第154話 下級吸血鬼と握手
「……信じていますよ。だからこそ、私は今、吸血鬼狩りなのですから」
そう言ったニヴの瞳は、何かよくわからない感情に彩られていた。
憧れか、怒りか、執着か……。
俺が神銀級になりたい、と言っているときもこんな目をしているのかな?
それとも全く違うものなのか……。
「そうですか……なぜ、とお聞きしても? こう言っては失礼ですが、それこそ黄昏の吸血鬼はすでに討伐された、と言われていますよね」
俺がそう言うと、同意するようにミュリアスが、
「そうです。ロベリア教の聖者が、その心臓を貫き、討ち滅ぼしたのですよ」
と続ける。
それを聞いたシャールは、
「……まぁ、ロベリア教ではそのように言われておりますが、他宗においてもうちの聖者が、と言っているところはいくつもありますからな。黄昏の吸血鬼の墓所にしても、いくつも存在しておりますし……」
と何とも言えない顔で言う。
ミュリアスはちょっとだけむっとした顔をしたが、実際言っていることは正しいので文句も言えないようだ。
シャールはミュリアスの手前、ロベリア教を否定するわけにはいかないのだろうが、そうならないところで一般論を言ったわけだしな。
確かに墓所については書物でそうだったと読んだ覚えがある。
一番有名なものがロベリア教が喧伝している墓所のようで、そこが間違いなく黄昏の吸血鬼の墓所だ、と言っているようだが、正しいかどうかは……。
ニヴもそう思っているようで、
「シャール殿のおっしゃる通り、墓所についてはどれも甚だ怪しいでしょう。そもそも、討伐した人物すらはっきりとはしていないのです。むしろ、討伐などされていない、と考える方が自然なのでは?」
と言った。
ここまでで出てきた事実だけ積み上げると確かにニヴの言っていることに説得力があるのだ。
ただ、一つ問題があるとすれば……。
「……黄昏の吸血鬼は血と破壊と虐殺を好んだと伝えられています。仮に今でも存在しているのなら……その被害が見られないのは奇妙では?」
伝説によれば国一つ飲み込んだことすらあると言われる存在である。
それが事実かどうかは今となってははっきりとは分からないにしても、かなりの規模の被害があったのは間違いないだろう。
伝説の邪悪なる吸血鬼は、存在するだけでそのような災害を引き起すのである。
しかし、ここ数百年で、かの存在の仕業だ、と見られるような災害は特に起こってはいない。
生存しているのなら、起こらないはずがないのに、だ。
それが、黄昏の吸血鬼が今はもういないことの最大の証明ではないか。
けれどニヴは、
「奴は別に獣ではないのですよ? 自分が死んだと見せかけて、姿を隠すくらいのことはむしろ考えて普通でしょう。吸血鬼は、低級なものはともかく、上位存在になればそれほど存在の維持をするために大量の血液を必要としません。細々と、静かに生きるのにはむしろ上位の吸血鬼の方が向いているのですよ。ましてや黄昏の吸血鬼ともなれば……」
そこは知らなかったことだな。
上位の吸血鬼など、普通は出くわすことすら中々ないから、その生態についてはあいまいなところが結構多い。
ニヴはその吸血鬼狩りとしての経験で、知っていることが多いのだろう。
しかし……上位の吸血鬼だと、血があんまりいらない、のか。
俺は一日三滴くらいあれば足りてしまうのだが……多いのか少ないのか。
やっぱ少ない方だよな?
気になって、ニヴに尋ねてみる。
「ちなみに、下級吸血鬼だとどれくらい血が必要なのですか?」
「そう、ですね……個体差もありますから、一概には言えませんが……月に人間二体分、と言ったところでしょうか。概ね……そこにある花瓶十杯分もあれば足りると思います。中級であればその半分、上級であればさらにその半分、というところでしょうか。それよりも上となると、少ないでしょうが、もう一般論では語れないでしょうね」
ニヴは、飾ってあった花瓶を指さしながらそう語った。
花瓶の大きさは、それほどでもない。
あれに液体を入れたら、大体、コップ五杯分くらいが限界という所だろうか。
それを十杯分必要ということは……。
凄い多いな。
いや、俺が少なすぎるのか?
もしかして俺って、高位の吸血鬼?
とか思ってしまうが、おそらくは気のせいだろう。
個体差もあるというし……高位、というよりは特殊な、という感じの方がしっくりくる。
聖気でも判別されないしなぁ。
いつかしっかり自分がどういう存在なのか、分かる日が来るのだろうか。
……難しそうだな。
まぁいいか。
話を戻そう。
「……なるほど、分かりました。それで……お願いは黄昏の吸血鬼を見つけたら、ニヴ様に連絡する、ということでいいですか?」
最後に確認である。
結局、彼女が求めているのはそれだろう。
ニヴは頷いたが、
「ええ、それでいいのですが……ただ、レントさんは見ても分からないでしょう?」
「それは……まぁ、そうですね。そもそも黄昏の吸血鬼ってどのような見た目をしているのですか?」
それが分からないと探しようがない。
けれどニヴは首を振って、
「さっぱり分かりません」
といっそ潔くはっきりと断言した。
おいこらそれで探せってか、と突っ込みを入れたくなったが、至って真面目な表情なのでそれは言えない。
ニヴは続ける。
「もちろん、結構な無茶を言っていることは自覚していますよ。だからこそ、レントさんが勝てそうもない吸血鬼に遭遇したら、連絡してください、と言ったのです」
あれは、そういう意味だったのか。
しかし……。
「私では黄昏の吸血鬼には勝てないと?」
そういう話になるだろう。
ニヴはそう思っていると。
……まぁ、勝てないか。無理だな。分かってる。
ただ一応聞いてみたかっただけだ。
ニヴは言う。
「気を悪くされたなら、謝ります。ただ……黄昏の吸血鬼は国崩しの魔物の一体です。レントさんに同じことが出来ると言うのなら文句はありませんが……」
出来ないでしょう?
と言外に匂わせる。
出来ないよ。うん。
出来たらもう俺は神銀級だろうさ……。
しかしニヴには出来るわけか?
いやぁ……怖すぎる。
とは言え、冒険者としては他人の強さがどのくらいなのかは気になるものだ。
俺は尋ねる。
「……ニヴ様は、それが出来ると?」
するとニヴはふっと笑って、
「まさか! ただ、吸血鬼相手にはそれに見合った戦い方がありますからね。向こうが圧倒的に強くても、勝てないという訳ではないのです。つまり、実力の差を、ノウハウで埋められる、その技術と経験が、私にはある、ということです」
と思ったよりも堅実な返答をした。
なるほど、俺にはそれがないから無理、か。
納得だ。
まぁ、それに加えてニヴはもともと俺よりずっと強いわけだけどな……。
ともかく、話をよく理解した俺はニヴに頷いて、
「分かりました。そういうことなら……そのような吸血鬼に遭ったら、必ず連絡しましょう」
そう言って手を差し出す。
一応の握手だ。
和解と言うか、色々あったけどとりあえずちょっとだけ、仲直りを、という意味合いで、
ニヴはその手に少し目を見開いていたが、
「……ええ、よろしくお願いします」
と今まで見せなかった少し柔らかな笑顔を向けて、俺の手を握ったのだった。