なんだかちょっとだけ、人が食べ物に見える瞬間がありますけど……」
と言った。
大分物騒な思考になっているようであれだ。
だが、気持ちはよくわかる。
人を見ていると、こう、頭の片隅とか無意識の中で、中々美味しそうだな、きっと血はサラサラなんじゃないかな、とか栄養状態が良さそうだ、濃厚な味がしそうだな……、とか考えている自分がいることにたまに気づいてはっとするときがある。
リナもそんな感じなのだろう。
とは言え、全く抑えられないというものでもないし、そこまで問題はないんだけどな。
「そうか……ということは、気を失っている間、何があったのかは分かってるのか?」
俺がそう尋ねると、リナは頷く。
「はい……私、吸血鬼になってしまった……んですよね?」
どうやらしっかりと把握しているようだ。
リナに遅れて、イザークも近づいてきて、俺に話しかける。
「レントさん。おはようございます」
「ああ、おはよう……リナには全部?」
「ええ、説明しました。ロレーヌさんも先ほどまで一緒にいたのですが、今は図書室に籠もっています。狂喜乱舞されてましたよ」
きょろきょろと誰かを探している俺の視線に気づいたのだろう。
イザークはロレーヌの行方について口にした。
しかし、図書室か。
おそらくだが、しばらくは出てこないだろうな。
放っておけば、一日中……いや、何日でも本にかじりついていられる性格の人間なのだ。
それで動けなくなっているロレーヌに食事を作ったりしたことなど枚挙にいとまがない。
今回もそうはならないよう、後で様子を見に行かなければならないな、と頭の中にメモする俺であった。
「それで、お体の調子はどうですか? 見る限り、特に不調はなさそうですが……」
イザークがそう尋ねてきたので、俺は頷いて答える。
「ああ、問題はないな。ただ、力の加減が効きにくくて……さっきドアノブを壊してしまった。申し訳ない」
素直にそう謝ると、イザークは笑って、
「それならお気になさらずに。《存在進化》した吸血鬼にはありがちなことですから。私も相当昔のことになりますが、同様のことをした記憶があります。おそらくは、ラウラ様もあったのではないかとおもいますが……」
名前が出てきたので、俺は尋ねる。
「……ラウラは、どうなったんだ? やっぱりまだ……」
「ええ、眠っておられます。ただ、そこまで心配されることもありません。ラウラ様は私などとはそれこそ格が違う存在ですので、あの程度で命にかかわるということはありません。ただ、ここのところ力が弱っていらっしゃったので……少しばかり、《迷宮核》を取り込むのに時間がかかっている、ということだと」
「力が……?」
なぜだろう。
吸血鬼は基本的に老化とは縁のない存在だ。
したがって、経年劣化というのは食事をしない限りは滅多なことでは起こらないはずだが……。
これにイザークは、
「《竜血花》の採取をお願いしたでしょう? あれは、邪気を払うもの。翻って吸血鬼の力を抑えるのにも役立ちます。ただ、それも正しい量を摂取した場合で……あまり取りすぎると、力の弱体化を招くのです。ラウラ様は、ここ何年も、《竜血花》から採取した花竜血を原液そのままで摂取されていたので……」
「なぜ、そんなことを……?」
イザークの話が事実なら、それは半ば自殺行為だ。
それなのに。
しかしイザークは首を横に振って、
「分かりません。長い生に飽きていたのかもしれませんし、他に何か理由があったのかもしれません。ただ、それでもレントさんに会ってからはあまりとらなくなっておられました。そのお陰で、徐々に力が戻りつつあったと。ですので、しばらくすれば、ラウラ様は目覚めると思います」