第269話 王都ヴィステルヤと神官
「……神気が……満ちている……!?」
鈴を鳴らすと、まるで扉の前で待っていたのではないかと聞きたくなるような速度で神官がやってきた。
それから、部屋に入ると同時に、呆けてそんなことを言った。
目を見開き、茫然としている。
それを見て、先ほど契約書の上に浮くように現れたホゼー神らしき像は、ホゼー神かどうかは分からないが、少なくとも神気を放つような存在であるということが分かった。
神気はその存在を感じ取るのに修行が必要なものらしく、俺たちには見ることはできないが、先ほどから非常に清廉な空気は感じられていた。
聖気による浄化を経た空気を、田舎の山の空気とするのならば、今は完全密閉されて消毒されきった感じがする、と言えばいいのか。
邪悪なるもの一切を認めない、厳しく苛烈な意思があるように感じられた。
……邪悪なる吸血鬼はここにいますけど。
説得力がないな。
「……やっぱり、何か変なのですか?」
俺が目を開いて空気を深呼吸し続ける神官に、話が進まないからと話しかけると、神官はこちらをギンッ、と見つめて、俺の胸ぐらをつかみ、
「何が! 一体何があったのですか!? 教えてくださいませっ!」
と、揺らしまくる。
物凄い剣幕だ。
俺は、
「ちょ、ちょっと一旦放して……」
と言うと、神官ははっとした顔で、
「……あぁ、申し訳なく存じます。少し興奮しすぎました」
そう言って、止まってくれたので何とか命が助かったような気分になる。
いや、胸ぐら掴まれたくらいじゃ流石に死なないけど、なんかこう、精神的に死を感じたよ。
俺は。
しかし……改めて神官を見ると、女性だった。
先ほどまでゆったりとした神官服を身にまとい、かつフードを被って顔を下げていて、声も中性的だったから顔も性別もはっきりとは分からなかったが、今興奮して激しく動いたため、フードが外れて顔が露わになっている。
ホゼー神の神殿は契約を司る関係上、神官たちはその顔貌を見せることを慎んでいるというが……いいのだろうか?
そう思って俺は尋ねる。
「……フードは、いいのですか?」
「……? あっ……」
俺に指摘されて、そそくさとフードを深くかぶり、ほっとした空気を出す神官女性。
……もう手遅れだと思うけどな。
「もう手遅れではないか?」
俺があえて口に出さなかった台詞をロレーヌが素直に言った。
神官女性はそれにがっくりと肩を落とし、渋々と言った様子でフードをもう一回降ろして、
「……そうですね……」
と言った。
なんだか妙におっちょこちょいというか、抜けている神官である。
案内してくれた時はスムーズかつ説明も簡潔でしっかりしているような印象を受けたんだけどな。
この部屋に満ちているらしい空気のせいか、素が出ていると言うことかもしれない。
神官と言ってもやっぱり所詮人間だからな……そういうこともあるだろう。
ま、神官の個性はいいんだ。
それよりも……。
「神官殿。神気がどうとかおっしゃっておられましたが……」
「あぁ、そうでしたね。そう、皆様に感じられているかどうかは分かりませんが、神気がこの部屋には満ちています。まるで、神々が降臨されたかのような有様で……この部屋は聖地にしたいくらいです」
神官の答えに、俺たちは顔を見合わせる。
神気が感じられているかと言うと、おそらくだが、全く感じられていないわけでもない。
何か、いつもと違った感じは分かる。
が、魔力や聖気のようにまではっきりとは分からない。
しかし、聖地か。
神殿内の一室なのだから好きにすればいいと思うが、問題はなぜそんなことになっているかだ。
俺は先ほどあったことを神官に説明する。
「……聖地云々は置いておいて、事情を説明しますと、先ほど、魔術契約書を使用したら、そこにホゼー神らしき像が現れ、おそらくは祝福……かなにかを契約書にかけていかれたのです。こちらがその契約書で……」
そう言って契約書を手渡すと、神官は恐れ多いものを受け取るような格好で頭を下げ、そしてゆっくりとそれを手に持った。
それから空に掲げるように契約書を観察すると、深く頷いて、言った。
「……間違いなく、ホゼー神のご加護がかけられております」
「……この契約書は《ホゼー様の加護を受けた魔術契約書》なのではないのですか?」
俺がそう尋ねると、神官は首を振って、
「それも間違いではないのですが……細かい話を致しますと、違います。この契約書は、《ホゼー神の加護を受けた聖者・聖女が作った魔術契約書》ですので、間接的にホゼー神のご加護を賜っているのです。ただ、そう言うよりかは、単純に《ホゼー様の加護を受けた魔術契約書》と言ってしまった方が、ありがたみが増しますので、そのように呼んでいるのです……」
……知りたくない話だった。
いや、ホゼー神殿の神官たちはどこか、神官と言うよりかは商人に近い空気感を持っている人ばかりなので、納得できる話でもあるが。
別に嘘もついてはいないし。
この契約書が聖者・聖女によって作られていることは普通に公表されているのだから。
重要なのは効力があることで、実際、その点に問題はないのだから責める必要もないと言えばない。
神官は続ける。
「ただ、こちらの……皆様方がお使いになられた契約書は、本当にホゼー神のご加護を賜っております。よほど神々にとって重要な契約だった、ということなのかもしれません」
「……重要な契約にはホゼー神が直々に加護を授けることもあると?」
ロレーヌがそう尋ねると、神官は頷いた。
「ええ。とはいっても、私が見たのはこれが初めてです。伝えられるところによりますと、聖剣の貸与に当たって契約を結んだ時にはホゼー神が直々に加護を授けられたとか。他にもいくつか例はありますが、いずれも言い伝えに残るようなものばかりです。失礼ながら、皆様方は一体どのような内容のご契約を……? いえ、もちろん、無理にお聞きするつもりはございません。ただ、ホゼー神に仕える者として、出来れば、知りたい、という気持ちがあるだけですので……」
これに俺は、
「申し訳ありませんが、内容については教えられません。しかし、他の例を聞く限り、それらに並べられそうな重要性のある契約を結んだわけではありません」
こう答えるしかなかった。