第120話 下級吸血鬼と慣習
「お前、まさか身売りするつもりじゃないだろうな?」
ロレーヌにじとっとした目で見られたので、俺は首を振る。
「馬鹿な事言うなよ。そんなことするわけがないだろう」
しかしロレーヌもさるもので、
「いや、別にお前が自分自身について売り物にする、とは思っていない。そうではなく、たとえば、血液や肉片なんかを売ろうとする可能性はあるかと思ったんだが……」
ぎくり、としなかったわけではない。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけそんなことも考えたからだ。
なにせ、貴族などにとって、吸血鬼の血液などは不老不死の霊薬のような扱いを受けているものである。
本当にその効果があるかどうかは別として、オークションに持ち込めばそれなりの金額で引き取ってくれるのではないか、と考えた。
オークショナーはそれが確かに魔物の、そして吸血鬼の血液かどうか、調べる手段は持っているだろうしな。
金さえ積めば王都の魔物研究所などに送って真贋を確かめることは出来るのだ。
だからこそ、手っ取り早い金稼ぎになりそうな気はする。
しかし、俺も流石に全くの考えなしという訳ではない。
吸血鬼の血液は確かに、飲んで耐えれば不死者になれる可能性のある霊薬なのかもしれないが、本来、吸血鬼の血液というのは、その吸血鬼の下僕を増やすための手段である。
つまり、俺の血を誰かが飲んだなら、その誰かはもれなく俺の下僕になってしまうのではないか?
まるで、小鼠のエーデルのように。
……エーデルのように?
それは困る……と若干思わなくもないが、それは置いておいて、ともかくいきなり下僕が増えるというのは……。
考えようによっては、吸血鬼の血液などという高価な品を買い求められる財力なり権力なりがある人物を下僕にするのはちょっとお得なような気もするが、いきなり知らない奴に傅かれて、よしよし俺のために働くのだぞ、と言えるような精神構造を俺はしていない。
やっぱり無理だ、というのが俺の感覚であった。
とりあえず、その辺りの葛藤についてはロレーヌには語らずに、何事もなかったかのように首を横に振り、答える。
「いいや? そんなつもりなんかないさ。ただ、どれだけ危険なのか、分かりやすい指標を聞けば感じとりやすいかと思ってな……」
実際、白金貨が躍るような状態になりうることを考えると、恐ろしいことこの上ない。
絶対に捕まってはならないなと心底思う。
まぁ、ロレーヌの言う金額は、俺がかなり特殊な存在であることも考慮しての言葉で、通常の下級吸血鬼であったらもっと常識的な金額だろう。
珍しいとはいえ、たまに出現する魔物だからな……。
まぁ、その性質上、非常に捕獲しにくいのは事実だが。
大抵の吸血鬼は《群れ》と呼ばれる一種の集団に属しており、その中の最上位の吸血鬼に支配されているものである。
多くは中級吸血鬼が盟主として君臨する群れに数体の下級吸血鬼がおり、さらにその下に屍鬼や使役された人間がいる、ということが普通なわけだが、この場合、たとえ一匹の下級吸血鬼を捕獲したとしても、盟主たる中級吸血鬼によってその血を暴走させられ、爆散してしまうのである。
血に込められた中級吸血鬼の力を奪われた結果、人の形に押し込めるには分不相応な力が行き場をなくし、そのような事態に陥ると言われているが、本当は理由については正確なところは分かっていない。
ともかく、重要なのは、捕まえても下級吸血鬼は捕まえられたその時点で、もしくは捕まえられてしばらくすれば死んでしまうということだ。
力を上位の吸血鬼に奪われるので、その飛び散った肉片やら血液やらにも吸血鬼としての力はなくなってしまう。
つまり、素材としての価値も、その時点でゼロになるわけだ。
捕獲しにくい理由がよくわかる。
より正確にいうなら、捕獲しても意味がない理由か。
その点、俺なら、捕まえても上位の吸血鬼などいないので、そういうことは起こりえない。
結果として素材としての意味を果たせるうえ、下級吸血鬼としてもかなり珍しい存在なので、高値がつくだろう、というわけだ。
俺のような特殊な存在でなく、捕獲できる下級吸血鬼は少なく、迷宮で生まれたばかりの個体に限られるだろう。
それ以外は、大半が盟主を持ったものばかりである。
俺の希少さがよくわかる。捕まる。怖い。
世の中で流通する吸血鬼の素材は、盟主それ自身のものか、盟主が何らかの理由で力を奪うことなく存在し続けることの出来た下級吸血鬼のものなのであった。
俺がラトゥール家でもらったものは、一体どちらなのかは分からないが、特にあれから何かに支配されている、とも感じられない以上は後者だったのだと考えるべきだろう。
あまり距離が離れすぎたり、力が拮抗したりしていると支配の力もあまり働かないらしいが、ああやって流通している以上は、その辺りの心配は払しょくされているはずだ。
ラウラにしたって危ないなら危ないと言うだろうし。
まぁ、もしものときはもしものときでもある。
あのとき、飲まないと進化出来ないという感じがしたから飲んだわけで、結局それ以外に選択肢がなかったのだし、後悔しても仕方がない話だ。
「……ま、そういうことならいいだろう。ともかく、気を付けることだ……あぁ、あと、素材を取りに行くならついでに私の分も頼みたい。授業料から依頼料引いておくから」
そう言ってロレーヌが依頼してきたのは、いくつかの魔石と素材である。
内容を聞けば、その目的は明白であった。
「……ロレーヌもアリゼに何か贈るつもりか?」
「あぁ。魔術師として教え込むのだから、魔術媒体の一つや二つ、必要だろう。まぁ、そもそも魔術媒体の作り方から教えるつもりだから、そのための教材でもあるのだが」
「……だから同じ素材をいくつも言ったのか……」
微妙に俺の予測とはずれていた。
魔術は特に魔術媒体がなくとも使えるものだが、あれば発動が楽になったり威力を強化したりすることが出来る。
また、特殊な系統の魔術では魔術媒体が必須の場合もあり、そういうときは魔術媒体を自作する必要もある。
だからこそ、魔術師は基本的な錬金術の知識は身に着け、実践しているもので、ロレーヌはアリゼにもそれを教えるつもりなのだろう。
もちろん、俺にも。
素材の数は三人分だ。
予想するまでもなくはっきりとしている。
「ま、そういうことだな。はじめて持つ武具は、特別なものだろう。自分で作らせてみるのもいいかと思ってな」
その言い方からして、最初の魔術媒体を作らせるのは、魔術師からすると一般的ではないのかもしれない。
魔術媒体の製作にはそれなりの手間と技術が必要で、それほど強力なものではなくとも、そう簡単なものでもないからな。
ただ、それでも作らせようとするのは、魔術師の修行を楽しんでもらおうとする親心ならぬ師匠心だろう。
そして俺にもそれはある。
ロレーヌは続けてそれを指摘した。
「お前だって、わざわざ武具の素材を集めるのは節約のためだというが、それだけではないだろう。稼ぐだけならそれこそ血でも売るなりなんなりすればいいのだからな。そうではなく、その手で集めた素材から作った武具を贈りたいのだろう。二人そろって、同じことをやろうとしているわけだ。全くおかしいな」
おかしいのだろうか?
いや、そうではないだろう。
俺はロレーヌに言う。
「それくらい師匠として当然のことだろう? ずっと昔は、弟子のはじめての武具は師匠が贈るものと相場が決まっていたと言うしな」
今は、親から与えられるか、自分でそろえる、ということが多いと言う。
個人に弟子入り、ということが少なくなってきているし、したとしても裕福な者がすることが多いからだ。
ロレーヌも其れには頷いたが、
「古い慣習だ。今はあまりそういうことをするものはいないが……ま、私たちがやってもいいだろうな」
そう言って笑ったのだった。