第153話 下級吸血鬼と黄昏
「馬鹿な……黄昏の吸血鬼など……もう存在しません。そんなもの、今の時代では子供を怖がらせるためのおとぎ話です」
その名前を聞き、首を振りながらそう呟いたのは、ロベリア教の聖女ミュリアスだった。
それに対してニヴは鼻で笑って、
「そう思いますか? そう学んだのですか? 教会で。まぁ……ロベリア教の上層部はそういうことにしておきたいのでしょうね。分かりますとも」
そう言う。
それにミュリアスは、
「なにをっ……」
と立ち上がりかけ、文句を言おうとするが、ニヴはそれを制して、
「おっと、申し訳ありません。別にロベリア教を馬鹿にしようと思っていっているわけではないのですよ? でもミュリアス様、よくお考え下さい。私は人生を賭して黄昏の吸血鬼を追いかけてきたわけで、そのことは今、私がした話から分かるでしょう? それなのに、そんなものおとぎ話だ、なんて言われたら腹を立ててもおかしくはないと思いません?」
と、完全な正論を言う。
まぁ、言っていることは正しいだろう。
夢を馬鹿にされたら普通は怒るんじゃないの、という話なのだから。
しかし、それをニヴが言うと……。
本当に怒ってるのか、という疑問と、実はあえてミュリアスの神経を逆撫でしてるんじゃないだろうな、という疑念が心の中に浮かんでしまう。
そのどちらか、もしくは両方が正しいのかどうかは、ニヴの様子からは判然としない。
当然か。
分からせる気など、彼女にはないのだろうからな。
性格が悪い。
対してミュリアスはどちらかと言えば素直なようで、ニヴの言葉が正しいと認めたのか、
「……確かに、そうですね。失礼なことを申し上げました」
と謝罪する。
ただ、と付け加え、
「ロベリア教をことさらに批判することはおやめください。ロベリア教の教えは……正しいのですから」
と、付け加えた。
ニヴにはその点についてはまだ、一家言ありそうだったが、泥沼にする気はなかったらしい。
「……そうですね。何を信じるかは個々人の自由だと思いますよ。ええ」
と微妙な台詞を言った。
これも結構、当て擦りに聞こえるが、ミュリアスはもう、気にしないことにしたようだ。
今更という気もするが、それがニヴを相手にするにあたって賢い選択であるのは間違いないだろう。
ニヴは俺に向き直って言う。
「レントさんも、もちろんご存知ですよね、黄昏の吸血鬼」
もちろん、知っている。
子供の頃に聞いたおとぎ話、伝説の類に何度も出てきた存在であるからだ。
それに、吸血鬼になって、何かヒントがあるかもしれないと思って、それなりに調べても見た。
まぁ、調査した結果なにかが分かったのかと言われれば、小さいころの思い出をいくつか思い出したな、くらいなものだったが、読み物としては面白かったな。
黄昏の吸血鬼は非常に有名な悪役の一人で、街や村で英雄ごっこ遊びをすると、大体が一番立場の弱い者が割り当てられてタコ殴りに遭うと言う恐ろしい役回りである。
黄昏の吸血鬼を退治する英雄は、場所や年齢によってばらつきがあるようだが、概ね、聖騎士とか聖者とかだな。
邪悪な吸血鬼だからそんなイメージに落ち着いたのだろう。
とは言え、実際に倒したのは誰なのかもう分からないらしいから、適当に当てはめたという可能性もないではない。
しかし、それでも黄昏の吸血鬼がすでにずっと昔に倒されている、というところについては議論の余地はないとされている。
なにせ、黄昏の吸血鬼の亡骸、というか灰を埋葬した墓というのがどこかにあったはずだ。
それでもまだ追い続けている、ということはニヴはその墓は偽物だと考えているということだろう。
「ええ、子供の頃にさんざん聞きましたし、遊びましたからね。私は大抵、黄昏の吸血鬼の役で」
「なるほど……しかし、子供のころ、いじめられっ子だったようにはとても見えませんが」
俺の答えで、即座にその辺りを見抜くニヴ。
俺は言う。
「なんだか、当時の友人に聞くと、ずいぶんと変わった子供に見えていたみたいですね。今ではその頃、いじめてきた奴らとも和解してるんですよ。故郷に帰れば普通に話す仲です」
これに、シャールが、
「また珍しい。いじめられっ子が冒険者になって故郷に帰ると、大概復讐に動くと言うのに。私だったら間違いなくぶん殴りに行きますけど、レントさんはそのようなことはしようとは思わなかったのですか?」
と尋ねてきた。
俺は答える。
「そうですね……まぁ、今更、というところもありますし、私にはしたいことがありましたから。他のことはあまり、考えようとは思わないのですよ」
「それは?」
「――いずれ、神銀級の冒険者になることです」
吸血鬼になってから、完全な他人には初めて言ったな。
なんだか不思議な感じがする。
もちろん、人間だったころもよく言っていた台詞だが、あの頃は……どこか意地で言っているようなところもあった。
けれど今は……。
なんだか、本当に叶いそう、という希望が感じられるのだ。
意地でも気負いでもなく、ただ、目標を口にした。
そんな感覚がするのだ。
実際、このまま強くなっていけば、いつかは……。
とは言え、そんな事情はニヴにもミュリアスにもシャールにも分からないだろう。
何を馬鹿なことを、と笑われるかなと思った。
なにせ、人間だったときは、最初の頃、けっこう笑われていたからな。
徐々にそういう人物は減っていったが、まぁ、本当のど新人のころはそんなこと言っても本気だとは中々捉えられなかったのだ。
しかし、ニヴは、
「ほう、そうなると……私とどっちが先になるか勝負しますか。私は今、金級ですから、今のところ有利ですが、まだまだ遠いですから」
と言い、ミュリアスは、
「単独でタラスクを狩れるような冒険者なのです。いずれそうなってもおかしくはないでしょう」
という。
そしてシャールは、
「そうなったらぜひ、うちの店に支援させてくれ。店に箔がつくからな」
と、冗談交じりに言った。
神銀級ともなると、武具やら道具やらを購入せずとも、店の方から使ってくれ、と言われることもあるのだ。
もちろん、善意ではなく、宣伝のためで、神銀級が使っている品だ、と言えば売れ行きが相当に伸びるようだ。
店自体も繁盛するようだしな。
ただ、神銀級であるという事実をそういう意味で利用しようとする神銀級はほとんどいなかったりする。
色々と柵があるのが面倒だ、というタイプが多いからだろう。
冒険者というのはそもそもそんな奴らの集団だしな。
俺は……もしなれたらどうだろう。
武具は自分で選びたいし、道具もそうだということを考えると、あまりそういうことはしないだろうなと思う。
それにしても、三人とも俺の夢を頭ごなしに否定しないのは、不思議な感じだった。
昔なら、誰か一人くらいは馬鹿にしてるだろうからな。
ここにいる三人がいい人だから……とは言えないが、まぁ、人の信条を否定することを良しとはしないタイプばかりなのだろう。
「……いつなれるか分かりませんからね、勝負も支援も遠慮させてもらいますよ」
俺は三人にそう言って、
「それよりも黄昏の吸血鬼の話です。ニヴ様は本当に今も生存していると信じておられるのですか?」
と話を戻した。