第114話 下級吸血鬼とベテラン魔術師
「では、まずは魔力の集中からだ。さっきと同じように、指先に魔力を集めなさい」
ロレーヌがそう言うと、アリゼは頷いて体内の魔力に意識を集中し始める。
俺には他人の魔力の動きなんて見えないが、ロレーヌには見えているはずだ。
俺は尋ねる。
「どうだ?」
「うむ、しっかりできているぞ……。まぁ、さっきから気持ち悪いくらいに速く魔力を動かしているお前と比べたらゆっくりだが……初日だからな。これだけ出来れば十分だろう」
ロレーヌはそう言って頷いた。
それから、
「よし、それでは、初歩魔術だ。さきほどレントが起こした現象を思い浮かべながら、呪文を詠唱しなさい……いいか、これだぞ」
そう言ってロレーヌは、いつの間にか板に書いていた呪文を持っている棒で指し示し、叩く。
アリゼは脂汗をかきつつ、頷いて口を開く。
「……“火よ……我が魔力を糧に……して、ここに……顕現せよ……《点火》”!」
すると、魔力の蠢く気配がし、それからアリゼの指先が輝く。
俺のときには発生しなかった現象である。
あれは、魔力の変換効率が悪いために起こることで、無駄な魔力が光に変わっているのだ。
俺は幾度となく発動させ続けたため、ほとんど魔力にロスなど発生しないが、初めて使うとあんなものだ。
魔術に慣れると徐々に無駄はなくなっていくが、すべての魔力を現象それ自体に変換することは魔術師の夢である。
多少のロスは必ず発生するもので、それはもう仕方がない。
それから、アリゼの指先に、ぽっ、と、俺が灯したものより二回りほど小さな火がともった。
ゆらゆらとして不安定であり、火種にするにも心もとないような、本当に小さな光だ。
しかし、アリゼはそれに驚いたように目を見開く。
魔術を学んで、しっかりと魔力を操れていることを自覚しながらも、いざ、本当に魔術が発動すると信じられないらしい。
魔術師というのは、普通の人間からすればかなり特殊で珍しい存在だ。
一撃で人を消し炭に出来る力を持ち、あらゆる物体に干渉できるような存在に、まさか自分がなれるとは中々思えないだろう。
なりたい、と思っていても、また、なれる、と言われても、実際に魔術を使うとこんな反応をするものが大半なのだ。
「……すごい、私にも魔術が……あっ」
アリゼが感動してそう呟いた瞬間、彼女の指先に点った光はふっと消えた。
集中が途切れたからだろう。
魔力を操るのは、慣れれば無意識でも可能になるが、最初のうちは全集中力を一点に集めないと難しい。
「別のことを考えたからだな。まぁ、何度も繰り返していけば、いずれ何も考えずに使えるようになる」
ロレーヌがアリゼに説明する。
「こんな小さな火を灯すだけでここまで大変なのに、そうなれるような気があんまりしないんですけど……」
アリゼがそう言うが、ロレーヌは横に首を振った。
「いやいや、そんなことはない。よく考えてみろ、レントにだって出来るんだぞ? それに、もっと慣れれば、こういうことも出来るようになる。」
ロレーヌはそう言うと同時に、指先に火を灯し、さらに水を浮かべ、それらを使って次々に複雑な図形を作っていく。
達人技だ。
あれだけ魔力の形を自由に操れるものは中々いない。
ただ、そこまでなら俺にもできる。
しかし、ロレーヌの魔術はそれだけにとどまらない。
火と水は徐々に大きくなり、それぞれが生き物の形を形作り始める。
火は鳥の形状に、水は竜を象って、空中を飛び回る。
明らかに初歩魔術ではない力だ。
初歩魔術では火も水もあそこまで大きくできないし、体から離して動かすことも難しいのだ。
これだけのコントロールが出来る時点でこれは初歩魔術ではない。
出来るなら、すでに俺はこれで遊んでいることだろう。
「ふわぁ」
と、アリゼは口を開いて唖然としている。
さらにロレーヌは、
「こんなことも出来る」
そう言って、空中に魔術によって土を生み出し、さらに、それを使って次々と建物の形にし始める。
最初は冒険者組合建物、次はこのロレーヌの家、その次は見たことのない大きな屋敷に、最後には壮麗な城である。
いずれも色合いが異なっていて、土魔術で作り出したとは思えない精巧さである。
ロレーヌと俺の技量の差が悲しくなるくらいに浮き彫りになった。
そして、ロレーヌは魔術を引っ込め、
「どうだ、すごいだろう。レントより」
と胸を張った。
魔術の可能性を弟子に見せたい、という訳ではなく、俺よりも優れた魔術師であることをアリゼに示したかったらしい。
子供か。
まぁ、俺が言えたことではないけれど。
そんなロレーヌにアリゼは、
「凄いです! ロレーヌ先生も、レントも! 私も二人みたいに出来るように、頑張りたいです!」
と、手放しでほめたので、ロレーヌは少し照れたようになり、
「そ、そうか……まぁ、そうだな。レントも中々やるからな……」
ロレーヌも別に俺のことを馬鹿にしようと思って言ったわけではないし、可愛い弟子が二人ともそろって褒めるものだから否定もしがたいようで、そんな言い方になったようだ。
それからアリゼは改めて、
「はい! こんなお二人に教えてもらえるなんて……私、これからも頑張りますから、どうぞよろしくお願いします!」
そう言って頭を下げ、そこで今日の講義は終了になったのだった。
◇◆◇◆◇
「では、また!」
そう言って、アリゼが手にロレーヌの作った教科書の第一部を持って、孤児院へと帰っていく。
俺とロレーヌは玄関先から彼女に手を振りつつ見送って、それから後姿が見えなくなると、部屋に戻った。
「それにしても筋がいいな。これなら、このまま魔術師兼学者の道にも本当に進めそうだ」
ロレーヌがソファに座り、しみじみとした様子でそう言った。
俺はそれに、
「いやいや、アリゼが成るのは冒険者だろ? 今日は魔術の修行だったが、次は冒険者の修行だからな」
とりあえず、ロレーヌに物凄く推されている魔術師兼学者の道であるが、アリゼ本人は今でも冒険者になるという目標を撤回してはいないのだ。
帰るとき、次は冒険者の方の修行をするからそのつもりでな、とも言っておいたが、素直な笑顔で、「うん!」と言ってくれた。
彼女の将来の目標は今でも冒険者である。
冒険者だよな?
冒険者だ。
うん。
ところがロレーヌは眉を顰めて、
「全く、お前も頑固だな……まぁ、仕方あるまい。今はそういうことにしておいてやろう」
と渋々許可しているかのような声色で言う。
……なんかおかしくないか?
そう思う。
まぁ、言っても無駄なんだろうけどさ。
「それで、冒険者の修行と言うが、まずは何をさせるつもりだ?」
冗談を言うのはとりあえずやめたロレーヌが、そう聞いてきたので、俺は少し考えてから答える。
「まずは、剣術を教えるところからかな。あとは、森や迷宮に連れて行って、素材やルールを教えていくことになるだろう」
すると、ロレーヌは懐かしそうな顔をして、
「なるほどな、私が昔、お前にしてもらったようなことをするわけだ……」
と言い、それから閃いたように、
「なぁ、レント。それ、私も付いていっていいか?」
と尋ねてきた。
別に、それは自由である。
と言うか、ロレーヌもアリゼの師匠な訳で、魔術についても実戦で魔物を相手にして教える必要があるだろう。
そのためには、何度か一緒に迷宮などに行き、彼女の立ち回りを知っておく必要がある。
もちろん、いきなり魔物を倒すことなど出来るわけがないから、俺が倒すのを観察する、もしくはかなり弱ったものに止めを刺す、という感じになるだろうから、立ち回りと言うのは少し語弊があるかもしれないが。
だから俺は言う。
「まったく構わないぞ。ただ、いいのか? 研究は……」
「いいんだ。というか、アリゼだけではなく、私はレント、進化したお前の戦闘もじっくり見ておきたいからな。以前とはおそらくかなり変わっているはずだろう?」
実際どうなのかはやってみなければ分からないが、屍食鬼から屍鬼になったときにも結構な変化はあった。
やはり、変化していると考えるべきではある。
そもそも屍鬼や屍食鬼のときは体が奇妙な方向にぐるんぐるん曲げることが出来たからな。
今は……出来なくはないが、体に肉がかなりついている分、抵抗が強くなっている。
精神的にも肉体的にもだ。
やりすぎると怖いので、今は限界を探している状況だ。
一度、ロレーヌに客観的に観察してもらった方が、色々と分かるかもしれない。
そう思って、俺はロレーヌに頷いたのだった。