第121話 下級吸血鬼と眷属の進化
そんなわけで、《新月の迷宮》に到着である。
骨人やスライムが出現するのが第一階層、豚鬼が出現するのが第二階層と呼ばれる区画であり、その最深部はこの基準で言うと一体、第何階層まであるのか分かっていないが、とにかく深い迷宮であるのは間違いない。
《水月》の迷宮なんて、同じ基準で判断するとほぼ一階層で終わりだからな……まぁ、あの転移してしかたどり着けないところを入れるとまたややこしい話になってくるが、一般的に知られている区画だけを言うならそういうことになる。
「……俺の出番は何処に」
そんな《新月の迷宮》の第一階層を、《アカシアの地図》を埋めるために若干遠回りしながら歩いている俺であったが、今のところ非常に楽をしている。
いくら第一階層とはいえ、普通に魔物は出現するし、暴れまわって確実にこの階層の魔物には勝てないと言う印象をつけさせたならともかく、普通に歩いているだけの冒険者であれば、たとえどれだけの実力を持っているとしても襲われないということはない。
にもかかわらず、俺は非常に楽をしている。
その理由は、目の前でゴブリンとスライムと戦っているエーデルにあった。
今日はしっかりと迷宮探索をするつもりで、かつ細かい素材ならエーデルの方が見つけるのがうまいかもしれないと思って連れてきたのだが、予想外に彼は今、働いている。
別に戦力としてはさほどあてにはしていなかった。
なにせ、元々、若干サイズが大きめだったとは言え、小鼠に過ぎないのである。
その戦闘能力は、ゴブリンやスライムにすら劣る、それどころか十歳前後の子供ですら武器さえ持っていれば倒すことも不可能ではない最弱クラスの魔物である。
タラスクとの戦いで、中々の力を示してくれてはいたものの、あれは俺の力を奪い取り、無理やり強化してどうにかしたという感じだろうと思っていた。
つまり、俺が魔力なりなんなりを、エーデルに譲渡しないとそれほどの実力は発揮できないだろうと。
けれど、現実は違った。
今、俺はエーデルに譲渡する力を絞っている。
この間は無理に吸収されたが意識すればそれくらいは出来ることはあの後、気づいたのだ。
しかしそれにもかかわらず、エーデルは問題なくゴブリンとスライムを相手にしていた。
小さな体……というほど小さくもない、ちょうどゴブリンの頭くらいの大きさのエーデルは、縦横無尽に周囲をかけ、壁を上り、また体当たりをかまして翻弄している。
スライムも、銅級冒険者だった俺が気を込めた会心の一撃を放たなければ霧散させることが出来なかったくらいに厄介な魔物のはずなのに、エーデルの回転しながらの体当たりによって、粉々に散って、破片たちは合体できずに動かなくなっていく。
「ぎぎっ!」
とゴブリンはその体当たりの破壊力を見て唖然とするも、すでに目の前まで迫ってきていたエーデルの攻撃を避けられるわけでもない。
グルグルともの凄い速度で回転しながら向かってくるエーデルの前に、その頭部は破裂するように破壊されてしまった。
実にグロい光景であった。
◇◆◇◆◇
「……洗浄」
俺がそう唱えながらエーデルに向かって手を掲げると、ふわりとした光がエーデルを包み、そして一瞬のあと、そこには真っ黒な……というと語弊があるが、綺麗になったエーデルがそこにいた。
先ほどまではゴブリンの血と肉、それからスライムのどろどろした体液で触りたくもない状態だったからな。
綺麗にするのは急務だったという訳だ。
しかし、今綺麗にしてしまっても意味がないかもしれないと言う気はしなくもない。
なにせ、ここに至るまでに何体かの魔物に遭遇しているし、これからも魔物に遭遇するのは間違いなく、また汚れることは目に見えているからだ。
もちろん、俺も多少の血痕やら肉片やらならそこまで気にはしない。
俺だって剣を振るったり解体したりすればそれなりに汚れるからな。
しかしエーデルの場合はまた、それとは異なる。
彼の攻撃方法は、体を回転させながら突っ込み、相手をミンチにするというものだからだ。
そんなことをすれば当然、エーデルの体中にそんな汚れが付着して当然で、これからも同様のことになるのもまた簡単に想像がつく。
そうなるごとに毎回、洗浄の魔術をかけてもいいが、これは俺も最近覚えた生活魔術なのである。
攻撃魔術ならともかく、生活魔術であれば理屈は知っているので、呪文と構成さえ聞けば使えるようになるため、ロレーヌに便利なものをアリゼより一足先にいくつか学んでいたのだ。
ただ、覚えてから日が浅いため、使い慣れておらず、まだ魔術自体に無駄が多い状態だ。
正直、毎回使うくらいなら俺が自分で戦った方が消費が少ないかもしれないくらいである。
もう少し慣れれば使う魔力量も減っていくだろうが、今日明日でどうにかできることでもなく、そうなると……。
「エーデル、他に攻撃方法ないのか?」
何も解決方法が思いつかず、俺はエーデルに直接聞いてみることにした。
自分で戦う、が一番なのだろうが、今後のことを考えるとエーデルの戦い方もよく観察しておきたい。
あとで連携の練習なんかも出来るならしておきたいし、そうなるとこの辺りのそれほど強くない魔物でエーデルがどう戦うのか、自分がその戦いに加勢するならどういう立ち回りがいいのか、考える時間が欲しかった。
エーデルは俺の言葉に、少し考えるような表情をし、それから、飛び上がって、未だ地面に転がるゴブリンの死体目がけて何かを放った。
すると次の瞬間、ゴブリンの体に大きな切り傷が刻まれる。
「……これは、魔術か」
尋ねると、肯定を意味する思念がエーデルから返ってくる。
俺よりも先に魔術を使いやがって腹が立つ、少しは主を立てろ、と思わなくもないが、そもそも魔物の使う魔術と人の作り上げた魔術とは少し異なっている。
どちらとも、魔力を使って何らかの現象を起こす、という広義の意味では同じものだが、人は魔術の仕組みを理解し、構成をくみ上げ、呪文を唱えてやっと使えるのが基本である。
魔物の場合は、効力の程はともかく、魔力を直感的に現象そのものへと置き換えることが出来るものが少なくないのだ。
人に近い魔物――ゴブリンや、それこそ吸血鬼などは、人の魔術に近いものを扱うが、やはり魔物として、魔力を直感的に扱うすべも持っている。
ゴブリンであれば、人よりも一回り小さいにも関わらず、成人男性と互角以上に戦えるのは人の身体強化に近い魔術を本能的に発動させているからであり、吸血鬼が抵抗力の弱い人間をその瞳を見つめるだけで自らの信奉者に仕立て上げることが出来るのは魅了の魔術を魔物として備えているからに他ならない。
つまりはエーデルも、そのような魔力の扱いが出来るようになった、ということなのかもしれない。
通常の小鼠は、ゴブリンのような微弱な身体強化程度ぐらいしか出来ないが、属性を帯びた小鼠たち、火鼠などが、誰に魔術を教えられたわけでなくとも、その身から小さいながらも火を放てるのは、魔力をそのように扱える本能があるからに他ならない。
とは言え、こういった魔物が本来的に備えている魔術は、どれも大した効力のないものだ。
吸血鬼の魅了の瞳や、火鼠の小火球、竜の吐息などは、その瞳や喉などがそもそも特殊な器官であり、それがために強力な力を放つことが出来るだけで、普通に魔術を使うのであれば、構成や詠唱をしっかりと伴った、体系的な魔術の方が効率がいい。
つまり、エーデルの場合、いくら魔力を扱えるようになったとはいえ、特別な器官を備えているわけではない小鼠に過ぎないのだからそんなことは出来ないはずだが……実は、俺が下級吸血鬼になった影響で、いくつか変わったところが出てきているのだ。
その影響かも知れないという気はする。