第155話 聖女ミュリアス・ライザ2(前)
私の名前はミュリアス・ライザ。
ロベリア教で聖女をしている。
小さいころに、女神ロベリアの加護を受け、聖気の才能が芽生えているということで教会に連れられ、それからはずっと聖女として修業の日々を送ってきた。
今回もそうだ。
遥か遠く離れたアルス聖王国からこんな僻地にやって来たのは、ロベリア教の威光を辺境にも届かせるため。
私の力でもって、多くの人を癒し、ロベリア教の正しさを伝える。
そのために、私はここ、都市マルトに来た。
そのはずだった。
◇◆◇◆◇
都市マルトにあるロベリア教の教会は、アルス聖王国の聖都にある大聖堂と比べると、これは小屋であると評したくなるほどに小さいものだった。
アルス聖王国聖都においては、その教会である大聖堂は、アルス王の住まう王城よりも大きく、その中心は城ではなく大聖堂であると言ってもいいほどだった。
しかし、都市マルトでは……。
小さいだけなら別に構わないが、道を歩く者の中で、ロベリア教の教会にちらとでも目を向ける者すら見ることが出来ないのには驚いた。
たまに教会にやってくるものもいなくはないが、祈りに来たり説教を聞きに来たりしているわけではなく、ただ、ロベリア教が作っている高品質の聖水や、それを使って作られた石鹸などの製品を購入しにやってきているだけだ。
その際に、寄進と称して金銭を払い、祈りを捧げはするが、どう見ても形ばかりのものでしかないことはその祈りの仕草の適当さから、よく、理解できた。
「……こんなもの、大教父様が見たら何て言うか……」
私が遠目でロベリア教の《製品》が売れていくのを見ながら、どう見てもただの商店と化してしまっている教会の現状をそう、嘆くと、隣に立っていた目つきの鋭い男、ギーリは、
「……大教父様はご存知です。辺境とはこのようなものだと」
「だったら……」
なんで放っておくのか、と言いかけた私であった。
しかしギーリは首を振り、
「いいえ、大教父様は、その現状を憂いたからこそ、ミュリアス様を派遣されたのです。貴女様の責任はとても大きなものですよ」
とまじめ腐った顔で返答した。
本当かな?
そもそも、私は聖女でこそあるが、経験豊富というわけではない。
いくらか街での治癒・浄化や、説教をこなしたことはあるが、比べればもっと経験豊富で、大きな聖気を持つ聖者・聖女を挙げれば枚挙に暇がないのだ。
ここが小さな村だとか町だとかいうのなら、確かにそのような人々を派遣せずとも、私でも何とかお勤めを果たせるかもしれない。
しかし、この街マルトは辺境都市とは言え、それなりの規模のある都市なのだ。
私にはどう考えても、荷が重い気がした。
だから、私は正直に思ったことを言ってしまう。
「確実に教えを広めたいのなら、私ではなくアールズ様やミリア様を派遣すべきでしょうに」
二人とも、経験も聖気の量も技術も、全てが私を百人集めたとしても追いつけない、当代最高の聖者・聖女である。
辺境にロベリア教を広めたいと言うのなら、彼らくらいの人物を派遣すべきで、聖女とはいえ、末端の末端に過ぎない私をここに派遣したところで、焼け石に水のような気がする。
ギーリはそんな私の心の内を知ってか知らずか、
「……お二人はロベリア教でも一、二を争う忙しさでいらっしゃいますからね。流石に遠方へ派遣、というわけにはいかなかったのでしょう」
と、当たり前のことを言った。
そんなことは、私にもわかっている。
彼らの忙しさは、そんじょそこらの王侯貴族の比ではない。
毎日ほとんど分刻みの生活を行っていて、休む暇もないとは彼らのことを言うのだろう。
当然、遠方になど来れるはずがない。
「……つまり、私は暇だと」
「いえいえいえ。そんなことは申しませんが……」
が、のあとに何が続くのか、と聞こうと思ったけれど、聞いても楽しくはないなと思ってやめる。
それに、暇だからと派遣されたのだとしても、やることは何も変わらないのだ。
私の仕事は、ここに住む人々に、ロベリア教の偉大さを伝えること。
――とにかく、頑張ってみよう。
何はともあれ、前向きでいようかと心を改め、
「説教は一週間後の予定だったかしら?」
そう尋ねる。すると、ギーリは、
「ええ。それまでは色々と手続きがありますので。また、この街の有力者にご挨拶もしなければなりません。彼らの中には通常の治癒魔術では治癒不可能な怪我や病を患っている者もおりますので」
それで、何をしに行くかと言えば、《寄進》と引き換えに私が治癒するのだ。
彼らは喜んで支払うだろう。
それだけの資産を持っているし、治癒はお金には代えられないものだから。
そして、ロベリア教の信仰を少しずつ広めていくのだ。
事実、この国において、ロベリア教は一般平民にはほとんど信仰されていないが、貴族や商人などの資産家の中にはそれなりに広まってはいる。
それはこのような地道な活動が実を結んでいるからだ。
平民はというと、《寄進》がなければあまり恩恵を与えることがロベリア教では少ないために、信者の数が増えては行かないのだろう。
この国における最大宗教東天教は、寄進を要求することは無く、ただ分け隔てなくその力を与えるという。
その結果として、貴族や資産家たちが後回しになるということも少なくなく、それがため、金で優先順位をつけるロベリア教の方に傾倒する者が多いというのもある。
どっちが正しいか、と言われると心情的には東天教は立派であると言いたくなるが、実際のところ、よく考えると……微妙だと思う。
なにせ、自分の家族が重い病で一刻を争うというときに、後回しにされて結果、死亡した、となりたくはないから、金を払うから先に頼むと言いたくなるのだろうから。
東天教とて、重傷者と軽傷者がいれば、重傷者を優先して治癒を行っているのだろうが、それでも取りこぼしは出る。
そういうところをロベリア教は狙い、そして徐々に権勢を広めている、というわけである。
もしかしたら、大きな目で見れば、この国において、東天教とロベリア教はうまく住み分けが出来ている、ということになるのかもしれない。
ロベリア教が、それで満足するわけがないのだが。
どんな宗教を信じても、それは個人の自由ではないか、とたまに考えることもある。
そういう意味では、この国は理想的に見える。
けれど、そんな状況を、私は打破しなければならない……複雑だった。
そんな私に、ギーリは、教会に届いた手紙の束を読みながら、
「あとは……む、これは……」
と首を傾げた。
「どうかしたの?」
そう尋ねると、ギーリは、
「大教父庁から直々のご指令ですね……。これは……金級冒険者ニヴ・マリスの供をするように? これは一体どういう……」
困惑しながらそう言ったのだった。