第245話 山奥の村ハトハラーと猫
「お、やっと来たか。怯えてこないんじゃないかと思っていたよ」
目を開けると同時に、ガルブのそんな少しからかうような声が耳に響く。
続いて、
「俺だって初めてここに連れて来られたときは怖かった。ビビらないのはあんたくらいなもんだ」
と、カピタンの窘めるような声が聞こえる。
直後、声の聞こえた方に振り向き、二人そろってその場に何の傷もなく立っているのを見て俺は安心した。
隣のロレーヌも何も不調はなさそうである。
転移魔法陣は問題なく発動してくれたようだ。
……まぁ、発動しないようなものをガルブとカピタンが俺たちに使わせるはずがないから当然と言えば当然だが。
「しかし、ここはどこだ? 暗いな……壁か。どこかの洞窟の中、かな?」
ロレーヌが興味深そうに周囲を見渡す。
俺も同様に周りを見ると、確かに洞窟っぽい感じだ。
てらてらとした岩の壁が少し湿っている。
「……ん? でも向こうは明るいな」
少し遠くの方を見つめてみると、そちらからは光が差しているのが見えた。
洞窟の出口、ということかな。
転移魔法陣は見つかりにくいよう、洞窟の中に隠されている、ということだろうか。
だから今まで見つからなかった、と。
まぁ、分からないでもないが……。
そんな色々なことを考えている俺たちに、ガルブとカピタンは顔を見合わせ、意味深に微笑み、
「ま、あと少しだ。こっちについてくるといい……」
ガルブがそう言って歩き出した。
相変わらず、俺たちには何がなんやら分からないが、今は彼女たちについていくことしかできない……。
危険なことはないだろう、と分かっているからいいのだが。
「ガルブ殿に誘われながら洞窟を歩くと言うのはなにか、こう、黄泉路を行くような気分になってくるな……」
ガルブの背中を見ながら、ロレーヌが言う。
確かに、ガルブの後姿はどこか死神のようだ。
どことも知れぬ場所に生者を招く死後の世界の住人。
隣に付き従うように歩いているカピタンは、そんな死神の手先であると言われる死神騎士というところだろうか。
分からないでもない想像だ。
実際、どこに連れていかれるのか全くヒントもないのだから、そう考えたくなるのも理解できる。
が、彼女たちは別に俺たちを葬りたいわけではないことははっきりしているので、心配はいらない。
……たぶん。
◇◆◇◆◇
そんな期待というか、信頼が、一瞬揺らいだのは、洞窟の入り口近くに辿り着いたそのときだった。
ひゅん、と音がして、何か巨大なものが俺たちの目の前に現れたのだ。
「なんだ……!?」
ロレーヌがそう言って腰から杖を引き抜く。
俺も同様にして剣を抜いた。
……が、ガルブとカピタンはそうはしない。
それどころか、その近づいてきた物体に自ら寄って行って、
「おぉ、よしよし」
と言って手を伸ばし、頭を撫でた。
信じられない。
ただ、いくら状況的に信じられないと言っても、ガルブとカピタンの反応がこうなのだ。
武器を引き抜いている俺たちの方が間違っていることは理解できる。
俺もロレーヌも武器を戻し、それから、
「……おい、師匠。そいつは何なんだ」
俺がそう尋ねた。
ガルブの手が撫でるもの。
それは、人の身の丈を遥かに超える、五メートル以上はあるだろう、全身黒色の虎柄を持った、まさに巨大な虎だった。
その一口で簡単にガルブの頭など持っていけるだろう大きさだ。
それなのに、ガルブの前ではまるで猫のようにじゃれている。
撫でられて実に気持ちよさそうであり、その瞳はガルブに完全に服従を示していた。
「何って、見りゃ分かるだろ? 虎さ」
「……ふざけてるのか?」
俺がそう突っ込むと、ガルブは笑って、
「はっは、悪かったよ。冗談さ。もちろん、ただの虎じゃない……魔物だね。黒王虎と呼ばれる強力な魔物だ。あんたたちの方が詳しいんじゃないかい?」
それはつまり、冒険者である俺たちの方が魔物の種類に詳しいだろう、という意味の台詞だっただろう。
もちろん、それが何の種なのかは見て分かった。
ただ、問題はそこではない。
聞きたいのはそういうことではないのだ。
どうしてそんなものが、あんたに懐いているのか、ということだ。
黒王虎なんてものは、まずその辺に行けば見られるというものではなく、一体で一軍に匹敵すると言われる強力な魔物だ。
もし討伐しようとするのなら、それこそ最低でも白金級、出来ることなら神銀級が必要になってくる。
そんなレベルである。
そんなものをこうも無造作に、気軽に撫でているガルブは正気ではないと言われてもおかしくはない。
そう言う疑問を、俺は素直に口にする。
「別に魔物の種類を聞いてるんじゃないぞ……。なんで懐いてるんだ? それは人に懐くようなもんじゃないはずだろ」
従魔師たちは様々な方法で数多くの魔物を自らに懐かせる術を知っているが、基本的にそれは人間に近しく、懐くことが過去確認されている魔物に限られる。
どんな魔物でも従えられる、というわけではないのだ。
だからこそ、それこそ数百年に一度、奇跡のような巡り合わせで強大な魔物を従魔とした者には多大なる称賛と名誉が与えられる。
ガルブがもし、従魔師であり、そして黒王虎を従えているというのなら、確実にその伝説の仲間入りができることだろう。
しかしそんな俺の疑問にガルブは、
「別に私に懐いているわけじゃないよ。こいつは私の血に懐いているだけさ……つまり、ほれ、あんたもこっちに来な、レント」
そう言って俺を招く。
嫌だ、近づきたくない、怖い。
そんな言い訳が師匠であるガルブに通用することもなく、その場に突っ立っていたら引っ張られて、黒王虎の前まで連れて来られてしまった。
改めて近くにいる黒王虎を見る。
……でかい。そして怖い。
その瞳の中に知性を感じる。それが余計に恐ろしい。
この魔物は、何も考えずにここにいるわけではないのだ。
何か目的をもってここにいるのだ。
それが、俺たちをうまいことひとところに集めて食い殺すことでないと誰に言えるのか……。
そう思ってしまうからだ。
まぁ、そんなの言い出したら今すぐやればそこで終わるんだから、たぶん大丈夫なんだろうけどな……。