第184話 下級吸血鬼と信頼
ウルフの説明は極めて分かりやすかった。
そういう事情であれば、俺を俺だとかなり早い段階で分かってしまったのも頷ける。
そもそも、俺が自分の正体を隠す気が希薄だったのが一番の原因でもあるだろう。
完全に隠すつもりだったら、名前はもっと全く違うものにしただろうし、そもそも冒険者証を作った直後、さっさと他の街に移ってそこで活動する、というのが最もばれにくかった。
知り合いが多いこの街で、隠し通すと言うのはかなり厳しい、と感じていた。
まぁ、そのことが分かっていたからこそ、友人、と言えるような者たちにはなんとなく匂わせたり、はっきりばらしてしまったりしてきたわけだ。
冒険者組合についても、いずれは二重登録のことを話すときが来るかもしれないというのがあった。
そのときにすんなり話を通すには、というのに、俺が俺である、となんとなくでもいいから把握してもらえればというのがあった。
冒険者組合長のウルフがどういう人物かはそれほど正確には掴めていなかったとはいえ、彼がこのマルトにいるからこそ、他の街の冒険者組合よりも不正や癒着が少なく、また冒険者たちの死亡率が低い、という事情も耳にしていた。
実際に何度か話した印象からしても、決して話せない人物ではない、という確信はあった。
だから、正直に話せば、色々と納得してくれ、便宜も図ってくれるのではないか、という感覚があった。
そのため、一種の賭けだったかもしれないが、彼が気づこうと思えば気づけるくらいに俺が俺であることを小さく主張していた、というのがある。
まぁ、別に何が何でも気づいてほしいとか、必ず気づいてくれとか思っていたわけではない。
ふっと気づいて、向こうの方から呼んでくれたらいいな、くらいの軽いものだ。
実際は気づいても呼ばれなかったわけだが……悪い方向には働いてはいない気がする。
もちろん、ウルフの人柄だけに頼ってそういうことを思っていたわけではないが……とりあえずもう少し話してみて、それは考えよう。
「……それだけの理由で、私をレント・ファイナだと? 名前が似ているだけというのはあまりにもひどい。レントという名前は昔の聖人の名だ。良くありますし、ヴィヴィエだとて、この国では少ないかもしれないが、帝国では極めてありふれた苗字に過ぎない」
そう言うと、ウルフは確かに、と頷いて、
「もちろん、それだけじゃねぇさ。色々と他にもお前がレント・ファイナだと補強する証拠はある。たとえば、お前の戦い方とか、今住んでるところとか、な。究極的にいうと、勘、というのもあるが……まぁそんなものはどうでもいい。レント・ファイナ、俺は別にお前が二重登録をしていたり、レント・ファイナであることを隠していることを責めてぇわけじゃねぇ。ただ、理由が知りたいだけだ。以前のお前は、確かに才能がなく、これからの未来に漠然とした不安くらいはあっただろうが、別にレント・ファイナであること自体に嫌気がさしていたわけじゃねぇはずだ。街の冒険者たちとの仲は良好で、情報屋たちともうまく通じて、市民に至ってはお前の姿を見れば野菜や果物をぽんと投げて寄越すくらいだったろう。……わからねぇ。それなのに、なぜ、わざわざそんな不気味なローブと仮面を被って別人を名乗らなきゃならねぇんだ? 俺はこれで冒険者だった。それなりに色々な経験をしてきたつもりだ。だからおかしな事情を抱えた奴もたくさん見てきたよ。お貴族様の追っ手から逃げてるとか、何か重大な秘密を抱えていてどうしても顔を見せたくないとかな。お前も……その口なのか、と少し考えたことはあるが……何か少し違う感じがするんだよな。気になってたまらねぇよ。なぁ、教えてくれ。これはお願いだ。その代りに、俺は色々と便宜を図ってやる、これはそう言う話だぜ、悪くねぇだろう?」
最後はほとんど懇願のように言って来たウルフである。
どこまで本気なのかは分からないが、心底知りたそうではあった。
それが彼の策略なりなんなりなのかもしれないが、信じたくはなる仕草だ。
それにしても彼がしたのは当たらずとも遠からずな話だ。
俺はもう疑いは晴れたとはいえ、ニヴに追われていたし、重大な秘密である吸血鬼である、というのがあるからな。
しかし、話すにしてもどこまで話すのか……そもそも、信じてくれるのか。
俺が最後まで話したとして、吸血鬼です、と言った途端討伐されるのではないか、という不安がぬぐえない。
ウルフは引退したとはいえ、元々は強力な冒険者だ。ランクがどの程度だったかは分からないが、前にしているだけで分かる覇気は、もう冒険者なんて出来ない、とのたまう今ですら、俺よりも強力な力を持っているような気がしてくる。
そんな彼の前で、魔物です、と名乗るのは結構な自殺行為だ。
けれど、ここまで話した印象で、すべて話してしまいたい、という気持ちも生まれつつある。
彼は、かなりの好人物に思えるからだ。
俺の事情を、俺が絶対に明かしたくない部分――つまりは、吸血鬼である、というところ以外は粗方把握した上で、俺が受け入れやすい提案をしてくれている。
それは、気遣い以外の何物でもないだろう。
そんなことをする冒険者組合長は、まず、いない。
彼らのほとんどは癒着と不正で忙しい、というのが冒険者の基本的な認識である。
ここまで便宜を図ってくれるのは、彼が真実、好人物だからだ、と思ってしまう。
その辺りの葛藤が、俺の口から、こんな言葉を言わせる。
「……俺が、俺の事情を話したとして、信じてもらえる保証はあるのですか? そもそも、二重登録は、規約に違反している。それなのに、冒険者組合長として、それを許容するのは、いいのでしょうか?」
と。
この言葉にウルフは笑って、
「まず、後者についてだが、お前も良く知ってるだろ? 二重登録なんて大した違反じゃねぇ。どれだけ厳しい処罰を降すにしても、せいぜいが数日間の依頼の請負の禁止とか、罰金をいくらか、とかその程度だ。心配するほどじゃねぇ。だからお前もやったんだろう?」
そう言う。
確かに、それはその通りだ。
さらに続けてウルフは、
「前者については……俺を信じてくれ、としか言えねぇが……そうだな、魔術契約を結んでやる。お前から聞いたことを、絶対に言わねぇ……という契約をすると色々と問題があるかもしれねぇからその辺りの条項はよくよく話して詰めるとして、ま、秘密は漏らさねぇと言うことでな。それでも信じられなければ……」
「信じられなければ?」
俺は尋ねたが、そこまででもうほとんど十分である。
魔術契約なんて縛りを自ら言い出すとは思わなかったが、魔術契約は破れない。
それをしてくれるのなら、信用がどうとかはあまり問題にならない。
まぁ、それでも抜け道が全くない、というわけではないから、信用を示してくれるのはもちろんありがたいのだが、何をいうのか……。
ウルフは言った。
「俺の秘密を教えよう。今、な。昔は良く笑われたもんだ。俺はな、現役時代、ずっと目指していたものがある。皆からは冗談だと思われていたが、俺は紛れもなく本気だった。誰に笑われようと、誰に馬鹿にされようと、絶対になるのだと、心から決めていた……結果は、この様だがよ、それでも俺は夢見たことに後悔してねぇ。なぁ、レント、俺はな、昔、神銀級冒険者を目指していたんだ。だから、お前を気に入ってた。お前は、俺と同じなんだよ」
大した話では、ないのかもしれない。
他人にとっては。
神銀級になる、なんて、阿呆らしくて、誰も本気で受け取らない話だ。
そこらで新人が息まいて言っている、くだらない話だ。
そう、誰もが捉える。
けれど、ウルフの話したその目を見れば……。
彼が本気で言っているのが俺には分かった。
同じものを目指して、自分の力に悔しい思いをした者として、何か通じ合うものがあった。
これを言われて、信じない、と言うことは俺には出来ない。
これは、俺のすべてであり、人生を通して目指したい夢だからだ。
甘いと言われようと軽率に過ぎると罵られても、俺には……。
だから俺は……。
「……分かった。貴方を信じたいと思います。ウルフ冒険者組合長」
そう言って、頷いたのだった。