第122話 下級吸血鬼と兵士
エーデルの変化したところ、それは俺に似ている。
つまり、今のエーデルには羽らしきものがあるのだ。
と言っても、俺のように背中から伸びるように出ているという訳ではなく、ムササビのように、脇の下から後ろ足の先までにかけて、皮が伸びて被膜になっているような感じである。
それで飛べるかどうかも試してもらったのだが、俺とは異なり、かなり楽そうに飛べるようだった。
構造上おかしいとしか言えないのだが、その状態で滑空だけでなく、空中で静止することも可能にしている。
浮遊とかっ飛びと松明代わりにしか使えない俺の羽と比べて、明らかに性能が上である。
なんで主の方が低性能で眷属の方が高性能なのかと各方面を小一時間ほど問い詰めたい気分だ。
神とか。
俺の信仰心は薄いのだ。
それでも聖気が失われないのはなぜなんだろうな、とたまに思うが、俺に加護をくれている神霊はそういうものを求めていないのかもしれない。
確認できない以上、よくわからないが。
とは言え、エーデルがなぜ、そこまで自由自在に空を駆けまわれるだけの性能を手に入れたのかは、なんとなく想像がついている。
単純に、俺とエーデルとでは体重が違うのだ。
消極的とはいえ、俺の許可を得さえすれば魔力も気も聖気も俺と同量使うことが出来るエーデルである。
おそらくは大体俺の六分の一以下の体重しかないエーデルは、俺よりも遥かに浮遊がしやすいはずだ。
だから力の消費を気にしなければ好きにびゅんびゅん飛び回れるわけである。
うらやましい。
今は力の消費を俺の方で絞っているからその挙動はあまり空中では披露されなかったが、何割か増やせば空中も飛び始めることだろう。
誰にも教えられていないのに、どんどん強くなっているエーデル。
俺よりもよほど伸び幅が大きい。酷い話だ。
そんなエーデルが先ほど魔術を使ったのである。
これ以上強くなられると俺の見せ場がなくなってしまうが、助かるのも間違いないので文句も言えない。
とりあえず、どれくらいの攻撃力があり、消費はどのくらいで、また応用の幅や、他に使える魔術がないかを試すことにした。
「……ゴブリンかスライムを探すか……」
実験相手に、という意味合いでの言葉だったが、エーデルは、豚鬼にしてくれ、と意思を伝えてくる。
豚鬼はあれで結構強いし、今、ゴブリンとスライムを相手に見た限りの動きでは、まだエーデルには厳しいような気がしたので、
「いや、流石にな……」
と言うも、エーデルは、危なくなったらお前が助けろ、と思念を飛ばしてくる。
……本当にどっちが主なんだ。
そう思うが、まぁ……別に無理な相談という訳でもない。
いくら強くなった、と言っても、魔術が使えるようになっているとはいっても、まだまだ俺の方が強いのも間違いない。
頼られているうちが華なのかもな……とよく分からない気持ちになり、
「……分かったよ。じゃ、豚鬼な」
そう頭の上に乗っかったエーデルに言い、次の階層への階段を探して歩き出した。
◇◆◇◆◇
遠くに落ちていく日が見える。
朱色に染まった夕日は、世界全体を赤く染めて、もうすぐ闇の世界が訪れることを教えていた。
それは別に不思議な光景ではなく、毎日繰り返されるありふれたものである。
まぁ、ここが迷宮の中ではなかったら、という但し書きがつく話でもあるが。
「なんだか変な感じがするな……」
ここは《新月の迷宮》の二階層である。
時間帯は、まだ夕方、というほどではない。
おそらく、迷宮の外では未だ燦燦と太陽が世界を照らしていることだろう。
つまり、ここと外とは、時間帯が全く同様という訳ではない、ということだ。
話には一応聞いていたが、実際に時間帯がずれている光景を見るのは初めてである。
この間は、同じ時間帯だったからな……。
つまり、ここは、ここが昼で、外は夜、とか外は夜だがここは朝、とか、そういうことは普通に起こりうるところなのだ。
まぁ、明るい時間帯ならともかく、やってきてみればひどく暗い、となると冒険者としては非常に困るわけだが、その辺りは各々色々な方法でもって解決している。
それなりの腕を持つ魔術師がいるなら、暗視の魔術を使わせたりするのだ。
ただ、大抵の冒険者は諦める。
今日のところは運が悪かったな、ということで夜だと明らかになった時点で帰るわけだ。
そう言う意味では、今日はついていたということになるだろう。
夕方であれば夜とは違って十分に見えるし戦えるのだから。
まぁ、しかし仮に太陽が落ちていたとしても、俺の目は特殊だ。
夜でも普通の人間よりも遥かに良く見えるし、豚鬼はむしろ人間寄りの視覚をしている魔物なので、そちらの方が実は戦いやすかったりする。
エーデルはどうだろうな。
仮にも俺の眷属であるわけだから、目は夜目の方が効くかもしれない。
「……豚鬼、豚鬼……豚鬼はどこだ」
呪文のように唱えながら、迷宮第二階層を歩く。
周囲は森か平原という感じの、自然あふれる空間で、どこまで続いているのかもわからないくらいに広いので、見つかるときは見つかるが、見つからないときはさっぱり見つからないことも普通だと聞く。
豚鬼は人に比べるとあれだが、通常豚鬼であっても数匹で集団を作るくらいの知能はあるし、一匹さえ見つければ芋づる式に数体探すことも容易だ。
反対に、一匹に見つかれば数体を相手しなければならない状況に追い込まれることもあるため、その辺りは慎重になるべき相手だが、今の俺にとってはむしろそれは望ましい事態である。
上位の豚鬼が現れたら困るが、ここはまだ二階層に過ぎない。
そうそう出現することもないだろう。
はぐれ魔物なり、特殊個体なりが出現する可能性はなくはないが、見つけ次第逃走することは心に決めていたりする。
最近、色々順調だから忘れがちだが、俺がこうなった原因はまさにはぐれとか特殊とかそういうべき、《龍》に出遭ってしまったからであり、そういう例外的な存在はよくよく注意しなければならないのだと骨の髄まで染みて分かっている。
どうしても戦わなければならないような状況だったり、十分に勝算があると判断できない限りは、逃げるが勝ちなのであった。
「……豚鬼、豚鬼……ん? あれ?」
ふと、不思議な感覚に襲われた俺は首を傾げる。
何か違和感を感じたのだ。
一体なんだろう……と思って少し考えてみると、妙に頭が軽いことに気づく。
それで頭の方に手をやって、あぁ、と思った。
そこに先ほどまでいたはずのものがいない。
つまり、エーデルがいないのだ。
一体どこに行った……と考え、感覚を研ぎ澄ませて場所を探る。
エーデルとはつながっているがゆえに、少し集中すればどこにいるのかたちどころに分かるのである。
すると、森の方に入った辺りに気配があることが分かる。
俺は呆れながらそちらに近づいていく。
「……エーデル、勝手に離れるようなことは……」
そう言いながら。
しかし、がさり、と森の草葉をかき分けると、そこには、
「……ぶしゅるるるるる!!」
「ぐぶぶっ! ぶるるるる!!」
「ぎぎぶっ! ぶぶぶぶっ!!」
と、とてもではないが俺には意味の聞き取れない鳴き声で会話する、三匹の豚鬼が武器を持ちながらエーデルを囲んでいた。
ピ、ピンチじゃん、エーデル……。
と、主らしく察した俺は助けに入ろうと思ったが、豚鬼たちの持つ武器と、体を覆う鎧の材質を見てぴきり、と時間が止まった。
どれも金属製である。
まずい、通常豚鬼じゃない。
あれは、豚鬼兵士だ、と。